メルマガ:青い瓶の話
タイトル:「青い瓶の話」 No.60  2004/02/29


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 ■■■                  青い瓶の話
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 ■■■                                                       赤電車。
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                                                2004年2月29日号 No.60
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●「二月の電線」vol.1

○「二月の電線」・平良 さつき
○「二月の電線」・松川 勝成
○「二月の電線 前編」・戸越 乱読堂
○「乾燥」・榊原 柚
○「青い瓶の話」vol.2501 

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●「二月の電線」・平良 さつき


 喉の渇きで目が覚めた。テーブルのコップには透明な液体が残っている。部屋
に降り注ぐ月の光は、少しだけ心を楽にした。太陽に晒される残り酒は、とても
つらい。
 すぐにでも布団にもぐりこみたい。ベッドへ向かえないほど飲みたかったわけ
じゃない。一息にコップを空にしてしまう。これでもう、明日目覚めても平気だ。
窓ガラスのむこうで、蜘蛛の糸のようにきらきらと電線が揺れていた。


平良 さつき:taira.s13@mbh.nifty.com
青瓶デスク

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●「二月の電線」・松川 勝成


 大学を受験した。
 全てが終わったとき、こんな事のために、高校三年間と浪人時代を過ごしたの
か……という感慨は全くなかった。

 受験に関する準備を全くしなかった三年間のつけで、必然的に浪人という何と
も素敵な響きの地位を頂だいすることになったわけだが、名誉は授からなかった。
それでも、フリーターなんていう、トホホの呼び名でくくられないだけ、言い訳
をせずに済み、幸せだったかもしれない。
 とにかく、現役合格というシナリオが予定通り破綻したとき、私には大きな選
択権が二つもあった。働くか!否か!だ。私は0.0001秒弱くらいの素早さで、浪
人の銘を拝受することをチョイスした。

 しかし、働かなかったかと云うと、そうじゃない。今よりも働いていたのでは
ないか?と思えるほど、色々やった。それも、大阪から東京へ上京するための
費用や、日々の生活費や、予備校代や、飲み代や、そして受験費用と入学金を工
面するために、だ。期間は一年間しかない。飲み代を切り詰めることなど論外の
私。しかし、脳を活性化し、ナポレオンや枕草子や、はたまた現在過去完了形と
も仲良くやってゆくには、飯も食わねばならない。あ、アパート代も。
 そうなると、ちんたらと予備校など行っている時間などないのは、ご理解頂け
るものと確信している。あくまで一例だが、ある月曜日。二日酔いの頭をふって
午前四時起床。ま、前の晩が日曜日だからではなく、日常なのだが。朝、朝刊を
配る。その前に、折込広告を優しく素早く手で差し込む。朝メシ。シャワー。全
自動の洗濯機(新聞配達所所員共有)にパンツと靴下以外の全ての衣類をぶち込
む。出かける。その日は、姉御(後にご紹介)の家に行き、掃除、洗濯、朝食の
用意。肩もみ。XXXは丁重にお断りし、最後にお茶を入れる。これもコストパ
フォーマンスの高い「仕事」である。次に売店(配達ばかりではなく、商店街に
小さな売り場がある)の兄貴(五浪か六浪だったか)の手伝いでリヤカーで昨日
売れ残りの新聞、週刊誌と今日、今週分の入れ替え作業。昼は素うどん二杯なり。
昼寝。ここで寝ないと死ぬ。三時頃起きて、近くのブルース喫茶をひやかして、
午後四時。夕刊配達。夜メシ。その後、裏のキャバレーでバイト。この日は、ド
ラムを叩くより、ひたすらボーイに徹する。うるさい客から姉御たちが守ってく
れる。女性の偉大さを学ぶ私。風営法など影も形もなく、どっぷりと深夜。後片
付け。あー、あと一時間で朝刊がくる。

