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───────────────────────────────── 【609 Studio 】メール・マガジン 2009/8/25 No.397 ───────────────────────────────── 「現代社会を斬る!」をコンセプトに論説委員Ken氏の論説「現代時 評」をはじめ、政治評論家、本澤二郎氏の政治評論、また、ロシア唯一 の韓国語新聞サハリンの「セコリョ」日本語版、その他、寄稿記事など 話題満載! ───────────────────────────────── 609studio ウェブサイト http://www.609studio.com/ オリジナルプリント販売開始 詳細 http://www.609studio.com/html/originalprint/index.html DVD アリランの流れる島 詳細 http://www.609studio.com/html/news-3.html ジャーナリスト・ネット ウェブサイト http://www.journalist-net.com/ サハリン・韓国語新聞 http://www.609studio.com/sakhalinmedia.html ブログ 取材手帖 http://j-net.obei.jp/katayama/ ───────────◆◆◆INDEX◆◆◆─────────── ◆現代時評:「バターン死の行進」 Ken ◆本澤二郎の「日本の風景」 ◆[セ・コリョ新聞日本語版] :届いておりません。 ◆コラム・EYE 09年の肖像「カン・シンニョン」:片山通夫 ◆編集長から ───────────────────────────────── ◆現代時評:「バターン死の行進」 Ken ───────────────────────────────── ◆◆ 読売オンライン 2009.8.13 政府は、第2次大戦中の1942 年4月、日本軍がフィリピン・ルソン島で行った「バターン死の行進」 で生き残った元米兵捕虜らを、来年度日本に招待する方針を固めた。 政府が元米兵の捕虜を公式に招待するのは初めて。元捕虜の間には 、今もなお反日感情が残る人々もおり、日本政府としてはこうした活動 を通じ、日本に対する理解を深めてもらいたい考えだ。 ◆◆ 日経ネット 2009.5.10 第二次世界大戦中にフィリピ ンを占領した旧日本軍が捕虜を数日間歩かせ、多数が死亡したとされる 「バターン死の行進」を巡り、日本政府が駐米大使を通じ、元米兵捕虜 の団体に謝罪していたことが9日、分かった。行進の現場「バターン半 島」に日本が言及して謝罪したのは初めて。同団体の会長は「これまで 長かったが、公式な政府の謝罪が得られてうれしい」と歓迎している。 ■■ いわゆる「バターン死の行進」は、第2次大戦中の1942年4 月、フィリピン・バターン半島を攻略した日本軍が、米兵とフィリピン 兵併せて8万人の捕虜を、半島の尖端マリベレスから、パンパンガ州サ ンフェルナンドまで70キロメートルほどを炎天下で徒歩移動させ、多 くの死者を出したとされる事件。死者は「約2万人」ともいわれたが、 正確な数字は判らない。 ■■ これが日本軍による典型的な捕虜虐待事件として、責任者である 比島派遣第14軍元司令官の本間雅晴中将が処刑された。 日本陸軍き っての英国派として、陸軍内部で敬遠され、すでに予備役編入されてい た本間中将は、終戦後すぐフィリピンの軍事裁判に召還され、そこで「 死の行進」の責任者であると告げられたが、そのとき中将は「死の行進 とはいったい何のこと?」と周辺の人に聞いたと伝えられている。彼の みならず、戦争中の日本では誰も「死の行進」という言葉を知らなかっ た。 後日判明したのは、戦時中にマイク・ノーマンの「バターン死の 行進」というノンフィクション小説があり、それで全米で有名になった のが始まりらしかった。 これはペーパーバックの通俗本で、記録とし ても文学としても価値を認められず、ただ米国内における日本非難の出 版物としてのみよく知られていた。 ■■ フィリピン在住中にボクはこの本と、そして別途に当時の米バタ ーン軍司令官ウエンライト中将によるペンタゴン宛の正式報告書のコピ ーを入手した。 それによると、バターン米軍が降伏した最大の理由は 米軍内における食糧不足で、こと細かく数字を挙げて、降伏当時に於け る米軍の食糧は、代替食もあわせてあと二日分に足らず、さらに疫病と マラリア患者が多く発生し、もうこれ以上戦うことが出来なくなったと 報告している。 この報告書には「死の行進」について隻句の言及もな い、とうぜんである。 ■■ 彼ら米兵は、いま降伏すれば、ジュネーブ捕虜協定により、日本 軍が食糧を供給し傷病者の治療もしてくれる、と思っていたらしい。 相手方日本軍も食糧の兵站補給が極端に少なく、もし米軍が降伏すれ ば彼らの持っている食糧で一息つなげると思い、それを期待して猛攻を 加えていたようである。 要するに、日本軍は米軍の食糧を、米軍は日 本の食糧をあてにしていたのだが、じつは両軍とも食料が無かったので ある。 ■■ バターン戦線最後の攻防は州都バランガの南西10キロメートル にあるマウント・サマットという標高150メートルの丘で死闘を繰り かえした。 記録によれば、「たとい一尺四方の木陰といえども彼我の 弾丸が落ちない場所は無かった」とある。 マウント・サマットは、バ ターンの南端「死の行進」出発点とされるマリベレスから北に向かって 30キロメートルの地点にあった。 米バターン軍降伏のときの日米両 軍主力はじつはここに集まっていたと推測される。 この主戦場でとつ ぜん米軍が降伏して困ったのは、じつは米軍よりも日本軍であった。 ■■ 彼らの降伏を受けた日本軍は、その時点で即座に8万人の捕虜た ちに食物を与えるという重大な義務が生じたのである。 もともとバタ ーン半島はほとんどが山林で米や芋の産地ではない。 自分たち日本兵 の食糧に事欠く状態のところへ、とつぜん降って湧いたような捕虜米兵 に食料を与える余裕などさらさらない。 ■■ 捕虜を急遽、北の穀倉地帯パンパンガ州へ移動させ、さらにもっ と北タルラック州にあるオドーネル捕虜収容所へ送るプランをたてたが 、輸送手段が無い。 米兵はとうぜんトラックで移送してくれると思っ ていたが、なにせ当時の日本軍は「歩兵」が通常で、自動車両など殆ど 装備されてなかった。 ■■ わが軍は数万人の米捕虜たちをバランガ経由でサンフェルナンド へ徒歩で移動させるしか方法がなかった。 ふだん車両による移動に慣 れていた米兵たちにとっては過酷で、それは捕虜虐待に見えた。 もち ろん付き添い監視する日本兵も徒歩である。 おまけに日本兵は背嚢銃 器の完全重装備で、丸腰の捕虜たちより条件は苛烈だった。 それに自 分たちの食事だけでなく、捕虜たちの食事も考えてやらねばならない。 マラリアの罹患は両側とも同様であった。 敗戦で気抜けした米兵は 移動を命じられても怠惰を極め、叱り付ける日本兵はつい伝統の横びん たを頗用することになる。 ■■ 道中数日の食物は、捕虜も日本軍もせいぜい小麦のお粥か乾パン が精一杯だった。 歩けなくなった捕虜たちはとうぜん道端に捨て置か れ、傷病者の手当てなど、及ぶべくもなかった。 おおぜいの捕虜が途 中でいのちを落とした。 これが「バターン死の行進」の実態であった。 ■■ バターン死の行進に参加させられた捕虜の数は当初フィリピン兵 74,800人、米兵11,796人、計85,000人と伝えられる 。 それがサンフェルナンドから最終のタルラック州キャンプ・オドー ネル収容所へ到着できたのは、フィリピン兵捕虜45,692人、米兵 捕虜9,300人と記録されている。 フィリピン兵捕虜はとうぜん途 中でおおぜいが勝手に民間離脱したであろうから記録数字は曖昧である。 ■■ 米兵だけの「死の行進」中に死亡した数は11,796人マイナ ス9,300人の差、つまり2,400人前後であった。 こうした過 酷な移動で、よくまあこれだけの死亡者で済んだものと、ボクなどはむ しろ感心する。 ■■ のちに捕虜虐待を非難される日本軍だが、このばあいは不可抗力 であったと言うべきである。 