メルマガ:Let's go !!
タイトル:Let's go !! 1  2003/11/04


「井戸の中から這い出て」

大きな井戸

 ny4e4gm0pdipgbnsyxsb@docomo.ne.jp これが、私のコードネームである。今、私は井戸の底で、半分水に浸かりながら、どうやってここから出ようかと考えあぐねている。実は、今、気がついたのだが、どうやら私は25年間、こうやって、井戸の底から世間を見てきたらしい。いつの間にか歳を取って、もう26歳、若くはない。そろそろ人生の結末を考えなければならないけれども、まずは、この井戸を登って、明るい道に出なければならない。

井戸の外
頭を出してみると、すぐそこに水道があった。井戸水があるのに何事であろうか。そして、私の家がある。実家である。何故、親たちは、私をほったらかしにしておくのだろうか。母親は、きびしく、父親は幼稚だ。しかし、はっきりと覚えているのは、山に登って、ダムを見たことだ。あれは楽しかった。さて、私のPCは、どこにあるのだろう。インターネットは料金を払ってあるだろうか。まずは、自分の部屋に戻ってみる。
 あるある。これが、私の小さなパソコンだ。液晶XGAの、ペンティアム4、3GHz。なかなかいいと思われるだろうが、ごく最近までは、PEN3の400MHzだったのだ。自作機である。Linuxが、それも、「デビアン」というパッケージが入っている。
 私の名前はズボラスビッチ。仮名というか、インターネットネームである。さっそく、メイリングリストに溜まったメイルを見てみる。あるわあるわ、ゆうに千通は越している。でも、ほとんどはスパムなので、有益なものは、フィルタリングされて、自動で仕分けされている。それだけ、ちょっと見ることにしよう。

F50-130
 このメイリングリストは、私のお気に入りだ。私より、二回り以上年上の方も多いが、なにより流量が多く、それぞれが、創意工夫に満ちている。写真や音楽、動画やアニメなど、見ていてこっちが楽しくなる。それを自分でも、デジカメの写真やお気に入りの音楽を付けて返信しているのだ。
 さて、私の本当の名前は金光雅夫。昭和……いや、止めておこう。親父が怒る。弟も怒る。世の中、生きにくくなったものだ。なにかと制約がある。もちろん、そのほかでは、からきし自由に生きているが、お金と縁にだけは慎重になってきた、今日この頃である。
 メイリングリストには、男女半数ずつほどいらっしゃる。私はもっとも若い部類だが、最近、私に刺激されてか、コンピュータのプログラミング言語の話題にも、ついてくる人がぼつぼつ出てきた。

バジル
 調味料のことではない。彼は、とてもスタイリッシュなF50のメンバーだ。そして、網一人、忘れることができない女性が「ゆこ」こと、Yukoである。彼女のほかに、オーナーとしてMuseが、そして、その他重要メンバが十数人おられる。
 私はこのヤフーeGroupsのメイリングリスト、F50(50歳から130歳までのためのメイリングリスト)に参加して、自分が毎日変わることに気付いた。それは、心地よいことでもあり、また、漫画(アメリカや世界全土に進出してベストセラー)のドラゴンボールを思い起こさせるできごとであった。
 天気予報(http://www.st00.com/pom/index.html?pg=tenki/index_j.html)を見て、明日は雨だなぁ、と思うと、また憂鬱になるが、それは洗濯物を干しっぱなしなせいかもしれない。あほや。なぁ。父母は、福岡県福岡市に住んでいるし、兄弟たちも九州だが、気になるのは末弟である、のりあき(紀明)かもしれない。彼は、一度結婚しているのだが、すぐに離婚してしまった。私も離婚を経験しているが、それには別居期間が十年ほどあってからの話である。彼に、この頃よく電話をかけるのだが、まだ安定しない。そして、私が楽しくやっていることに、嫉妬さえ覚えているのではないかと感じさせる。これは、きっと、彼が幸せでないと自分で思いこんでいるからに違いない。彼は、小児科の医師で、しようと思えば、結婚も、そんなに困難ではなく、むしろ、引く手あまたなのではなかろうか。
 Yukoさんこと「ゆこ」には、とても世話になっている。彼女は今(といっても平成15年11月4日)6時半、夕食を作っているが、それは、もちろん彼女の家で、彼女の家族のためである。このように、メイリングリストというものは、全国、いや、全世界をまたにかけたコミュニケーションツールである。すぐには理解できないかもしれない。それでいいのだ。急ぐことはない。携帯電話でも参加できる。
 山下達郎さんを知っているだろうか? 最近、F50MLには、私の趣味もあって、彼の曲が良く流れている。竹内まりあさんも、幸せそうで(彼の妻であり、2児の母)、美しい。持つべき物は、趣味と実益を兼ねた仕事だろう。

