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るいネットメールマガジン【 る い 】[2005.5.24] □━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□ メルマガ 【 る い 】 [2005.5.24] http://www.rui.jp/ □━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□ ─┬──────────────────────────┴─────┴ ─┴───────────────────────────────── ★ 社会統合お題より、「人権って、他人を抑圧してない?」についての 議論をご紹介します。 ====================================================================== ◇ 守っている証を見せることが問われる法律 【阿部佳容子 ( 42 大阪 営業 ) 05/05/23 PM05】 4月から試行された個人情報保護法。 身近でいろんな形で現れてきた。 1.企業への飛び込み営業時に「不在」や「会議中」等の理由 であっけなく受付でシャットアウトを食らい、せめてもと担当 者の名前を聞き出すと、「個人情報保護法の関係でお教えする ことはできません」。営業の基本が崩れてきた。 2.アポイントをとって伺った企業の受付で、商談の本人に会 っているにも関わらず、受付スグそばの打合せ席に案内される 前に、今までは慣習のなかった「来客名簿」を渡され、社名・ 氏名・相手担当の氏名・商談内容を書いた上で、「来客」と大 きく書かれた名札着用を依頼された。「来客名簿」は一定期間 保管するのだと言う。 3.賃貸マンションの契約金の請求明細を、出金を急ぐ借主 (この場合法人)に対してはまずはFAXで送り、後追いする形 で原紙を郵送するのが慣例化していたのに、断固として郵便で しか送らない管理会社が出てきた。某法人担当は、出金が遅れ る=入居が遅れると嘆いている。 4.知人が勤めている病院では、窓口で患者さんを呼ぶのに、 名字だけで呼び、下の名前は続けて呼ばないことが職員に義務 づけられた。 なんかヘン。。。 とても不自由で、純粋に個人情報を守る、というよりも、個人 情報保護法を守っている証を世間様にどれだけ提示するか、と いうことのみに力点が置かれているような気がする。個人情報 は守らなければならないものかどうかはここでは問わない。 確かに、同窓会名簿や学籍名簿から探り当てたと思われる押し 売りのような電話がかかってきた経験は、誰しも一度はあるだ ろう。いたずらメールは今でも後を立たない。でも、仮にそれ ら個人情報が垂れ流されることで何らかの問題が起こるとして、 これらの対処がその根本解決を目指しているとは到底思えない。 >貧困が消滅し私権圧力が衰弱すれば、普通の人々は取り立て て私権上の不平不満もなくなり、要求には収束しなくなる。つ まり普通の人はモノを言わなくなる。 だからこそ逆に一部の否定性や被害者意識の強い人々の声だけ がまかり通るようになっていく。それがいかに殆どの人の実感 からずれていたとしても、権利という旧観念を社会統合上の観 念として共認している限り、反論も出来ないので次々と法制化 され強制されていく。同じ旧観念を飯のタネとしているマスコ ミもそれを後押しする。 旧観念が「自由」というお題目とは裏腹に、一握りの人々によ って、規制だらけのファッショ社会を作り上げていくからくり はここにあると思う。 (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=58457 ) 私が携わっている不動産は、ある意味個人情報なしでは成立し ない商売だ。個人が住宅を購入したり、賃借したりするときの ことを想定したら誰でも納得できると思う。(収入や原資とな る資産の有無、勤め先、家族構成等)それでもそういう法律が できてしまった以上、ヘンだと思いながらもなんらかしらの手 を打つ必要はあるのか。 「どこまでしたらええんやろ?」とある業者に問うてみた。 「登記簿に載っていることまではええんちゃいますか?」とい うのがその答え。 「えー!それってその家の内実が一発でわかるってことやん」。 法務局で閲覧できる不動産の謄本には、所有者の変遷、彼らの 住所、所有権か否か、共同所有者の有無、借地権等第三者から の権利が及んでいるかどうか、担保≒借金状況、債務者債権者 の名前・・・。見る人が見れば色んなことが読み取れるデータだ。 うーん。「アタマ隠して尻隠さず」とはこのことか。。。 ますます混乱してしまう。 全文 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=91284 --------------------------------------------------------------- ◇ 「権利」は自己正当化のために捏造された架空観念 【北村浩司 (壮年 滋賀 広報) 03/07/10 PM11】 マナーファシズムの中核に権利という観念があるという指摘は、 私もその通りだと思います。この「権利」(人権)という観念 は男女同権にせよ、嫌煙権にせよ日照権等にせよ、全て己の利 害を、相手や社会に対して要求する際の根拠概念として用いら れています。 もちろん現在国家の最大の支出項目である福祉も基本的人権が 論拠となっています。しかもその要求の中味は概ね「いい生活」 や「身分獲得」の私権がらみです。つまり私権の追求と保証を 正当化し、美化した観念といえます。 ところでこの「権利」なる観念はどこから生まれたのでしょう か?この観念が生まれたのはロック・ミル・ルソー等の近代思 想家が起源ですが、いずれも国家による、私有権と生存の保証 を核とした主張です。そしてその権利の根拠となっているのが 「天賦人権説」。つまり人権は生まれながらに与えられている もの、天が与えたものという訳です。要するに自然科学上や社 会科学上の事実に基ずく根拠は一切ありません。 全く現実の根拠が無いにもかかわらずそれが作られた理由は、 おそらく近代になって万人に市場という私権追求の可能性が開 かれ、その主体を正当化する必要性にあったのだと思われます。 つまりこの権利という観念は私権主体として、社会や相手に対 して批判や要求を行う上で、そういった要求を正当化する観念 として捏造されたものと言えると思います。 >しかし、剥き出しの自我では人々に共認されない。社会に要 求する以上、それがあたかも本源的要求であるかの様に見せか けなければならない。そこで、際限なく肥大してゆく反社会的 な自我やそれに基づく要求を正当化する為に、もっともらしく 幻想観念化した権利という欺瞞観念を捏造した。 権利とは、集団捨象の自我→要求をもっともらしく見せかける 為の架空観念に過ぎない。 だから、近代思想が掲げる権利は、どれを取っても「この権利 は絶対である」という根拠など全く何も無いのであって、ある のは己の自我・私権を貫徹する為の一方的な要求だけである。 だからこそ、近代思想は権利だけを絶対的なものとして主張し、 義務を欠落させているのである。 (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=100&c=2&t=8#05 ) 貧困が消滅し私権圧力が衰弱すれば、普通の人々は取り立てて 私権上の不平不満もなくなり、要求には収束しなくなる。つま り普通の人はモノを言わなくなる。だからこそ逆に一部の否定 性や被害者意識の強い人々の声だけがまかり通るようになって いく。それがいかに殆どの人の実感からずれていたとしても、 権利という旧観念を社会統合上の観念として共認している限り、 反論も出来ないので次々と法制化され強制されていく。同じ旧 観念を飯のタネとしているマスコミもそれを後押しする。 旧観念が「自由」というお題目とは裏腹に、一握りの人々によ って、規制だらけのファッショ社会を作り上げていくからくり はここにあると思う。 全文 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=58457 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ※【 】内は投稿者名・プロフィール・投稿日時です。 ※投稿は一部要約しています。 ※配信アドレスの変更、配信中止は、以下のページにて可能です。 http://www.mailux.com/mm_dsp.php?mm_id=MM3E9C2C446CC9D ※お問い合わせは「るいネット編集部」ruinet@rui.ne.jp まで。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◇るいネット⇒ http://www.rui.jp |