メルマガ:青い瓶の話
タイトル:「青い瓶の話」 No.42  2003/06/20


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 ■■■                  青い瓶の話
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 ■■■                                               水をくるむもの。
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                                                 2003年 6月20日号 No.42
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●Press Release 「市川曜子銅版画展」

●「雨」・榊原 柚
○「臨界点」・小嶋 啓一
○「ここは俺の遊び場だ」・十河 進

○「緑色の坂の道」
○青瓶 2483
○「夜の魚」(yoru-no-uo)
 北澤 浩一

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●Press Release

市川曜子銅版画展
内容:子供の詩の絵本「かぜのアパート」(こやま峰子著・朔北社)の原画と新
作、他40点
会期:6月25日(水)〜7月3日(木)無休 11:30〜19:00(最終日は16時)
会場:ピガ画廊 港区南青山2−14−12 ビラ青山1階 03-5411-1428
入場無料:http://www.piga.jp/

 創作のきっかけになるのは、「言葉」であることが多い。
 それは勿論、文字で目にしたものや誰かの言葉であったりもするが、見たもの
を描くときでもその姿や形が頭の中で言葉に置き換えられて、それを画面に表そ
うとしていることが多いように思う。ただ、実際は、漠としていてとらえ所のな
いまま、ゆらゆらと描き進めている。描いているときに頭の中の言葉は物語にな
っていく。

 自分には、見た人の視線が壁のように跳ね返ってくるような、強い画面を作る
ことができないように思う。視線がすっと入っていき、その向こう側に触れられ
るものを作ることができればと思う。そしてそこにうっすらと佇んでいるものは、
たいていの場合少し悲しい。

 試行錯誤を繰り返しながら描いている。描いたり消したりの作業を続けている
うちに、ああ、これだ。と、思ったときに見えてくるものを育てていくので、作
り終えたものに説明をつけられない。発端となった言葉や途中の物語も、夢の中
にあるように思える。そうしてでき上がった作品から、また別の物語が始まる。
(市川曜子)

■kumaneko-tushin
http://www.ne.jp/asahi/art/kamaneko-tushin/


・版画家の市川さんである。青瓶読者。サイトにゆくと作品が見事に配置されて
いる。「うっすらとした悲しみ」というものは確かにあって、少年や少女の瞳に
映る風景だったりもする。大人になって、それを対象化できるのが芸術家という
ものなのかも知れない。私は「blue sorrow」という言葉を思い出した(北澤)。

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●「雨」・榊原 柚


 メットのシェードにぽつぽつと当たり始めていた。大きな街道に出て、コンク
リートが湿り出す匂いがする。
 わざと腰には手を回さずに、背もたれの端を掴んでいた。

 帰り道の執着の無さ、そのギャップに目眩がする。
 欲しいものを無理して子どもに買い与えた親みたいだ。征服欲より物理的な痛
手が残っている。
 往路は爽快だった加速が、帰路では自分の価値を急降下させていく。ベッドタ
ウンに戻っていく感じも嫌だ。

 持たされた回数制限がもうすぐフルカウントになるのを、無意識に知っている。
だから、手を出しても握り返されない、それだけのことで、バランスが危機にさ
らされる。

 降るなら一気に豪雨になって、それでも突き進めばいい。
 シェードを上げて天を仰ぎ見た。背中に重なって、バックミラーには映らない
ように。

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 家の前の細い道は、舗装されてマンホールがたくさんあり、水溜りはできにく
かった。ただ短い脇道はまだ砂利のままの所もあり、梅雨にはカタツムリが壁を
伝っていた。

 隣の隣の家の紫陽花は深い紫色で、葉にもカタツムリが貼り付いていた。巨大
な殻を持つ彼らが目だか角だか揺らしているのを、突付いて引っ込めたりして遊
んだ。

 後ろの家の子も、道1本隣の子も、友達だったはずなのに、もう、呼びかけら
れなくなっていた。小学校の入学式を挟んで2年を留守にしていた。自分のこと
は覚えていなくて、自分と遊びたいなんて思っていなくて、他の友達が遊びに来
ているかもしれなくて、と考えて、ピンポンを押せなかった。

