メルマガ:【マスコミが伝えない事実】
タイトル:るいネットメールマガジン 【 る い 】NO.130 [2005.3.2]  2005/03/02


  るいネットメールマガジン【 る い 】NO.130[2005.3.2]

□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□

        メルマガ 【 る い 】  NO.130 [2005.3.2]
            http://www.rui.jp/

□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□
  
─┬─────────────────────────────────
1  今週の注目投稿
─┴─────────────────────────────────
★ 男と女・性・婚姻お題より、「セックスレスが増えるのは、何で?」
  についての議論をご紹介します。
======================================================================  
◇ 女(おんな)教の終焉・・・sexless(性的関係忌避)1 
        【北村浩司 (壮年 滋賀 広報) 01/04/03 AM00】  
 
  〔それはオタクから始まった〕
  セックスレスの問題は、今やどこにでもある日常的な現象として
  一般化してしまった。さらにネットに投稿されている内容からみ
  ると、単に同じ相手に飽きた(興味がなくなった)というだけで
  なく、出会った頃から淡白でもともとからセックスレスという低
  温カップルや、むしろ性的関係でないことこそに価値を見出す者
  も珍しくない。

  セックスレスという生々しい活字が紙面を踊るようになり始めた
  のは、多分15年から20年前くらいではなかっただろうか。当
  時問題になっていたのは、現実の女に背を向けた、オタクのビデ
  オ世界への埋没とマザコン男のセックスレスの問題であったよう
  におもう。

  改めて振り返れば、当時はsex不能の男を単に女たちが、「オタク」
  や「マザコン」という異常人のレッテルを貼って、問題を捨象し
  ていただけかもしれない。しかし仮に、そうでないにしても彼ら
  は明らかに時代を先取りしていた。
  では「オタク」といわれた彼らは、なぜ女に背を向けていたのか。

  彼らに性欲がなかったわけでは、決してない。彼らが対象にした
  のは、幼児や成人の女を感じさせない女、特にアニメやビデオの
  女である。

  〔男はイメージとsexしていた〕
  彼らに限らず(現代の?)男の性欲は常にイメージで左右される。
  それは高貴で清純なる存在としてイメージ化された幻想に対して、
  その幻想を自らの手で剥ぎ取るという、ある意味で身勝手で、自
  慰的な行為として存在する。そのイメージはおそらく支配欲の充
  足をより深く満たすためのものであり、そのための道具立てであ
  る。
  しかも今から考えれば信じがたいことに、女たちはそんな男たち
  の幻想期待に喜んで付き合ってくれていたらしい。つまりオタク
  は男の象徴であり、イメージや観念にもっとも忠実な男である。

  おそらく、彼らが求めていたのは究極の理想の女像だったのでは
  ないだろうか。この場合の理想とは、男にとって自分の言うとお
  りになる、従順な女ということになろう。
  その点については、ものの見事に男たちの、古い価値意識の中身
  そのものである。ただし“一見”古い価値意識と異なる点は、そ
  の理想の中では、生の性的な部分が捨象されていることである。
  だがよく考えてみれば、これもかつて男たちが聖なる存在として
  の幻想を膨らませた、純粋観念上の必然的帰結であるように思う。

  ところが、当時(バブルの最盛期に特に顕著だったが)の女は、
  大人しい男にとっては手におえない存在となった。つまり、現実
  の中では女幻想を抱きようがなくなってきた。正確に言えば女は
  強くなることで、身勝手な男の幻想に付き合ってくれなくなった。
  その結果、古きよき幻想に忠実だったばかりに、現実の対象を見
  失った男たちは、生身の女を捨象して、自分の頭の中だけで女に
  対する完全支配欲を充足させていたのである。  
  
    全文 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=2652

  ---------------------------------------------------------------
◇ 女(おんな)教の終焉・・・sexless(性的関係忌避)2 
         【北村浩司 (壮年 滋賀 広報) 01/04/03 AM00】  
 
  〔男たちは幻想を失い、ニヒリズムに陥った〕
  この点では実は同世代に生きていた我々も大差ない。我々の世代
  は方向を見失っていく。
  ある者は、その反動として刹那的刺激へとエスカレートさせる。
  彼氏彼女関係は男にとっても単なるファッションとしての位置に
  まで転落した。そして残された満たされない男の幻想欠乏はやが
  てドラッグへ、さらにはコスプレに向かい、イメージは更なる倒
  錯度を深めていく。

  多数派たちは女に対してそれなりに付き合いながら幻想充足(性
  幻想と征服欲)が満たされない分、やがて、女たちに対してメン
  ドウくさい、煩わしい(だからあれは女じゃない)という感覚を
  増大させていく。
  そして、そんなマイナス意識が先立つうちに、そのマイナス意識
  はやがて女に対する否定の言葉となって意識化され、女たちに対
  する不信感や、女に対して向かう気持ち自体を希薄にしていき、
  いずれその状態は、それが正しい、当たり前との観念で正当化さ
  れていく。
 
