メルマガ:【マスコミが伝えない事実】
タイトル:るいネットメールマガジン 【 る い 】  2005/03/16


  るいネットメールマガジン【 る い 】[2005.3.16]

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        メルマガ 【 る い 】   [2005.3.16]
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1  今週の注目投稿
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★ 仕事・起業・共同体お題より、「どうしたら成果を上げられるの?」
  についての議論をご紹介します。
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◇ めちゃくちゃ忙しいけど元気 
           【平川要  (26 佐賀 経理) 05/03/11 PM07】  
 
  最近、隣の部門が活気付いている。成績もどんどん上がってい
  るし、何より元気。
  めちゃくちゃ忙しいはず(この時期は特に)なのに、逆に元気。
  ちょっとした会話からも伝わってきてこちらも活力がもらえる。
  
  その部門の若手が、「○○さんがひっぱってくれている」「△
  △も去年とだいぶ変わった」などと少し誇らしげ、そしてうれし
  げに話してくれた。
  「忙しいです〜!」と言うのだが、仲間への真っ当な評価と肯定
  視が伝わってきて、こちらまでなんだかうれしくなってきた。

  同じようにめちゃくちゃ忙しい部門が他にもある。明らかに疲弊
  していたり、疲れていることも多い。「忙しい」と言われると愚
  痴っぽく聞こえてしまうこともある。
  何が違うのかなあと感じた。同じように「忙しい忙しい」と言う
  のだが、こちらの印象は別れる。

  >私も、かつては「自分がやらねばならない」「部下を従わせな
  ければならない」と肩を張っていましたが、それでは、仕事も何
  も全然うまくいきませんでした。最近は、仕事上でも、共認の場
  を形成することに注力するようにしています。そうして、共認の
  場ができると、みんなが真剣に考えてくれます。「何とかしなけ
  ればならない」と自分一人でもがいていた時よりも、はるかに物
  事が自然とうまくいくようになったように思います。
  (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=60596 ) 

  冨田さんがこの投稿で述べられているように、序列原理から共認
  原理へ委ねるといったところかなと感じた。
  
  隣の活気ある部門は頻繁に会議を行い、また若手が積極的に発信
  しだしている。最初は会議の場だけだったのかもしれないが、そ
  れがたぶん日常的に発信できるような環境=場をみんなで創りあ
  げたのだろう。

  一方、疲弊している風に見えるのは各々が課題を抱え込み、「自
  分は忙しい」意識でがむしゃらにやっている形に陥ってるからか
  もしれない。
  たとえ、仲間と同じ課題をやっていても(同じように会議を頻繁
  に開こうとも)意識がそれでは疲弊するのも当然。序列原理を否
  定しながら、しかし「自分で抱え込む」のは実は序列原理を是とし
  ていることに他ならない。

  上から押さえ付けられることだけが序列なんじゃない、それを是
  として押さえつけられている(発信もせずに押さえつけられたと
  思っている)ことも結果として立派な序列意識なんだと思う。

  共認原理というのは待っていてそうなるものではなく、自分も成
  員の一人として担わなければ(身を委ねなければ)けして転換な
  どできるものではないんだなと感じた。
  同じ「忙しい」という言葉も愚痴(=自我)っぽく聞こえてしま
  うか、活力の伝播になるかの違いはこういうところで決まるのだ
  なと思う。同じように、同じ課題をこなしたとしても、本人の充
  足度は明確に差が出るのだろう。

  隣の部門の活気を見ながら、自分をも省みてそう感じた。 
      
  全文 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=87183

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◇ 『期待に応えたい』というキモチ 
         【河野梨恵(25 徳島 OL) 05/02/08 PM11】  
 
  『期待に応えたい』というキモチって、とても「イイ」事だと思っ
  てました。

  だけど、るいネットの『自己実現の「非」現実性』
  (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=51407 )
  を読んでてちょっと思うことがありました。
  もしかしたら、期待に応えるということを捉え違いしていたのか
  もしれません。

  中学校のとき、入部した部活で信頼できる大好きだった先生に期
  待されたことがとてもうれしくて、でも結局その期待には応えら
  れませんでした。
  
  高校に入っても、中学校の先生の期待にこたえたくて、さらに新
  しい仲間からの期待にも応えたくて。だけど、達成することはで
  きなくて。
  
  信頼をおいていた中学校の先生は突然自分前からいなくなり、あ
  る日わいせつ罪で捕まってしまってました。高校の監督とも、信
  頼関係を築けないまま、その人が他界してしまいました。
  
  また、父親の期待(地元で就職、結婚、生活)に可能性を感じてな
  いにもかかわらず、そうしてない自分が、父親を裏切ってしまっ
  たかもしれないという気持ちがいまでもずっと付きまとっています。

  この経験を思い出した時、もう済んだことってわかってはいるん
  だけど、自己嫌悪の世界に入っていってしまうんです。

  現在、入社してから3年目、営業という仕事に配転を命じられた時、
  営業なんてやりたくなかったし、自分にできるなんてこれっぽっ
  ちも思ってなかったので、とにかく嫌だったのですが、信頼を置
  ける人から期待されたことが、ほんとにとてもうれしくて、でき
  ればその期待に応えたいと思っていました。

  だけど、失敗してしまったり、成果が出せないでいると、
  「できんやつやと思われてるかもしれん」
  「あきれられてるかもしれん」って一人で思い込んでました。
  その気持ちは、昔の 非充足体験と重なって、辛くてどんどん元
  気がなくなっていきました。

  >何かを実現して充足しようとすれば、必ず人々の意識や、実現
  すべき対象の期待や構造を掴むことなしには実現できません。
  (参照 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=51407 )

  これを読んだ時、いつの間にか、『期待に応えたい』という気持
  ちは、『相手の期待に応えたい』から、『自分が期待に応えて喜
  びたい』(自分発)に変わってしまってたのかなって思いました。
  私は、とにかく期待に応えたいがために、期待されることに飛び
  つくんだけど、そこには肝心の『相手が何を期待しているか』っ
  ていうところを抜かしてしまっていたのかも。

  そういえば!!いっつも、『相手に喜んでもらえると、嬉しい』
  っていうのが、実はピンときてなくって、相手に喜んでもらえる
  と、ほっとするって言う感覚の方が強かったんです。

  これって、相手の期待が見えてないからこそですよね〜。納得。

  最近、気付いたことがあります。
  「人は本来、充たしあうためにある。」
  
  始めは全然実感できなかったんですけど、私も、みんなも、この
  充足を求めているんだって。
  それを実現させるためには、やっぱり、『人々の意識や、対象の
  期待や構造を掴むこと』なんですね。  
 
  全文 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=85370

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