メルマガ:青い瓶の話
タイトル:「青い瓶の話」 No.43  2003/07/14


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 ■■■                  青い瓶の話
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 ■■■                                                   雨夜、風鈴。
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                                                2003年7月14日号 No.43
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●Press Release 「ON THE BEACH, TO THE CITY」
○「生誕」・渡邉 裕之

○「境目」・鈴吉
○「信頼に基づくブランド」・小嶋 啓一
○「瞳に含まれるもの」・平良 さつき

○「緑色の坂の道」
○青瓶 2485
○青瓶 2486
○「夜の魚」(yoru-no-uo)
 北澤 浩一

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●Press Release

■雑誌案内
 エクスナレッジ発行の建築デザイン誌『X-Knowledge HOME』VOL.18(7/10売り、
定価1200円)で、渡邉裕之の季節限定連載「ON THE BEACH, TO THE CITY」が始ま
る。気鋭のアートディレクター角田純一がつくる鋭い誌面で、海の家をめぐるテ
クストが、新たなレベルに浮上する。

○内容
 徹底化した高密度空間が広汎に普及することによって、現在の都市は季節感を
失っている。
 海の家という夏だけ登場する空間は、四季の移ろいに鈍感になった私たちに様
々なインスピレーションを与えてくれるだろう。
 そして三浦半島、葉山の海岸で出現してきている「ニュースタイル海の家」。
 明日の英気を養うために労働者とその家族が集まった海水浴の海の家から遠く
離れて今あるのは「くつろぎと友愛のためのスペース」。
 第一回目は、その独特なセルフビルドに注目する。脱力しつつ建築する若者た
ちの身振りに光を当てる試み。
→問い合わせ:渡邉 裕之:hiro-wa@qa2.so-net.ne.jp


●渡邉さんの夏の定番である。昨年青瓶編集部は、葉山の海の家で、作家の倉本
四郎さんにお会いした。「脱力しつつ建築する若者」という渡邉さんのフレーズ
が言いえて妙。脱力クンの夏(北澤)。

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○「生誕」・渡邉 裕之


 明日の4日は引き落としの日であり、残金は当然足らぬから、カードは明日を
境に使えなくなる。ということは、まだ限度の金額までいっていないキャッング
も使えなくなるわけで、それはまずいと思い、営業の帰り一緒に乗っていた専務
に嘘をいって車から降りてもらい、銀行に向かって車を走らせた。

 カーラジオからはメキシコ、カメルーン、ギニア、アンゴラ、チリ、パキスタ
ンという国の名前が流れてきた。イラク戦争をめぐる国連安保理における中間派。
戦争をしたいアメリカやイギリスと、それを権勢するロシア、フランスの間にあ
って微妙なことをいっている連中。日本の政府はアメリカが提出した修正決議案
に賛成させるために中間派を説得しているんだと。その説得方法が政府のODA(途
上国援助)をチラつかせる作戦! 借金だらけの日本が。

 メキシコ、カメルーン、ギニア、アンゴラ、チリ、パキスタン、メキシコ、カ
メルーン、ギニア、アンゴラ、チリ、パキスタン。

 そんな呪文をATMの順番を待ちながら呟いていると、思わず「井上君?」といっ
てしまった。中学の時の友人に似た顔の中年男が行列の先頭にいたのだ。あいつ
はその頃から老けた顔だった。男が機械の前に歩き出し不機嫌そうに暗証番号を
打ち込みだしたのである。

 中学校の帰り道、突然同じクラスの老け顔の井上君が「実は自分は、野口英世
の生まれ変わりなのではないかと思っている」といいだしたのだった。私も思わ
ず「ええ!」といおうとした時に、なぜか一緒にいた手塚君も「僕もそう思って
いたんだ」というのだった。

 ビートルズの『ラブ・ミー・ドゥ』のハモニカの演奏を聞いていると、頭の中
でボルト&ナットの大きなナットが山道をゴロンゴロンとやってくるところが浮
かぶんだと、急にいいだす井上君がそんなことをいうのはわかるにしても、三島
由紀夫など日本文学を嗜む手塚君もそうだったので、私はなんだかただならぬ感
じがして「僕もそうだったんだよ」とは到底いえるものではなかった。

