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タイトル:609studio No.350◆現代時評:「またしても回ってきた終戦の夏」  2008/08/12


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【609 Studio 】メール・マガジン 2008/8/12  No.350
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「現代社会を斬る!」をコンセプトに論説委員Ken氏の論説「現代時
評」をはじめ、政治評論家、本澤二郎氏の政治評論、また、ロシア唯一
の韓国語新聞サハリンの「セコリョ」ダイジェスト版、その他、寄稿記
事など話題満載! 
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───────────◆◆◆INDEX◆◆◆───────────

◆EYE:「グルジア紛争の日本の報道に疑問」:片山通夫

◆現代時評:「またしても回ってきた終戦の夏」   ken

◆本澤二郎の国際評論「北京五輪開幕」:本澤二郎 

◆[セ・コリョ新聞ダイジェスト版] :2008年8月8日号

◆先週の備忘録:8月3日―9日

◆編集長から

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◆EYE:「グルジア紛争の日本の報道に疑問」:片山通夫
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  北京五輪開会式後に明らかになった南オセチアでのグルジア軍と
ロシア軍との戦闘に関して関西在住のグルジア人チェリストのギア・
ケオシヴィリさんは、母国の安全を気遣いながらジャーナリスト・ネ
ットに次のように語った。

「日本のマスコミは一方的にロシア側からの情報を流しているが、そ
れは真実ではない。私の息子が8月8日にツヒンバリ(南オセチアの首
都)の近くの街へ行ったとき、ゴリ(グルジア領の街)にロシア軍が
爆撃を加えているのを目撃した(と電話で語った)。日本の報道は、
この時点でのロシア軍の侵攻を伝えておらず、一方的にグルジアが戦
闘を開始したような報道がなされている。

 プーチン首相は、ロシアは平和を求めているのに、グルジアが戦争
を始めたと言うが、自分の家(領土)で戦争を望む者などいない」

続きを読む>>
http://coffeebraek.blog59.fc2.com/blog-entry-7.html
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◆現代時評:「またしても回ってきた終戦の夏」   ken
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■■ 「お暑いですね、昔もこんなに暑かったのですか」とのメール
が、メルトモから舞い込んできた。 メルトモといっても、ボクより
30才も若い人である。 「暑いからこその夏です。 もし夏が寒け
れば冷夏で、農作物が実らず困りますよ」と、言いたいところだが、
そう言うボクまでが誰彼なしに会った人毎に「暑いですね」を乱発す
る。 マスコミが言うには、いまや昼間の暑さ35度が日本全体に定
着してしまい、誰も驚かなくなったとのこと。 いよいよわが国も亜
熱帯圏入りしたということか。

■■ さて、「昔もこんなに暑かったか」と問われても、ボクに過去
の夏がどの程度暑かったかについての定かな記憶が無いから返答のし
ようがない。 昔の冬は今と比べて確かに寒かった。それは雪の積も
り具合とか、「あの小川は冬になると毎年凍結していたのに、近年は
凍らない」といった記憶で、昔の冬はいまと比べてもっと寒かったこ
とを思い出させる。 が、昔の夏が暑かったなどは、暑さの具体的風
景が無いので、今年の暑さが過去の暑さよりも確かに激しかったとは
断定できず、気象庁の報ずる平均気温データを鵜呑みにするしかない。

■■ ボクの夏の暑さの比較は、せいぜい唯一、記憶に残る終戦の日
と比べての暑さだけである。 終戦の昭和20年8月、ボクは宮崎県
高鍋郊外の丘陵で、機関銃陣地構築のための穴掘りをしていた。 よ
うやく19才になったばかりで、階級は「上等兵の階級にある幹部候
補生」、特技は「重機関銃手」であった。 重機関銃は、銃身30キ
ロ台座30キロで、本来、移動のための馬が与えられるところ、代わ
りに兵が交代で背負って走り、そのため僅か数ヶ月で肩の皮膚が3度
も破れた。 幹部候補生というのは、半年ほど特別訓練を受ければ士
官もしくは下士官になれる簡易な下級幹部養成の便宜的地位であった。

