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タイトル:609studio No.386◆現代時評:「スリランカの内戦終結」  2009/05/26


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【609 Studio】メール・マガジン 2009/5/26  No.386
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「現代社会を斬る!」をコンセプトに論説委員Ken氏の論説「現代時
評」をはじめ、政治評論家、本澤二郎氏の政治評論、また、ロシア唯一
の韓国語新聞サハリンの「セコリョ」日本語版、その他、寄稿記事など
話題満載! 
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               お知らせ

 勝手ですが、6月2日号、6月9日号の609 Studioメールマガジンは
休刊とさせていただきます。セコリョ新聞は後日まとめてお届けいたし
ます。
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◆現代時評:「スリランカの内戦終結」  ken 

◆本澤二郎の「日本の風景」

◆[セ・コリョ新聞日本語版] :休載します。

◆EYE 09年の肖像「島根の夫婦」:片山通夫

◆編集長から

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◆現代時評:
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 ◆◆ 東京新聞 2009.5.19 スリランカの反政府武装勢力
「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)」の最高指導者プラバカラ
ン議長の死亡が十八日確認され、二十五年以上続いた内戦はひとまず終
結した。多数派シンハラ人主導の政府は、少数派タミル人の自治権拡大
をてこに国民融和を目指すが、双方で七万人の犠牲者を出した民族対立
の根は 深く、和解への道は険しい。 

■■ 1979年だったか、ボクは孤児院の落成式典参加のためスリラ
ンカへ旅したことがある。 ぐうぜんその日、スリランカで不思議なハ
イジャック事件が起こった。 ハイジャックした犯人の青年は身代金1
00万ドルをせしめ、コロンボ空港で航空機を開放し、市内最高のホテ
ルに宿泊した上、親戚縁者を招いて3日間の大宴会を開催した。

■■ 同じ日、同じホテルに宿泊していたボクらは、ホテルを遠くから
取り囲む警察のどことなく異様な雰囲気を察知し、「何があったのか」
と聞いた。 ホテルはその日も平常通り営業していたのである。 答え
た現地の人々の話では、「ハイジャックがあり、その犯人がホテルに宿
泊しているので逃がさぬよう、いま警察が周囲を取り囲んでいるところ
です」という。 

■■ 「ハイジャック犯なら、いますぐ取り押さえればいではないか」
。「ただ捕まえるだけなら、飛行場でチャンスはいくらでもあった。 
しかしことを荒立て、騒ぐと周辺に要らぬ不安感を起こさせる。それよ
り、犯人が諦めておとなしく縛につくのを待つほうが賢明で、そのため
警察がいまホテルの外を塞いでいる。どうせ二日か三日でことは終わる
から、ホテル客たちも知らぬ振りをしていてくれ。 犯人は大事件を起
こして疲れているだろうし、親戚知人をホテルに呼びいま大盤振る舞い
をしているから、暫時楽しませてやっているところだ」。 

■■ そしてそれからきっかり3日間、ボクらがそのホテルに滞在中に
ことは終わっていた。警察がホテルの食堂に居る犯人に「もうじゅうぶ
ん楽しんだだろう、おとなしく警察へ来い」といって連行していった。
一件落着である。 これがスリランカ仏教でいう仏の慈悲や忍辱(にん
にく)であった。 ハイジャック事件の結末としては、いささか締まら
ぬ話だが、ボクはそれを機にスリランカが無性に好きになってしまった
、「世界にこれほど穏やかな国がまたとあろうか」である。 帰国後、
ボクはスリランカという国の穏やかさと賢明さを友人連中に吹聴して回
った。 

■■ 旅行の目的である孤児院落成式に出席したときのジャヤワルデナ
大統領は「サンフランシスコ講和会議で私は日本に罪はないと主張した
」とスピーチした。 ボクらはインドのパル判事が「後で作った法律で
その前に起こした犯罪を裁けない」として日本無罪を唱えたという話を
聞いたことがあるが、同じ講和会議でスリランカも日本無罪論に組した
とはそのとき初聞きであった。

