メルマガ:【マスコミが伝えない事実】
タイトル:るいネットメールマガジン 【 る い 】[2004.07.06]  2004/07/06


  るいネットメールマガジン【 る い 】 [2004.07.06]

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        メルマガ 【 る い 】  [2004.07.06]
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1  今週の注目投稿
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★ 「社会統合」の会議室から、『新しい共認媒体』についての
   議論をご紹介します。
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◇ 共認充足の媒体としての露店 
                【谷光美紀 ( 31 愛媛 経理 ) 04/06/25 PM08 】
 
  露店で興味深げに立ち留まりはするのだけれど、具体的なお題を選べ
  ない人が増えてるように感じてました。「それって、なんでだろう?」
  って改めてみんなで考えてみました。

  そこで出てきたのは、個々人においても、探索意識と秩序収束という
  大きな潮流の綱引き状態があるということです。

  前者は、何だろう?何してるんだろう? 興味深々、気になるなぁっ
  て感じ(収束不全⇒探索基調は確実にある!)。
  一方後者は、今まで見たことない→どんな場かわからないから巻き込
  まれたくないなぁという感じの警戒心。その価値が分からないからそ
  れに時間をかけたくない、お金を払いたくないってことになる。

  この綱引き状態を解除して、参加してもらうにはどうすればいい?
  ちょっと視点を広げて、ではみんなは今どういうところに可能性を感
  じ、どうお金を使っているのだろう?

  >つまりは、何であれ売れているということは、そこに価値があると
  いうみんな共認が成立している事を表しています。だとすると、市場
  はすでに共認原理で動いているのです。
  >逆に言えば、快美性・幻想性のあるものではなく、これからは、共認
  価値のあるものにお金を支払うようになるということもいえるのかも
  しれません。
  (参照 http://www.rui.jp/message/07/38/76_06ab.html )

  確かにケータイとかネットとかってそうだと思う。カフェもそう。
  目的は人と話すこと、繋がること、すなわち共認充足を得ることだけ
  ど、お金を出すのはその媒体代(場所代)という感じ。
  (本などは顕著で、中身の良し悪しより装丁(ハードカバーか否か、何
  ページあるか)によって値段が決まる。)

  ということは、まずは、露店が共認充足を得られる媒体(場)であると
  いうことがみなに認知されること。これが大事なのではないでしょう
  か?一目でそれが分かり、少し立ち止まるだけでもその充足の一端が
  味わえるものであること。

  そういう仕掛けが必要なのでは? 答え(中身)があってこその共認充
  足というのはもちろん変わらないのですが、お題をもらうところから
  場がスタートっていうのは固定観念だった!と気づかされました。

  >みんなフィーバーや制度収束や国家収束etc秩序収束ばかりが目に付
  くが、答え探索は、ニュース収束や人間ウォッチングや仲間内でのマ
  ジ話くらいしか顕在化していない。
  (参照 http://www.rui.jp/message/07/36/47_d6b5.html )
 
  その通りです。だからこそ、みんな共認充足⇒答え探索の「媒体(場)」
  として露店を顕在化させること。そのとき露店はどうあるべきか?
  この思考が必要だと思いました。
 
  全文 http://www.rui.jp/message/07/39/95_38e1.html
  
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◇ 新しい「共認媒体」と言うスタイル 
      【西谷文宏 ( 26 和歌山 建築設計 ) 04/07/05 PM09】

  >実は文明社会が生まれる遥か前から、人々が共有した認識は“伝承”
  されてきました。自然界の理、人と自然、人と人のかかわりなどの認
  識群(構造認識)が人を媒体とし、日常の中で、大人も子供も世代を
  超え、世代を繋いで語り継がれてきたのです。
  (参照 http://www.rui.jp/message/07/43/85_8f01.html )

  インディアンに代表されるような、ネイティブと呼ばれる先住民俗に
  は、口伝の文化が強く残っています。

  先日、旅先であるミクロネシアの小さな島国で、そういった口伝を伝
  えてもらう経験をしました。その内容は物語(物語事態はありがちな
  荒唐無稽なもの)の中で人間の自我・独占欲の危険性を伝えるもので、
  ”外国人”である僕にも強く響くものがありました。
  
  印象に残ったのは、その口伝を語っている人(特別な人と言うわけで
  はなく、普通の飲食店の店員)が楽しそうでいながら、一方で、非常
  に真剣であったことです。最後に彼女は、「これ(物語の内容)は生
  きていく上で非常に重要なことなの。今日はこの内容をあなたに話せ
  て、共有できた。凄く充足した」と言っていました。

  実は、この口伝を語ってもらう以前から、その内容を観光ガイドで読
  んで知っていました。ガイドで読んだときは、いろいろな解釈や価値
  意識のようなものが頭をめぐり、心に響くどころか「荒唐無稽な話し
  だな」とさえ感じでいたのですが、実際口伝で伝えてもらうと、その
  ような解釈意識や価値意識はどこかに吹っ飛び「なるほど!」と素直
  に感じ、口伝の共認充足を得ることができたのが、意外な感覚でした。

  誰の言葉か忘れましたが、「文字は解釈を生み出す」と言う言葉があ
  るそうです。実際、僕自身が体験したように、文字や書物と言った
  「観念で捉える媒体」は、様々な解釈や価値意識を生み出します。
  結果、その内容を正確に伝えることが難しくなります。逆に言うと、
  「観念だけに訴える媒体」であるが故に、(TVや雑誌などにみられ
  るように)中身はそれほど重視されずに、性幻想や観念充足ばかりを
  流す⇒観念支配していくと言う構造があるのだと思われます。
  
  つまり、社会共認を形成していく上では、「媒体」は「観念に訴える
  媒体=観念媒体」だけでは不十分であると言うことになります。

  >それをそのまま伝えているだけ。実はそれがいちばん相手に伝わる
  んだと思う。そしてその時相手が『なるほど!』って思って、他の誰
  かに伝えた瞬間、そして新たに「なんでだろう?」って考え始めた瞬
  間、その人もまた新たな『媒体』になる。
  (参照 http://www.rui.jp/message/07/44/67_a539.html )

  >今私たちは露店活動を通じて、人(場)を媒体とした認識の伝承と
  いう共認の原点に立ちかえり、本や学校やネットなどの媒体を本来の
  (事実認識を伝えるための)共認媒体として再統合しようとしている
  のだと思います。
  (参照 http://www.rui.jp/message/07/43/85_8f01.html )

  みんなで起こす共認革命。「共認形成」が重要だからこそ、生み出さ
  れた共認充足の場「なんでや露店」。
 
  我々は、これまでの人類史で当たり前に行われてきながら、近代以降
  忘れ去られていた口伝=人を媒体とした認識の伝承と言う「共認媒体」
  のありようを、全く新しいスタイルで生み出すことが出来ました。
  「なんでや露店の店主」と言う新しい共認媒体。それは、共認形成・
  共認革命に最も適した媒体であるということができそうです。  

  全文 http://www.rui.jp/message/07/44/76_d98a.html

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