■■ ほどなく僕らが使用していた立派な92式重機関銃が返納を命じ
られ、代わりに鋳物でできた玩具同様の重機関銃らしきものが与えら
れた。 本土上陸を企図している米軍が日向灘の小丸川に進攻してく
るとの想定で、ボクらはそれに面した丘陵地に陣地を築き、玩具同然
の重機関銃を据付け、敵を迎え撃つ段取りになっていた。 もし敵兵
が上陸していたら、あの張子の虎のような重機関銃で対抗できるはず
はなかった。 近所の村から召集されて来ていた高部兵長が、「おれ
は家内や子供が居るので戦死するわけにはいかぬ。お前は幸い独身だ
から、敵が撃ってきたら俺の前に居て代わりに死んでくれ」と、しょ
っちゅう言っていた。

■■ そうしたある日、ということは問題の終戦当日の8月15日の
ことだ。 幹部候補生15人ほどが(当時の中隊は中隊長以下200
人くらいで、普段の兵制の半数ほどしか居ず、そのうちの1割弱が幹
部候補生だった。)その日臨時に駐屯している部落のお堂のようなと
ころに集められ、初めて渡された「歩兵戦闘教練」というガリ版印刷
物の読み合わせをしていた。 歩兵戦闘教練というのは、長らく使わ
れてきた「歩兵操典」の臨時改訂版のことである。 ちょうど昼休み
で一服していたときサイレンが鳴り、村のリーダーらしき初老の男が
村人を広場に集めラジオを聴き、泣きながら何やら説明していた。
 が、少し離れた僕ら兵隊には何が起こったか理解出来なかった。 
そのうち中隊本部から連絡が入り、演習を中止してすぐ帰隊せよとの
ことである。 隊へ帰って解った、戦争が終わったのである。 あの
とき部落の人たちがラジオを聞いていたのは、例の終戦の勅語なるも
のを聞いていたのである。

■■ ふと気付くと、それまで毎日高鍋の空を飛び回っていた米爆撃
機B29の爆音がぴたりと消えていた。  ああ戦争は終わったのだ
なと思うと、何か心の張りを失ったようで、ただ大空の藍色だけが不
思議に透明で、そして夏の日の暑さは相変わらず暑かった。 「暑い
」と思ったその日の暑さは鮮明に記憶に残っている。 が、その暑さ
が、今日この頃の暑さと比べてどうかとなると返事のしようがない。
 なにしろ、明けても暮れても山の中で塹壕堀をしていた栄養不良の
少年兵と、いまはクーラーを入れたり切ったりしている老残無職の身
では、暑さについての感覚が違いすぎて比較にならない。 ただ、あ
の日の空の碧さと、きょうの空の碧さは60年経ってもたぶん同じだろ
うと想像するだけである。

■■ こうした終戦の思い出は、ほんとうは自分だけで胸にしまって
おくべきかも知れぬし、あるいは、よほど変わった記憶ならば問わず
語りで世間に話すべきかも知れぬ。 が、僕のそれは平凡な一庶民の
人生の一齣に過ぎぬから、いまさら世間に吹聴するほどのことも無い。
 だが最近になって、ふと「待て暫し」と思うことがある。 ぼくが
兵隊にとられたのは、明治維新からちょうど60年くらい経ったころ
だった。 その頃すでに維新や幕末が歴史として珍しくなっていた。
 ならば、歴史的回顧として、ボクのささやかな戦時記憶を吹聴して
も、今となれば希少経験として受入れられ、あるいは関心を持ってく
れる人もあるのではないかと思い、だからこうした機会にその片鱗を
述べることにするようになった。 なにしろその間、茫洋の60年が
すでに過ぎ、日本にも再軍備論などが姦しい。 戦争を知らぬ世代は
戦争を簡単に思うかも知れぬが、戦争を知る僕らの世代はどんな理由
があろうと戦争など真っ平なのだ。 食べ物は無いし、ボクの親戚に
は戦死者も数十人居る。 戦争して、碌なことはなかった。

■■ そのころの記憶として、宮崎県高鍋山中におけるある日の僕ら
の出来事の一つを記しておくから、たわいもない挿話といえばそれま
でだが、この残暑の、暑さしのぎまでに聞いて欲しい。