最初から食糧の地元補給が皆無であるこ とが判りきっていたバターン半島という山ばかりの僻地へ10万人近い 大軍隊を移動、篭城させたマッカーサー総司令官の戦術上の重大な誤り をむしろ非難すべきであろう。 ■■ いまバターン戦線最後の争奪の場マウント・サマットの頂上には 鉄筋コンクリート100メートルの巨大な十字架が建ち、ナショナル・ シュラインということになっている。 その十字架の横木の部分は大展 望台、そして地上階は日本軍が残した武器類の博物館になっている。 そこにはマニラ麻で作られた絞首刑用の太いロープが展示されていて 、「これは日本軍司令官を絞首刑にしたとき使用したロープの複製品で ある」とご丁寧な説明書きがある。 ■■ バターン半島尖端の町マリベレスからオリオン、ピラール、バラ ンガなどを経由してサンフェルナンドへ至る道筋の町々には申し合わせ たように「死の行進のモニュメント」と称する安っぽい小建造物がある 。これは戦後のある時期にその地の自治体が競って建造したものらしく 、土地の人たちにとっては今や忘れ去られた戦争モニュメントである。 同時に同じ道筋に日本人による戦没慰霊碑らしきものをときおり見か ける。 建設者として和歌山、京都、長野連隊戦友会などの名が記され ている。 これらもほぼ忘れ去られたごとく、あるいは朽ち果て、ある いは放置されて土地の人々の夏祭りの台座になったりしている。 ■■ この辺りバターンの住民のなかにカタコトの日本語が出来る老人 が比較的多く、「見よ東海の空明けて」などの日本の戦時中の歌を歌う 人を往々にして見かける。 彼らはだいたい戦時中に日本軍の手伝いな どをしていた人々である。 バターンに2年ほど住んでいたとき、ボク はただの一人も日本の悪口を言う人に出会ったことがない。 むしろ日 本賞賛言葉をしょっちゅう聞くことができて嬉しかったのを忘れられな い。 ■■ 「バターン死の行進」をめぐって米国内に元捕虜で作る「全米バ ターン・コレヒドール防衛兵の会」があり、この会合に、藤崎駐米大使 が日本政府を代表して出席し、「元戦争捕虜を含む多くの方々に、多大 な損害と苦痛を与えたことに心からのおわびの気持ちを表明します」と 謝罪したところから、今回の元米兵の日本への招待の話が出たという。 藤崎大使には麻生首相が非公式に指図したとの噂がある。 社会党の 村山元首相の古い公式謝罪といい、今回の藤崎大使による謝罪といい、 どうやら日本人には謝罪趣味があるようだ。 この調子で、米国も広島 と長崎に謝罪してくれぬものだろうか。 謝罪さえしてくれれば、大方 の日本人はみな過去を水に流すという良い習慣があるのに・・。 ───────────────────────────────── ◎片山通夫写真集「サハリン」好評発売中!!◎ 写真集「サハリン」が未知谷から発行されています。是非書店 もしくは609studioでお求めください。 四六判160頁 1600円(税別) ISBN4-89642-138-8 C0072 未知谷 HP http://www.michitani.com/index.html または office@609studio.com ───────────────────────────────── ◆本澤二郎の「日本の風景」 ───────────────────────────────── <政権交代の総選挙> 自民党の勢いがない。中選挙区制を廃止、小選挙区制にしたからであ る。そのため自民党政治の活力となってきていた派閥が消滅してしまっ たことによる。政府や執行部の失政に対して、党内批判を許さない不自 由政党になってしまった。言論の自由を喪失してしまった自民党には、 国民を引きつける魅力がなくなった。自業自得である。森内閣以降の右 翼片肺飛行をずっと強行してきたツケでもある。したがって、自民党復 活の鍵は中選挙区制に戻せるか否かが目安となろう。 自民党の強さの秘訣は、音楽に例えると、交響楽団のようなものであ る。バイオリン弾き、太鼓たたき、笛吹き、ピアノありとたくさんの合 奏が美しい音色を生み出していた。