メルマガ:青い瓶の話
タイトル:「青い瓶の話」 No.65  2004/04/24


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 ■■■                  青い瓶の話
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 ■■■                                                   常緑樹の下で。
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                                                 2004年4月24日号 No.65
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●青瓶 2504,2505
○緑坂
●「緑色の坂の道」vol.2512,2513
○青瓶 2506
 北澤 浩一

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青瓶 2504
                無限都市、ニューヨーク。




■ 薄暖かい気もするが、それはセントラルヒーターのせいで、窓からは角のと
れた冷気が入りこんでくる。
 昨日からずっと頭痛が続いていて、錠剤の薬を何度かかじった。
 今、「MAXIMUM CITY.THE  BIOGRAPHY OF NEW YORK」という本が手元にある。
 マイケル・パイ著。安岡 真 訳。文藝春秋社刊。
 そのカバーのモノクロ写真は、組み立てている最中の摩天楼の鉄骨の上に男た
ちが並び、シルエットとなっているものである。エンパイアかクライスラーか。
 いずれにせよ大恐慌の直前、男たちが安全帽の代わりにハンチングを被ってい
た時代である。背後には、中低層のビルの群れが低く広がる。
 元になっている写真を、どこかで見た覚えがあると書棚を捜したが見つからな
かった。



■ 写真には鎮静の効果がある、と書いたのは確かスーザン・ソンタグだった。
 彼女の論と用語は難解で、何度か読み返してもまっすぐに胸には落ちてはこな
い。断片に光るものがあって、それだけは覚えている。
「写真に撮られたものはたいがい、写真に撮られたということで哀愁を帯びる。
(略)朽ちて、いまは存在しないがために、哀愁の対象となるのである」
(「写真論」スーザン・ソンタグ:近藤耕人 訳:昌文社:23頁)
 つまり「写真は全て死を連想させるものである」からだが、ひとはそのことを
なかなか意識しようとはしない。
 ソンタグより後年、ロラン・バルトは「明るい部屋」の中で、母を題材としな
がら独特の甘美ともいえる文体でその立証を試みた。



■ 今日は風が強かったが、夕方から降り始めた。
 仕事場の窓ガラスに水滴がたまっている。
 向かいに広がる庭園には、数本の満開の桜が水銀灯に照らされ、その手前には
影になった大きな銀杏の樹がある。
 縦に落ちる水の音。
 私はといえば、自分が撮った写真について、漠然と考えている。
 仮にNYのものだったとしよう。始めはその全てを公開していなかった。
 広告に転用するという要請もあるが、ポジからの選択の際に自然に編集、省い
てしまうのだ。ある種自主規制にも似た、分かりやすさとテーマを意識していた
のかも知れない。
 ブレッソンや木村伊兵衛は、何枚も撮ったものの中からこれだという一枚を選
んだという。写真の姿勢としてその対極にあったと言われる土門拳も、膨大なフ
ィルムを消費した。だがそれは、写真が絵画に対してその芸術性をいささか背伸
びして主張しなければならない時代の要請ではなかったかという気もする。
 写真が芸術か、という問いかけが今日妥当かどうか。
 問いかけるまでもなく、写真は万人に開かれてもいるだろう。それはその他の
芸術も同じだ。
 いわゆる「グラウンド・ゼロ」以降、私はNYにゆく機会があった。
 ゆくことが可能だったという意味でである。
 仕事絡みでもそうでなくても、ゆくだけならばただの移動だろう。何故かはわ
からないが私はその機会を見送っていた。
 今も、まだそうではないと感じている部分がある。


04_03_30

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青瓶 2505
                無限都市、ニューヨーク 2.




■ 音のしない夜だ。
 仕方なくアンプのスイッチを入れ、誰のだか分からないカクテル・ピアノをか
けている。
「DELIRIOUS NEW YORK」(「錯乱のニューヨーク」鈴木圭介訳:ちくま学芸文庫)
という本がある。レム・コールハースという建築家が書いたものだ。
 冬になろうとする頃合い、明け方近い六本木の書店で背中を丸めながら求めた。
 第一部は「コニーアイランド」
 マンハッタン島と向かい合うこの地域は、19世紀末からの橋の開通と輸送手段
の進展によって、大衆にとって身近な場所となる。
 できたばかりのブルックリン・ブリッジ。
 ルナ・パークという一大遊園地がその向こうには広がっている。人工の砂浜。



■ コニー・アイランドがどんな場所であったのか、それを仔細に語るのは煩雑
なので省く。
 毎日が万博というような、そこにいつしか、写真家のダイアン・アーバスが撮
った異形のひとたちが笑いながら集まり、食事をし、イルミネーションを見上げ
ていた場所。
 近代化への小児的な夢と、人間が持っている根源的ないかがわしさが並立して
いたところ。とでも想像するしかないのだろうか。
 アーバスは、「ハノイ爆撃」のバッチをつけて戦争賛成のパレードに参加する
少年の姿を撮った。少年は笑っているのだが、その笑いの向こうに彼のプア・ホ
ワイトの生活が透けて見える。退職した年金者パーティでの、社交ダンスの王様
と女王。
 これらは風景としてどこか切断され、見るものに内的な違和を与える。
 彼らにとっては普通のことなのだが、やはりどこかでグロテスクなのだ。
 アーバスの写真というのはおそらく、こちらの市民社会性、あるいは中産階級
の自惚れのようなものを内側から崩そうとするものなのかも知れない。