■■ 高鍋に於ける僕らの軍隊も食糧が不足し、昼食はほとんど水ば
かりの「団子汁」だった。 それでいて土方(どかた)と同じ仕事の
毎日だから、たまったものではない。 ボクも、入隊時に55キロあ
った体重が45キロに減っていた。 そのような暑いある日、何かの
公用でボクは誰も居ない丘陵の一本道を一人で歩いていた。 すると
錆びた自転車の後ろに石油缶を積んだ中年男がボクを呼び止めた。「
兵隊さん、卵を買わぬか」と言う。 見れば石油缶のなかに籾糠(も
みぬか)と共に、鶏の卵がたくさん入っていた。

■■ しめた、と思って、「全部買おう、何個あるか」と聞くと、石
油缶に三杯ほどあると言う。 「全部買うから、ここで待っていてく
れ」と言うやいなや、一目散に塹壕掘りをしている小隊へ走って帰り
、古参軍曹にそれを報告した。 さっそく小隊じゅうの現金をかき集
め、今度は上等兵とボクの二人が、自転車を留めて待っている男のと
ころへ急行し、全量買い取ってきた。

■■ さあそれからが大変だった。 穴掘り作業は臨時休業、各自の
飯盒で火をたき茹でて食べることになった。 下士官は5個、上等兵
は3個、そして2等兵は2個づつの配分だ。 普段おとなしい京城高
商出身の特別志願兵だった古岡小隊長も悪強請りして、一人で10個
もせしめたのが、「本性見えたり」と、のちのち下士官たちに散々の
悪評だった。 ボクは、ご注進の褒美として下士官並みに5個を割り
当ててもらった。 その日の午後は、盆と正月が一度に来たようで、
日ごろ下士官の厳しい顔も穏やかになり、全員がいっとき馥郁とした
ムードに包まれた。 食べ物が人間の心に与える影響は大きかった。

■■ 翌朝、例によって起床ラッパで飛び起きようとしたその瞬間、
軍曹殿が「ちょっと待った」と大声をあげ、皆を制した。 「念のた
めに調べる。今朝、朝立ちした者は手を挙げろ」と言った途端、ボク
はハッと気付いた。ボクの股間が膨張していたのである。 慌てて挙
手し、周囲を見回すと、驚いたことに下士官以下全員が手を挙げてい
た。 絶えて久しくそのようなこともなく、半栄養失調状態であった
我々が、昨日食べた鶏卵数個で全員が「朝立ち」していたのだ。 た
かが鶏卵に、そのような威力があると判ってほんとうにびっくりした
。 と同時に、そのことに素早く気付いた鬼軍曹の気転と慧眼に尊敬
の念を覚えた。

■■ 参考までに、昨日の午後食べた茹卵が、今朝身体の一部の筋肉
の勃起という生理現象を起こすまでの過程を生理学でおさらいしてみ
よう。 先ず人間という動物は植物とちがい、外部からエネルギーを
体内に取り込むには「捕食」という行為による。 昨日、鶏卵を食べ
たのはこの行為である。 身体に取り入れたエネルギーは、すぐその
場で消費してしまうのではなく、いったんATP
(adenosine tri-phosphate アデノシン三燐酸)となって筋肉中に貯
蔵され、必要に応じ取り出して消費される。今朝の勃起に費やされた
エネルギーは、昨晩中はATPの形で体内に保存されていたと考えら
れる。

■■ もしATPの形で筋肉に貯蔵されているエネルギーが有り余っ
ているような体の場合は、何も昨日貯金したATPを今朝すぐ慌てて
取り崩す必要がない。 それはメタボリック症候群となって体内に保
存される。 ところがボクらは違った。宵越しの銭(ぜに)を持たぬ
江戸っ子のように、我々の体は重労働の上の粗食で、エネルギーの補
給が著しく不足している状態だったから、昨日の午後取り入れたエネ
ルギーを今朝すぐ消費してしまったのだろう。 今朝の勃起で消費し
たというより、本当は昨夜のうちにすでに半分消費していたと考えら
れる。 なぜなら、勃起は朝だけでなく、実は寝ている間ずっと断続
している現象であると友人の神経医学者は言う。 彼の話によればイ
ンポテンツの主訴で病院を訪ねる老人の殆どは、じゅうぶん勃起して
いる人だそうで、ただ本人がそれに気付いていないだけらしい。

