メルマガ:【マスコミが伝えない事実】
タイトル:るいネットメールマガジン 【 る い 】[2005.11.30]  2005/11/30


  るいネットメールマガジン【 る い 】[2005.11.30]

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        メルマガ 【 る い 】  [2005.11.30]
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1  今週の注目投稿
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★マスコミ支配お題より、「インターネットに、可能性はあるの?」
  についての議論をご紹介します。
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◇ 対面会議の欠陥 
      【岡田淳三郎 (60代 大阪 経営)  05/11/24 AM00】   
  
  対面(円形)会議の原型は、一日or半日後に迫った決戦を前にした
  臨戦会議だと考えられる。そこでは、成員の末端まで闘争課題が共
  認されており、その緊迫した空気の中では誰一人、ソッポを向いて
  いる者は居ないし、切迫した時間の中では、方針を決められないま
  ま会議に(指揮官)がもたれかかりor(兵士が)ブラ下がっている
  ことは許されない。
  現在、これに近いのが、定型課題を処理する(報告し、決断し、指
  示する)臨戦会合=ミーティングである。注:現在は定型化された
  日常課題を処理する為に、定例化(定時化)されているケースが多
  いが、本来は臨戦会合も必要に応じて召集されるべきものである。

  しかし、現在全ての企業は、序列社会から共認社会への大転換の渦
  中に存在しており、どの部門でも課題の未明度が数段階、高くなっ
  ている。従って、臨戦会合では答えを出すことのできない未明課題
  を扱う為の会議が、どんどん増えてきた。従って、現在の(臨戦会
  合を除く)会議は、未明度の高い課題を突破する為にあると云って
  良いだろう。
  ところが、未明課題となると、何日までに答えを出せるという確信
  を持てないので、たいてい期限は在って無いようなものになり、臨
  戦性(切迫感や緊迫感)が大幅に後退してしまう。
  もっと問題なのは、未明課題になればなるほど、成員の課題意識が
  低くなり、殆ど発言が出てこなくなるという事実である。これは、
  会議の生命とも大前提とも云うべき、末端までの課題共認が(極め
  て低いレベルでしか)成立していないということであり、会議とし
  ては致命的である。

  課題共認(闘争共認)が充分に成立していない会議の場は、親和共
  認に支配される。闘争共認機能が形成された真猿以前の、原猿状態
  に後退すると云った方が良いかも知れない。
  そして、親和空間では、仲間意識に基づく『排除のタブー』が強く
  働く。その結果、一人でも後ろ向きで重い成員が居ると、場全体が
  重くなり、場を活性化させることが困難になる。あるいは、最も課
  題意識の低い成員に合わせてゆくことになり、当初の課題(テーマ)
  がどんどん下方に劣化収束してゆく。こうなると、雑談と変わらな
  くなる。(注:但し、闘争共認は親和共認という土台の上に形成さ
  れるので、緊迫度の高い会議でも、時折、雑談的or親和的な間があ
  った方が、全体として活性化する。)

  もっとも、そんな状態にまで成るのは、無圧力に近い一部の共同体
  ぐらいのもので、一般には、会議に向けて全社からの強い課題圧力
  が働いており、雑談だけで終る訳にはいかない。ところが、未明課
  題なので、下はもちろん、指揮官さえも答えを出せないことが多い。
  しかし、未明課題を突破するべく、会議という場だけは与えられて
  いる。こうなると、上も下も必然的に会議にもたれかかりorぶら下
  がってゆくことになる。
  あるいは、そもそも課題圧力は加えられていても課題共認が充分成
  立していないので、答えを出せない指揮官が何を云っても、笛吹け
  ど踊らずで、結局、ただの説教会議にズリ落ち、ひたすら退屈で重
  苦しい場に成り果ててしまう。(それに比べたら、まだしも雑談で
  盛り上がっている「会議?」の方が、マシである。)  
 
  全文 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=101334

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◇ 民主主義=会議という固定観念 
      【岡田淳三郎 (60代 大阪 経営)  05/11/24 AM00】  
 
  とりわけ、最悪なのは、未明課題を突破すべき長時間会議が、定例
  化されているケースである。そうなると、答えを出せない大半の指
  揮官の下で、もたれ合いorぶら下がりが常態化する。それどころか、
  もっと恐ろしいことに、(何であれ対面会議は、何らかの共認を形
  成するので)当初の課題からズリ落ち、劣化した方針の共認が形成
  されてしまう。
  要するに、各部門ごとに定例化された長時間会議を設けると、(本
  来は、皆に開かれた場である筈の)会議の場それ自体が、全社or他
  部門に対する密室空間そのものとなる。そして、全社課題に背反す
  るorズレた共認集団が形成される。これは、営業的にも体制的にも、
  企業(全社)統合にとって、致命的な問題を発生させることになる。
  冒頭に述べたように、会議の生命は課題の臨戦性にあり、未明課題
  を扱う会議もあくまで必要に応じて召集されるべきものである。従
  って、未明課題を扱う会議は、決して定例化してはならない。(注:
  その課題を充分に共認しており、発言もできるトップ級の会議なら、
  可だが。)