 巨大カタツムリがいたことも、子どもを背中につけた親子カタツムリのことも、
誤って踏んで殻を壊してしまったことも、3m先のドアの中に、いるはずの同級生
とは共有できなかった。
 雨は今でも、殻に入るときの言い訳に、よく使う。

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 不慣れな町の朝には、もやのように体にかかる、細かい雨が降っていた。

 週に一度のはずが、初めて連続して来てしまった。電話の遠い声を一言聞いて、
反対方向の終電に飛び乗っていた。もちろん、傘もない。
 明日も早いはずなのに、お互いを止められず、明け方少しだけ寝た。

 ラッシュの始まりの時間に、車で駅に向かう。
 朝、駅で車を止めるときは、横顔を何度かちらと見るくらいしか出来ない。

 初めてトンネルを抜けてこの場所に来た時も、ゆっくりと雨の降る朝だった。
今は梅雨の始まり、体を包む鈍い重さ。
 しばらく続く灰色の海の景色を、自分が居るはずもない遠い場所に感じていた。
 昨日と同じように。


榊原 柚:ur7y-skkb@asahi-net.or.jp
青瓶デスク

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●「臨界点」・小嶋 啓一


「容易に得るものは容易に失う」(大須賀昭三)
 これも前回と同様、私が次の居場所をみつける為、現在行っている就職活動と
いう旅の途中で出会った言葉のひとつである。

 何故この言葉を思い出しているのかといえば、某会社への就職話がご破算にな
ってしまったからでもある。優れた事業内容もさることながらそれを貫く経営方
針やその会社の人々にかなり惚れてしまった。
 数度に渡り、お互いが情報を交換していくことで、これから一緒にやっていく
事がお互いのプラスになるかどうかを検討した結果が明らかになった。

 稚拙な喩えでもあり、当たり前なのかもしれないが、これは一種の恋愛だなと
強く感じた。次の居場所を探す身として最初は、エージェントから相手を紹介さ
れた。
 相手がどんな会社か大枠しかわからずとも、魅力を感じる相手に対して、まず
自分をアピールする。そしてそれに相手が興味を示す。こちらも興味を持ってく
れた相手を知れば知るほど興味が深く強くなっていく。
 お互いの興味が深くなるほどその訳を確かめたくなる。
 そこで相手に確信をもてるかどうかで、この縁が成就するか否か決まるのが一
般的なプロセスだろう。
 惚れた側は、素のままでいればよいのだが、相手に好かれようと慣れない事を
してボロを出す事もあるだろう。

 惚れられた側は、少しだけ調子にのり余計な展開を導く事もあるだろう。そう
いえば熱心に誘われている会社には、不思議と魅力を感じづらいのも事実である。
 しかしそれらは、意図するかしないかに関わらずそのタイミングでは、お互い
の準備(ご縁)が整っていないのだと思う。
 つまり自分の身の丈に合うご縁以外は不思議とあまり起こらないものだったり
するのだろう。身の丈に長ければ苦労する分成長もあるだろう、逆に短ければ楽
だが成長は望めない。

 そんな状況を突き抜ける為、もう少し知恵を絞ったり汗をかいたりしながら自
分自身が現在越えたい壁だと考える「地に足をつける」ための階段を上る旅はま
だまだ続く。
 せめて階段がどこまで高いかわかれば少しは気楽なのだが。
 臨界点(ブレークポイント)はどのあたりなのか?


