メルマガ:【マスコミが伝えない事実】
タイトル:るいネットメールマガジン 【 る い 】 NO.170[2006.1.31]  2006/01/31


  るいネットメールマガジン【 る い 】NO.170[2006.1.31]

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        メルマガ 【 る い 】  NO.170[2006.1.31]
            http://www.rui.jp/

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1  今週の注目投稿
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★ 社会板より、「現代意識潮流を探る、その深層には?」についての
 議論をご紹介します。
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◇ 一枚岩になった社会 
      【阿部佳容子  (43 大阪 営業)  06/01/29 PM08】  
 
  少し前のなんでや劇場で「マメ先生」の話を知った。ある小学校で積
  極的に取り入れているしくみ。授業中に先に問題の解けた子が、まだ
  解けていない子たちに教えていくというしくみが、子どもたちのやる
  気を引き上げているというものだった。

  あー、そういう捉え方もあったのかー。

  実は1年ほど前の授業参観で同じ光景をみた。当時3年生の娘、問題
  が解けたら、当たり前のように立ちあがって、「・・・」状態の友達
  のもとへ。そこが終わるとまた別の机の子のもとへ。転々々・・・。
  親の私はアゼンとなった。
  これって、授業中なのに教室内を勝手にウロウロするするってことや
  ん!あの子は学級崩壊の張本人?
  担任の先生は平然としており、どうやら常態化している模様。

  「アンタは、副担任か!授業中はイスに座ってなさい!」
  帰宅後、厳禁を言い渡した。

  なので、先日のなんでやでは密かに反省することしきりだった。

  この娘を久々に露店に連れていったのが昨年11月。明石という初め
  ての地だったにもかかわらず露店看板を見つけると、彼女は当たり前
  のように店側に陣取った。将来は「お店をしたい」らしい彼女にとっ
  て露店手伝いはその欠乏を常に充足させる活動のようだ。

  彼女の欠乏というのはやはり、「おとな社会での役割を担いたい」と
  いうものだろう。

  私自身はこどもの頃、親の手伝いなどほとんどしたことがなかった(そ
  ういうことをするのは損だ、くらいに捉えていた)のだが、彼女は家の
  手伝いに躊躇がない。掃除・炊事・整理整頓・・。言えばいやがらず、
  むしろ喜んでやる。子ども会や自治会のボランティア活動(主に清掃)
  にも積極的。おそらくそれだけでは飽き足らない段階にきているのだろう。

  こんなことを書けば、どんないい子ちゃんか?と思われるかもしれな
  いが、そんなことは決してない。家でやるのは宿題だけ、忘れ物限り
  なく、テレビ大好き、本は全く読まない、男子は呼び捨て、口は悪い、
  祖父には反抗する・・。要するに普通のナマイキなガキだ。

  子どものデキを嘆くと「アンタよりだいぶマシ」とニベもない祖母(私
  の母)が言うには、私と比べて、娘の方が落ち着きがあり、ひと(特に
  おとな)をよく観ている、とのこと。
  そうかな〜?
  落ち着き云々はさておき、確かに観ている(観られている)気がする。

  街を歩いていると「今のひと(すれ違ったひと)、○○だったー」とか
  は日常茶飯事。近所の奥さんとの立ち話を、祖母におもしろおかしく伝
  えていると、いつのまにやら聞き耳を立て、別の部屋から「おかあさん、
  そんな言い方とちゃうかったー!」。
  同じ職場のひとの噂話をすると「おかあさんの職場でそんなこと言って
  も怒れへんのは、○○君と△△君やなー」と年に1回会うか会わないか
  のメンバーをニコニコ寸評。ミシンの訪問販売を受け「いいかも〜」と
  その気になって大枚を投じようとした母(私)に、「あのおんなのひと、
  歯がまっくろやったー」と水をさすような一言を放ち、おとり販売の餌
  食になるのを免れたり・・。
  家では小姑のような存在でもある。かと思うと・・・。

  いっしょに遊ぶのはもちろんともだちが一番、おかあさんと遊ぶよりは、
  楽しいのは当たり前。でも何かの現象(身近なことでも、事件等の社会
  現象でも)に遭遇したとき、「そのことをどう思うか?」ということを
  聞きたいのはともだち一番ではない。まずは母親に対して、次に先生に
  対して、そして・・。

  >自分の幼少の頃を振り返ると社会に関心を持っていたことはなかった
  ように思う。
  (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=104694 )

  その昔、私がこどもだった頃、「おとな」というのはどっか「枠外」の
  存在だった。枠内はこどもたちだけ。来る日も来る日も、その枠内でど
  れだけ充足できるか、そのことに全身全霊をかけていた。それだけで毎
  日が瞬く間に過ぎていった。おとなの考えなど知ったことじゃなかった。

  現在、社会全体の統合原理が大転換している最中。
  「こども枠」「おとな枠」(あるいは「老人枠」も)の垣根は完全に取
  り払われ(おそらくこども側から)、社会がひとつ、一枚岩になった。
  共認社会の幕開けを感じた。
 
  全文 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=104799
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◇ 子供たちの潜在的な役割期待発で 
        【齊藤直  (29 宮城 会社員)  06/01/27 PM08】  
 
  自分の幼少の頃を振り返ると社会に関心を持っていたことはなかった
  ように思う。それは社会が安定していたとも言えるし、自らにかかる
  圧力とは仲間圧力と親の期待といったところ。これまで社会収束して
  いるとは驚きです。

