メルマガ:【マスコミが伝えない事実】
タイトル:るいネットメールマガジン 【 る い 】 [2005.7.27]  2005/07/27


  るいネットメールマガジン【 る い 】[2005.7.27]

□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□

        メルマガ 【 る い 】  [2005.7.27]
            http://www.rui.jp/

□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□
  
─┬─────────────────────────────────
1  今週の注目投稿
─┴─────────────────────────────────
★ 社会統合お題より、「どうしたら、社会を変えられるの?」 
    についての議論をご紹介します。
======================================================================  
◇ 活力と統合原理が繋がらないことが、社会を変えられなくしている。 
      【谷光美紀  (32 愛媛 経理)  05/07/26 PM11】  
 
  なんで屋やってるのは、なんで?って聞いてきたおじさんに、
  「世直しです!」って答えたら、
  「社会を変えよと思うたら、そりゃ兄ちゃん、小泉に言わなあかんで」。

  一方、別のおじさんに、
  「みんなに元気になってもらいたいんです、つまり活力再生です!」って
  答えたら、
  「ほんまやな、みんな元気ないもんな。ええことしてるな。応援するで。」

  と言われたそうです。

  むむむ、何かヘンだぞ。店主としては同じことを言ったつもりなのに…。
  活力再生と社会統合とが結びついてない…。
  でも確かに、活力出したいっ、イキイキしてる人うらやましい!って思
  いは、日常普通に感じることなのでピンとくるのですが、それが社会の
  統合軸(原理)になるんだというところはイマイチ繋がりにくいです…。

  そこで、先日のなんでや劇場では、動物〜人類の社会構造が、(1)外圧、
  (2)それに対応する人々の内圧=活力源、(3)それらを統合する社会原理、
  というフレームで再整理されました。
  その中で、私たちの中で活力源と統合原理が繋がって認識されないこと
  こそ、社会が変わらない一因でもあるんだなってことに気づいたんです。

  例えば、'70年以前の人類社会は、(1)貧困の圧力 (2)私権闘争活力(い
  い女→いい生活→いい大学。人よりも「イイ」ことを目指す。)(3)しか
  し私権闘争を放置すると、戦争などが絶え間なく生じ、社会は無秩序化
  するので、それを止揚するために身分などの序列原理で統合。

  この、(3)の「止揚する」っていうところが結構ポイントです。
  制御するだけでなく、その序列があることでかえって、より上位を目指
  そうとする活力を絶えず生み出す構造になっているんです。

  ここから分かるのは、統合原理たりえる条件は、社会が秩序化されるこ
  とと、みんなの活力が維持されていること、です。それが出来ない原理
  など統合原理足りえないってわけです。
  つまり、今現在セックスレスだとか、引きこもりとか、鬱だとか、みん
  な元気がなく、活力衰弱しているのは、かつての序列原理はもはや統合
  原理たりえていないという証。それは大元の(1)の外圧たる貧困の圧力が
  '70年に消滅してしまったことからも当然の帰結です。

  とすれば、'70年以降のみんなの新しい活力源が何か?ということから
  新しい統合原理を導きさえすればいいってこと。
  つまり、みんなの役に立ちたい、喜んでくれると嬉しいといった、共認
  充足こそがまさに活力源だ!って分かったならば(実感できたならば)、
  それが社会の統合原理になりうるんだ、それを統合原理にした社会が実
  現できるんだ!と確信すればいいということです。

  己の活力源は変わっているのに、あいも変わらず序列原理しか統合原理
  として思い浮かばず、おかしいおかしいと思いながらも活力衰弱してゆ
  くなんて、ナンセンスですよね。

  それには、共認原理での統合イメージをどれだけ固められるか?
  例えば露店などでは、より具体的に課題共認、役割共認、評価共認をど
  うはかっていくか?をどれだけみんなに提示できるか?
  というか、そういった共認形成の場の実現態そのものとして、露店を運
  営、拡大していけるか?

  そのあたりが、社会を変える=共認社会の実現に不可欠になんだと改め
  て思いました。

  全文 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=95172
  
  ---------------------------------------------------------------
◇ 超集団的な外圧を把握し、新たな統合原理を構築・提起しないかぎり
  共同体は守れない 
      【阪本剛 (31 千葉 SE) 05/07/09 PM10】  
 
  >彼らの目から見た、先進国=文明の「牙」は、あまりに生々しく、
  その言葉は、たいした疑問ももたずに、この文明の中に身を委ねている
  我々に、深く突き刺さってきます。
  (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=7075 )

  私は、この種の告発を聞くたびに、気の毒だと思いながら、同時にもど
  かしさを感じざるをえない。

  未開民族の文化を侵略している市場原理は、集団を越えた位相、超集団
  =社会の位相に存在する。一方未開民族は共同体原理、言い換えれば単
  一集団の原理しか持っていない。

  およそ3000年前の私権時代の勃発以来の世界の歴史とは、超集団の
  空間の拡張の歴史だったと言うことができると思う。そして、この流れ
  は一貫しつづけていて、既に、世界中の集団にかかる外圧は、超集団的
  なそれである。(実際、あらゆる秘境の共同体は発掘しつくされ、別の
  集団・文明からの侵入を逃れることはできない状況にある。)

