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タイトル:609studio No.342◆現代時評:「いったいビルマ政府は何を考えているのか」  2008/06/17


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【609 Studio 】メール・マガジン 2008/6/17  No.342
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 「現代社会を斬る!」をコンセプトに論説委員Ken氏の論説「
現代時評」をはじめ、政治評論家、本澤二郎氏の政治評論、また、
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その他、寄稿記事など話題満載! 
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───────────◆◆◆INDEX◆◆◆───────────

◆現代時評:「いったいビルマ政府は何を考えているのか」 ken

◆ 本澤二郎の政治評論「勲章と宏池会」:本澤二郎

◆ 徒然のサハリン:オリホヴィク美香

◆[セ・コリョ新聞ダイジェスト版] :翻訳が届いていません

◆編集長から

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◆現代時評:「いったいビルマ政府は何を考えているのか」 ken
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◆◆ 日刊ベリタ 2008.6.05 フランスがビルマ(ミャンマ
ー)を襲ったサイクロン被害をめぐり、ミャンマー政府への救援受諾を
待たずに5月8日仏軍艦ミストラルを派遣したのをめぐり、国連臨時総
会でビルマの国連大使がフランスを批判した。

◆◆ ヒューマン・ライツ・ウォッチ 2007.12.07 ビルマ
での平和的な抗議行動に参加した僧侶や市民に対し、ビルマ政府は20
07年9月に暴力的な弾圧を行った。この際に犠牲となったり、拘束さ
れたりした人の数は、ビルマ政府の公式発表をはるかに上回っている。
ヒューマン・ライツ・ウォッチは本日発表した報告書でこのように述べ
た。弾圧を開始して以来、軍事政権は強権的な国内組織を全力で動員し
、あらゆる反政府活動を強引に封じ込める一方で、夜間の家宅捜索で指
導者の身柄を拘束し、僧侶を強制還俗させている。

■■ 5月3日にビルマを襲ったサイクロン災害からすでに1ヶ月以上
経過した。ビルマ軍政府はその被害を死者数2万2980人、行方不明
者4万2119人と公式発表している。 が、マスコミの報道では実被
害はその数倍にのぼるという。

■■ ところがビルマ軍事政府は海外からの緊急援助を拒否し続け、い
まなおタイ・シンガポールなど特定数カ国に限定しているらしい。 と
くに西欧からの、救援物資はともかく救援ボランティアの被災地入りを
頑なに拒み続けたままで、現在ではこうしたビルマの災害関係報道も色
褪せかけている。

■■ とまれ、西欧諸国を初めとするマスコミは、挙ってビルマ政府の
被災者に対する処置があまりにも冷酷であるとし、悪評嘖々である。
 古い表現でいえばビルマ軍事政府の諸外国からの評価はまさに‘四面
楚歌’の状態だ。 が、ビルマ政府はなお彼らの道を行き、他国政府や
マスコミの非難にびくともしない。 よほどの見識と自信があるのであ
ろうか。

■■ ところでこうした件についてのわが日本の態度はどうか。 政府
としてのビルマに対する公式非難声明はいっさい出してない。 米国辺
りから「日本のビルマ圧政に対する態度は優柔すぎる」との苦情を川口
順子外相時代に寄せられたと聞くも、ときの日本政府の見解では「日本
とビルマには特別な過去の関係があり、こればかりは米国の示唆に従う
わけにはいかぬ」と、非公式に意思表示したとか、しなかったとかの噂
をきくばかりであある。

■■ なるほど、わが外務省hpの、08年2月付け「ミャンマー連邦」
のページにこういった文面がある。
 政治関係―日本は従来からの伝統的な二国間関係を基本として軍事政
権成立後も種々対話を実施。日本政府としては、民主化及び人権状況の
改善を促すため、ミャンマーを孤立化させるのではなく、現政権とスー
・チー女史を含む民主化勢力との関係を維持し、双方に対し、粘り強く
働きかけていく外交方針であり、種々の機会を活用し、早期民政移管に
向け努力すべき旨申入れを行なってきている。

■■ ここにいう「伝統的な二国間関係」とはいったいどういうことか
。憶測するに話は第二次大戦に遡るのではなかろうか。 なぜなら、戦
後のビルマと日本の間には見るべき関係など無かったから。 いまとな
れば夢物語だが、戦時中の日本はアジアの植民地を解放し、わが国を盟
主したいわゆる大東亜共栄圏を建設すべく胸を膨らませていた。 その
ときの大東亜共栄圏に於ける超優等生はインドネシアとビルマであった
。 日本陸軍が養成したビルマ独立義勇軍(のちのビルマ防衛軍)のア
ウン・サン司令官を中心にした新生ビルマ国はウー・バー・モウ博士を
国家元首として米英に宣戦布告、日本の強力な同盟国となった。
 まさに日本と兄弟関係の友邦が誕生したのだ。