■■ 「睡眠」には、深い眠りと浅い眠りの二つが交互に連続してい
る。 そして「レム睡眠(rapid eye moving sleep)」、つまり「
浅い睡眠」のときは必ず勃起しているのだが 、本人は寝ているので
それに気付いていないだけだそうだ。 この説に従えば、前日に茹卵
を食べてエネルギー補給した我々小隊40人の全員は、その夜の「レ
ム睡眠」中にずっとエネルギーを消費していて、折角のゆで卵も翌日
の塹壕掘りのエネルギー源になり得なかったのではないか。 さらに
考えると、「捕食」で取り込んだエネルギーも、その消費があまりに
も忙しければ「ATP」という糖質貯蔵物に変化する時間的余裕もな
かったのではないか。 そしてそのような場合、ATPになるという
過程を省略し、直接消費エネルギーとして放電されてしまった可能性
もないとは言えない。

■■ ともあれ、この40人の集団が予期せずして茹卵を食べ、全員
紛れも無く朝立ちの現象があったということは、生物学的調査として
、めったとない稀有の集団実験であったと言えるのではないか、意図
した行為ではないにしても。 軍隊というのはこうした面白い実験の
場でもあった。

■■ 戦前、病人のお見舞いに籾殻につめた鶏卵がよく用いられた。
 いわゆる「滋養になるから」であった。 どの程度、滋養になるか
ボクらは知らなかった。 がしかし、この軍隊における「卵で朝立ち
」経験で、はしなくも卵が滋養になることだけは立証された。 その
ボクがいまや、「朝立ちも 夕立もせず秋の暮れ」の年齢になってし
まい残念である。 もっともここ数日、ボクの住む辺りには夕立が続
き、そのあとはやや涼しい。 誰かが電話してきて「もう立秋だ」と
いう、なるほど・・・。
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◆本澤二郎の国際評論「北京五輪開幕」:本澤二郎 
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  中国人100年の悲願とされる北京五輪が、遂に2008・8・8
に開幕した。80カ国以上の首脳の前で、主役の胡錦濤は「調和の取
れた世界の実現を」と訴えた。これほどに晴れがましい自国での呼び
かけは、恐らく人類の歴史で初めてであろう。
 米国・ロシア・フランス・日本などの首脳がどう受け止めようが、
北京が用意周到に準備した世紀の政治ショーは、見事に成功した。開
会式の演出も圧倒させるものだった。どのような立場の人間でも脱帽
したであろう。夜中の11時30分まで付き合ってしまった。こんな
ことも珍しい。

