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タイトル:るいネットメールマガジン 【 る い 】[2006.1.17]  2006/01/17


  るいネットメールマガジン【 る い 】[2006.1.17]

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        メルマガ 【 る い 】  [2006.1.17]
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1  今週の注目投稿
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★ 社会板より、「私権原理から共認原理への大転換(自分発からみんな発へ)」
 についての議論をご紹介します。
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◇ ぶらさがり意識 
      【関谷啓太郎  (25 千葉 会社員)  06/01/09 PM08】  
 
  「ぶらさがり意識」

  今までの自分を振り返ると、まさにこの意識であったように思う。
  そんな状態だったが、最近になって、このままでいいのかな〜とか、もう
  ちょっとがんばらないといけないんじゃないの?と思うようになってきた。
 
  そう思えたきっかけは、同期の転属だった。私は、私よりも年が10以上
  上の人たちの中で仕事をしてきた。一番下だったこともあり、指示される
  ことばかりだったので、それに対して批判ばかりしてきたように思う。

  >序列と言えば、年配者による押し付け構造が直ぐに思い浮かぶ。そして
  若者は、そのような序列的押し付けに対して敏感に反応し、「序列原理で
  は活力が出ない」と批判を繰り返す。
  (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=103026 )

  まさにこんな感じ。自ら未明課題に足を突っ込むこともなく、与えられた
  仕事をただこなすだけ、しかも不満そうに。
  
  そんな中、同期が転属してきた。
  最初は私的共認へ走ることもあったが、次第に外圧を捉え始め、なんとか
  その期待に応えようとしている同期の姿を見て取れた。

  >周り(or人々)の期待に応えようとする共認欠乏は、周り(or人々)の評価
  共認を媒介にして必然的に評価欠乏に収束する。
  従って、集団であれ社会であれ、共認空間は常にその最先端に評価欠乏→
  評価闘争を生起させると共に、評価共認によって統合される。(評価共認
  こそ、共認空間の統合原理である。)
  (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=24647 )

  同期のがんばりが認められ、評価されていく。
  その姿を見ていると、自らの評価欠乏が日に日に高まっていく感覚を覚えた。

  >このような「ぶらさがり意識」は、年配者による押し付けと同様に周囲
  の人間を疲弊させる。自ら答えを出そうとしない、その傍観者構造は押し付
  けと何も変わらない。「ぶらさがり意識」もまた序列意識に根ざしたものな
  のだ。
  (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=103026 )

  自分が周り(特に上の人)にぶらさがることで、周りに負担をかけていたこと
  に思いが至り、申し訳なく思うようになった。そして、同期と良い意味で競
  争することで、お互い当事者としてより良い仕事(期待に応えられること)が
  できるのではという思いに至った。

  >みずからの「ぶらさがり意識」を捨て去り、新たな場に適応した主体にな
  れるかどうか。年配・若者を問わず、我々一人一人に、その意識改革が求め
  られている。
  (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=103026 )
 
  個々の中にある人の期待に応えたいという想い。それに対する評価闘争の中
  でお互いが切磋琢磨する。その過程でお互いの想いを共有していくことで、
  共認関係を築いていけるのではないかと思う。そのことが一人一人の意識改
  革に繋がっていくのだと思う。 
    
   全文 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=103826
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◇ 「新たな場」が顕在化し始めた。旧い主体では対応できない。   
        【内藤琢  (28 京都 会社員)  05/12/16 PM11】  
  
  多くの若者(男性)が、「私権」や「序列」という概念(言葉)に、最初は
  強く収束する。そして、その言葉を使い何をするかと言えば、自分の働いて
  いる企業への批判でしかない。
  曰く、「私権企業だからダメなんだ」「序列原理で古臭い会社なんだ」など
  など。

  学校の先生、また塾の先生は、普通の会社員以上のズレを感じているので、
  元々の「受験勉強に意味はあるのだろうか?」「そんな受験勉強を教えてい
  る自分って、何?」などの違和感が、「(共認原理の時代のはずなのに)私
  権に収束させるような仕事ってどうなん?」という違和感(→批判→否定)
  に変わって行く。

  このような違和感は一見正しいように思える。しかし、実際にはこの違和感
  の出所は、パラダイムが変化し続ける現実と、現実の変化に対応しきれてい
  ない自分とのズレにある。(私権原理も共認原理もない)あらゆる現実課題
  に、即応しきれず、(私権主体でも無いのに)私権圧力として課題を捉えよ
  うとすることろから発生していると言ってもいい。

