メルマガ:【マスコミが伝えない事実】
タイトル:るいネットメールマガジン 【 る い 】 [2006.2.28]  2006/02/28


  るいネットメールマガジン【 る い 】[2006.2.28]

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        メルマガ 【 る い 】  [2006.2.28]
            http://www.rui.jp/

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1  今週の注目投稿
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★ 社会板より、「肯定視が共認回路を再生していく」についての議論を
 ご紹介します。
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◇ 音読と声だし 
    【樫村志穂美  (23 茨城 営業)  06/02/15 PM05】  
 
  小学校の時、よく授業や宿題で音読があった。
  みんなで、一斉に読んだり、句読点や段落で区切って輪読したり、1人が
  最初から最後まで読んだり。本を見ながらやることもあれば、できる子は
  見ずに暗記して読んだりもした。
  私は、そんな音読が大好きだった。将来は本を読む人になろうと思ってい
  た。国語の教材のテープから流れてくるお話を読む人や図書館で読み聞か
  せをする人に憧れた。

  幼稚園の頃は、本は専ら母に読んでもらうものだった。
  小学校にあがり、授業で音読をやるようになると、私がみんなに聞かせる
  立場になった。
  初めて習う教科書の単元に入る時、まずは見ながら一通り読んでみる。何
  度が声に出して読み、ある程度スラスラ読めるようになると、今度は聞い
  てくれる人にどうやったら伝わるかを考えて読む。
  
  例えば、話の内容によってテンポを変えたり、【、】は1拍、【。】は2
  拍、心の中で数える。または、『いっぱい遊んだ』という文があったとし
  たら、【いっぱい】の、【い】をつまるように読み、【ぱ】にアクセント
  を置く。そうすると普通に読むより、【遊んだ】がどんな感じだったか想
  像できる。たとえその後に、『楽しかった』という文が続かなくても『楽
  しかった』ように聞こえるのだ。(※)

  どうやったら、本を読んでいない相手に伝わるか。そうやって、相手のこ
  とを想って読むと、不思議と暗記できてしまった。暗記までとはいかなく
  ても、題や内容は今でも覚えている。「ビーバーの巣づくり」「道具を使
  う動物たち」「サーカスのライオン」「一つの花」・・・今でも、イメージと
  して鮮明に残っている。

  しかし、中学・高校・大学となり、音読をしないようになると、だんだん
  と覚えられなくなってしまった。
  高校の時、小学校時代を振り返り、「もしかしたら声に出して読まなくな
  ったから覚えられなくなったのかも?!」と思った私は、教科書を声に出
  して読んでみた。しかし、一向にその効果はない・・・。
  当時の私は、その理由を「やっぱり声に出す出さないが問題なんじゃない
  んだな」と片付けてしまっていたが、今思えば、それは、【同化対象がい
  るかいないか】であったように思う。

  >音読すると、同化と応合の共認回路が刺激されるので脳全体が活性化す
  る。
  (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=105610 )

  私が高校の時やっていたのは、ただの“声だし”。対象がない、同化・応
  合がない、ただ単に声をだしているにすぎない行為。

  何気なくやっていた音読が、こんなにも脳に影響を与え、しかもそこにも
  共認回路が関わっていたとは・・・。
  過去の記憶を思い出す時、そこには必ず対象が存在する。それは、共認回
  路が刺激され、脳を活性化しているからこそ、記憶として残っているもの
  なのだと思う。

  ※「本当の学力は作文で伸びる(ストーリー作文の方法論)」
  (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=102324 )
  >●書く上で、「事実」に優るものはない。

  ⇒気持ちや感想を書くときも、事実を書けばいい。事実をストーリー性で
  展開し、動作を細かく、現在・過去と交互にかく。これで簡単に、面白く
  書くことができるようになる。気持ちや感想はちょこちょこと書けばいい。

  >・作文を習い始めて、きちんと意味の通じる会話ができるようになりま
  した、という喜びの声を頂く。ちゃんと相手に通じるようにと、相手のこ
  とを考えながら話せるようになる。
  
  ⇒読み手を意識して書くことが、必要不可欠、ということ。

  感想(『楽しかった』)がなくても、対象を意識しさえできれば、『いっぱ
  い遊んだ』という事実だけで伝わる。なんだか、似てる感じがする・・・。
  「聞く」「読む」「話す」、そして「書く」。全ては、【共認回路を刺激
  する】という点で、つながっているのではないだろうか?  
   