■■ 夜を徹してのパリ語による大読経会が催され、日本からは高野山
南院の大僧正や奈良元興寺の和尚らも参加、地元の僧たちを主体とした
読経僧は無慮数百人に及び盛会だった。 ボクはその式場で日本からの
寄金者を代表して大統領から感謝状を貰った。

■■ 後日、講和条約の文書を調べると、大統領が孤児院落成式でスピ
ーチしたとおり、サンフランシスコ講和会議におけるスリランカ代表と
して出席していたジャヤワルディナ氏の演説はちゃんと記録されていた。

■■ 「われわれアジアの諸国民が日本は自由でなければならないとい
うことに関心をもっているのは何故であろうか。それは日本とわれわれ
の長年の関係のためであり、そしてまた、アジアの諸国民の中で日本だ
けが強力で自由であり日本を保護者にして盟友として見上げていた時に
、アジア隷従人民が日本に対して抱いていた高い尊敬のためであります
。 私は、アジアに対する共栄のスローガンが隷従人民に魅力のあった
こと、そしてビルマ、インド及びインドネシアの指導者のあるものがか
くすることにより彼等の愛する国々が解放されるかも知れないという希
望によって日本人と同調したという前大戦中に起こった出来事を思い出
すことができるのであります。日本に対する賠償請求権を放棄する理由
は、仏陀の教えの、憎悪は憎悪によって消え去るものではなく、ただ愛
によってのみ消え去るものであります。」 

■■ これなら、スリランカはインドのパル判事よりもより直截に日本
の味方をしていてくれたことになる。 さきのハイジャック事件の逮捕
劇もさることながら、サンフランシスコ講和会議のスリランカ代表の発
言から考えて、スリランカはナンと温和で理知的な国だろうと、ボクは
感嘆した。  
 
■■ そうした穏やかなスリランカに突如として内乱が持ち上がった、
1981年6月のことである。 国内少数派のタミール人が、プラバカ
ラン議長に率いられて「タミルの国(イーラム=Eelam)」樹立の要求を掲
げ、分離独立運((LTTE)を始めたのである。彼は最初からEelamが独立
するまでは戦いを止めないと公言していた。シンハリ政府はすぐさまタ
ミール側のジャミール市を攻撃した。それからはシンハリとタミールの
戦いに明け暮れた。 ボクはシンハリ政府とタミール武装組織の、そう
した前からの深い争いを知らなかっただけである。
 
■■ タミール人武装組織の「イーラム解放の虎(LTTE)」とスリランカ
政府との対立は激化し、タミール人の出自であるインド・タミルナド州
も巻き込んだ紛争に発展した。インドが仲介する形での和平案にもLTTE
は反対し、反政府テロ活動を展開してきた。91年にはスリランカのジ
ェラトネ国防相が、93年には同じくプレマダサ大統領が爆弾テロで死
亡。インドのラジブ・ガンジー首相もタミール武装組織に暗殺された。
 2002年2月にノルウェー政府の仲介でいったんは停戦に合意した
がすぐまた崩れてしまって今日に至っている。

■■ スリランカでは、一般市民としてのシンハラ人とタミール人にさ
ほど根深い対立感情がないのが特徴で、紛争の当事者はスリランカ政府
とタミールLTTEとの間だけというのが実態である。 にもかかわらず、
スリランカ政府軍とLITTEの戦闘は延々20数年、今日まで続いた。 
その間、タミール人のLITTEは、一般タミール人市民を盾にとって戦っ
たから、政府軍も容易に手が出せなかったのである。

