メルマガ:【マスコミが伝えない事実】
タイトル:るいネットメールマガジン【 る い 】 [2003.10.28]  2003/10/28


□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□
 
      メルマガ 【 る い 】     [2003.10.28]
              http://www.rui.jp
 
□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□


─┬─────────────────────────────────
1  今週の注目投稿
─┴─────────────────────────────────
★「仕事・起業・共同体」の会議室では、生産の現場から立ち現れてくる
 新しい潮流について議論されています。
==================================================================

◇ 「踊る大捜査線」がヒットしたのはなんでだろう?  
             【阪本剛 ( 29 千葉 SE ) 03/10/28 AM00】
 
  露店で出たお題「ドラマ・映画『踊る大捜査線』が流行ったのは何故
  か?」について考えてみたいと思います。 

  ■会社を辞める若者の心理 

  一つのヒントは、主人公の青島刑事にあります。 
  彼は元サラリーマンです。IT関連企業で営業マンを3年やってきた
  のですが、企業組織にも、仕事にも意義を見出せない。 
  そんな彼が選んだのが、社会的意義があるであろう警官・刑事という
  職です。会社を辞め、3年間交番で一警官として下積みをし、いよい
  よ念願かなってヤル気満々、刑事という職についたわけです。 
  つまり、「脱私権集団」、「私権課題からみんな課題へ」という若者
  意識が主人公の背景にあります。 


  ■序列原理と私権課題で閉塞した既存集団 

  しかし、そんな青島刑事が直面した警察組織の現実は彼の期待を裏切
  ります。 

  せっかく自分たちの担当区域に事件が起こっても、捜査を仕切って手
  柄を得るのは本庁の人間。現場にいる自分たち所轄署の人間は言われ
  るままに動くことを強要される。企業で言う「本社・本店」と「支社
  ・支店」の関係そのままです。青島刑事が抜け出してきたはずの企業
  組織と同じ序列原理の現実に、彼は落胆します。 

  また、上に立つ上司たちは、自分の昇進試験の勉強や、自分の健康検
  査の結果などでアタマが一杯で、事件の捜査など眼中にない。 
  青島刑事が憧れていた、みんなの治安を守る統合組織。その一員たち
  のアタマには、私権課題、自分課題しかなかったことを知って失望し
  ます。 

  つまり、「既存序列集団の閉塞」、「統合階級の閉塞」という組織論
  がもう一つのテーマです。 
  青島刑事は、このような状況の中で、刑事に期待されているはずの課
  題と閉塞した集団原理の間で悩むことになります。青島刑事と対立し
  ていたエリートキャリアの室井刑事も、青島刑事に強く惹かれていき
  ます。しかし、最終回、青島刑事は現場で発砲したことを咎められ、
  降格処分を受け、交番勤務に戻ってしまうのです。 


  ■社会状況とのリンク 

  ところで、このドラマが放映開始されたのは1997年1月です。 
  この前年の1996年には自己破産急増、親がパチンコ中の車内幼児死亡、
  O-157食中毒事件、薬害エイズ問題、住専処理問題がありました。 
  1997年には、企業倒産過去最高、大企業・生保・証券会社・銀行の破
  綻連鎖開始(ヤオハン、日産生保、拓殖銀、三洋・山一証券)、動燃
  の爆発事故と、まさに「家庭」も「企業」も「国家」もガタガタを示
  す大事件が相次いだ頃です。 
  
  「踊る〜」は警察組織の描写が企業のそれを彷彿させるので、サラリ
  ーマン刑事ものという呼ばれ方をされるくらいですが、多くのサラリ
  ーマンやOLが自分たちの勤めている職場と重ね合わせたり、連続す
  る官僚的組織の不祥事を思い浮かべながらこのドラマを見たのでしょ
  う。 
 