それがここ10年近く雅楽ばかりと なっていたものだから、とうとう聞き手もしびれを切らしてしまったの だ。 最近の世論調査によると、雅楽を聞きたいという人は相当減少してし まった。小選挙区300、比例区180のうち、なんと300議席を民 主党が占めるとの数字が出ている。自民党の歴史的敗北は間違いない。 この民主圧勝の世論調査は、逆に自民支持を広げることになるが、それ でも自公そろっても過半数確保はありえない。政権の交代は歴史の必然 なのである。 中曽根バブル以降の失政が積もり積もって、人々に不信と不安をまき 散らした結果である。日本を沈没させたことに尽きるのである。バブル 経済の脅威を軽く見てきたツケは、あまりにも巨大すぎる。年金・医療 など福祉国家をぶち壊したのだから。 <新顔右翼宗教政党?> こうした非常時には、予想外の勢力が内部から噴き出してくる。 本日、あるJR駅前で大型の選挙カーの天井から、マイクを握って大声 でわめきたてる一団を目にした。これまでの選挙で見たこともない新顔 政党、それも宗教政党である。真夏だというのに背広に白手袋というい で立ちは、ごく普通だが、演説の中身がすごい。「憲法9条を改正する 」というのである。極右である。 自民党や民主党の右翼でも、街頭演説で9条改正を叫ぶ者はいない。 票が逃げるからである。筆者の知る元自民党議員だった平沼赳夫は例外 だった。その代わり彼には右翼宗教団体が総力で選挙支援をしていた。 並みの右翼候補は、右翼であることを隠して選挙してきている。 政権交代に危機感をもって飛び出してきたものなのか、宗教団体と政 治団体の二つの衣を着て決起したものか。公明党の成功に勢い付いたも のか。一般人には宗教という仮面をかぶっていると、いい感じはしない ものである。 幸か不幸か、街頭宣伝車の周囲には、人だかりがなかった。よく見る と10数人である。関心を持つ有権者はいない。支持者への動員力が弱 い。支持者がいないものか、地域に偏っているものか。平和主義者には 安心する場面である。 むろん、選挙には莫大な金を必要とする。一定の票獲得がないと、供 託金没収である。金はあるのだ。テレビもしっかりと候補者を紹介して いるのだから。宗教団体と資金力は比例するものらしい。 <大政党に紛れ込む右翼> これまでのところ、右翼ないし、極右の面々は与党の自民党に潜り込 むことで、彼らの好ましい政策を実現してきた。靖国参拝派はその典型 であろう。文教関係、国防関係、外交関係に首を突っ込んで、右傾化へ の流れをつけてきた。 特異な極右勢力として筆者が注目しているのは、松下政経塾である。 ここの塾生を、PHPというコントール機関が、自民党と民主党に割り 振っている。共産党や公明党、社民党には入れていない。入ってもはじ かれるという判断なのか。それとも極右という価値観が邪魔しているか らなのか。ともかく巧妙なのである。 二つの大政党を手玉に取ろうとしている。これまでも森派という右 派の権力中枢に政経塾生は存在した。民主党には一度党首になったも のもいる。神奈川県は現在もそうだが、最近までの横浜市の首長も政 経塾が握った。松下財閥の広告を利用してマスコミ操作も上手である 。例の「つくる会」とも深い関係がある。 それでいて政経塾の正体は、ほとんど明かされていない。それでも 改憲軍拡・天皇制国家主義に近いことははっきりしている。むろん、 反共主義である。彼らの賢い点は、自己の思いを強引に押し出そうと しないところにある。この点が、また不気味なのである。 <右傾化する日本> 筆者が政治記者になったころの70年代の右翼は、大した脅威では なかった。保守本流・リベラルが自民党の主流を占めていたからであ る。右翼の暴走は72年の日中国交回復の場面で、永田町に浮上した。 背後には岸信介と台湾の蒋介石が控えていたからである。それでも 日中関係にブレーキをかけることはできなかった。中曽根が靖国参拝 をしても、それは一度で止めるしかなかった。リベラルの力を立証し て余りあろう。 小泉が6回も参拝できたということは、保守本流が実質、消滅して しまったからである。森―小泉―安倍―麻生の4代の時代は、文字通 り右翼時代の日本を象徴している。 