  最後に、(上記の例もそうだが)対面共認は、必然的に私的共認を
  発生させる、という事実も、対面共認が孕む重大な欠陥として、認
  識しておく必要がある。会議とは少し異なるが、例えば、3〜5人の
  集団面接という場がある。そこには、不安(or警戒心)を抱えた応
  募者が集まる。もちろん、彼らはその日はじめて顔を合わせた訳だ
  が、それでも会社の雰囲気とか、社員の態度とか、面接官の言葉と
  かで、少しでも彼らの不安(or警戒心)が刺激されるようなことが
  あると、帰りには忽ち私的共認が形成される。これは、原猿と同じ
  で、不安を抱えているが故に、少しでも安心(相手もそう思ってい
  るんだという安心)を得たいからであり、同じ原理で、未だ闘争共
  認に同化できず不安を抱えた新入社員たちは、しばしば集まっては
  私的共認を形成する。

  これは、対面共認の必然であり、(集団を超えた)社会空間での対
  面共認が孕む、構造的欠陥である。もっとも、原猿レベルの安心充
  足なので、その充足度は極めて低い。従って、闘争課題を共認し、
  もっと高度な充足と広い視野を獲得している真っ当な応募者や社員
  は、そんな低劣な私的共認の場には、加わらない。

  これまで、人々は、ホームルームから国会に至るまで、民主主義と
  いえば「会議」と思い込んできた。ところが、どの会社でも、対面
  会議は上からも下からも嫌われ、厄介物となっているのが現実であ
  る。それも当然で、これまで述べてきたように、対面会議には様々
  な構造的欠陥が刻印されており、そろそろ民主主義=会議という固
  定観念を見直すべき時がきたように思う。 
  
  全文 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=101335
  
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◇ 対面会議を超えて、全てをネットへ  
       【岡田淳三郎 (60代 大阪 経営)  05/11/24 AM00】  
  
  サル〜人類を貫いて、6000年前ぐらいまでは十全に機能していた対
  面共認(および会議という様式)が、欠陥だらけとも云える様な機
  能不全に陥った根本原因は、6000年前頃に人類が単一集団社会を超
  えた多重集団社会に突入した点に求められる。
  対面共認は、互いに顔の見える範囲の単一集団においては、(他に
  移れる集団など存在しないことも相まって)十全に機能していた。
  しかし、集団と集団がぶつかり、ひしめき合う複層社会では、集団
  が抱える課題の難易度(or未明度)が高くなると共に、成員間に課
  題意識の温度差が生じる。
  それでも序列圧力が強ければ、上意下達という形で、対面共認はそ
  れなりに機能する。そして、より重要な共認形成の場である会議は、
  御前会議に姿を変える。しかし、顔の見えない地方や各部門では、
  会議という場は中央や他部門にとって密室空間そのものとなり、劣
  化共認や私的共認の温床となる。その上、課題の未明度が高くなれ
  ばなるほど(or末端部門に下りれば下りるほど)誰も答えを出せな
  くなり、成員の会議へのもたれ合いやぶら下がりが常態化してゆく。

  これらの欠陥を突破する場は、全社(劇場)会議orネット会議以外に
  はない。全成員が一堂(or一板)に集まれば、密室化を完全に防げる
  し、10人では答えを出せなくても60人なら答えを出せる(更に、60
  人では答えを出せなくても300人なら答えを出せる)度合いが高くな
  るからである。とりわけ、ネット会議は、成員の課題意識の温度差
  (という歴然たる事実)を包摂したまま、(問題意識の高い2〜3割
  が率先して発信することによって)共認を形成してゆき、次第に全
  成員を巻き込んでゆくことが可能な力を持っている。従って、全社
  会議やネット会議によって、対面会議の欠陥の大半は、突破される
  だろう。

  しかし、社内で全員参加のネット会議が形成され、定着したとして
  も、それだけでは不十分である。なぜなら、現代(とりわけ、’04年
  以降)は、誰もが心底に収束不全を刻印され、「どうする?」とい
  う答えを求めて社会収束してゆく時代であり、社内のネット会議だ
  けでは、社会的な広がりが感じられないからである。
  いつの時代でも、最強の活力(引力とも云える)を生み出すのは、
  可能性収束の力であるが、現代、それが社会的な役割への可能性収
  束力であるとすれば、広く社会に向かって発信し、社会的共認を形
  成してゆく場が不可欠になる。その場が、社会に開かれたインター
  ネットであることは、云うまでもない。
  従って、類グループがそうであったように、おそらく社内のネット
  会議は、「答えを出せる」もっと広い社会的な統合サイトとリンク
  して、はじめて十全に機能するのではないかと思う。 

  全文 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=101337
 
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