■■ スリランカは、シンハラ人75%とタミル人25%で構成されて
いるという。 

■■ インドのアショカ王の息子でマヒンダという名の高僧が数千年の
昔、北インドからアーリア系のシンハラ族を率いてスリランカに移住し
、インド仏教消滅後もなおスリランカにおいて仏教の戒律を守り続けて
きた。 彼らの仏教はいわゆる上座部仏教で、日本のお経と異なり、平
易なパリ語経典はそのまま言葉として庶民も理解し得る。 シンハラ人
はインドアーリア直系民族であるといわれ、誇り高く目鼻立ちが整い、
女性には驚くような美人が多い。 アーリア人とは、コーカサス地方を
オリジンとする白人種のうち、最も勝れた人種であるとして、第2次世
界大戦中にはヒットラーが「ゲルマン人こそアーリア人」であると高言
したこともある。

■■ それに比べるとタミール人は容姿ではシンハラ人に大きく劣る。
失礼ながらハンバーグステーキに似た顔かたちである。 18世紀以後
英国人が紅茶農夫としてインド・マドラス以南に住むドラビタ族の一派
タミール人をスリランカに大量移住させたのが始りで、シンハラ人の仏
教に対してタミール人はヒンズー教徒である。 ドラビタ人はインドの
悪名高いカーストの中にも組み入れてもらえない少数派(といっても、
6000万人)だが、スリランカへ移住したタミール人もまた少数派民
族として低賃金労働に服してきた。 居住は主としてインド本土に近い
スリランカ北部および東海岸周辺である。

■■ シンハリ人から見ればタミール人は容貌に於いて劣り、おまけに
仏教の国スリランカでは妖教的なヒンズー教の信仰集団であり、差別さ
れる蓋然性が否定できない。 が、そこは仏教の教えと穏やかな国民性
のシンハリ人のこと、タミール人と長年円満な共同社会を形成してきた
のは見上げたものであった。 

■■ だが、後から来たタミール人が多数派シンハリ人の国に住めばそ
れなりの不満と軋轢の種はいくらでも存在した。 先ずシンハリ語公用
語化の拒否、教育標準化政策への不満、仏教準国教化に反対する宗教の
非政治化運動などなどである。 

■■ いっそのことタミール人だけの独立国家を創ろうというプラバカ
ナンLTTE議長の激しい意欲ももっともであるし、国家の分裂を避けよう
とするスリランカ政府軍のタミール人占領地域への攻撃もやむを得なか
った。 過去20数年のそうした争いで命を落としたスリランカ国民の
数は7万人を越した。

■■ プラバカラン議長の急進的タミール人国家の分離独立運動はいっ
ときスリランカ国土の三分の一を版図に収めたが、それも長くは続かな
かった。 スリランカ政府軍の猛攻により、占領地は徐々に狭められ、
この5月に入ってからのLTTEは盾に取っていたタミール系住民たちの開
放もやむなしとするまでに至った。 

■■ そして2009年5月18日、最後に残ったプラバカラン議長ら
LTTE 幹部が政府軍により射殺され、スリランカ政府はLTTEの完全制圧と
内戦終結を宣言した。 噂によれば、LTTEの武器はロシアや北朝鮮から
供給されていたというが、真偽のほどは分らない。 いずれにしろ、内
戦終結というのは目出度い話である。

■■ あれほど穏やかな国民性のスリランカでも、こうした20数年に
及ぶ内乱が存在した。 争いは、人類存続のための不幸な恥部であるか
も知れない。
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◆本澤二郎の「日本の風景」 
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<貸農園敗退>

 永田町の喧騒を離れて10日ぶり、家庭菜園の手入れに出かけた。房
総半島の初夏を満喫したのはよかったが、不思議な光景にも出くわした
。数年前に、放置されているような畑に「貸農園」なるのぼり旗がひら
めくようになった。かつてないことだから、地元の人たちにも妙な印象
を与えていた。恐らくは雑草地にしておくのはもったいないと考えた商
売人が、所有する年老いた農民から借りて、近くの団地住民に家庭菜園
として提供、なにがしかの利益を得ようと始めたものであろう。不幸に
してそこは雑草が生い茂っていた。