民主党が取って代わるが、その分、日本のリベラル化が期待できる のだが、党内の政経塾がどう動いてくるのか。平和国民とアジア諸国 民の関心事は、ここに集中するのかもしれない。 最大の弱点は、松下財閥が金もうけ集団という点にある。 ───────────────────────────────── ◆セコリョ新聞日本語翻訳版:届いておりません。 ───────────────────────────────── 翻訳文が届いておりません。届き次第お届けいたします。 ───────────────────────────────── ◆コラム・EYE 09年の肖像「カン・シンニョン」:片山通夫 ───────────────────────────────── 「熱い」人だという印象を最初に受けた。彼女は韓国から日本に来た 。もう8年になるという。達者な日本語を駆使して在日韓国人の多く住 む大阪の町を走り回っている。 カン・シンニョン。姜信英と書く。写真で見るとおりの美人だ。当ジャ ーナリスト・ネットに最近参加して日本人でも?難しいと思われる俳句 をひねる。それもしっかりしたテーマを持っているから驚きだ。 王仁(註+)にまつわる神社や寺院、公園等、関西に点在する王仁の 足跡を尋ねて俳句を作る。俳句に関しては正直なところ筆者には上手か どうかは判断しかねる。これは読者にお任せしたい。筆者が感心するの はそのバイタリティだ。彼女のWebサイトには彼女の写真がたくさん ある。それだけあちこちを訪れているということだ。 留学中に猪飼野(註*)の魅力に取り付かれた。古代・仁徳天皇の時 代に、多くの「渡来人」がこの地にやってきた。特にこの地域は百済か らの渡来人が多く古くは「百済郡」と呼ばれていた地だ。 「現代の王仁になる」との彼女の「熱い」思いは「古代ロマン塾」や「 猪飼野探訪会」を立ち上げた。新しい日韓の架け橋となりそうな勢い。 いやその前に我国の歴史の側面を見直す機会を与えてくれる活動だ。 註+:王仁:記紀に記述される百済から日本に渡来し、漢字と儒教を伝 えたとされる人物。実在については証明はなされていない。『日本書紀 』では王仁、『古事記』では和邇吉師(わにきし)と表記されている。 (Wikipedia) 註*:猪飼野:大阪の旧東成郡鶴橋村の大字であり、住居表示制度施行 前の地名である。新住居表示では東成区の「玉津」「東小橋」、生野区 の「鶴橋」「桃谷」「中川」「中川西」「勝山北」「勝山南」「舎利寺 」「田島」辺りに当たる。(Wikipadia) ───────────────────────────────── ◆[編集長から] 片山通夫 ───────────────────────────────── いよいよ後数日。総選挙のことだ。先日来、新聞社などの調査では民 主党の圧勝だと言う。何でも300議席超を獲得しそうな勢いだとか。 まさに前回の「郵政民営化」への怒涛のような支持と同じ空気だ。民 意は移ろい安いというが、ここまでとは・・・。たった4年前のことな のに。 決して筆者は現在の政治がいいというわけではないが、もう少しじっ くりと考える必要があるように思える。あまりにも極端すぎるのではな いか。 二大政党の選挙戦然として来た様だが「ばら撒き合戦」の様相だ。そ れで大丈夫なのか、いささか不安を感じる。 ───────────────────────────────── 発行 2009年8月25日 No.397 編集・発行 609studio Michio Catalan 発行 毎週火曜日 購読料無料 配信 まぐまぐ配信システム ID:0000052236 MailuX配信システム ID:MM3E1B97842E020 e-mail office@609studio.com website http://www.609studio.com 投稿 http://www3.ezbbs.net/06/609studio/ 購読 購読解除は websiteへ ◇禁・無断転載◇ ───────────────────────────────── |