 昭和40年代の日本、「自分は、野口英世の生まれ変わりなのではないか」と思
っている子供が何人もいた。その理由は野口の伝記映画にあったと思う。映画の
中のあの幸福な場面のせいなのだ。

 私たちの年代は、視聴覚教育のひとつとして野口英世の伝記映画を小学校で見
せられていた。暗幕をもってきて教室を暗くし、そしてやはり運び込んだ16ミリ
の映写機で映し出す映画だった。子供たちが乱雑に引いた暗幕からは光がなんと
なく漏れ技師が操作する映写機の中を通っていくフィルムの走行もたどたどしい。
そんな映写状態だからこそ、あの問題の場面は神々しいまでにモノクロ映画の美
しさを示すのだった。

 カメラは移動しながらその場面に入っていく。寒村に立つ民家の中、藁で何か
を編んでいる野口の母親である農婦の横を通り過ぎたカメラは次に囲炉裏端にひ
とり遊んでいる幼い子供を捉える。田園を思わせるゆったりとした音楽がしばら
く続くと、突然何か異変を感知した子鹿のように楽曲が素早く反応する。それを
きっかけに無心に遊んでいる幼児が囲炉の方へと移動していく。

 音楽が高鳴る。子供が囲炉裏に落ち、突然の激しい鳴き声。音楽が転調し画面
の向こうから母親が走り込んでくるのが見える。

 それが惨事だからこそ、起きる数秒前のなんともいえない農家の幸福感が、野
口英世の伝記映画を見た子供にはより深く心に残るのである。囲炉裏で燃える火
の暖かのせいだろうか、それとも映写状況の悪さが醸し出す場面全体を覆うぼん
やりした乳白色の光のせいだろうか、思い出すだけで眠くなってしまうような幸
福感に包まれるのだった。それは多くの子供たちにとって、あまり時間のたって
いない幼児期の微睡みを思い起こさせただろう。その中の何人かは、映像の快楽
と記憶が重なった部分を回路にして前世という世界に踏み込んでいったに違いな
い。

 小学生の私は夜眠る前、前世の自分を想像してみた。布団に入り呪文を唱えな
がら。フィラルディア、コペンハーゲン、ロックフェラー、エクアドル、ペルー、
ブラジル、メキシコ、ガーナ。偉人伝に出てきた外国語である。黄熱病の研究で
世界中を飛び回りそしてアフリカのガーナで研究対象である黄熱病によって命を
落とした野口を、私は、どこかでシュヴァイツァー博士と混同していたかもしれ
ない。真っ黒い顔をした人に暖かく囲まれて、顕微鏡を覗いたりオルガンを弾い
ている前世の自分がいたりした。

 高校生になると、映画はニューシネマになっており、昨年まで夢中になってい
た若いカウボーイの青年が実は残虐卑劣な輩で、インディアンがシェイクスピア
の一節を暗記している知的青年であるような時代になっていた。野口英世も酷い
借金魔であったことが書いてある本が出版された。そのことに衝撃を受けなかっ
たと思う。自分も井上君も手塚君も、前世などよりも女子の動きが目につき、そ
の体にあるという今生への出口ばかりが気になる年頃になっていたわけで。

 フィラルディア、コペンハーゲン、ロックフェラー、エクアドル、ペルー、ブ
ラジル、メキシコ、ガーナ。

 井上君に似た男が使っていたATMの前に立ち、キャッシングできる最高額7万円
を下ろして息をつき、ふとみれば明細書の紙ぺらが機械の上に忘れられていた。
見ると残金は1955円の額だった。あの井上君は、ここ数日、この数字をずっと頭
に刻んでいくだろう。

 1955、1955、1955、1955……。その数字の並びが、つらかった。


渡邉 裕之:hiro-wa@qa2.so-net.ne.jp
ライター

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●「境目」・鈴吉


 長浜沿いの国道を抜けて漁港がある。境を防波堤が海に向かってのびている。
階段の脇の自販機で缶コーヒーを買い、上に登った。端まで歩くと人の気配はな
い。潮風が体を打った。湿気で右の肩がうずいた。背中がまだしびれている。缶
を握ってせんべい状につぶすと、鼻から血が数滴落ちた。リストバンドでそれを
ぬぐった。赤色の布が毛羽立ったまま固まった。右の遠くには、市場に漁船が何
隻か停泊している。魚と氷を輸送する大型トラックがそばに何台か停まっている。
市場は昼を過ぎて静かだった。昨夜の騒ぎがなかったように見えた。