 ここにも地方住民の生活の厳しさを見て取れるのである。というのも
、昨年この貸農園に見事な野菜畑が誕生した。車で30分ほどのところ
に、土に縁のない市民の住宅がたくさんある。そこの希望者がこぞって
野菜作りを始めた。ナスや大根だけではない。カボチャにスイカとそれ
は見事なものだった。手入れがいいのだろう。うらめしくもあった。
 どういう事情なのか、その後の様子を見ていると、収穫をしないので
ある。そして現在は雑草が覆ってしまった。以前の状態に戻ってしまっ
たのである。想像をたくましくしなくても理解できよう。家庭菜園を楽
しむ資金と余裕がなくなったからであろう。衰退する地域経済を物語っ
ている。

 先般の民主党の代表選挙で「地域主権」なる言葉が乱発されていたが
、疲弊する地方経済を活性化する手段として自治権の拡大を公約しよう
としているのだろう。いいことだが、成果を出すためには腐敗を拒絶す
る人材が必要になる。果たして人を得ることができるであろうか。

 筆者の住んでいる都内では、数年前から公園を畑に改造して市民に開
放している。希望者が殺到するらしい。東京だから余裕のある市民は地
方に比べて多い。だが、地方の都市はそうでもないのだろう。格差を裏
付けていようか。

<神の国健在?>

 他方、元気がいいのが無数の神社再建である。近くの神社は数年がか
りで立派に再建された。境内の一角が高速道路建設に引っかかった。そ
の資金を元手にしてあとは数百世帯から「寄付」を集めたのである。誰
も反対できなかったらしい。
 実は、ここに大きなからくりというか、土着のしきたり、有無を言わ
せないルールが伏線として存在している。数百、数千年前から培ったも
のだろうか。否、列島に日本人が棲みついて以来の、強固な集団主義な
のであろうか。「村八分」という、およそ近代を否定するような人権否
定の鉄則が、現在も住民の心を支配しているのである。

 筆者は幸い、東京に移転していたので、この目に見えない前近代のし
がらみを甘受することはなかった。教養など不要だと思うが、神社(神
道)はれっきとした宗教法人である。寄付の強制は許されないが、とり
わけ宗教団体のそれは憲法が明文でもって禁じている。侵略戦争に中枢
で加担しながら、謝罪もしない。それどころか戦争を正当化さえしてい
る神社を、正常な感覚の持ち主であれば、とても再建に協賛などできよ
うはずもない。出雲大社で、案内してくれた宮司に「戦争中、どんな役
割を果たしたか」と質問すると、彼は「戦意の高揚に努めた」と正直に
答えてくれた。

 東京でも似たような体験をさせられた。神社の祭礼寄付をマンション
管理組合に強要してきたのである。驚いて反対したが、最初は無理押し
されてしまった。翌年、理事長になって禁止した。「個人の自由判断」
に任せるようにした。当たり前のことであるが、こんなことが都会にも
根付いていることに驚愕したものである。教養のなさは、なにも田舎に
限らない。第一「憲法を読んでない国会議員ばかり」と指摘した元内務
官僚も、筆者の近くにいた。歴史を知らない政治家も。さるリベラルな
元財界人は先日のことだが、「昔、社会党議員と一緒に北京を訪問した
。日程の中に盧溝橋訪問が入っていた。すると、その議員はどうして盧
溝橋に行くのか、と問いかけてきた。盧溝橋知らずの社会党議員には、
本当にびっくりした。歴史を知らない政治家が多すぎる」と語ってくれ
た。ついでに言うと、上海で日本総領事館を訪ねたさいに、応対した総
領事は「若い政治家が歴史を知らな過ぎる」とうめいたものである。基
礎的な教養のないものとの対話はなかなか困難である。
 神社・神道というと、どうしても森喜朗総理大臣が浮かぶ。「日本は
天皇中心の神の国」と公然と演説して、主権者どころかアジアの民にも
面食らわせた。彼の支持率は急落した。

