メルマガ:【マスコミが伝えない事実】
タイトル:るいネットメールマガジン 【 る い 】[2004.12.15]  2004/12/15


  るいネットメールマガジン【 る い 】[2004.12.15]

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        メルマガ 【 る い 】  [2004.12.15]
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1  今週の注目投稿
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★社会統合板お題より、「人権って、他人を抑圧してない?」
 についての議論をご紹介します。
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◇ セクハラの驚くべき事実。 
      【廣重圭一 ( 41 東京 技術者 ) 04/12/12 AM04】 
 
  >大した問題だと思ってなかった。
   (参照 http://www.rui.jp/message/05/86/56_35ea.html )

  私もセクハラというと一般には男から女への性的いじめ、性暴力
  というイメージがあり、何でそこまでやるの?程度しか思ってい
  ませんでした。ところが、セクハラのことを調べてみると、実は
  誰でもセクハラと訴えられて、おかしくない状況があることに愕
  然としました。
 
  セクハラ行為か否かのポイントは「された本人が嫌な気持ちにな
  ったかどうか」ということだそうです。だから、同じ事でもAさ
  んにすると「セクハラ!」と訴えられ、Bさんにすると「コミュニ
  ケーション」になる場合もあります(これこそが差別では!)。

  例えば、セクハラの事例として、学校で先生が、性差で役割分担
  を決めてしまうことや(掃除の分担でごみ捨ては男、女は窓拭き)、
  会社で男が女性のみ「ちゃん」づけで呼ぶ、「女の子」という扱
  いをする等。湯茶サービス・コピーなどの雑用、補助的な仕事は
  女性担当とする。これらもセクハラです。

  また裁判にしても行為の性質上、第三者の面前で行われる事は少
  ないため、行為を直接見聞した証人がいることは少なく、限られ
  た人間の中で裁判が進められ、本人が嫌な気持ちになったがポイ
  ントです。だからセクハラと訴えた場合が圧倒的に勝訴のケース
  が多いそうです。
 
  訴えられれば被害者に対する和解金・損害賠償金などの直接的な
  損失はもちろん、そればかりではなく、紛争化することによって、
  自身の職場や社会あるいは家庭に於ける信用・評価を失わせる事
  にもなります。共認動物である人間にとってこんな辛い事はあり
  ません。こんな強制権利のポイントが「された本人が嫌な気持ち
  になったかどうか」にゆだねられる。誰がどう考えてもおかしい。

  ここで考えたいのは、セクハラが良い悪いという価値軸ではなく、
  何であれ法律として適用する以上、万人の共認が必要だというこ
  とです。この当たり前のことが蔑ろにされているということです。
  大多数の人が何かおかしいと感じながらも、一部の団体の権利・
  人権+マスコミ権力で、あたかも皆が共認したように法律まで出
  来てしまう。みんな共認の場の必要と、それが、現在の権利・人
  権に替わるものだと思います。  

  全文 http://www.rui.jp/message/08/19/54_1022.html 

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◇ 『人権』って何? 
     【西知子 ( 29 京都 秘書 ) 04/12/09 PM07】 
 
  『人権』って何だろう。

  >そしてその権利の根拠となっているのが「天賦人権説」。つま
  り人権は生まれながらに与えられているもの、天が与えたものと
  いう訳です。
  (参照 http://www.rui.jp/message/05/84/57_11ee.html )

  現実は、例えば誰かの欠乏(期待や欲望)が実現したとして、そ
  こにはそれに応えてくれた対象(環境や相手)が必ず存在する。
  なのに、『人権』という概念は、その“応えてくれた対象”をま
  ったく捨象して、当然与えられる(べき)ものであるかのように
  認識させてしまった。

  >旧観念は都合の良い潜在思念(共認価値や自我幻想)を結晶させ
  て作られており
  (参照 http://www.rui.jp/message/07/14/64_46fe.html )


  元々対象を捨象して己に都合よく作られた観念なのだから、他人
  を抑圧することになるのは、当然なのかも。  
  
  全文 http://www.rui.jp/message/08/22/95_c5f0.html
  
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◇ 「権利」は自己正当化のために捏造された架空観念 
        【北村浩司 ( 壮年 滋賀 広報 ) 03/07/10 PM11】 
 
  マナーファシズムの中核に権利という観念があるという指摘は、
  私もその通りだと思います。この「権利」(人権)という観念は
  男女同権にせよ、嫌煙権にせよ日照権等にせよ、全て己の利害を、
  相手や社会に対して要求する際の根拠概念として用いられていま
  す。
  もちろん現在国家の最大の支出項目である福祉も基本的人権が論
  拠となっています。しかもその要求の中味は概ね「いい生活」や
  「身分獲得」の私権がらみです。つまり私権の追求と保証を正当
  化し、美化した観念といえます。

  ところで、この「権利」なる観念はどこから生まれたのでしょう
  か?この観念が生まれたのはロック・ミル・ルソー等の近代思想
  家が起源ですが、いずれも国家による、私有権と生存の保証を核
  とした主張です。
  そしてその権利の根拠となっているのが「天賦人権説」。つまり
  人権は生まれながらに与えられているもの、天が与えたものとい
  う訳です。要するに自然科学上や社会科学上の事実に基ずく根拠
  は一切ありません。

  全く現実の根拠が無いにもかかわらずそれが作られた理由は、お
  そらく近代になって万人に市場という私権追求の可能性が開かれ、
  その主体を正当化する必要性にあったのだと思われます。つまり
  この権利という観念は私権主体として、社会や相手に対して批判
  や要求を行う上で、そういった要求を正当化する観念として捏造
  されたものと言えると思います。

  >しかし、剥き出しの自我では人々に共認されない。社会に要求
  する以上、それがあたかも本源的要求であるかの様に見せかけな
  ければならない。そこで、際限なく肥大してゆく反社会的な自我
  やそれに基づく要求を正当化する為に、もっともらしく幻想観念
  化した権利という欺瞞観念を捏造した。権利とは、集団捨象の自
  我→要求をもっともらしく見せかける為の架空観念に過ぎない。
  だから、近代思想が掲げる権利は、どれを取っても「この権利は
  絶対である」という根拠など全く何も無いのであって、あるのは
  己の自我・私権を貫徹する為の一方的な要求だけである。だから
  こそ、近代思想は権利だけを絶対的なものとして主張し、義務を
  欠落させているのである。
  (参照 http://www.rui.jp/jitugenron/2_8_seik.html#05 )

  貧困が消滅し私権圧力が衰弱すれば、普通の人々は取り立てて私
  権上の不平不満もなくなり、要求には収束しなくなる。つまり普
  通の人はモノを言わなくなる。だからこそ逆に一部の否定性や被
  害者意識の強い人々の声だけがまかり通るようになっていく。そ
  れがいかに殆どの人の実感からずれていたとしても、権利という
  旧観念を社会統合上の観念として共認している限り、反論も出来
  ないので次々と法制化され強制されていく。同じ旧観念を飯のタ
  ネとしているマスコミもそれを後押しする。

  旧観念が「自由」というお題目とは裏腹に、一握りの人々によっ
  て、規制だらけのファッショ社会を作り上げていくからくりはこ
  こにあると思う。  

  全文 http://www.rui.jp/message/05/84/57_11ee.html
 
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