  「踊る〜」はもともと既存の刑事ものと違って、派手なカーチェイス
  も銃撃シーンもほとんどありません。無敵のヒーローも出てきません。 
  しかし、「集団はガタガタ」「みんな不全の高まり」という社会状況
  とのリンクが、たった11話の(どちらかといえば地味な)テレビド
  ラマを、後にいくつものスペシャル版と、二つの映画版を生み出すヒッ
  ト作に成長させたのではないでしょうか? 
 
  http://www.rui.jp/message/06/35/41_c2d9.html


  --------------------------------------------------------------

◇ 自分課題と不可能視  
        【西谷文宏 ( 26 和歌山 建築設計 ) 03/10/25 AM01】
  ≪要約≫
  最近、露店でいろんな人のなんでだろうに答えているうちに、自分課
  題と不可能視は一体の関係にあるんじゃないかと思い始めた。 

  たとえば、「何をしても疲れるのはなんでだろう」を露店で選んだサ
  ラリーマン。上からは結果を出せと迫られるが、方針がない→どうし
  ていいか答えが無い→思考停止=疲れる。更に部下は言うことを聞い
  てくれない。上からは圧力をかけられるだけ、下はついてこないと言
  うこの構造。実現可能性など当然感じるはずもなく、「できるはずが
  ない、どうすればいいんだ」と言う不可能視ばかりが強まる。 

  このような状況にあっても、部下と一緒に考える、上を巻き込んで一
  緒に考える、集団みんなで考える、という「みんな課題の地平」に課
  題を捉えれば、実現可能性は出てくると思う。(もっとも、それがで
  きないのが私権集団たる企業の限界なのだが) 

  自分自身も、実感するところがある。これまで3年に渡ってある国家
  試験に取り組んできた。勉強することはそれなりに好きなほうだが、
  一人でやっていると継続しない。どこか「いつかは合格するさ」と捨
  象する回路が働き、「まあ今回の合格は無理だな」と不可能視にとら
  われていく。かつては、私権追求のベクトルで、勉強の活力を維持す
  ることができたのだろうが、もはや私権追求では活力がでない僕達は、
  それでは乗り越えられない。 

  今年は、同じ環境にある仲間に声を掛けられて、みんなで一体となっ
  て勉強に取り組んでみた。同じ時間に集まり、解らないところを教え
  あい、成果を確認しあう。ついてこれない仲間にはみんなで声をかけ
  る。このようにお互い圧力を掛け合った。 

  そうすると、「(自分自身が)合格する」と言うことが課題ではなく
  なり、「みんなで合格する」と言うことが課題となった。そこにはも
  はや「いつかは合格するだろう」と言う捨象回路は入りこむ余地は無
  く、どうすれば「みんな合格」を実現できるかという風に思考が変わ
  っていった。 

  今の子供達が一人ではなく、みんなで受験勉強をすると言う話がすご
  くわかる。一人でやっても活力は出ないし、不可能視に苛まされるだ
  けなのだ。 

  これって、社会変革でもいっしょだと思う。社会を変えようとか、な
  んとかしなきゃと思っても、自分一人ではなんともできない。自分課
  題の地平で捉えている限り、「社会なんて変わるはずない」と言う不
  可能視にどっぷりはまってしまう。 

  でも街に出て、いろんな人と「なんでだろう」を考えると、みんな
  「なんとかしなきゃ」という当事者欠乏を持っていることがわかる。 
  今の閉塞に満ちた社会を変えるということは、自分課題なんかではな
  く、みんなの課題であることを強く感じる。それがわかると活力が出
  てくる。実現可能性に向かっていける。 
 
  http://www.rui.jp/message/06/34/33_1425.html


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
※【 】内は投稿者名・プロフィール・投稿日時です。
※配信アドレスの変更、配信中止は、以下のページにて可能です。
 http://www.mailux.com/mm_dsp.php?mm_id=MM3E9C2C446CC9D
※お問い合わせは「るいネット編集部」ruinet@rui.ne.jp まで。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◇るいネット⇒ http://www.rui.jp

ブラウザの閉じるボタンで閉じてください。