 ここまで、あっと云う間に一日一日が過ぎていったのも、全て、受験のためだ
ったのか?
 八王子の高台にある白亜の校舎のデッキに立ち、あー、受かったな、と思うと、
学校は行くにしても、何して生きて行こうか、と真剣に考えた。周辺に蠢く終っ
てから単語帳をめくって答えを探している輩を見て、「もう終ったんだから、今
見てもどうせ落ちてるんだよ」と諭してあげようかと思ったがやめた。同世代の
人間には思えなかった。

 このときになって初めて、受験のためにではなく、ただ生きるために高校三年
間と浪人時代や、それ以前のせいぜい十数年が存在してたのか、と判ったような
気がした。

 さっさと大阪に帰らなければならなかった。一週間ほど休みをもらい、仲間に
迷惑をかけた。大阪で受験しているヤツらは朝夕の配達をこなしているはずだ。
今夕の配達には間に合わないが、明朝のチラシの準備をしないと食べて行けない。
鉛筆を持ち続けた指は、すでにチラシを求めて心なしか湿り始めている。
 過保護なつまらない戦いは終った。本当の、いつもの、真摯な戦いの場が待っ
ていることに、ただ働いて、食って、生きていることが心から嬉しく思えた。

 改めて見上げた空を横切って、工事中の電線が二本、バタンバタンとぶつかり
合っていた。単語帳より、煤けた二本の電線からこそ、学ぶことがあるのではな
いだろうか。


松川 勝成:keimidori@hkg.odn.ne.jp
会社員

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●「二月の電線 前編」・戸越 乱読堂


 公民館のだだっ広い部屋の隅に置かれただるまストーブにあたりながら窓の外
を眺めている。火事があったのは何日前だったのか?喧騒と興奮の日々が数日、
放念と疲弊の日々が数日続き、今では随分前からずっとここで暗い雪景色を眺め
ていたような気分になっている。

 全焼した旅館の跡地は平らになってしまった。焼け跡はその後に降り積もった
雪に覆われて周囲の景色に溶け込んでいる。通りすがりの者が見れば元からそん
な景色だと疑いもしないだろう。火事があった名残は一本だけ焼け残った黒焦げ
になった電信柱の残骸だけだ。黒い幹から細い枝木が腕のように出ていて、切れ
た電線が吹雪の中で舞っている。背が高く痩せた魔女が狂ったように鞭を振り回
しているようだ。鞭は風を切り、悲鳴のような声をあげている。目に見えない雪
女が鞭に打たれて泣いていたのかもしれない。

 田舎町の商人宿に泊まっていた。泊り客は私の他に二、三組いたが、みな近隣
の行商人らしく一段落するとどこかに去って行った。警察や消防の事情聴取があ
り、見舞金や保険金がすぐに出ないと言った理由で二週間ほど公民館に寝泊りす
るはめになった。身分を問われれば学生だが、授業に出なくなって、実態は遊び
人だったので先のことなど何も無いので困りはしない。当座の着物などは旅館で
揃えてくれたし、三食付いて無料の宿にいるようなものだ。

 もう一人残ったのは小柄な老人だった。短く刈り込んだ髪はごま塩で、浅黒い
顔は皺だらけだった。七十を超えているようにも見える。この辺りでは気候が厳
しいせいか、都会人などに比べると実際の年齢よりも老けて見える。あるいは
五十歳くらいなのかもしれない。最初は無口だったが二、三日するとぽつりぽつ
りと話し掛けるようになった。初めは、私の身の上についていろいろと聞いてき
た。隠すようなこともないし、若造に語るべき人生など無いに等しい。話の種は
すぐに尽きた。私には他人の素性を詮索したりする趣味は無い。問われたことに
応えるだけだった。やがて男は、なんとも面白味の無い話し相手に呆れたのか、
問わず語りで話を始めた。彼がこれまで経験した火事の話だった。