■ いつだったか、大阪に取材にいったことがある。
 地下鉄で南下して、動物公園駅前で降りる。
 そこから通天閣界隈を撮影し、いつのまにか西成地区、職安の二階に入り込ん
だ。そこには浮浪者が簡易ベットを並べ雨零をしのいでいた。
 私はカメラバックを持っていた。ニコンをぶら下げてもいた。ただし、ファイ
ンダーを覗いてフレーミングすることはできない。腰の位置で広角レンズによる
置きピンを試す。
 交番の窓ガラスには金網が張ってある。職安前には、市役所の職員が青テント
を強制撤去する作業が進んでいる。廻りに集まる人垣。時折低く入る罵声の声色
が、まだ動きはしないだろうことを教えている。つまりは日常なのだろう。
 二時間ほど歩き、フィルムを三本消費し、露天で売っているグンゼの白いブリ
ーフを一枚買い、LじゃないんだMはないのかと言い張った。質屋で売っている
ようなブリーフだった。
 それからエロビデオの露天販売を数本ひやかし、学園紛争の時にみかけたフォ
ントで描かれた縦看板の横に座り込んで通りを眺めた。
 ここが多分支援団体の事務所であり、最も敏感にカメラを拒絶する場所であろ
うか。
 取材なのだ、という気分を自分で持たないようにしている。
 隣に男がいて、多分私よりも若い。
 膝を立て、肘の中に顔を埋めている。薄く唸ってもいるようだが、こちらには
聴こえない。数日青カンを続けた気配がある。
 私は煙草をアスファルトで消し、二口飲んだペット・ボトルのお茶を男の傍に
押しやって、いるかい、と低く尋ねた。断られたら別に無視をするつもりでいた。
 男は顔を上げ、うなづく。
 それも、どうでもいいことだと思う。


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緑坂
                五月。




■ 外は雨が降っている。薄く窓を開けて、庭先のあざみの花を眺めている。な
んで今時あざみの花が、といぶかったものの、そのすぐ後には、さっと雨の音が
きこえた。
 先日、東京から地方に向かう途中のこと、前橋を過ぎたあたりから霧が深くな
り、峠を越える頃には高速が使えなくなった。雪どけのしめりけが夜になり霧に
変わるのだろうか。黄色い補助灯をつけながら、深夜の国道を飛ばしていると、
いまではなくてここではない、不思議な気分になってくる。
 霧というのは流れるものだ。五月を過ぎるとこの辺りでは、山の中腹に、うす
ももいろの山桜が色をつける。遠くから眺めていると、ただ色をそこに置いただ
けのようにも視えるが、定まるには、いくたびか春の嵐を待たねばならない。


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                フォグ。




■ 濡れた路面というのは何処か艶めかしい。
 水の中から夜を覗きこんだように曖昧でもある。
 黄色い補助灯をつけて坂道をバスが昇ってくる。
 すこし粘っこい声が聞こえたような気がしたが、空耳だった。
 マスカレードを歌っている。


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                帽子の少年。




■ 終夜営業のコンビニの前に少年が立っている。
 煙草を買おうとして、人目を避けている。
 彼の父も母も、まだ若いのだと思われる。


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                東金ホテル。




■ 雨の夜に九十九里に行って、帰るのが億劫になった。
 もともと何をしにいったのでもないから、泊まることにした。
 土曜の夜だというのに、〈空〉の表示が目立つ。
 塩ラーメンと餃子を食べてから、手近な処に入る。



■ 有線が入っていた。
 連れの好みを聞かずに、古い流行歌のチャンネルにした。
 コモエスタ赤坂。
 髪が黒々として、ネクタイが派手そうな感じだった。
 窓を開けると、雨はかなり降っている。
 このままここに居ても良いような気がした。


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緑坂 2512

                常緑樹の下で。



■ ゆっくりと風の湿るのを待っている。



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緑坂 2513

                濃い紫色の花。




■ が、好きだという女。
 肉のない背中。



■ 雲が低くなってきた。
 東から雨が近づく。
 常緑樹はふたつの風に揺れていて、眺めていると身もだえをしている。



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青瓶 2506
                無限都市、ニューヨーク 3.




■ 随分と前、マゾの気配が強い女を連れ、千葉の遊園地の裏手にいった。
 多分朝方に近かっただろうと思う。
 高速を降り、遊園地の脇道をまっすぐ下り、海に近づいてゆく。
 路面には焼かれたガソリンの跡が残る。
 捨てられた車の窓ガラスの破片が綺麗だった。
 ゆるゆると車を走らせ、暫く経つと停める。朝日を浴びているガスタンクが原
っぱの真中にある。
 私はトランクから三脚を出して、一枚を撮った。
 女は脇に立ち、今いったような顔をして風景を眺めている。



■ 1911年5月、ドリームランドは焼失する。
「世界の終末」ファザードに出演する悪魔達を照らすライトの配線がショートし
たからだが、観客はこれもまた演出のひとつだろうと疑わなかった。
 消防士の活躍を芝居仕立てで見せる、雇われ俳優たちが真っ先に逃げ出す。
 ポンプの水量は追いつかない。
 動物たちは、調教が旨くいっていたおかげで全滅する。象、カバ、キリン、ラ
イオン。炎の中でどうすればいいのかは、鞭と餌は教えなかったのだ。
 三時間後、ドリームランドはその姿を消す。
「DELIRIOUS NEW YORK」(前掲)この39頁の写真は圧巻である。
 くすぶりながら、なおも何処かで美しい。
 これは、マンハッタンの原型が焼け落ちた姿であった。


04_04_01

NYデザインポスター「甘く苦い島」 Insula Dulcamara 
http://kitazawa-office.com/Give/Give02.html

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■「青い瓶の話」                              2004年4月24日号 No.65
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