メルマガ:【マスコミが伝えない事実】
タイトル:るいネットメールマガジン 【 る い 】[2004.12.07]  2004/12/07


  るいネットメールマガジン【 る い 】[2004.12.07]

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        メルマガ 【 る い 】 [2004.12.07]
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1  今週の注目投稿
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★幼・少・青・壮・老お題より、「自分って、何?生きるって、何?」
 についての議論をご紹介します。
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◇ 固定観念による悪循環 
       【西麻美 ( 20 神奈川 学生 ) 04/12/02 AM06】 
 
  子供って良くも悪くも真っ白な画用紙みたいなもので周りにとても影響
  を受けやすいんだろうなと感じます。例えば「泣く子は嫌い」と言われ
  たら素直に「泣くことはいけないことなんだ」と言う固定観念を作り上
  げるように。
  固定観念は回りの影響を受けて出来るのに、「こうあるべき」と一度固
  定観念が形成されたとたんに、それが(それだけが?)羅針盤になって良
  し悪しを決めていく。

  そして固定観念に合った自分になる為にいろんなものを押さえ込んで、
  その無理から生まれる不安すら否定したり、自分は駄目なんだと言う自
  己攻撃に走り、こんな自分じゃ誰にも受け入れてくれない、と言う不安
  に陥ってしまう。
  さらに受け入れてもらえる自信が無いから、みんなにうまく向かえずに
  どんどん自分に囚われていく。
  そんな状態じゃあ充足なんて出来なくて当然活力なんてありゃしない。
  
  そして自分は何のために生きてるんだろう?と自分の中で考えて、答え
  が出ないから生きるのが苦痛になっていく。そう言う傾向があるんじゃ
  ないでしょうか?

  固定観念に囚われにくくなった今、気づくことはみんなが自分をどんな
  に心配してくれていたか、それを思うとただ単純に嬉しいと思うし、今
  まで自分に囚われて気がつかずに心配させてきてしまったことに申し訳
  ないと感じます。そして人に嫌われないよう自分のために変わろうとし
  ていただけのはずが、いつのまにか自分自身を苦しめてしまっていた事
  にも申し訳ないと。

  大切なのは固定観念に囚われないで、相手の気持ちにどう応えたらいい
  かな?みんなが喜んでくれるかな?って考えること。
  こんな楽しい事はないし、意識が自分からみんなへ切り替わった瞬間に
  自分って何?とか何のために生きてるんだろう?なんて考えなくなる、
  考える必要がなくなるんじゃあないかな?って思います。

  全文 http://www.rui.jp/message/08/19/54_1022.html 

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◇ 「生きている」とは? 
       【橋口健一 ( 41 大阪 技術者 ) 04/12/05 PM09】 
 
  先日の「なんでや劇場」で次のような発言がありました。
  「周りのみんなに合わすと、自分が無くなってしまう。」

  恐らく、こんなことを考えるのは人間だけでしょう。若い人の一部には、
  仲間関係で上手く行かないときに存在不安を覚える傾向があるように思
  います。しかし、上手くいっている時(仲間と充足している時)には、
  自分って何?、生きてるって何?なんて考えたりしません。

  そもそも、生物一般においては自分を無くすことは死を意味します。つ
  まり、「生きている」とは一体どうゆうことなのか? 人間にも動物に
  も、生物一般に当てはまる普遍的な摂理(事実)を認識する必要がある
  のではないでしょうか。
  以下は、劇場の後に仲間から助言を頂き整理した内容です。

  ★「生きる」とは、外圧に適応すること。
  「外圧に適応する」とは、外圧を認識して、それに対応して適切な欠乏
  (内圧)を生起させ行動することでです。(外圧状況を無視した欠乏は
  存在し得ないし、もしそのようなものを捏造したとしても当然適応不能
  である)

  「対象同一化」の意味するところは、この「外圧を認識し、それに対応
  した適切な欠乏(内圧)を生起させ行動すること」そのものです。
  (だから、全ての生物はそれを当たり前に行っている)

  ★生物は、外圧に適応するために最先端の機能(適応するのにもっとも
  役に立ちそうな可能性のある機能)に収束し統合して生きている。

  一般生物は本能機能によって外圧に適応している。しかし、人間は本能
  だけでは生きてゆけないので、共認機能に可能性収束することで、どう
  にかこうにか生きてゆくことができるようになった。

  だから人類にとって、共認機能を使って対象(自然や仲間)に同化する
  ということは、「適応すること=生きる」ということそのものである、
  といっていいほど重要である。

  人類の生きる意味も、可能性収束先も上記が全てといってもいいでしょ
  う。「当たり前」の状態とは、本能(工夫思考)と共認回路がピタッと
  一致している状態。
  さらに、その構造が分かることで本能→共認→観念が一直線に貫かれる。
  つまり、可能性の実現に向けて行動することができる。

  自己の確立=対象の獲得です。人間の存在構造は「外圧(対象)=内圧
  (主体・自己・意識)」の中にあります。現実の対象(仲間・みんな)
  の意識は日々変化してゆくのが当たり前です。だからこそ、みんなの期
  待(=対象)を注視し、ズレを認識して適応しようとするのが自然な姿
  であると思います。

  ズレを矯正してゆくためには、ズレ(捏造された自分観念や錆付いた共
  認機能)を認識し、不要な観念を捨て去り潜在思念(本能・共認)に立
  脚することが必要。そうしてはじめて適応していくことができます。

  何も恐れることはありません、周りのみんなも同じなのですから。
  認識ひとつ変えるだけで可能性が見えてくるし、共認機能(期待・応望)
  を作動させれば充足対象をいくらでも発見できます。

  閉塞感に包まれた現代、目の前の現実の対象を肯定視して、みんなの期
  待に応えてゆくことが、「生きている」ことなんだと思います。  
  
  全文 http://www.rui.jp/message/08/21/29_e5a4.html
  
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◇ “生きる意味”は、みんなの(期待に応える)中にある 
                      【西知子 ( 29 京都 秘書 ) 04/07/25 PM10】 
 
  昨日なんでや劇場で、「自分って何?生きるって何?」を聞いた。
  『自分の中身も、生きる意味も、みんなの中にある』という言葉が頭に
  残った。
  
  権利やお金を得ても充たされるわけじゃない。誰だって、人に期待され
  て、応えて、評価されて、生きている実感=充足を得たい。

  『男も女も全ての人も、みんなお互い充たし合う為に存在している』
  『人類の最大の活力源にして最高の充足源は、期待・応望である』
  だから、子供も、老人も、障害者も、誰でも、一番根源的な所でみんな
  の力になれる=役に立てる=存在理由がある!

  なのに、「自分」や「個性」という言葉はまるで、それを求めないと人
  間としてダメである(生きる価値がない)かのように、人を追い詰めて
  ゆく。みんな本当は、みんなと同化したいのに・・・。

  >自我回路より共認回路の方が充足できる
   (参照 http://www.rui.jp/message/07/39/92_c3f7.html )

  『“自分”から“みんな”へ。』
  新しい規範の原点は、ここなのかもしれない。  

  全文 http://www.rui.jp/message/07/54/40_3e6c.html  

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