「最初の火事は、オレが三つか四つの冬だった」と男は話し始めた。

「布団に入っても寒くて寒くて、ようやく体が煎餅布団と折り合いをつけて寝入
ったと思ったらいきなり肩口をつかまれて揺り起こされた。目を開けると母親が
恐ろしい顔をして顔をのぞきこんでいた。地を這う雪嵐の音の間に間に、半鐘の
音が聞こえたような気もするが後でそう思っただけかも知れない。母親は口もき
かず、寝巻きの上に普段着を何枚か重ね着させて、オレを寝んねこ半纏にいれ背
中に背負った。普段は緩くしばるけれどこの日は息が止まるんでないかと思うほ
どきつくおぶられた。その上から水に濡らした角巻きを被った。寒かったさ、そ
れは。それですっかり目が覚めた。これで、辺りが見えなくなった。角巻きの端
のひらひらした糸くずみたいなところから時々少しだけ外の様子が見えるだけだ
った。水を含んだ角巻きが外側からパリパリ凍リ始めた。こんな時間になぜ外に
出るんだかまだ分んなかった。一家心中かなとかも思った。その頃多かったのさ、
心中とか娘さんの身売りとかね。そのうち、角巻きの布越しに辺りが赤く光って
いるのが見えた。火事なんだとそれで初めて分ったわけ。北海道は昔から大火が
多かった。函館なんて何度も町ごと焼けたっしょ。おふくろの息が上がってくる
のが背中でも良く分った。最初は寒かったのがおふくろの体温と辺りの火の気で
暖かいから暑いくらいになったさ。どれくらい経ったか分らないけど、おふくろ
が座り込んだ。角巻きの隙間から雪の地面が見えて分った。泣き出したのは随分
経ってからだったよ。いや、オレでない。母親が泣き出したのさ。安堵したんだ
ろうな。泣き声聞きながらオレは眠ってしまったみたいだ。翌朝目が覚めたのは
朝日のせいだ。オレはおふくろに抱かれていた。周りに雪で囲い作って寒さをし
のいだんだな。体をよじって雪の原に立つとお袋はやけぼっくいに寄りかかって
寝ていた。

 これが最初の火事だな。地図にも名前が出ないような開拓村だったけどこの火
事で30人ほどいた村人は散り散りになった。この後ウチらは静内の方に流れてい
ったんだ」

 蒸した馬鈴薯を齧り、番茶を啜りながら男は途切れ途切れにずいぶん時間を掛
けて話してくれた。頼りの無い聞き手だったと思う。相槌を打つでもなく、質問
したりもしない。途中で居眠りしないだけが取り柄というところだった。本一冊
すらなく、新聞も何日か前に数日分が届いて以来、配達人が来ない。することが
ないので睡眠時間はいつも十分なので昼間に眠気を感じることは無いからだ。

「その村でのことだけど…」男は突然話を始めた。
「その村って?」思わず私は尋ねた。
「いや、焼け出されて移った静内の近くの村さ」

 男が最初の火事の話をしたのは前の日のことだった。その続きを話すらしい。
彼にとっては半日以上の沈黙はちょっと一休みと言う感じだったのだろうか?

「その頃うちは共同浴場をやってた。母親はそこで風呂屋と再婚したのさ。昔は
近くに砂金が取れたこともあって一攫千金を狙う流れ者が多く住んでいたんです。
住むといっても河沿いにむしろがけの小屋だけどね。夏でも夜は冷えるので銭湯
は繁盛した。内風呂がある家なんて数えるほどだし。村人と流れ者が諍うことも
なく、仲良く使っていた。それに流れ者たちは村人に比べると風呂に来る時間が
早かった。日が落ちる前には店の前に並んでた。綺麗好き?いや、そうではない。
体を温めたかっただけっしょ。冷えた体では酒が回るのも遅い。そうすりゃ沢山
飲まなければならない。湯上りならすぐに酔えて、その勢いで眠るのさ。火事に
気づいたのは店を閉めて湯船を洗っている時だな。二、三軒先の銃砲店から出た
火だった。パンパン鉄砲の音が先、火を見るよりもね。最初はボヤだ、すぐ消え
るだろうと思っていたんだが、鉄砲の弾とか火薬が多かったんだろうね。すぐに
火勢が強まってあとは手のつけようがなかった。燃え始めから道具を持ち出して
いれば助かったんだが、最初は風上だったので一家揃って野次馬やっちまって。
風向きが変わったと気がついた時には逃げるのが精一杯で、また身一つの焼け出
されと言うわけだ」

