メルマガ:【マスコミが伝えない事実】
タイトル:るいネットメールマガジン 【 る い 】 [2003.11.05]  2003/11/05


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      メルマガ 【 る い 】      [2003.11.05]
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1  今週の注目投稿
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★『猿と人類』の会議室より「人見知り」に関する投稿をご紹介します。
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◇ 子どもの人見知り、大人の人見知り 
            【田中素 ( 37 長崎 企画 ) 03/10/21 AM02】

  >赤ちゃんはみんな人見知りするものなのですか?それは、大人がす
  る人見知りとは少し違っているような気もするのですが
  (引用 http://www.rui.jp/message/06/28/51_0559.html) 

  「人見知り」と呼ばれるものも、幾つか分けて考える必要があるよう
  です。生後すぐの赤ちゃんは人見知りを全くせず、あやしてくれれば
  誰にでも喜びの表情を見せるそうです。6ヶ月ぐらいになると、いわ
  ゆる「人見知り」が始まります。これは、常に面倒を見てくれる母親
  や家族と、それ以外の人を区別して認識できるようになることで生じ
  る、文字通り見知らぬ故の不安の生起だと言われています。ただ、こ
  れは通常、2才位までにはおさまっていくそうです。ここまでは、個
  体差はあるものの比較的普遍性のある発達過程の現象と言えそうです。 

  3歳以上で人見知りが激しい、という場合は、上記とはまた別の要因
  になるようです。これはおそらく、どこかで本当に、初めて遭遇した
  人から何らかの恐怖記憶を与えられた場合ではないかと思います。
  ちょっとしたことでも子どもの記憶には強く残りますから、大きくな
  っても「人見知りする性格」というような場合は、このような幼児期、
  少年期の体験に基づくものが大半ではないでしょうか。 

  さらに、「今の大人が見知らぬ人とすぐ仲良くなれない」という傾向
  は、この気質的な要因とも一段階違っているように思います。発達過
  程では特に上記のような不安体験をせずに育った人でも、私権時代に
  は会社や学校、家庭など自分が属する集団以外の人間は無関係である
  ことが当たり前であり、そうでもないのに近づいて来る人は、何らか
  の私権目的を持っている場合が大半でした(セールス、勧誘、詐欺etc)。
  集団内の人間関係も基本的に個対個の利害関係が中心です。 

  社会通念がそのような私権観念であるから、初めて会う人にはまず観
  念発の警戒心が先立つし、しがらみの無い(私権観念上は無関係な筈
  の)人に自分が話し掛ける、という行為にも違和感が生起してしまう、
  というのが「大人の人見知り(?)」の理由ではないかと思います。

  私権観念が崩壊し、みんな不全が顕在化していくことで、このような
  旧体質はどんどん閉塞し、みんな期待に応えるべく誰とでも繋がって
  いく若者たちの活力にとって代わられていくだろうと思います。  

  http://www.rui.jp/message/06/32/09_4e8e.html


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◇ 人見知りの衰弱は動物構造からの脱却の証 
          【北村浩司 ( 壮年 滋賀 広報 ) 03/10/30 AM03】
  ≪要約≫
  「人見知り」に対する皆さんの投稿を興味深く読ませて頂いています。
  ただ一連の議論には、一つ欠落点があると私は思います。
  この問題は本質的には「同類他者に対する警戒心」の出所という問題
  だと思います。 

  確かに私権時代は自分以外の万人が敵という構造から警戒心が発生し
  た、という見方は誤りではありません。しかしそれ以前に、サルはも
  ちろんそれ以前の動物にとって集団外の同類は全て縄張り闘争上の
  (潜在的な)敵であった=警戒の対象であった、という事実がありま
  す。

  取り分けサルは樹上という特権空間を確保したことから、異種の外敵
  の圧力は二義的となり、専ら同類のサル(別集団のサル)が主要な敵
  =警戒の対象となっています。つまり生存の為の縄張り確保の必要性
  ⇒集団の形成から異集団の同類は潜在的な敵となる=警戒の対象とな
  るという構造です。従って私権時代はその構造を縄張り=私権(地位
  や身分)に置き換えただけの構造に過ぎないともいえます。
  (だから万人が敵の私権時代でも「身内意識≒仲間意識」的な意識も
  存在しました。) 

  だからこそ「次代には人見知りはなくなるかどうか?」という問いは、
  「もっと深い次元でこの動物的な構造(関係パラダイム)を転換し得
  る基盤があるのか?」という問いに置き換えられると思います。 

  まずその基盤は貧困の消滅=生存圧力からの解放によって生存域の縄
  張り闘争の圧力が衰弱し、縄張り集団(企業や家族)への求心力が急
  速に衰退したことが上げられると思います。 
  
  もう一つ内在的な基盤は、潜在的な敵を、不全感⇒同一視する事で充
  足を作り出した原猿時代に形成された回路です。
  (参照:実現論 http://www.rui.jp/jitugenron/1_4_saru.html#05)

  >それ(警戒心)を超越しているのは、もっと奥にある原猿回路だけ
  である。そして、原猿は縄張り闘争を既に諦めているが故に(かつ極
  限的な不全を孕んでいるが故に)警戒心を突破し得たのだとすれば、
  既に私権の可能性を見失い、大きな社会不全を孕んだ現代人の心底は、
  まさに原猿と同じである。
  (引用 http://www.rui.jp/message/04/27/76_860e.html) 

  更にこのような私権集団の閉塞→社会不全から来る「みんな不全⇒み
  んな期待」が既に顕在化しているとすれば、このみんな期待に応える、
  共認域の縄張り闘争が最先端の活力になるはずで、 
  (参照 http://www.rui.jp/message/05/43/06_dd9c.html)
  その萌芽形態が、若者を中心にした路上での見知らぬ人たちとの繋が
  り充足となって既に顕現化しているのだと思います。(同様の理由で、
  一般的に私権からの離脱度が大きい若者や女性の方が人見知り度が小
  さい) 

  共認域は、相手の期待を読み取り相手を充足させる事で初めて形成さ
  れます。つまり警戒心(→相手排除)とは逆の、相手の期待先ずあり
  きという構造です。 

  このような共認充足→みんな充足が最先端の活力源となりつつあるか
  らこそ、(そちらの方が衰弱した旧い構造を凌ぎ、より吸引力が大き
  いからこそ)旧い動物的構造から生まれた他者への「人見知り」が次
  代には急速に衰弱していくのでしょう。  

  http://www.rui.jp/message/06/36/61_12f6.html


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