メルマガ:【マスコミが伝えない事実】
タイトル:るいネットメールマガジン 【 る い 】[2005.11.9]  2005/11/09


  るいネットメールマガジン【 る い 】[2005.11.9]

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        メルマガ 【 る い 】  [2005.11.9]
            http://www.rui.jp/

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1  今週の注目投稿
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★ 社会統合お題より、「るいネットをどう変える?」 についての
 議論をご紹介します。
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◇ 名無し投稿の方が、本源的な形なのでは? 
       【岡田淳三郎  (60代 大阪 経営) 05/11/04 PM06】  
 
  しがらみを脱した社会空間では、(なんでや露店でもそうだが)いちいち
  相手の名前を聞いたりはしない。社会空間では、むしろ無名が自然なの
  ではないか。2ちゃんねるに人が集まるのもその証拠だろう。
  しかも、統合サイトが実現した30年後でさえ、全ての投稿が実名になっ
  ているかどうかは疑問である。

  実際、現在のところ(過渡期であるが故に)、名前を出した途端に企業
  や学校etc私権集団からの圧力がかかってくるので、社会空間で名前を出
  すということは、全然しがらみから脱却したことにならない。
  又、今までモノを考えたこともない(もちろん発信したこともない)素
  人が投稿するようになるには、まず無名で実感or賛同投稿→上達すれば
  実名で論理的投稿という手順が考えられても、いいのではないか。

  そう考えると、逆に、なぜ己の名前を出さないといけないのか?が、疑
  問になってくる。
  「口にしたことは責任を持て」「無責任なことは言うな」という言葉自
  体は、私権時代に登場した規範である。では、「発言に対する責任」と
  は、一体なんなのか。

  私権社会では、私権闘争圧力が全てで、発言(やりとり)そのものが私権
  闘争である。そこでは、「社会空間での発言は全て、私権に基づく私権
  闘争上の発言である」という了解事項(大前提)があり、従って、「私
  権闘争として発言する以上、私権上の責任を負うのは当然である」とい
  うことになる。

  更に市場社会になると、「個人が原点だから、何であれ、個人の意見は
  尊重されるべき」という、民主主義の基礎となる主張が出てくるが、こ
  れも私権闘争の論理を背景にして成立する。つまり、先程の「私権闘争
  として発言する以上、私権上の責任を負うのは当然である」というのを
  前提に、「私権闘争上の責任を負って発言しているのだから、尊重すべ
  き」となるのである。

  更に云えば、現在ネット上で実名や芸名を使っているサイトやブログの
  大半は、知名度を上げる必要のあるプロ(評論家や芸能人)の売名サイ
  トやブログであることも、名前の公開が私権や個人主義と密接に関連し
  ていることを雄弁に物語っている。 
      
  全文 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=100363 
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◇ 名無し投稿の方が、本源的な形なのでは?(続) 
       【岡田淳三郎 (60代 大阪 経営) 05/11/04 PM06】  
 
  本源集団の場合は、生まれたときからみんな知っていて、(名前はない
  かもしれないが)匿名は有り得ない。そして、みんなの期待に応えるこ
  とがみんなの共通目標であり、行動も発言も、常にみんなの評価に晒さ
  れている。
  
  そこでは、「みんな充足」が唯一の判断基準であり、「みんな充足」と
  いう価値基準に照らし合わせてプラスかマイナスか、在るのはそれだけ
  だろう。良ければ評価を得られるし、悪ければマイナス評価が与えられる。

  重要なのは、「みんな充足」を作り出すこと、それに参加すること。
  その生命は評価共認であり、そう考えると、ある投稿に対して無名の賛
  同投稿や排除投稿がワッと集まるのは、みんな共認の仕組みから考えて、
  いいことなのではないか。単純な実感や評価を表すのに、わざわざ実名
  を出して理屈をこねる必要もない。

  他方、共認原理上、評価収束は決定的に重要なので、全て無名ではどう
  しようもない(評価が収束先を失う)のも事実であり、拠り所=指標と
  しての名前は不可欠でもある。
  しかし、最初(≒下位)は評価するだけであって、無名でも充分に役割を
  果たせる。名前が重要になってくるのは評価される側(≒上位)になって
  からだろう。

  つまり、ある程度まとまった(中身のある)投稿になると、評価共認上、
  名前が必要(上位になればなるほど、“名前”は“モノサシ”である。
  この人の投稿だったら読んでみようetc)になってくるが、みんな充足
  の場では、とりあえず無名であってもさしつかえない。むしろ、無名と
  いう様式が、実感・評価(いいor悪い)の発信を誘導するのなら、積極
  的に無名投稿を勧めるべきである。

  ただし、過半数が無名になると(逆に、過渡期であるが故に)サイト全
  体の信頼性が疑われるので、実名投稿が過半数以上、ペンネームが3割
  程度、無名はせいぜい2割くらいまでが目安だろう。
  又、荒し投稿がそのまま掲示されるような無責任な体制ではダメなこと
  は明らかで、従来通り、秀作・佳作を選別し、荒し投稿を削除するしっ
  かりした体制が必要なことは、云うまでもない。  
         