小嶋 啓一:k1kojima@msj.biglobe.ne.jp

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●「ここは俺の遊び場だ」・十河 進

 1970年は挫折の後の沈滞の年だった。結局、体制は崩壊することはなく、ます
ます強固になり、大衆と呼ばれ一括りにされた人民は万国博覧会というお祭りに
目をくらまされた。所得は年々向上し、いつか憧れのアメリカに追いつけるとい
う幻想が現実になりつつあった。

 そんな日本の状況に絶望した若者たちは、淀という太閤が愛した女と同じ名を
持つジェット機を、高倉健にオマージュをささげたわけではないだろうに日本刀
という時代錯誤な武器をもって占拠し北朝鮮へ渡った。32年後、その国が日本中
の非難の的になることも知らず。

 その年、ひとつの映画会社が終焉を迎えようとしていた。その映画会社は、十
数年前に太陽族という不良少年たちを主人公にして、直営館のドアが閉まりきれ
ないほどのヒットを飛ばした。しかし、股下の長さを誇った主役俳優は、その頃
すでに古巣の映画会社に見切りを付けて仇敵のテレビに進出し、肥った躯を小さ
なブラウン管の中に晒していた。

 現場は終焉を迎えた世界特有のやけっぱちな活気に溢れ、著名な監督たちが去
った結果、新人監督たちは巡ってきたチャンスを生かそうと自分たちの想いを込
めた。社会体制の強固さを思い知らされた若者たちは、そんなアナーキーなエネ
ルギーに溢れた映画群を愛した。僕もまた、その中のひとりだった。

 「野良猫ロック・セックスハンター」は基地の町・立川が舞台である。その町
へハーフの男が妹を探しにやってきたことによって、共存関係を結んでいた不良
グループとスケバングループの対立が始まる。スケバンのリーダー梶芽衣子は倦
怠感を漂わせながら中年サラリーマンをカツアゲし、グループのメンバーと意味
のないタイマン勝負をしたあげく「つまんないよう」とつぶやく。

 不良グループのリーダー「バロン」を演じた藤竜也は、格上の女優だった芦川
いづみを妻にし引退させていたが、年はくってもまだまだ不良の雰囲気を漂わせ
ていた。彼は、グループを下部組織として利用しようとするヤクザの幹部に「こ
こを何だと思っているんだ」と問い詰められると「俺の遊び場だ」と不遜にうそ
ぶいた。

 かつて眼前で米兵に姉が強姦されて以来、不能者となったバロンは、ハーフ(
混血児)狩りというゲームを始める。俺たちの遊び場からハーフを追い出せ、と
彼は仲間を煽り立てる。そこにはアメリカ帝国主義とそのアメリカにレイプされ
ながら従順な日本という国家への告発が見え隠れする。強固に権力の座を守り続
ける大人たちへの敵意が満ち溢れる。

 アメリカにレイプされた結果、生まれたのが戦後の日本だとすれば、ハーフを
狩ることは自らを追いつめアイデンティティを失うことだ。それを象徴するよう
に、不良グループのナンバー2である岡崎二朗はハーフ狩りの先頭に立ちながら、
自らもハーフであることを告白してバロンに射殺される。バロンも最後の華々し
い遊びの相手を見出し、互いに撃ち合って死んでいく。

 僕は、そんなバロンの生き方に共振れした。一生、遊び場で生きていく。小市
民的人生なんて生きるに値しない。大人たちを信じるな……。しかし、一生「遊
び場」で生きていくのは不可能だった。見渡せば、いつの間にかどこにも「遊び
場」はなくなっていた。

→「野良猫ロック セックスハンター」(日活)1970年9月1日公開
監督・長谷部安春 出演・安岡力也・梶芽衣子・藤竜也


十河 進:sogo@mbf.nifty.com
雑誌編集者

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○緑坂

                人生の出入口。



■ 何人かで画像を眺めていた。
「ま、こんなもんだな」
「ま、たいしたことはないな」
 と、言いながら煙草を忙しく吸ってみたりする。


■ 暫く眺めていると男達は遠い目をする。
 俺達、なんのために生きているんだろうなあ。
 そういうこと言うなよ。
 そう思うじゃないか。




                自足する恋。



■ 暫く不倫をしていた彼女が酒に酔い
「今度は結婚するの」
 と、もたれている。




                恋に落ちたら。



■ 薄い雨だ。
 ワイパーが曇っていて、ゴムが微かに鳴っている。
 このあいだ替えたような気がしている。
 近頃ワゴンが増えて、黒いフィルムを張っている。


■ 戻ると電話が入っていた。
「どうということはないんだけど」
 後は聴き取れない。




                水の底。



■ 夜になって雨になった。
 人気のない都心をゆるゆると走っている。
 吸い過ぎるな、と思いながら煙草を吸っている。
 西参道を過ぎた。


94_atari
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青瓶 2483
                水をくるむもの。