 高校を出るとしばらく街をうろついていた。勤まらず親類の海鮮工場でアルバ
イトをしていた。早朝暗いうちに起きて小型船舶で沖へ出る。軍手を三重にはめ
て、その上から堅いゴムの手袋をつける。牡蠣が連なった縄を何本も引き上げる。
沖に出ると、海の底へ、牡蠣を繋いだ縄が濃い海草が群れた奥へとのびる。初め
てそれを見て、なぜか引き上げそこねた振りをして海へ落ちた。牡蠣の殻で体中
切り傷だらけになった。一緒に沖に出た叔父に引き上げられ、何度か顔を殴られ
た。

 沖から戻ると、しばらく休憩になる。いつも肘や二の腕から血が流れている。
工場の裏手に山を背にした体を流す水場がある。いつも裸で水を浴びた。工場の
若い女がやってきて、男振りがいいとほめる。二年年上の知った女だった。金色
の乾いた髪をして、手の甲に小さな火傷がいくつかあった。子供ができ、暴走族
を引退した同年の男と結婚したらしいが、すぐに離婚したという噂を聞いた。俺
はその男と親しい時期があった。同じ仕事をしていたが、男は西の方へ行って戻
ってこなかった。

 女は牡蠣をいじった自分の手は汚いと、舌で血を舐めとった。しょっぺえよぉ
と笑って腕に組みつく。やめろやと腕を払うと、腕がふてえなあ、濡れぢまうわ
とまた血をすすった。そのまま女は勃起したものをくわえた。口で一度射精した
後、山を少し上がって杉の林の奥へ行く。赤い結い縄が巻かれた大きな神木を背
に、立ったまま向かい合った。繋がった部分がよく見える姿勢が好きだと女は言
った。終わると、女の持ってきた握り飯を食って、工場へ戻る。昼を回って仕事
が終わると、夕方には眠くなる。早朝目が覚めて、また仕事に出る。そうして一
年過ごした頃だった。


鈴吉:daisuke-gotoh@mvg.biglobe.ne.jp
青瓶脱力読者

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●「信頼に基づくブランド」・小嶋 啓一


「信頼という大きな傘を組織にかざす事ができないと、どんな優秀な人が集まっ
ていても、優れたビジネスモデルでもいずれ壁に当たるんだよな」
 私の退職理由を聞いた師は、ビールを飲みながらつぶやいた。

 それから丁度3ヶ月経ち次の居場所を決めた今、少しホッとしながらも自分で
下した決断に対し、これからは何があっても自分次第だと言い聞かせながら「信
頼」が持つ大きな力を実感している。
 今回自分の居場所が見つかったきっかけは、A氏に紹介された方からさらにひ
とを紹介されたことだった。そういえば、A氏は前の職場で仲良くさせてもらっ
ているB氏の長年の友人である。

「信頼」という情緒的な価値観は、自らの経験や体験をとおしてか又は自分が信
頼している人からの情報等を通してつくりだされるのだと思う。
 結局、身近なご縁やまわりの人達を大切にする事が信頼感のベースになってい
るのだと単純だがとても重要な事にハッとした。このことは、会社(組織)もそ
こで働く人(個人)も同じである。会社も個人もあるいは商品でも一つのブラン
ドとして考えた場合は、結局信頼がベースになっている事は容易に想像がつくだ
ろう。

 最近耳にした、「転職した人のうちで知人等の紹介による割合は、約3割にも
上る」という言葉をふいに思い出した。
 その事は、身近な範囲でしか次の展開を作り出せないのでは?今まで何故かご
縁がなかった何か別の新しい世界の門を叩く機会には繋がりにくいのでは?とあ
る種のジレンマとして捉えていた。だが、そのような自分の考えは、以下の一文
を読んだ後できれいに吹き飛んでしまった。

「環境を変えることで、いい目がでると思ったらアカン、今の仕事から逃げたら、
次もうまくいかない」(日経ビジネス 2003年6月2日号 P88 原田隆史 ひと
りの元中学教師が自信を失った際に、生まれて初めて母に諭された言葉より)

