メルマガ:【マスコミが伝えない事実】
タイトル:るいネットメールマガジン 【 る い 】[2004.04.13]  2004/04/13


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      メルマガ 【 る い 】  [2004.04.13]
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1  今週の注目投稿

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★『社会統合』の会議室から『「やりたいことが見つからない」社会の
  現状』についての議論をご紹介します。
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◇ 「闘争不在、解脱埋没」という特異な30年が終わった(2) 
         【 山澤貴志 ( 38 鹿児島 ITコンサル ) 04/04/06 AM02】 
 
  私権時代とは、解脱(とりわけ性的独占欲の充足)を目的とし、その
  手段として出世競争・学歴競争(これ全て格差のうまみを手に入れよ
  うとする私権闘争)を活力源としてきた時代であったが、70年貧困
  の消滅によって心底において私権闘争は第1義ではなくなった。
  しかし目的の位置にあったところの解脱欠乏(性及び代償充足たる芸
  能を求める欠乏)は残り続けた。むしろそれまで抑圧されていた分、
  一時的には急拡大したとすらいえる。
  
  そうして70年日活ロマンポルノに代表される性の解放が一気に進む。
  しかしこの性を核とする解脱欠乏はそもそもが性規範という障害があ
  ってはじめて燃え上がる反=自我のエネルギーであるから性の解放が
  進み、性規範がガタガタになってしまうと自動的に衰弱するという構
  造にあり、80年代に入ると現実の女からバーチャルな幻想の女性へ
  と逃避したオタク文化へと後退収束していく。
  さらに90年バブルの崩壊=格差のうまみの縮小が追い討ちをかけ、
  女をものにすることは負担がかさむばかりで、もはや性が第1義的活
  力ではなくなった。

  そして解脱の中身が性を中心とした独占欲や自我充足から仲間充足へ
  と転換していく。ようやく暗闇の中から「新しい可能性」が充足収束
  という形として表出してくる。

  >本源価値(異性や仲間や集団との共認充足や自然との本能充足)を
  破壊し、抑圧してきた私権の強制圧力が衰弱した以上、抑圧されてき
  た本源的な共認欠乏や本能欠乏が活性化し、意識下の共認回路や本能
  回路が本源充足へと可能性収束してゆくのは、必然である。・・本源
  収束の潮流は、'90年私権の衰弱が誰の目にも明らかになるにつれて
  顕在化し、共認収束(親和収束・仲間収束)や自然収束の大潮流を形
  成しつつある。ボランティアや自然サークル・環境サークルの興隆は、
  この潮流の最も見え易い表層の現象である。
  (参照 http://www.rui.jp/jitugenron/4_3_bano.html#02)

  しかしこの90年代の充足収束は不安解消という私的不全に対する癒
  しとはなっても、不安の根源をなす統合不全そのものを解消しうる答
  えとはいえない。02年、「改革の期待」を集めた小泉内閣すらもは
  やあてにならないと大衆は理解し始めたことで、この統合不全はマス
  コミや官僚たちに任せておけない、みんな不全となった。貧困の消滅
  から30年の歳月を経て、みんな不全が再生したのだ。

  これを受けて、今の若い子たちは一気に社会的役割欠乏へと収束しだ
  した。闘争を失い解脱埋没していた「何か面白いことはないか?」欠
  乏は解脱ではもはや飽き足らなくなり、「遊んでいても、実は盛り上
  がれてない」「仲間といっしょでも何かものたりない、ビミョー?」
  「表層的な人間関係って変!」といった「闘争不在、解脱埋没」への
  違和感が鮮明になりつつある。

  そして解脱埋没を脱して「やりたいこと=社会的役割が見つからない」
  という(社会統合上≒認識闘争上の)役割欠乏へと収束しつつある。
  更には「くっていくだけなら困らない」故に、役割欠乏は現実的には
  「本当にみんなの役に立つ仕事」への欠乏として先端収束し、70年
  以来一貫してマイナス視されてばかりだった政治家を志望する若者が
  急速に増えつつある。 
  