  全文 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=100364
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◇ 言論界の秩序再編こそるいネットに今期待されている 
        【山澤貴志  (40 鹿児島 ITコンサル)  05/10/18 AM01】  
 
  選挙が終わり1月が経過した。なんかおかしいぞ〜という大衆の空気は
  このまま一気に反小泉・反マスコミへと盛り上がりをみせるかと思いき
  や・・なんとなく諦めモードというか。前原民主党が小泉以上にアメリ
  カ追従になってしまったこともあって、全然盛り上がらない。そして、
  選挙後の路上アンケートではこうなったからには期待するしかないでし
  ょって感じが多い・・しかし。

  >表面的には、国民を巻き込んだ政治熱(選挙フィーバー)は沈静化し
  つつある。しかし、いろいろな人の話を聞くと(これまでの選挙とは異
  なり)、人々の心の奥底には、釈然としない思い、違和感が、かなり残
  り続けているように感じる。
  (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=98660 )

  そんな中、義理の弟(妹のダンナ)とあって、確信した。彼曰く
  「今回の選挙で思い知った。同じ一票なのに、僕らはなんと非力なのか
  と。吊広告で池田大作の顔をみるたびに、悔しい思いを毎日している。
  僕らが力を結束できる場はないのかと」
  
  >再度原点に立ち返り、身の回りからも認識仲間を増やしていける、そ
  んな時が来たと実感できるのである。
  (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=98949 )

  面白いなあと思った点は、注目すべき敵対勢力として彼が創価学会=公
  明党を例に挙げたところ。現在のマスコミのおかしさを認識したのなら、
  「マスコミと直接対峙する」路線もないではないが、彼はそうではなく
  て地域に集会所を設け、頻繁な寄り合いを土台に政界へと進出していっ
  た公明党をひとつの反面教師に、新しい運動を作るしかないと考えてい
  るのだ。
  
  確かに露店でも「マスコミもそうだけど、私たち自身が目先収束しちゃ
  ってるから。あれが忙しい、これが忙しいとかいって社会の事には観客
  のまま。まずそこから私たち自身が変わらないと・・」という発言がお
  客さんから返ってくることが多い。やはり、批判の封印という意識潮流
  は今後の共認運動の展開を考える上で避けては通れない。
  批判の封印を前提とした上での運動論は自ずと「既存メディアや政党は
  ほって置いて、共認できる仲間を土台に新たなネットワークを広げてい
  こう」という教団に近いスタイルになるしかないのではないか。

  しかし、一方で教団に見られる純血主義的・原理主義的な運動論には可
  能性を感じられないという感覚も残る。彼曰く「コツコツやってたんで
  はメディア支配に抗することはできんのじゃないだろうか。小泉ばりの
  注目を集める動きが不可欠」

  確かに注目共認の形成は収束不全下においては必然的な現象だとも言える。

  >何故注目度が決定的に重要になったのか?・・現在人々は、同じく収
  束不全(本能不全)に陥った原猿時代の回路を使っているのではないか
  と思う。事実、原猿時代の共認機能形成の過程を辿れば先ず「相手注視
  (注目)」があった。
  (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=98338 )

  では一体、何が最も注目を集める事件足りうるか?現在の政治関心のた
  かまりの背後にあるものを再度検証すると

  >「政界の体制変革を促すものではないか」という期待感
  (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=96379 )
  こそが期待の中心であることが改めて認識されてくる。
  
  確かに、解散直後の再編期待があった時期が最も関心が高く、現在はい
  いなり議員ばかりなので関心が下がってしまった。また小泉とマスコミ
  が呉越同舟している基盤も「自民党をぶっ壊せ=政界再編への期待感」
  だし、結果として小泉圧勝に終わったものの、それすら自民党内の利権
  体質の一掃、改憲論議が活性化する=政界再編への第1歩として前向きに
  捉えている人が多い。

  そのように考えると、思想界というか言論界ほど、古色蒼然とした世界
  はない。未だに左翼か、右翼かで論壇が二分され、知識人も色分けされ
  ている。そしてこの言論界の体制再編の遅れが、メディアがゴマカシ一
  色に染め上げられていった(とりわけ左翼系メディアが自民党支持に流
  されていった)直接の理由だとも考えられる。
  もしかするとるいネットに今最も期待されている役割はこの言論界の秩
  序再編ということではないだろうか?

  既にブログ界にも言論界再編のうねりが起こりつつある。
  (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=99056 ) 
  ごまかしだらけのマスコミとわかりやすさを信奉する目先収束した大衆
  を現在の中道・正統とするならば今や左右両翼からそのゴマカシに対す
  る危機感と現状打破の期待がうず巻いている。こうした探索派を結集し、
  まさに事実を持って統合することこそるいネットの役割ではないか。
  
  と同時に「現在の純血的な地味さを超えて、多士済済なメンバーをそろ
  えることができれば=左右両翼の結集が実現されれば」ある意味歴史的
  な大転換を感じさせる事件足りえるのであって、るいネットが一気に注
  目共認を得ることも可能となるのではないだろうか。そしてそれは事実
  の認識という切り札を持つるいネットにしかできないことではないか。

  なんでや・るいネットも、もう一段階の戦略的転換の時を迎えているの
  だと思う。
 
  全文 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=99298

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