 以前にも同じようなフレーズに出会った事もある。事実、前職を退職する際に
も世話になった上司にも、同じような事を言われた。
 理由はわからないがこの言葉の受け止め方は、3ヶ月前と今では自分の中で全
く異なっていた。
 そうなんだ、今までやって来た事を最大限に活かし、とことんやり抜いてみた
い。そう臨界点を見たいのだ。限界が見えようとそれを突き抜ける事で、自然と
次の扉は開くのだろう。
 辞めた時期は春だったが、またも新天地でのスタートは暑い夏となった。


小嶋 啓一:k1kojima@msj.biglobe.ne.jp
会社員

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●「瞳に含まれるもの」・平良 さつき


 先日、青瓶編集部で市川曜子さんの版画展にお邪魔してまいりました。
 初めてお会いした市川さんは、それはそれは美しい方でした。三人、一瞬にし
て無言に。平良、やはり挙動不審になり、まともにお話ができませんでした。

 そのまま絵葉書にしたり、部屋の壁に飾って毎日眺めていたい感じの銅版画。
黒や青の静かな色彩の作品が多く、外気との温度差が心地よかったです。
「お前、今回は取材担当だからな」とボスに言われたのですが、前述の通り殆ど
会話が成り立たなかった為、ちょこっと感想を。
 
 私が惹かれたのは、市川さんの描く動物たちです。特に好きなのは「わけのな
い悲しみ」と「夜の庭」です。暗い色味を背にぽつんとたたずむ馬(ロバ?)や豚。
何か考え事をしているようにもみえる悲しみを含んだ瞳は、何を見つめるでもな
い。作品の中の生き物は大抵、ひとり。
 向田邦子さんのエッセイの中にもありましたが、動物は時折とても静かでそし
て憂いを帯びた表情をみせます。家畜の牛やペットの猫に特にそう感じるのは、
人間の思いあがりでしょうか。彼らの後姿もまた、魅力的です。

 曜子さん本人も素敵な瞳の持ち主でした。すっとした容姿に、フランクだけれ
ども全く嫌味じゃない語り口まで兼ね備え、完璧でした。

 曜子さんと作品達の漂わせるなんとも涼やかな雰囲気に圧倒されて、私は終始
変な汗をかいておりました。次回は平常心で鑑賞したいと思います。また個展に
誘って戴けることを、心よりお待ちしております。曜子さんのイイ女っぷり、こ
っそり盗んでゆこうと目論見中です。


平良 さつき:taira.s13@mbh.nifty.com
青瓶デスク

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○緑坂
                愛は世界を滅ぼす。



■「愛してないのね」
「そんなことないよ」
「じゃ、あの電話、なんなの」


■「わたしが一番カワイソウだわ」
 ところでさ、なんで終わってから言うの?


ituda_wasureta
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青瓶 2485
                歌うこころで。




■ みなさんはじめまして。
 ISIS編集学校「月夜見按配教室」の師範代をつとめさせていただきます北澤で
す。
 なぜに、月夜見であり按配であるのか。
 ということについては、月を見上げるような余白をもってこの編集稽古を続け
てゆきたい、という気分が含まれています。
 また、編集とは按配をつけることでもある。
 と、個人的には考えてもいるからです。



■「脇見をしてほしい学校」と、松岡校長はISIS編集学校の案内に書かれていま
す。
 脇見、脇道。おうちがだんだん遠くなる。
 歌うこころで。余白をもって。
 幅が狭くなってしまったら、そこは流れで。
 一年という期間ですから、様々な波もあるでしょう。
 月の満ち欠けもある。
 始めから完全な回答などできるはずもなく、それを追うのも疲れるものです。
 稽古はリッパである必要はないんです。
 私も野暮を怖れず、じたじたと案内役をさせていただく所存です。


(ISIS編集学校「月夜見按配教室」開校の挨拶。北澤筆)
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■ と、いう按配で。
 青瓶読者の方々には、なんのことやら分からないかも知れない。
 説明するのは億劫なので止めにする。
 このところ、会合やらパーチーやら、人の沢山いるところに出ることが続いた。
 なるべくそういうところに出るのは苦手とする私であるが、デザイナとかモノ
カキというものは本質的に虚業なので、年に数回は止むを得ない。
 その服はダメよ、寝癖をなんとかしなさい。との教育的指導が入る。
 ある週末の夕刻、私は権田原界隈、大使館横にタクシーを停めた。
 ここが戦後の復興期から一代をなした前衛生花の総本山であるのか。
 車を降りると、一段高くなっている大理石でけつまづいた。
「北澤さんですか」
 黒いドレスの妙齢がよってくる。
 銀座のクラブが密集する一角で、珍しく定価で買った革底のブーツは、まだ足
裏が馴染まない。