  あるいは「役に立つ仕事」欠乏という流れの中に(自衛官や消防士等
  の)公務員志望や(福祉関係やロースクールといった)資格志向の増
  加、さらには授業出席率の上昇(結果的に旧観念支配の強化)といっ
  た現象も包摂される。

  「闘争不在、解脱埋没」という特異な30年は終わった。90年代の
  充足収束において実現された「自分からみんなへの転換」を足がかり
  に「解脱埋没から闘争あっての解脱へ」ついに転換を遂げたのだ。残
  された課題は、「答えがないから旧観念支配に絡めとられる」という
  部分の逆転である。

   全文 http://www.rui.jp/message/06/99/11_099a.html

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◇ 「とりあえず・・・」の‘その先’にあるもの 
         【林昭光 ( 30 札幌 建築設計 ) 04/04/06 PM11】 
 
  「やりたいことが見つからない」というテーマを扱った先日のなんで
  屋劇場で、「やりたいことがある」という就職活動中の学生と出会っ
  た。聞くと、自身の内面に「やりたいこと」を探し求め、大学の専攻
    から現在の就職活動に至るまで「やりたいこと」(教育関係と言って
    いた)を一貫してきたという。

  また一方で、劇場で聞いたのは、あまりツベコベ考えずに、周りの仲
  間に同調するカタチで「とりあえず〜する」若い世代。彼らは「とり
  あえず」大学の授業に出席し、「とりあえず」資格を取って、就職も
  「とりあえず」してしまう。

  この二者に共通して言えるのは、既存の枠組みから何かを「選択」す
  る思考性だ。本来「とりあえず…」とは前置きとして使うので、こち
  らとしてはその先に何かあるのだろうと期待する。しかし、彼らはそ
  の先の答えを持っていない。
  では、先の例のようなやりたいこと探しをする若者ならと思って訊い
  てみても、(その探索の結果として)やはり全く新しいことは出てこ
  ない。彼らも「とりあえず組」同様、既存の枠組みから何かを見つけ
  て、これが「やりたいこと」と既成事実化しているに過ぎない。

  そんな彼らも潜在レベルでは何かを感じているのだとは思う。これだ
  け企業も社会もガタガタなのだから、それを前提にした「とりあえず」
  なのだろう。

  しかし、その先に可能性があるか否かの判断・追求は保留してしまう。
  親や教師を始めとする大人たちが振り撒いてきた「やりたいことをや
  りなさい」という旧観念が、彼らの中で半ば強迫観念化し、彼らをブ
  ナン思考〜旧制度収束へと誘う。

  だが、そのブナンな選択の結果どうなるのか?
  既存の仕事は、旧い制度と「とりあえず」の‘その先’にある潜在思
  念との鉢合せの毎日だ。まして、変わらない旧規範と進行形の実感と
  では、その遊離が日毎に増していくだろう。

  冒頭の彼からその後来たメールにはこうあった。
  「これからの就職活動をどうしようか考え中です。しかし、多分答え
  はでないと思います。自分を満たしてくれる仕事は今の世の中にはな
  いからです。」

  確かに、一人で考えても答えは出ない。簡単な問題ではないから。
  だが新しい認識を持って、みんなでつないでいけばヒントくらいは見
  つかる。

  『誰でも担える社会統業を開放することは新しい仕事になる』
  (参照 http://www.rui.jp/message/06/96/85_ebd7.html)
  
  今の世の中に仕事がないと言うなら、新たに仕事をつくればいい。
  そこにはみんなが協力しれくれるはずだ。  

  全文 http://www.rui.jp/message/06/99/48_fdc2.html

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   ◇◇◇◇◇◇◇ 【なんでや劇場のご案内】 ◇◇◇◇◇◇◇ 
  詳細・申し込み方法 http://www.rui.jp/ruinet/gekijou.html

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