  社会収束しているのは本能的な危機察知能力によるところが大きいの
  だと思う。社会の閉塞感や不安感は親を通じて子供たちにも伝わって
  いる。(居場所である学校での事件の頻発はもはや親を通してではな
  く直接的なのかも)子供たちの状況把握のための情報収集がマスコミ
  しかないのは、次代を担う、役割を求めている子供たちには弊害でし
  かない。ただひたすら不安を煽り立て、旧観念のすりこみで終わるし、
  実は聞いてる本人はあまり考えていないのが実情でしょう。

  >ここを現実社会と繋げることは、学習のカリキュラムの見直しや6
  ・3・3制をどうするとかいうより、よっぽど近道だと思います。
  (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=104096 )

  潜在的な役割期待に蓋をして勉強をしろというのは、活力上昇のベク
  トルに逆行してしまう。中学生に多い「不安など情緒的混乱」や「無
  気力」も無関係ではないでしょう。現実社会と切り離された学習を、
  本来の現実社会のための学習に戻せるチャンスではないかと思います。
  
  不安発で行政も学校も親も、パトロールや施設整備に躍起ですが根本
  解決には何ら結びつかないのは明らかです。子供たちの潜在的な役割
  期待発で、現実社会の問題を学校単位で扱い、その輪を家族、地域に
  拡げていくことは充分に可能だと思います。親も子供があんなこと考
  えている、なんて圧力になって思考停止から抜け出すだろうし老人の
  役割も必然的に増えてくるのだろうと思います。現実社会の課題を発
  端に役割を見出す課程は、本来の共同体の形成過程そのものなのだと
  思います。  
 
   全文 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=104694
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◇ 今、何故ネット+教育なのか? 
      【川井孝浩 (32 東京 設計)  06/01/29 PM06】  
 
  ブログのポータルサイト等では各マスコミのニュースへのトラックバッ
  ク(入口)が用意されており、時事ネタに対する様々な論評を見かける
  事が出来る。中には、マスコミでは公表されていない情報も含まれてお
  り、情報探索としてのネットは、年々成果を上げて来ているように見る
  ことも出来る。

  しかし一方で、各ブログの論評が、年々マスコミ化しているのではない
  か?という傾向を最近感じている。
  ブログでの発信は、ある意味で個人の(表現の)自由が約束された空間
  に近いものであり、各種情報に加えて、なんらかの価値観が付随されて
  いるものが殆ど。そして、その発信に対するコメントやトラックバック
  もまた、価値観によっての批判が繰り返されるばかり。

  ライブドアショック渦中の堀江氏に関しても、多数の関心を寄せた事件
  であり、本人のブログ(逮捕直前のエントリー)には8000件を超えるコ
  メントと400件を超えるトラックバックが付けられているが、その一部を
  読んでみても、応援と批判の二極対立になっているだけで、この問題の
  構造的原因や根本問題、そして「答え」追究に向う流れを感じ取る事は
  出来ない。

  このままでは、いくらネットへの参加者が増えていった所で、そのネタ
  元は今までどおりマスコミ発であり、受信側もマスコミ化して行くばか
  りで、様々な社会問題に対する解決の糸口が見えてこない。要するに現
  状のネット界では、いくら論争が活発化した所で、構造的欠陥を孕んで
  いる、という事になる。

  それは、近代思想、そして残骸として残り続ける私権の問題でもあり、

  >近代思想の問題はその「絶対観念」性にある。それは極めて固定性の
  高い(硬直性の高い)「理念」だからである。言葉を変えれば理念とは「こ
  うあるべき」という頭の中の理想をさす観念である。

  >人間は何も価値論だけで生きているわけではない、生々しい現実認識
  や、状況判断や体験的認識や、感覚機能がキャッチした諸認識を元にし
  て生きている。それらは同時に生きた現在的法則性の発見の宝庫ともな
  るわけだが、これらの認識が全て価値意識のもとに逆規定されていく。
  つまり現実を正しく認識できなくさせる点であろう。
  (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=3802 ) 

  と書かれている通りで、近代思想の枠組みを通して物事を考えてる限りは、
  いつまで立っても現実直視の地平には立てないという事を物語っている。
  しかし、今その近代思想や私権の残骸に毒されていない世代が、既に誕生
  している。まさに、今の子供達!

  すでに子供達が社会的な役割へと収束し始めている事例がいくつか投稿
  されていますが、現状の古臭い教育制度や旧観念に邪魔される事無く、
  ストレートに社会と繋がり、共認統合の社会を自分達の手によって作り
  上げて行ける可能性が、ここに来てようやくネット上に開かれたのだと
  思います。

  だとすれば、このるいネットに投稿している大人達に求められる役割は、
  新しい社会への導き役としての新概念の教育者になる事。
  旧社会の既得権益にしがみ付く統合階級や闇のネット住民を相手に闘って
  も疲弊するばかりであるが、新しい可能性が見えたとなれば、俄然活力も
  沸いてくる。るい塾ネットの可能性は、我々が新しい世代に同化し、共に
  共認社会の実現に向けて、子供達と一緒に育てあう事が出来るか否かにか
  かっている。
  なんとしてでも、成功させたいですね!  
 
  全文 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=104793
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