03_07_09
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青瓶 2486
                鳥と暮らした日。




■ 今手元に「文芸春秋漫画賞の47年」(文芸春秋編)という本がある。
 分厚いので、寝転がって読むには適さない。
 この賞の選考が、いわゆる「漫画読本」誌上で行なわれたのが第一回から十六
回。その後は「オール読物」に場を移し四十七回まで続けられた。
 賞の概観や役割の変遷ついては、本の最後に和田誠さんや関川夏央さんなどが、
愛情のこもった、そして薄く辛辣な評を加えている。



■ この賞の第一回(昭和三十年)は谷内六郎さんの「行ってしまった子」とい
うものであった。
 谷内さんは、週刊誌の表紙を永く担当されていた。私たちはどこかで必ず一度
は目にしている。その原型ともいうべき作品群である。
 原っぱに道があって、一本の樹が立っている。樹は長く影を引いていて、原っ
ぱの草は枯れた色をしながら風が渡ったことがわかる。
 樹の横に草履がふたつ。ひとつは男物であり、後ろには女物か丸下駄。
 例えば「人買の話」と題されたそれは、具象でもなんでもなく、詩情溢れた子
どもの頃の記憶や気配を描いたものである。

「こんど受賞した『いってしまった子』一連の作品は、健康でもなく明朗でもな
く、笑いを呼ぶでもなく、人間社会を刺すでもなくまして何事かを教えるもので
は更にない。代わりにそういうこととは全く無縁な、見た人の心情にはっきりプ
ラスする渋味と潤いと甘味な哀愁とがある」(清水崑:前掲16頁)

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■ ところで、せんだって青瓶編集部は、青山で開かれた版画家市川さんの個展
におじゃました。

○「かぜのアパート」
(こやま峰子著:銅版画 市川曜子:朔北社刊:1600円:ISBN4-931284-99-XC8792)

 が、青瓶読者にとって、最近では一番手に取りやすいものだろうか。
 市川さんの作品は、実はその題名にいくつかの生命がある。
「夜の庭」「鳥と暮らした日」
 私はメモをとらなかったものだから、今思い出せるものを書いている。
 鳥というのは、例えば女だろうか。
 あるいは年下の男友達だろうか。
 鳥は頭の上でさえずる。籠にもはいる。
 題名がある種詩的であり、そこから別の物語へと連想が流れてゆく画家といえ
ばクレーなどが浮かぶが、市川さんも言葉からイメージを膨らませるタイプの作
家であろうと思われた。
 そして、谷内さんに対する清水崑さんの評を、今ここで滑らせてみても、そう
的外れではないだろうという気もしている。
 一枚の画の中に、歌うこころが含まれている。


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●「夜の魚」一部 vol.32

二〇 一月




■ 一月は乾いた空と時折の雨で始まった。
 入院していたせいで仕事が溜まっている。私は誰もいない事務所で二つのディ
スプレイを眺めていた。灰皿がいくつか山になった。通りが静かになって夜が過
ぎ、気付かないまま新年になっていた。
 雨は思いだしたように降り、すこし経つとすぐにあがった。空気は乾いたまま
だ。
 連休の前日、私は同じように深夜まで画面を眺めていた。すこし歩き、車を拾
って部屋に戻った。あれ以来、自分の車にはほとんど乗らなくなった。ヒーター
がうなるのを待ち、薄いコーヒーを入れようとした時、電話が鳴った。
「あら、いたのね」
 晃子だった。
「去年のイブの夜ね、北沢から電話があったわ」
 微かに躯がこわばるのがわかった。
「近いうちにまた顔をみせてくれ、って言うの」