  言い換えれば、場(圧力)と主体(活力)との間の大きなズレ(新たな場と
  旧い主体のズレ)から発生している違和感。

  突き詰めれば、理想的な主体(自分)が旧い主体(自分)を否定しつづけて
  いる状態。この「自己嫌悪」の状態では、無駄にエネルギーを消耗するしか
  ない。

  現代は総じて、「新たな場は既にある。しかし、旧い主体が残存し続けてい
  る時代」と言える。「潜在思念は大転換を起こした。しかし、顕在意識は未
  だ転換が遅れている時代。」

  問われているのは、「新たな場に適応した主体」になれるかどうか。目の前
  の旧い主体(相手)に同化(迎合?)するのではなく、その(旧い)主体が
  置かれている新たな場に同化できるかどうか、だと言える。  
 
  全文 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=102725
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◇ 超国家・超市場論13 人類の新たな活力源=圧力源 
       【四方勢至  (老年 京都 編集)  02/05/21 PM05】  
 
  では、人類の新たな活力源⇒圧力源は何か?
  それは、すでに実現論4_1_00『人類500万年のパラダイム転換』に明示され
  ている。
  (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=4&t=1#00 )

  >サル→人類が共認機能→観念機能を武器に進化してきた動物であり、その
  生存と進化の前提条件の一つであった物的生存圧力(自然圧力と外敵圧力)⇒
  物的生存課題をほぼ克服し得たのだとすれば、あるいは少なくとも動物的な
  生存圧力はもはや主要な活力源たり得ず、従って物的生産はもはや第一義課
  題たり得ないとしたら、残るのは同類圧力の活力源しかない。
 
  人類は、これまで500万年に亙って自然圧力・外敵圧力だけを対象とし(そして
  期待・応望の同類圧力を生命源として)、共認機能と観念機能を進化させてき
  た。そして5500年前(日本は2000年前)、同類闘争圧力が加わるや否や、わず
  か数千年で、自然圧力・外敵圧力をほぼ克服してしまった。
 
  これから先、人類は同類圧力(同類闘争圧力も含む)を主活力源として、共認
  機能・観念機能を更に進化させてゆくしかない。元々サルは、同類圧力を主
  活力源として共認機能を進化させてきたのだから、それは基本的には充分に
  可能である。

  >また、既に動物的な生存圧力を克服した共認社会では、環境その他の人類
  的課題に対する期待・応望の同類圧力=共認圧力が解脱充足と並んで主活力
  源となり、人々の期待に応える政治や哲学や科学や芸術が主活動となる。そ
  して、期待・応望を主活力源とするそれらの活動は、評価収束によって必然
  的に創造闘争=共認闘争の圧力を形成し、それが期待・応望の主活力を加圧
  する。

  つまり、共認社会の同類闘争は、人類的課題に応える創造競争=共認闘争と
  なる。(政治であれ哲学であれ科学であれ芸術であれ、提起された認識は共認
  の獲得を目的としており、最終的には社会共認となることを目指しているの
  で、創造競争は本質的には共認闘争である。)

  但し、あくまでも人々の期待に対する応望が主目的であって、闘争が主目的
  なのではない。闘争圧力は、評価収束によって期待・応望から必然的に派生
  する期待・応望の強化圧力であり、それによって人類的課題に対する期待・
  応望の活力は、極めて強力なエネルギーを持つことになる。

  >人類的課題に対する期待と応望を主活力源にして創造活動を営み、評価収
  束による創造競争(=新たな同類闘争)によって圧力=活力を高め、その同類
  闘争を同じ評価収束⇒評価共認によって統合する社会、これは原始人には夢
  想だにできなかった社会である。

  にも拘らず、同類圧力=共認圧力を生命源とする社会であるという根本パラ
  ダイムは、極限時代と同じである。ただ人類は、動物的な生存圧力の場を超
  えて、超動物的な同類圧力=共認圧力の場へ移行する段階を迎えただけであ
  る。それは、共認動物が到達するべくして到達した必然的世界であり、実は
  滅亡の危機に瀕した今こそ、動物的限界を引きづっていた前史が終わり、真
  の人類史が始まる、その起点となる時なのである。 
 
  全文 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=31505
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