■ しばらく旅に出ていたデスクの榊原がもどってきた。
 今の時代、妙齢にとっての旅とは必ずしも異性を意味していない。
 六月のある夜、私たちは深夜の埠頭へと出かけた。
 重く揺れる、クリークの水を眺めにいったのである。
 平良デスクと合流し、夜の都心を飛ばす。
「その角を曲がって」
 とか、私は指示を受けていた。



■ 一体に青瓶はモノトーンであるといわれる。
 果たしてそうなのか、わからないが、誰の原稿を読んでもどこかしら不思議な
色気が滲んでいるように私には思える。
 男たちは吠えている。自問しながらくりかえし、自分は何処へゆくのだろうと
一杯の酒を嘗めている。
 女性たちはどうか、と言えば本号を一読していただければわかるはずだ。
 揺れる水のような色気。
 年齢や立場や性別の違いはあっても、ほぼこの都会でリアルタイムに生きてい
るということ。その断片を作品という形で文章に留めようとすること。
 誰の作品にもどこかに時代性が反映されているようにおもえる。
 反射的に、時代とは関係のない、ある種普遍的なものもゆっくりと浮かび上が
ってくる。

03_06_20
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青瓶 2484
                モスラっや。




■ 川本三郎さんの「君美わしく - 戦後日本映画女優讃 -」という本が棚から落
ちてきた。文春文庫。
 ぱらぱら読み返していると、あっという間に夜が明けてくる。
 高島秀子さんから新玉三千代さん。新東宝で始めてヌードになった前田道子さ
ん等など。いくつもの印象的なフレーズが残っているが、今それをまとめる力は
ない。ひとつだけ引用させていただく。

「ほんとは縮緬着られるんだけど、ちょっとお召しにしておこうかっていう、控
え目。演技もそう。熱演ばかりが能じゃない。ほんとはあと二つできるんだけれ
ども八つでやめときましょうか。それがまあ、気障な言い方だけれど品格っても
んになるんです」(前掲:20頁。高峰秀子さんの台詞)



■ この台詞は、様々なことに繋がってゆく。いわく「柄と品」であるとか、口
説き方であるとか。デザインや文章のあり方などにも。



■ ここでじぇんじぇん話は変わるが、最近の雨の東京を私はザ・ピーナッツの
「モスラ」を聴きながら移動していた。作詞は、古関裕而さんである。

「モスラヤ モスラ
ドゥンガン カサクヤン
インドゥムゥ」

 実はこれはインドネシア語であって、原案では中国語や英訳もあったのだとい
う。ピーナッツのふたりが「モスラー、ッヤッ」と呼びかける。モスラはもそも
そと動き廻る。歌詞はほとんど生理前の高音の呪文である。
 男の身からすると、かなり堪える日などもままあるが、こんな風に声を出せれ
ば楽しいのだろうな、と思ったりもしている。
 そこは流れで。

03_06_20
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●「夜の魚」一部 vol.31

十九 対岸




■ 私たちはホテルに戻った。
 イブの東京湾は思いの他静かだった。軽くシャワーを浴び、酔いを醒ます。石
鹸で頭を洗うと、キシキシして何本も毛が抜けた。
「どうするの」
 葉子はシーツを被っている。
「まあ、いいんじゃないか」
 私は煙草を吸った。決まりみたいなものだ。

