メルマガ:【マスコミが伝えない事実】
タイトル:るいネットメールマガジン 【 る い 】[2005.8.11]  2005/08/11


  るいネットメールマガジン【 る い 】[2005.8.11]

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        メルマガ 【 る い 】  [2005.8.11
            http://www.rui.jp/

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1  今週の注目投稿
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★ 社会統合お題より、「現代意識潮流を探る、その深層には?」
  についての議論をご紹介します。

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◇ 必要とされている感覚 
       【内藤琢 (27 京都 会社員)  05/08/05 PM09】  
 
  この間の「役に立ちたい」から「必要とされたい」への意識の変化は、
  見渡してみると非常に多いのではないか、と感じる。
  「少なくても親友を」という新たな仲間収束の潮流
  (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=93122 )
  も親元収束も、この意識潮流がもたらした流れだろう。存在不安は強
  まっている一方、新しい可能性も感じられる。

  この流れと呼応する形で、「役に立っているかどうか」から「必要と
  されているかどうか」を気にする若者が増えている。思えば、「役に
  立っているかどうか?」は、根底には「自分のやっている事は、(み
  んなの)役にたっているはずだ」という思い込みがある。そして、そ
  の「自分がやっている事」が本当にみんなにとって「役に立っている
  のか?」を確認する、または知らしめる行為と言える。周りからの
  「期待」を掴んでいることは、何時の間にか自明になっている。

  一方、「必要とされているかどうか」には「必要とされている感覚」
  がかなり重要で基底的になっていることを意味する。
  ここに疑問をもつと『「今の仕事は誰にでもできる事ばかり、だか
  ら私なんて別に必要じゃないんだ」って思う』
  (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=93770 )
  必要とされている事が彼らに強く実感されると、どんな期待でも応え
  ようとする。共認された課題は何でもいい。(仕事の種類は二の次)
  (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=29330 ) 

  「役に立っているはず」という思い込みがない分、非常に素直に期待
  に応えようとする。いやむしろ、「役に立っているはず」という思い
  込みが無い者から、「みんな期待」に応えようと、変わっていくよう
  に思う。
  
  全文 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=95606
  
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◇ いじめも面倒! 
     【佐藤祥司 (42 北海道 建築士) 05/08/09 AM04】  
 
  これは、1年程前から露店を手伝ってくれている女子高生が発した言葉
  です。
  彼女は外向収束の意識が強く、今の仲間関係では物足りないということ
  を感じ、習い事やバイトなど学校外での活動に軸足が移っているタイプ
  の娘です。そのせいもあって、同学年からも大人びた性格で悪いうわさ
  が付きまとい、目立つ存在であったことからも仲間からのいじめの対象
  になっていたようです。彼女の場合は、いじめにあってもおとなしく我
  慢しているという性格ではなく、果敢に立ち向かい、そのためいじめは
  陰口程度に軽減されてきたようです。

  その彼女や彼女の周りの同世代の意識が、既に「いじめは面倒!」とい
  うことになっているらしいのです。では、今の仲間関係はどうしている
  かと尋ねると、「距離をおく」や「一人で行動する」ということのよう
  で、充足できない仲間関係からの“脱仲間”
  (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=66043 )
  の現象が顕在化していると見られます。また、平野さんの以下の状況認
  識とも合致します。

  >'80〜'90年代にかけて、学校という人工集団内で、仲間共認充足
  を唯一の収束先として維持してきた、不全捨象⇒充足基調も、'02年
  収束不全の顕在化に伴って限界を迎えるのは必然とも言えます。
  (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=82189 )

  この意識の変化は、ほんの1,2年前までは、仲間と連れ立って「おもし
  ろそ〜!」と充足を求めて露店に来店してたパターンが多かったのです
  が、最近では仲間がいないときや別れた後など一人で来る若者が多くな
  ったことからも伺えます。
  しかも、充足を求めてではなく、「何かありそう!」という探索基調や、
  不全を抱えて「どうにかしたい!」という傾向が強くなっています。明
  らかにしがらみの関係を断ち切って、“答え”を求めて探索基調の現象
  が広がってきているのだと思います。 
      
  全文 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=95751
  
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◇ 秩序収束と答え探索の綱引き 
      【岡田淳三郎 (60代 大阪 経営)  04/06/18 AM01】  
 
  みんなフィーバーや制度収束や国家収束etc秩序収束ばかりが目に付く
  が、もう一方の答え探索は、ニュース収束や人間ウォッチングや仲間内
  でのマジ話くらいしか顕在化していない。
  これは、共に最深部の適応⇒探索の収束先でありながら、秩序収束はと
  りあえずの適応収束である(従って、既存の制度etc、具体的な収束先が
  存在する)のに対して、答え探索は最深部での適応収束であり、従って
  (ニュースも、ウォッチングも、マジ話も)社会収束であるという所ま
  では云えるが、その具体的な収束先がはっきりしない(=答えが見えな
  い)からである。

  強いて云えば、現在、最深部の(答え)探索は、みんな探索⇒社会収束
  ⇒事実収束へと向かっている。
  そこに今後は、とりあえず制度や国家に収束しても、(共認原理に対す
  る私権原理の)矛盾が目に付くばかりで、答えにならない(上手くいか
  ない、活力が生じない)という現実が、深部への探索圧力として加わる。
  更に、批判するだけで答えを出せないマスコミ(⇒旧観念勢)に対する
  反感と不信が広がってゆくが、これは旧観念支配に対する庶民の反感の
  顕在化に他ならず、旧観念支配の終焉の始まりである。

  マスコミ(⇒旧観念勢)に対する反感が広がれば、庶民は遂に旧観念支
  配の網を破って本音を発信し始める。まず、人権・福祉が、次いで同権
  ・個人が槍玉に挙がり、それ(旧観念批判)を支える根拠が求められる。
  その根拠こそ、事実の認識であり、私権時代を突き抜けて原始⇒サル⇒
  生物史にまで遡った社会構造論である。そして、それに基づく答えこそ、
  序列原理から共認原理への転換であり、実践的にはなんでやネットワー
  クの構築である。  
 
  全文 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=73647

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