 ことのついでにいうと、すぐ近くでも神社再建の動きが表面化してい
た。聞けば、寄付の「強要」がなされていた。音頭取りは地元の医者で
ある。田舎の有力者というと、医師と郵便局長が相場のようだ。金持ち
を先頭に立てての神社再建である。
 反対している住民も「お付き合いで3000円出した。拒否すると、
何をされるかわかったものではない」と寄付の強要を、事実上認めてい
た。3000円はお付き合いのための最低金額という。小泉の靖国参拝
は、全国的な神社再建を後押ししているのである。それにしても自立し
ない「寄らば大樹」の日本人のいかに多いことか。島国の民族性なのか。

<緑の館>

 樹木・雑草のための我が「別荘」は、桜・桃・菜の花が姿を消して新
緑が目にしみてくる。まだ花が咲いていた。柚の白い花である。そこに
ミツバチが群れている。しかし、数が少ない。農薬被害でミツバチがこ
の地球からどんどん姿を消していると聞いたが、やはり本当だろうか。
農薬で生産されている野菜や果実に不安はつきない。
 スズメバチも数匹舞っている。狙いは花の蜜なのか、それともミツバ
チなのか。
 クロアゲハも。一瞬たりとも羽を休めることがない。なかなかすごい
蝶である。カラスはいい感じを与えてくれないが、アゲハの黒は悪くな
い。華麗な舞いがいい。目で追うと、人間のほうが、先に目が回ってし
まった。
 畑に出ると、すぐに汗をかいた。ジャガイモに元気がない。肥料不足
だろう。前回、鶏と牛の糞を追肥としてまいたのだけれど効果が出てい
ない。草木の堆肥などと縁のなくなった畑は、いってみれば頭でっかち
の教養不足人間のようなものだろうか。堆肥などでしっかりと地力をつ
けていれば、何もかもがうまく成長するはずだ。中学生のころ、職業の
授業で山に枯れ葉を集めに行った。枯れ葉に便所から人糞を汲んできて
、たっぷりとかけておくと、文句なしの健康的な肥料になり、適切な土
壌が完成したものである。田舎の学校のよさだ。

 シャワーを浴びて、うとうとしていると、そこに突然、鶯のさえずり
で余計に気分が爽快になる。至福の瞬間だ。これがヒバリと思われる鳴
き声だとそうはならない。鶯にお尻をたたかれて、もう一度庭に出た。
前が杉林と竹藪だから、もう蚊が活躍していた。今回も東京土産に葺き
を採取したが、そのツケは大きかった。毛虫の被害を受けて体が痒くな
った。これはきつい。
 これからは蚊と毛虫との戦いが待ち構えてきている。農家の人たちは
どうして防御しているのだろうか。

 生あるものは、必ず朽ちる時が来るものだ。月桂樹が枯れてしまった
。大きくなりすぎて上部を切り倒した。これが災いのもとらしい。梅な
どは伐採したほうがいいのだが、樹木もいろいろなのだろう。伝染して
か、そばのブルーベリーも1本枯れてしまった。
 中学生のころ、母方の祖父にもらったツゲの木は、まだ元気がいい。
思い出が詰まった植木である。父が植えた杉も大木になっている。しか
し、なんといっても楠が一番だ。そのうち根っこで家の屋台骨を倒す勢
いである。ゴルフ場建設業者が買いたいといって来た時がある。断固反
対した。
 政治記者になって間もなくのころ、自民党担当の平河クラブに、同党
のグリーン・キャンペーン責任者が楠の苗木を持参してきた。3本持ち
帰った1本が勢いよく成長したものだ。宮澤喜一さんが筆者にくれた色
紙の「大樹深根」を連想させてくれる。