 話し終えると男は左の耳に挟んだ朝日を手にして吸い口を十字に潰して口にく
わえ、だるまストーブの肌から火種を取った。ゆっくりと時間をかけて吸い口の
ところまで律儀に吸ってから、木で作った枡形の灰皿に朝日を何度もこすりつけ
て火を消した。

「タバコが多いんだよ」独り言のようだったが、私は思わず「え」と聞き返した。
「いや、火事の原因が。一番は付け火、二番目がタバコの火の不始末だと」吐息
に最後の煙を乗せて、男はかすかに笑った。
(後編へ続く)


戸越 乱読堂:fabulousboy@anet.ne.jp
隠居(編集部注:願望であります)

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●「乾燥」・榊原 柚


 終電車から流れ出た人が、駅の階段を降りてくる。踊り場では女の子が、携帯
で赤い月を撮っている。男が、黒いロングコートでミニスカートの女を包んで佇
んでいる。
 そんなことはどこにでもある。誰にでもある。
 乾燥した風が強く吹き、私は駅前で自転車の鍵を開けるのに難儀している。

 彼女は、かつて結婚していたことを話した。あざを発見してしまわないよう、
私は故意に視線を濁らせていた。彼女はやさしかった。絶大なる配慮を尊敬し、
勧めるに任せて飲んだ後、別れ際の握手は真冬のように冷たかった。

 坂を越えるには、腰を上げて立ちこぎをする必要がある。
 体重を掛けるに従い、目の前に広がる深い沼、それを囲む湿った渕を感じる。
スピードが停滞し、前輪から泥にめり込んでいく。
 感じたのは、あきらめた人から出る光だったのか。今、荷台にもし、彼女を乗
せていたら、ゆっくりと泥に埋まっていくだろう。自分も彼女も少し、暖を取れ
るかも知れない。泥の重い温もりの中に、目を閉じ、手を互いの体に回して、自
然に息を止めるだろう。

 沼地を過ぎて、坂を下り、喉の痛みは増すばかりだった。
 焼酎を飲みすぎたからだろう。


榊原 柚:ur7y-skkb@asahi-net.or.jp
青瓶デスク

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青瓶 2501

               東京の印象。




■ 空は曇っている。
 どうということもなく、外を眺めている。
 本青瓶の最終編集をしていた。
 ヘッダにあるコピーをどうしようかと考えていると、本棚から黄ばんだ文庫が
落ちてくる。



■ 社会思想社の教養文庫「東京の印象」(本間國雄 著)は、甘木君の説では
既に絶版だという。甘木君とは、かつて読売の文芸フォーラムを手伝ってもらっ
ていたイタシカタない若者である。先日久しぶりに会うと、出世して背広などを
着るようになっていた。イタシカタない大人になったものと思われる。
 本間氏の「東京の印象」は、とりたてて名文ということでもない。
 通読するにはやや密度が足りず、短文ひとつに一枚ついている挿絵もまたその
ようである。中公文庫から出ている「残される江戸」の挿絵は無名だった頃の夢
路だったと記憶しているが、そこまでの芸風は確立されていない。
 ただ、僅かに残る隙間のようなものが、時々引っ張り出してきて眺めるのに都
合がよいのである。二三枚めくってはまた棚に戻した。

  □ミルクホール
  滋養になるという為でなしに、東京の人ほどミルクホールに這入るものはな
  いと思った。けれどもだんだん注意して見ると、それは皆田舎出の若い人々
  であった。私も過去を振り返って見ると、東京の深味を味わうことに就いて、
  何だかミルクホールから教えられたようにも思っている。
  (「東京の印象」本間國雄:社会思想社発行:192ページ)


■ 銀座の界隈には「赤電車」と呼ばれる都電が走っていた。
 どのような色だったのか、すこし鈍いものを想像している。
 大正期の電線は、低いところにあったのかとも思う。


04_02_28
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■「青い瓶の話」                              2004年2月29日号 No.60
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□編集長:北澤 浩一:kitazawa@kitazawa-office.com
□デスク:榊原 柚/平良 さつき/三浦 貴之
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