出版社について
 私は、十五年にわたって、(株)アスキーという会社に勤めて、退社し、金光オフィスを作って独立している。アスキーで世話になった方々には、今でも世話になっている。皆、散り散りになっているが、インターネットでしっかりとつながっているし、よく都内で会合を持ったりしている。また、私が独立してから起こした、RubyBook-MLというメイリングリストには、90人からの筆者が常駐し、日々、新たな作品の構想を練っている。http://isweb15.infoseek.co.jp/computer/ruby256/ を見てもらえると判るのだが、在職中から編集していた、オブジェクト指向スクリプト言語Rubyという本から、このMLは始まった。最初はRubyUnitという名前だった。これは、助田さんという方がRubyUnitというテスティングフレームワークの本を最初に書いてくれたからである。

うにゃ
 うにゃ、が好きだった。離婚したての頃、相手を求めてもがいていた頃、MSNのチャットで知り合った不思議な娘。最初は、手も握らせてくれなかったが、はじめて握ったその手は、ひんやりと湿気があって、思わず抱きしめてキスをした。いまでも思い出す。なぜ、別れると誹謗中傷を言うのだろう。あんなに愛し合ったのに。。。
 もともと、不倫だった。二十歳でうにゃは富士レース場で知り合った旦那と結婚したが、それから十年間セックスレスだった。そのはけ口というか、子供が欲しかったのかもしれない。
 リスが好きだった。その名前が「うにゃ」それを、私は彼女の名前にしてしまった。そのリスは、なんと床から食卓まで飛び上がる脚力の持ち主なのだ。旦那も可愛がっていた。何度か、彼らと一緒に、私の狭い駐車場でバーベキューをしたものだ。思えば不思議な体験。彼女は、英語が堪能で、カナダに留学し、その間、インターネットのチャットでやりとりしていた。また、パソコンの教師もやっていて、その現場では、てきぱきバリバリのキャリアウーマンしていた。今、どうしているだろうか?

母親
 フジエという、大好きな母だが、たまに怒りっぽくなる。下半身に血栓があって、むくむと機嫌が悪くなる。父も医者で、懸命に治療しているが、ハドマーという圧力機器を使わないと、翌日歩けなくなる。まだ70だというのに。しかし、明治時代の平均寿命は50歳。新福直武(著書を捜すと数十冊)に言わせると、健康の秘訣は運動だという。母は、その運動ができない。懸命に、毎日を生きている。唯一、食事の調理のしかたを教えてくれるときに、むかし、私が中学生だったころ、楽しく笑ってすごした記憶がよみがえる。
 ハッチさん(F50)と話したのだが、母は、丸い別荘が欲しいらしい。なんと、とげとげの性格を教師にさとされて、丸くなりなさい、というのを、いまだに気にしているらしい。母が生きて居る間に、建設できるだろうか。建設会社は、佐藤建設に決めているが、先立つものがまだない。この原稿で、なんとか建ててあげたいものだ。
 さて、今度は、弟たちの話をしよう。私は、これでも男四人兄弟の長男なのである。そうは見えないが。。。

芳郎
 これが次男というか、すぐ下の弟で、

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