 他方、ダライラマ集団や法輪功などは、ここぞとばかり人権問題を
提起した。西側の人権団体が飛びつき、マスコミが大きく取り上げた
。人権の重要さを世界に発した政治的意味は絶大だった。
 だが、ちょっと立ち止まって欲しい。人類にとっての人権問題は中
国に限ったことではない。各国為政者への訴え・抗議でもある。
 日本はどうか。マスコミは本当に自由な言論活動をしているであろ
うか。数年前、米人ジャーナリストが日本にやってきた。「ブッシュ
米国では自由に報道できない。それで日本に来た」という。ところが
「日本も制約だらけで自由な報道ができない」とこぼしていた。
 ロシアでは政府批判のジャーナリストが殺害されている。フランス
やドイツなどEU諸国ではデモが実施される。デモが出来るのはいい
にしても、裏返すと人権に問題があるからである。
 広島・長崎の原爆投下は戦争犯罪である。その罪が問われていない
。同じくハルビン731部隊の悪逆非道な犯罪に対して、いまだ責任
を問うてはいない。原爆被災者への保障はどうなのか。
 筆者のふるさと(千葉県)の水源地には、これまでも、これからも
産業廃棄物が埋め立てられている。地下水と河川が有毒物質で汚染さ
れている可能性が高い。人々の命が侵害されているのである。
 人権問題は人類・世界の課題なのだ。福田・ブッシュ・プーチンら
に共通する大事な懸案事項なのである。
 それはさておく。64年の東京五輪の記憶がほとんどない。仕事と
勉強で、スポーツに浮かれている環境に全くなかったからである。そ
の点で多くの中国人は恵まれている。奥地にもテレビがあるのだから。
 とはいえ厳戒態勢でのスポーツの祭典というのもおかしい。世の中
・世界が乱れている証拠である。世界に平和・軍縮をリードする為政
者不在を物語っている。20世紀の戦争の世紀から、平和の21世紀
へという人類の悲願は、単なる希望でしかなかったのか。
 アフガンとイラクでの戦争に引き続き、平和の祭典をこれ見よがし
にとばかりグルジアでも戦端が開かれた。プーチンが報復を口にして
いる。歴史の教訓を学んでいない愚か者が少なくないことを証明して
いる。     2008年8月9日記
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◆[セ・コリョ新聞ダイジェスト版] :2008年8月8日号
              発行 ユジノサハリンスク市 翻訳 Kil Sang
◇詳細/写真、記事は関連Webへ → http://www.609studio.com
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ネベリスク地震復帰関連会議

 さる2日、ロシア連邦地域発展省デ・バクシェエフ次官が召集したネ
ベリスク地震復帰関連会議がサハリン州政府会議室で行われた。会議の
前に被災者用住宅建設現場など関連事業の視察し報告を受けていた次官
は「最も重要な住宅問題が解決できるなど復帰事業は順調に進められて
いるようだ」と肯定的評価を下ろした後、学校や病院など教育や医療な
ど社会福祉関連施設の復帰が今後の課題であると指摘した。今月の4日
、中央政府が追加的に59軒の住宅を被災者に提供することを決めてお
り、これでネベリスク被災者に提供された住宅数は合計1673軒。

第1回極東少数民族芸術祭

 今月7―10日までハバロフスクで初めて極東少数民族芸術祭が行わ
れる。サハリンを含めロシア極東地域に住む少数原住民らが参加し工芸
美術品の博覧会や民族の伝統文化を紹介する予定。サハリン代表団はサ
ハリン州政府とサハリンエネルギー社が後援する。

大学の火災予防体制強化

 サハリン州国家火災監視局がサハリン州内の大部分の大学が火災予防
規則を殆ど守っていないことから大學行政指導部の火災予防試験の義務
化など大學の火災予防体制を強化することにした。新学期が始まる前の
今月25日まで各大学は火災予防規則に沿って安全体制を整えないと授
業開始はできないと監視局は言う。

豚肉生産増加

 先月30日、州農業管理局のテ・ペトレフスカヤ局長が記者会見を開
き、今年上半期畜産業現況について報告を行った。局長によると、昨年
同期に比べ肉生産量が全体的には23.3%、豚肉は70%増加した。
豚肉の生産は今後も増加する見込みであるが、養豚関係企業各社が金融
機関からの融資を受けるなどして設備の現代化と養豚規模の拡大などを
図り、一層生産量を高める方針だ。

9月3日記念

 軍国主義日本から南部サハリンとクリル列島の解放、そして第2次世
界大戦終戦63周年を記念する行事を組織するための実務者会議が先月
30日、ユジノサハリンスク市政府の招集で行われた。9月3日、市内
に戦争時代の歌が放送で流れる他、多様な記念公演が開かれる予定。

市営運輸会社が乗客輸送全担

 ユジノサハリンスク市内の乗客用バス不足問題は今も続いている。先
日、トランスポルトナヤ市営運輸会社がこの問題の完全に解決すると提
案、期待が寄せられている。同社によると現在市内には大型バス47台
、近い内26台を補充し乗客輸送問題を解決するとのこと。乗客輸送関
連権限が同社に移ったため、個人の乗客用バス運行など関連事業は同社
との契約が必要。