  全文 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=105750  
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◇ 「心を開く」ために必要なのは、むしろ先端機能 
      【佐藤英幸 (43 新潟 塾長)  05/12/08 PM11】  
 
  よく刑事物とかで、吐いちまいなすっきりするから、と言いながらカツ丼
  を差し入れする場面が登場する。ある意味、無秩序の最上段から秩序の最
  下段に転落した人さえ、その転落の恐怖より心を閉ざすことの辛さが上回
  っているということなのだろう。それほどまでに人類は共認動物なのであ
  る。

  犯した罪を告白させられる(する)力は、強制圧力というよりは、捜査と
  いう積極的な事実探索で得られた事実を共認してしまいたいという共認圧
  力なのではないだろうか。

  嘘発見器がときとして有効なのは、人類にとって共認回路の否定はかなり
  の難課題であること→事実を肯定するように進化してきたのではないかと
  感じる。(おそらく事実を肯定できなかったらとっくの昔に人類は滅びて
  いたであろう。)逆に言えば、事実を肯定する人々の子孫が生き残ってき
  たとも考えられる。

  ただ思考が停止して先端機能より親和機能が上回っていたり、思考が停止
  して事実が見えなかったりすると、肯定視=親和になってしまう。すると、
  いろいろな理由で転落したとき、転落を目撃したとき、親和だけでは解決
  できないのに親和を求めたり親和を与えたりするだけの方法しか思いつか
  なくなる。これが社会全体に広がれば親和閉塞とも形容される社会状況に
  なるのだし、進化に逆らうような気がする。こうなってしまうと、誰も心
  を開けない。

  「心を開く」ために必要なのは、むしろ先端機能のほうなのだと思う。先
  端機能の発達によって、不全対象化、危機意識の共有、自戒の自発、など
  から反転して、実現回路、期待が高まるのは、そのせいではないかと思う。  
 
  全文 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=102250
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◇ 可能性発掘のための肯定視 
       【本田真吾  (49 香川 建築家)  06/02/28 PM08】  
 
  肯定視と否定視を反対語のように捉える等、肯定視という言葉を価値観念
  的に理解する事例によく出会います。

  例えば、大きな課題に直面したとき突破する方法のひとつは、今発掘でき
  る、人も含めたあらゆる情報を、丹念に一つ一つ頭に入れていくことです。
  その時は、どこかに突破の可能性は無いかと探索しているので、これはい
  やだとか、出来そうに無いという否定視は入りません。つまり、肯定視と
  は可能性発掘のためにあらゆる対象をあるがまま受け入れるということだ
  と思います。

  それに対して否定視は、自分の期待に応えてくれないと思ったとき発現し
  ます。その結果、眼前にある可能性突破の源泉である事実を、自分の好き
  嫌いに近い感覚で捨象します。例えば、これは課題が難しすぎるから出来
  そうもないと、対象を注視する前に、諦めてしまいます。当然、突破に必
  要な情報が欠けていますから、敗北の可能性が高いわけです。

  その状況はよくないと周りから指摘されたときに起きがちなのが、否定視
  を否定した、価値観念的肯定視です。これは、いやだと感じる対象の本質
  や、そう感じてしまう自分の意識を捨象して、ただ認められそうな対象の
  一部を『プラス』視し、その事実を全体であるかのように思い込むことと
  同義です。

  この場合は一時的に気分は高揚するかもしれませんが、全てを対象化する
  (=肯定視する)という思考の本質からすると、都合の悪い対象は捨象す
  るという意味で否定視と同じ構造をしています。だから、この方法でも突
  破できないことになります。

  肯定視とは、

  >既にお気付きのように『応合意識』の中には否定視は微塵もありません。
  期待だけなら「応えてくれない」という否定視は付き物であることを私た
  ちはよく知っています。それとは逆に、肯定視とは好奇心や探究心にカタ
  チを変えた応合精神であり、応合精神豊かな人は飽くなき可能性の探索を
  厭わないということも数多く体験しています。つまり、注視⇒肯定視の流
  れには応合回路が相乗収束しており、精霊回路とは可能性探索の塊りであ
  る根源的適応欠乏(と全感覚)が共認回路=応合回路を経由した唯一の収
  束先(=実現経路)となっているらしい・・・、だとすれば、適応欠乏⇒
  応合回路⇒精霊回路というのは、人類を人類たらしめしている(or人類の
  将来を左右する)基幹回路であり、「人類とは何か?」という問いに対す
  る『答え』だということです。
  (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=104670 )

  のように、閉ざされたとしか思えないような世界の中で、可能性を見出す
  ために獲得された、対象に100パーセント同化していく機能だと思います。
  それに対して否定視とは、自己都合により、対象を切り捨てる、または、
  対象の一部のみをプラス視し、あたかも全体が、そうであるかのように思
  い込むことといえると思います。

  また、最近の潮流のなかで、解りにくい事例として、闘争場面での課題捨
  象の充足基調というがあると思います。課題とは集団や社会が充足するた
  めに有ります。その為に問題となる事象は、例え個人的問題にしても、事
  実として指摘し改善する必要がありあます。そのような内容になったとた
  ん、全体課題を捨象し、表層的な充足に流れ、可能性を閉ざす風潮があり
  ます。

  これも、思考法としては、先の否定視と変りません。これでは、突破の可
  能性(=みんなの充足)はありません。肯定視が価値観念にならないため
  にも、可能性探索から突破のための肯定視であることを、こころにとめて
  おく必要があると思います。
 
  全文 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=106501
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