 寝よう、と直裁に言ってあれこれ理屈をつける女を私は信用しない。
 若い女ならともかく、一定の経験を積んだ女性がもったいぶる姿をみると、上
着を抱え取ってかえすことにしている。かといって、すべてを解放してゆくのも
いかがなもので、性の底には明らかな暗さも怖さもある。避ける訳にはゆかない。
その上で自分と相手の欲望を認め、素直に受け入れる姿勢を示す女性を好ましい
と思っている。葉子は直裁に反応した。
 わかったわ、何処、と芝浦で答えた。ホテルに戻ることにしたのだ。
「マゾっ気があることはわかった。今日は普通にゆこう」
 私はシーツに潜り込んだ。半ば眼が醒めたような姿勢のまま、形の上では外側
に終わることにした。葉子は唇を使わなかった。そうしようという気配を押しと
どめた。背中を抱いている。葉子は足首を絡めている。

「ねえ、わたしが中国人だったらどうする」
 葉子が唐突に尋ねた。
「じゃ、韓国籍だったら、寝れる」
「どうしてそんなことをきくんだ」
「あのね、若い男が寄ってくると、韓国籍だと言って追い払うのよ」
 私は手を伸ばして灰皿を探した。正直言って、考えたこともなかった。
「若い男はどうするんだ」
「急におとなしくなって、そのまま帰るわ」
「そうだろうな」
 と、答えてから自分の言葉に驚いている。
「川向こう、っていうんだってね」
「あなたなら、どう」
「多分、最後のところでためらうだろう。…きちんとできないような気もする。
自信はないよ」
「正直なひとね。でも、遊びならできるのよ」
 葉子が起き上がった。煙草を一本抜き取り、安いライターで火をつけた。

「セックスって、やっぱり政治的なものだわ」
「七十年代の文化人みたいなことをいうんだな」
「そうじゃないのよ、慰安婦問題だってね、相手がもし欧米人主体だったならす
ぐに謝っている筈じゃない」
 第一、白人を慰安婦にする発想はない、と答えようとした。当たっているので
黙っていた。水平に動くエスカレーターのある街で、そこにそびえている新しい
ホテルの中で、およそクリスマスには相応しくないことを話題にしている。しか
も裸だ。
 葉子の背中はくびれていた。手足は長く伸び、顎の線は鋭角で無駄なものがな
かった。切れ長の瞳は、手入れをしていないと見せた眉毛の下で、大陸系である
かとも思われる。肌のきめは細かい。

 いつぞや、周辺性について調べていると面白い記述があった。マージナル・マ
ンと定義されていたナチスの指導者達を、旧ドイツの財界人は、「川向こうの奴
等」と呼んでいたのだという。旨く利用するつもりだったのだろう。
 私は葉子について考えた。子供のような横顔を見せたかと思うと、簡単には答
えられない質問をしてくる。それは本質を抉っているかのようにも思える。
 北沢と寝たのはそのせいか、と尋ねようとしたが思いとどまった。
 暫くぼんやりし、眠ることにした。
「先に寝てて」
 葉子はそう言う。何かを考えているようでもある。
 葉子の肩口に毛布を掛け、背中を向けたところで隣のベットに移った。いつの
間にか眠りに入る。


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●本日のウダツ- 妙齢版 -
・「やばい、この人いい女だ」と感じる女性の前で、私は挙動不審になってしま
います。目を見て話せなくなってしまうのです。デスク榊原さんもその一人です。
実際にお会いしても、その文章からも、魅力的なオーラを放っています。
 市川曜子さんも同様に素敵な予感がします。近々個展に伺う予定ですが、今か
ら楽しみにしています。ヨーコさんの描く猫、私は好きです。一緒に飲んでみた
い女性の一人です。といってもサシだと萎縮して変な酔い方をするのが目にみえ
ているのですが(デスク・平良)。


・喜喜。姐御おかえりなさい。青瓶デスク・平良
BBS:http://bbs.melma.com/cgi-bin/forum/m00065121/
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■「青い瓶の話」                              2003年 6月20日号 No.42
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□編集長:北澤 浩一:kitazawa@kitazawa-office.com
□デスク:榊原 柚/平良 さつき/三浦 貴之
□「青い瓶の話」BBS:http://bbs.melma.com/cgi-bin/forum/m00065121/
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投稿募集/Press Release/感想問い合わせ:kitazawa@kitazawa-office.com
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