特別永住帰国事業説明会

 2日、午前10時サハリン韓人文化センターで450人の同胞が集ま
った中で2008年度特別永住帰国説明会が開かれた。永住帰国事業説
明のために韓国関係機関(外交通商部、建設部、大韓赤十字社)の代表
6人が永住帰国の条件、入居地、帰国後の生活支援などについて詳しく
説明した。今年の永住帰国予定者数は650人、入居地は金浦、亜山、
釜山、カソン、清原、原州など6地域。誰が何所に入るかは未定。説明
会はウラジオストク、ハバロフスク、モスクワでも行われる。

サハリン韓人歴史回復のための国際ワークショップ
―過去に執着、民族教育問題など関心薄い
 
今月1月、サハリン国立大学で第5回在外同胞NGO大会の主要プログ
ラムであるサハリン韓人歴史回復のための国際ワークショップが行われ
た。1時から7時まで過去、現在、未来と3つの部門に分かれて発表と
討論が行われたが、最も関心を集めたのは2部の現在セッション。参加
者の殆どが50−60代だった故に、永住帰国や補償問題を巡っての日
本の責任が厳しく問われた。35年間サハリン韓人問題に携わってきた
高木健一弁護士が永住帰国事業の歴史を中心とした「サハリン韓人の過
去と展望」というテーマの発表を行い、討論に参加した現地社会団体長
からは被害補償訴訟提起、サハリン韓人特別支援法案の再発議などの提
案があった。ところが、民族教育などについての議論の場、第3部未来
セッションでは参加者も少なく、時間に追われ慎重な議論が行われず終
わってしまった。現場に携わっている人たちや若者の参加者が殆どなく
、2,3世らの未来にあまり関心がないのがとても残念に思われた。

お知らせ「光復節記念行事」

8月16日(土)、ユジノサハリンスク市コスモス競技場で光復63周
年記念行事を行う。10時30分〜17時まで。主要プログラム:韓国
文化芸術委員会後援の伝統芸術公演、韓国大衆人気歌手らの歌、サハリ
ン韓人芸術団とエトノス児童芸術団の公演、スポーツゲーム、カラオケ
大会など。
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◆先週の備忘録               Michio Katayama
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*備忘録#93「渦巻く不信ー米原潜」
http://609studio.sblo.jp/article/17585152.html

*備忘録#94「中国厳戒」
http://609studio.sblo.jp/article/17653176.html

*備忘録#95「またまた戦争!ロシアとグルジア」
http://609studio.sblo.jp/article/17779768.html

その他「コーヒーブレイク」はこちら!
http://609studio.sblo.jp/
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◆[編集長から]              Michio Katayama
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 原爆記念日が今年もまた訪れた。6日は広島、そして9日に長崎で
ある。広島の平和宣言では「悲劇と苦悩の中から生れた『核兵器は廃
絶されることにだけ意味がある』という真理の重み」を訴えた。一方
長崎のそれは「核軍縮の責務」を果たすよう、米国で核政策を推進し
たキッシンジャー氏達、元高官らが核兵器廃絶を訴え始めたことに言
及した。

 残念ながら福田首相は「非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久
平和の実現に向け、国際社会の先頭に立つ」とは長崎で挨拶したが、
具体的な行動スケジュールにはふれず「通り一遍の」挨拶しかしなか
った。

 北京五輪の開会式のさなかに、グルジアからの分離独立を目指す親
ロシアの南オセチア自治州で、グルジア軍部隊と分離派政府部隊との
戦闘が始まったというニュース。
 領土、分離独立、宗教、石油経済などが複雑に絡み合った事態は簡
単には解決しそうにない。せめて武力行使だけは即時停止を望みたい。

 この号のTOPに掲載した記事はグルジア紛争で祖国を気遣う一人
のグルジア人音楽家、ギア氏に取材したものだ。
 ギア氏は日本の皆さんが正しく状況を把握されるよう願っている。

ギアさんへのメールは
 me-tanigawa*mountain.ocn.ne.jp 
註:上のアドレスは「*を@に変更」してください。
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発行     2008年8月12日   No.350
編集・発行  609studio   Michio Katayama
発行     毎週火曜日  購読料無料
配信          まぐまぐ配信システム       ID:0000052236
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