 北沢は生きていた。サーブは北沢のものだが、運転していた男の肌は褐色だっ
た。
「声を覚えているのか」
「そりゃね」
「彼女、葉子さんは今どこにいるの」
「今は実家だろう、住所まで聞いた訳じゃないが」
「どうしてあなたって誰にでも一定の距離をとろうとするの」
 晃子はすこし苛立っている。時計をみると午前三時に近い。
「眠れないのか」
「そう。また無言電話があったのよ」
 私は冷たいベットに腰掛け、晃子の話を一時間程きいた。イブの夜は、退院し
た吉川が銀座の外れで食事を奢ったのだという。吉川はまだ酒が飲めず、晃子が
なにやら高いワインを一本飲み干した。
「送らせて欲しい、って真面目な顔して言うのよ」
 ドアの前の情景が目に浮かぶ。帰る姿も。
「部屋に戻って着替えていたら電話が鳴ったの」
 それが北沢だったのだ。
「わかったよ、午後になったらゆくから」
 そう言うと、上着だけを脱いで眠りに落ちた。



■ 晃子の部屋の玄関には小さな額縁が飾ってあった。
 幾何学的な模様が灰色の下地に何本も重なっている。
 私は部屋に入った。ソファの上に鈍い赤色の布が被さっている。全体をくるむ
ように、その色は三十を過ぎた女の部屋には強すぎる印のようにみえた。
 晃子の唇が動いた。
「この上だったのよ」
 冷ややかに見下ろしている。
「わたしは眼を開けてソファの模様を見ていた。ナイフでなぞられるまではね」
 おそらく、そういう姿勢を取らされたのだろう。晃子の下唇には二本の深い筋
がついている。決して小さいとは言えないが感情のこもったかたちをしている。
「買いかえるのもシャクだから、布を被せたの」
 それが赤い布であるところがしたたかさというものだろう。
 私たちはコーヒーを飲んだ。向かい合っていると懐かしい気配もしたが、それ
が錯覚であることはわかっている。
「すこし整理をしようか」
 私はその時、晃子も同じ次元にいるのだと考えていた。何か知らないものに巻
き込まれているのだと思っている。


「あの葉子って娘は、どんな子なの」
 珍しく晃子が直裁に聞いてきた。
「寝てるから恋人って訳でもないだろう」
「ライターの癖にツマラナイことを言うのね」
 晃子はまだ苛立っている。私は医局の友人から送られた文献の話をした。見事
に切断されたいくつもの断片があって、それを目まぐるしく替えてゆく。どうし
たらその場に一番適応できるのか、現状を認識する能力は基本的に高い。けれど
も、そうできるのは内部が見事に空白だからであって、本人はその空白に何処か
で気付いている。であるから、長期的には適応も底の浅いものになってしまう。
揺れながら異性や薬物に依存することもある。


 旨くは説明できなかった。
「でも、それってわたしたちだって同じじゃない。ひとをモノや部分のように扱
うことはあるわ」
 私は、そもそもどれが本当の姿なのか掴み難いのだと言った。
「そこが魅力なのね」
 晃子はコーヒーを飲む。大きな黒い瞳である。
「そうかも知れない。なんだか理詰めで考えても無駄のような気がするんだ」
「歳をとったのよ」
 晃子が小さなステレオに手を伸ばした。スイッチを入れるとほんの僅かに音の
ずれたピアノが小さく聴こえた。
「エバンスは甘いわね」
 外が暗くなった。自分のことを言われたのかと思った。


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●本日のウダツ
・僕は暑いのが苦手だ。
しかし、クーラーの効いた肌寒い部屋で、パソコンに向かうのはもっと苦手だ。
週末、天気が良いのに、パソコンの前にいることが嫌になった。
ひとまず投げ出してバイクで近所を走る。
小1時間走り、家に帰ると、腕が日焼けしている。
半そでにグローブで走ってしまうと、手首から肘の間だけが日焼けしてカッコ悪い。
毎年、腕を見ては「夏なんだなぁ」と肌で感じる(青瓶デスク三浦)。

(美白が目標。青瓶デスク平良)
BBS:http://bbs.melma.com/cgi-bin/forum/m00065121/
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■「青い瓶の話」                              2003年 7月14日号 No.43
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□編集長:北澤 浩一:kitazawa@kitazawa-office.com
□デスク:榊原 柚/平良 さつき/三浦 貴之
□「青い瓶の話」BBS:http://bbs.melma.com/cgi-bin/forum/m00065121/
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