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タイトル:るいネットメールマガジン 【 る い 】[2004.05.25]  2004/05/25


  るいネットメールマガジン【 る い 】 [2004.05.25]

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        メルマガ 【 る い 】  [2004.05.25]
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1  今週の注目投稿
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★ 「社会統合」の会議室から『真似して理解する』ということに
   ついての議論をご紹介します。
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◇ 新理論を勉強することは、外国語を覚えるのと同じ体験 
             【呉珍之 ( 28 中国 デザイナー ) 04/05/22 AM03】 
 
  石橋さんの投稿を読んで、なるほどって感じました。
  
  >子供が言葉を覚える時、とにかく吸収して真似る。それは意味を理解
  する以前かもしれないが、その言葉を使うべき場や対象がセットになっ
  て頭に刻まれていると思う。
  (参照 http://www.rui.jp/message/07/22/19_6dd2.html )
  
  そういう状態で、新理論を勉強すると、本当に自分の思想になれると思
  います。
  外国語を覚えるときの体験とまさに同じです。大人になってからは、言
  葉を覚えるために、まず言葉の意味を理解することからはじめます。
  その結果、外国語を話す時、頭の中に母国語で整理してから、外国語に
  転換するという過程です。そうなると、何年経っても、外国語が上手く
  マスターできません。外国語をしゃべるときに、その外国語で考えるべ
  きです。
  
  ところで、ある先輩から教えてもらったことですが、
  「常に清い水の状態で勉強してください、牛乳はいらない。」
  という意味は、新しいことを吸収するとき、まず自分固有のものを邪魔
  (牛乳)にならないように捨て去って、ゼロ(清い水)から勉強したほ
  うが効率的です。
  
  >とにかく真似る、とにかく使う、そこから理解に繋がり、真に語れる
  ようになると思う。
  
  言葉を一人で学ぶとなかなか難しいです。現実の対象や場の中で使えば
  使うほど上手になります。これも新理論を勉強することと共通していま
  す。
  
  抵抗なく新理論を勉強し、新理論で考え、新理論で社会を認識すると、
  知らず知らず同化されています。自分の中に消化され、自然に使えるよ
  うになります。
 
  全文 http://www.rui.jp/message/07/23/70_6612.html

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◇ 真似への否定視はもう無用 
       【喜田育樹 ( 31 京都 デザイナー ) 04/05/19 PM09】 
 
  まず真似をして使ってみる。それが共感⇒肯定視⇒吸収⇒理解へとつな
  がる一番の近道なのだと思う。
  (参照 http://www.rui.jp/message/07/18/47_4452.html )
 
  「真似をする」ことに対して今までは否定的な見方が一般的だったと思
  います。例えば、「真似をする」ことは個性がない、「真似をする」こ
  とは盲目的で主体性がない、「真似をする」ことは何も考えていない、
  「真似をする」ことはズルイとか。

  先日「鼓童」という芸能集団に坂東玉三郎が脚本を加え、佐渡の文化を
  表現するという公演があった。その練習過程の中で坂東玉三郎の言葉に
  「現代芸能は個性やオリジナリティを重視していますが、この練習では
  一切個性を排してください。私の言葉をまず受け入れ、踊りの型を徹底
  的に真似て下さい。」とあったことを思い出しました。

  日本文化というのは「真似の文化」という色彩が強く、特に古典芸能で
  は現代でも師匠の型を徹底的に真似ることは当たり前のように行なわれ
  ている。
  「真似ること」で師匠が培ってきた技術やその背景にある情感、更には
  その情感が生みだれた情景を吸収し、そうやって文化を継承している側
  面が非常に強い。そこではどれだけその情感や情景を再現しみんなに響
  くこと、伝えることができたか、という事だけが評価され、個性的云々
  というものは全くない。

  また芸能以外においても、例えば法隆寺の宮大工棟梁であった西岡常一
  氏は、薬師寺再建にあたり、飛鳥時代から現存している薬師寺、法隆寺
  を徹底的に洞察しその仕組みを真似る事で、当時の飛鳥人の木に対する
  認識力の高さ、建造物にこめる想いを知り、そこに一歩でも近づけるよ
  う再建を果たしたと述べている。

  また現代でさえも、今あるこの豊かな生活も、高度成長期の日本が西洋
  の技術を徹底的に真似たが故に達成できたとも言える。

  どの分野を切っても「真似をする」ことで対象と同化し、その技術や知
  識、更には情感や情景までをも吸収し、それを継承していくというのは、
  特に日本においては一番根源的に行なわれている営みであることが解る。

  にも関わらず「真似をする」事に対する否定視、タブー視というのはど
  こからきているのだろうか。日本で個性やオリジナリティが大衆的に言
  われ出したのは、例えば学校でそれまでの画一的な教育から個性を重ん
  じる教育に転換した頃のような貧困消滅以降ではないかと思う。生存圧
  力が消滅し、みんな期待が一瞬消え去った30年間、誰もが自分発のやり
  がいや私権獲得に向かったその先に「真似をする」ことへの否定視や不
  安感が生まれたのではないだろうか。

  課題の全てが自分課題になり、相手と同じである事は敗者or自立できな
  い存在となったこれまでの時代。新しいみんな不全が立ち上がろうとし
  ている次代においては、最早「真似をする」ことへの否定視も無用なの
  ではないだろうか。  

  全文 http://www.rui.jp/message/07/22/10_0191.html

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