 「男・女(性的関係)の前にまず人間として見る」「セックスレス
  でも仲がよい」etc、そんな男たちの言い訳は、今までの男の独占
  欲・支配欲からくる性に対して警戒心を持ってしまった女にとっ
  ても都合が良かったらしい。

 〔聖なき時代の性〕
  そして、今やセックスレス化しているのは、特殊な男だけではな
  い。一見女を忌避していない男や、傍目に見れば仲のいい夫婦
  (カップル)がセックスレス化している。だがこの問題もおそら
  く男のオタク化の延長上にあるのではないか。

  現在の若い世代は、(中学生や高校生を見てつくづくそう思うが)、
  明らかに女は元気で男は圧倒されつづけている。つまり女上位は
  ほぼ子供の頃から肉体的に思い知らされつづけている。当然男に
  とって女は思い通りになる存在とは程遠い。つまり男の性欲をか
  き立てる女像は、もはや幻想の世界にさえイメージできない。

  とすれば、後は少しでも新鮮味のある、刺激を求め続けるか、心
  にふたをしたままの義務感に基づく演技しかない。そしてこれで
  いいんだと自分を納得させつづけるしかない。夫婦の最低の規範
  である、世間の目をくらますだけの仲のよい夫婦像はそれでも演
  じつづけることは可能である。

  男の征服欲を充足させるための男と女の共演の時代は、女が男の
  幻想に付き合うのをやめたことによって、終わりを遂げた。
  女教信仰はここにおいてようやく終焉のときを迎えた。

  しかし男と女はようやくスタートラインに立つことができたとも
  いえる。幻想から覚めてありのままの男と女に戻れる、そんな時
  代がようやく来たような気がする。
  今、多くの若者が、そんな自我幻想的な性を捨て去り、もっと奥
  の心の充足を求め始めたことは、その大きな流れの一つといえる
  だろう。後はそこから、新たな性(セックス)の在り様を模索し
  て見つけてゆけばいいだけである。 
    
  全文 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=2653

  ---------------------------------------------------------------
◇ “力の基盤獲得”“出産・子育ての見通し”の先に
                 男の性欲再生はあるか? 
        【阿部和雄(41 東京 設備士) 05/01/07 AM00】  
 
  本源の性の構造を見る限り、これまで(私権時代)のような男発・
  自我発の“性欲”は生起しないのかもしれません。しかし女の期
  待発の“応合の性(⇒性欲)”は存在するし、再生の可能性もあ
  るはずです。そしてそのカギは、力の基盤と出産・子育ての見通
  しの“獲得過程”にあるのだと思います。

  いうまでもなく、“力の基盤”も“出産・子育ての見通し”もみ
  んなの、そして男と女の課題です。課題を共認し答えを追求して
  ゆくことは、男と女の中心課題であって、その過程で役割が共認
  され規範が共認されてゆきます。男の庇護と女の依存もそのひと
  つです。

  庇護・依存というと一方的な力関係のように捉えがちですが、闘
  争過程の男の庇護・女の依存、生殖過程の女の庇護・子の依存の
  ように人間の充足関係の根底を成すものです。依存とは全てを相
  手に委ねることであり、庇護とは相手の全てを受けとめることで
  す。互いに全てを受け容れ合う関係とは全的な“肯定と同化”で
  あって、そこに深い親和充足(和合充足)が生まれるのだと思い
  ます。

  男と女が課題をめぐって議論や相談をし、行動を共にする中で育
  まれる親和充足は、庇護・依存の関係をふむことで和合(親和)
  充足の深みに至るのではないでしょうか。つまり、力の基盤と出
  産・子育ての見通しを獲得して(追求して)ゆく過程そのものに
  “応合の性(→性欲)”の再性機会があるのだと。

  むしろ問題は、女が全的な依存存在足りえるか?男が全的な庇護
  存在足りえるか?であり、“全てを委ね受け容れることのできる
  女達”と“確たる答えをもって全てを受けとめることのできる男
  達”が“性の再性”実現の当事者になるのだと思います。

  もちろん庇護・依存が男女の関係規範である以上、みんなの共認
  に基づく関係の場や性規範も共に考え、つくってゆく必要があり
  ます。このような共認形成の場が“性の再性”のもうひとつのカ
  ギを握っているように思います。
 
  全文 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=83693
 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※【 】内は投稿者名・プロフィール・投稿日時です。
※投稿は一部要約しています。
※配信アドレスの変更、配信中止は、以下のページにて可能です。
 
※お問い合わせは「るいネット編集部」ruinet@rui.ne.jp まで。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◇るいネット⇒ http://www.rui.jp 

ブラウザの閉じるボタンで閉じてください。