 緑の館には、思い出がいっぱい詰まっている。ここは、元はと言えば
父が赤紙一枚で出征した戦時中も、母が一人で耕作していた畑である。
サツマイモや麦を栽培した本澤家の食の歴史が詰まっているすばらしい
土地なのだ。

 ここ「うまくた」は万葉集にも登場しているという。
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◆セコリョ新聞日本語翻訳版:休載します。
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 後日まとめてお届けいたします。
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◆コーヒーブレイク   
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*コーヒーブレイク
http://coffeebraek.blog59.fc2.com/

*小説「ムンバイに消ゆ」
http://coffeebraek.blog59.fc2.com/blog-category-8.html

*備忘録
http://coffeebraek.blog59.fc2.com/blog-category-3.html

*セコリョ新聞日本語版
http://coffeebraek.blog59.fc2.com/blog-category-1.html
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◆EYE・09年の肖像「島根の夫婦」:片山通夫
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 島根県と広島県の県境にある集落に取材に行った。そこはいわば、中
国山地のど真ん中である。広島駅から車でたっぷり3時間はかかる。そ
の集落は最年少の人でも60歳である。「もう40年も若者を見ていな
い」とこともなげに言う。 その集落で写真の夫婦とあった。車で差し
掛かったら、田圃でいとおしそうに植えたばかりの苗を眺めていた人が
いたので、声をかけた。「朝から田植えをしていました」その人は夫婦
と田植えをしたのだという。「しまった。もっと早く来るべきだった」
と悔やんでみたがもう間に合わない。「夫婦が食べるだけの米を作って
いるのですよ」  筆者は厚かましくも、その方の家に上がりこんで、
いろいろな話を聞くことができた。ひとしきり話を聞いた後で「写真を
撮らせてください」と頼んだら快く夫婦で家の玄関に並んで立ってくれ
た。冗談とお礼を言いながら撮ったのがこの一枚である。 奥さんは「
こんな格好で・・・」とはにかんでおられたが、こんな日常がいいので
す。 筆者はなんとなく「この集落に通うことになるな」と思いながら
、この夫婦に別れを告げた。いささか遠いが人間のぬくもりを感じたの
だ。この集落では「花桃」を1000本植えて「桃源郷」を作るのだと
いう。すでに400本は植えられた。 下司な筆者は「花桃じゃお金に
ならないでしょう」といってしまった。

写真は http://j-net.obei.jp/katayama/2009/05/post-3.html
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◆[編集長から]              片山通夫
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  狂想曲が流れる。行政とマスコミ、そして国民もこの曲に載って踊り
だした。「新インフルエンザ狂想曲」である。

 この狂想曲はどうもわが国だけで演奏されているようだ。ネットで調
べて見た。伝聞が多くてあまり信頼できないかもしれないが、次のよう
なものがあった。

*新型インフルエンザ対策をアメリカ人に爆笑される理由=為替王
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0520&f
=business_0520_021.shtml

*新型インフル、騒ぎ過ぎの代償
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090520/195272/

*新型インフル報道で分かった 日本のマスコミは世界一?
http://www.news.janjan.jp/media/0905/0905143340/1.php

*新型インフルエンザ報道 / その温度差?
http://tukasagumi.exblog.jp/11024663/

 さて、読者諸君。マスクは何のために?厚生労働省のHPでは、
「・マスクを着用してください。
咳、くしゃみが出たらマスクを着用しましょう。また、家庭や職場でマ
スクをせずに咳をしている人がいたら、マスクの着用をすすめましょう
」とあった。それじゃあのマスク姿の群集はみんな・・・インフルエン
ザ患者?

さあたいへん!!!もう「パンデミック状況」だ。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou04/inful_what.html#inful_01
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発行     2009年5月26日   No.386
編集・発行  609studio   Michio Katayama
発行     毎週火曜日  購読料無料
配信          まぐまぐ配信システム       ID:0000052236
              MailuX配信システム        ID:MM3E1B97842E020
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投稿      http://www3.ezbbs.net/06/609studio/
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