  このような外圧状況の中で、もし、先住民達が自らの文化・生活を守ろ
  うとするのであれば、単一集団、共同体の原理だけでは無効なのは必然
  である。
  市場原理の侵食を阻止しようとするのであれば、市場原理に代わる、超
  集団の社会空間の統合原理の構築・提起が必要だと思う。

  確かに、それは難問である。もしかしたら、十年単位の時間が必要かも
  しれない。だが、不可能ではない、と思う。
  実際、「実現論」は、素人が、自らの必要に迫られて、短くはない時間
  をかけて歴史と社会の構造を捉えるために構築した理論である。
  もし、代わるべき理論を持たなければ、残念ながら、多くの社会運動と
  同様に、永久に要求運動のままになってしまう。

  既に、最先端の外圧が単一集団から超集団の位相に変化した以上、あら
  ゆる共同体は、自閉的な内的収束と共同体原理だけでは、統合しきれな
  い。超集団の空間を把握すること、そしてそれを助ける理論がなければ、
  共同体は、どんどん最先端の外圧の遠心力の中で解体されるのを待つし
  かない。(日本の脱集団現象はその最先端の事例である。)

  このインドネシアのサラワク州
  ( http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=7075 )
  グアテマラ( http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=87954 )
  ブータン( http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=94006 )
  など、いずれの事例も、もはや、共同体を守るためにも、超集団の位相
  の外圧把握⇒適応と、統合原理の構築が不可欠であることを示している
  のではないだろうか?
    
  全文 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=94208

  ---------------------------------------------------------------
◇ 観念パラダイムの逆転7 新しい認識だけが、現実を変えてゆく 
       【四方勢至 (老年 京都 編集) 02/01/19 PM06】  
 
  原始人も現代人も、専ら現実に立脚すると同時に、ひたすら現実を対象
  化して生きてきた。つまり、潜在思念に導かれて現実を直視することに
  よって、新たな可能性を探り当て、新たな意識(新たな状況認識に導かれ
  た実現回路)を形成し続けてきた。
  換言すれば、一個の生も、その塗り重ねたる歴史も、常に現実から出発
  して新しい認識を紡ぎ出し、それに応じて現実を変えてゆく(現実が変わ
  ってゆく)過程である。

  現実を社会と言い換えても同じである。社会は人々の共認によって統合
  され、その意識=共認内容が変化してゆくことによって変わってゆく。
  現実が変わる=社会が変わるとは、ただそれだけの事である。
  その共認内容は徐々にしか変わらず、例えそれが30年ほどの間に猛スピ
  ードで変わったとしても、その共認内容の変化に応じて一つずつ規範や
  制度が改革されてゆくことによってしか、社会は変えられない。

  そこで、最も重要なのは、絶えず新しい認識を紡ぎ出し、人々の共認内
  容(意識)を変えてゆくことである(新しい認識さえ共認されてゆけば、
  それに応じて制度etcを変えてゆくのは簡単である)。
  原始人がそうであったように、現代人のこれからの現実の生においても、
  新しい認識の創出とその共認形成が全てであり、そこでは抽象的な「社
  会変革」という意識は生じない。社会変革という言葉は、倒錯した現実
  否定の意識からのみ生じる。また、現実否定の意識に基づいているから
  こそ、「社会変革」という言葉それ自体が欺瞞観念となるのである。

  何かを実現しようとすれば、思考の対象はとことん具象化されてゆく。
  実現思考で生きていた原始人の精霊はとことん具象的だし、自然科学も
  そうだし、実現論もそうである。(例えば、原始人には「自然」という
  概念は存在しない。)

  それに対して、「自然」や「社会」は、問題を直ちに解決できない(む
  しろ、実現可能性がない)ので、問題世界を一括りにしただけの概念で
  ある。直ちに解決できないので、現実否定の倒錯思考という観念パラダ
  イムに陥って終い、問題世界を一括りにしただけの「自然」「社会」
  「変革」etcの概念しか作れなかった訳だが、そうである以上、それら
  の言葉(自然、社会、変革etc)は単なるお題目にすぎない。

  従って、「社会」や「変革」という言葉を使えば使うほど、現実否定の
  倒錯思考を正当化し、その観念パラダイムに陥ってゆくことになる。
  従って、この様な倒錯観念はできるだけ使わない方が良い。
  例えば、「答え探し」「その為の場作り」etcもっと具体的に実現可能
  性を示す言葉を使う方が良い。 
  
  http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=21496

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※【 】内は投稿者名・プロフィール・投稿日時です。
※投稿は一部要約しています。
※配信アドレスの変更、配信中止は、以下のページにて可能です。
 http://www.mailux.com/mm_dsp.php?mm_id=MM3E9C2C446CC9D
※お問い合わせは「るいネット編集部」ruinet@rui.ne.jp まで。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◇るいネット⇒ http://www.rui.jp 

ブラウザの閉じるボタンで閉じてください。