■■ もっともアウンサン将軍(アウンサン・スーチー女史の父)は日
本軍の敗色濃くなった1943年に英軍に寝返り日本軍に敵対したが、バー
モウ国家元首などは終戦に際し日本に亡命した。 アウンサンの寝返り
は別として、ビルマは戦中戦後を通じてずっと日本の味方で、おなじ仏
教国であることも影響して、あの困難な終戦時からその後に至るあいだ
一貫してビルマ・日本両国民の間に親密感が溢れ、その気風は珍しくも
今日まで続いている。 おそらくわが外務省の言う「伝統的な二国関係
」とか、「特別な間柄」とかいうのは、そうした二国間国民の間に漂う雰
囲気を婉曲に表現しているのではないか。

■■ 多くの旧植民地がもつ旧宗主国と旧植民地の連帯意識からすれば、
ビルマの旧宗主国は英国であるべきだが、この国だけはそうした「英国
という宗主国」の感情以上に、日本との友邦感がより深く根付いている
のがビルマという国ではないかと、ボクは思っている。

■■ じじつ、以前ボクが実業社会にあった頃、取引があったビルマの
客が日本へやってきたときには、社会主義体制国家から来たにも拘らず
、不思議にボクら日本人と、あたかも親戚付き合いのような感じが漂っ
ていたのを忘れられない。 それはわが外務省の「伝統的な二国間関係
」という言葉とぴったりであった。

■■ それが最近の西欧諸国、とくに英米政府筋およびマスコミは、ア
ウンサン・スーチー女史の軟禁事件以来、わが国にも「横暴な独裁軍事
国ビルマ政府」といった見解についての同調を求めてやまない。そして
その見解からすれば、わが日本国政府のビルマへの遠慮した態度は非民
主国へ肩入れとも見えるらしい。 日本は日本なりのビルマ国に対する
特別の肩入れがあってもいいのではないか。

■■ だがはたしてビルマ軍事政府は、かれら西欧の政府筋およびマス
コミが非難するように非民主、独裁政府であるのだろうか。 ボクらは
その実態を知り得ない。 いまのところボクらが入手できる情報はどう
考えても色眼鏡的であり、ビルマ軍事政府の本心はどうであるのかが解
らない。そして解らないままにビルマ軍事政府を一方的に非難するのは
、ボクらとしては採らざるところである。

■■ ひょっとして軍事政府側には、米英の言うとおりに民主化し、す
べてを自由化したら、とんでもない国家秩序の崩壊を招く可能性があり
、それを恐れての半鎖国化ではないだろうか、とも考えられぬことはな
い。 米国流の自由民主がすべて万能ではない最近の国際社会情勢を見
るにつけても、ビルマという敬虔な仏教国が、民主化による国家として
の危険性に躊躇している可能性も考えてみる必要がある。

■■ わが国がもしほんとうにビルマ国と「伝統的な二国間関係」があ
りとすれば、わが首相がビルマを訪問し、かの地の軍事政府のトップと
胸襟を開いて腹蔵なく話し合い、なぜ半鎖国しているのか、なぜ西欧N
POらの災害地入りを拒否し続けているのかを詳しく聞き質してみる努
力を重ねるべきである。 それをせずして、ただ闇雲に、軽率なマスコ
ミの批評を真に受け、軍事政権反対のシュピレヒコールを続けるだけで
は相手に失礼であるし、良識ある態度とはいい難い。
 
■■ 普通にいえば、自国の国民を苦しめて楽しむ政府などありようは
ずがないし、天災で困っているときに救助に来てくれる人を断る理由な
ど無いのが当たり前である。 その当たり前のことを、敢えて反対のこ
とをしようとするのは、それなりの複雑、かつ重要な理由が存在すると
考えて然るべきである。 例えば、救助と称してじつはその政府にとっ
て困る影響を与えようとする気配が濃厚であるばあいなどだ。 最近の
西欧諸国の、他国に対する「民主化」、「グローバル化」の差し出がま
しさなどはその適例である。 余程の自信が無い限り、他人、他国への
お節介は慎むべきではなかろうか。 とくに、ビルマ政府を名指してわ
ざわざ「軍事政権」と表現するような発言は、どう考えても無作法、失
礼の誹りを免れない。 心すべきことである。 
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◆ 本澤二郎の政治評論「勲章と宏池会」:本澤二郎 
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 真鍋賢二氏旭日大綬章祝賀会にお呼びがかかった。真鍋さんは自民党
実力者・大平派会長の大平正芳秘書から参院議員になり、環境庁長官を
歴任している。永田町に足を踏み入れて50年という。筆者は大平派を
担当した72年に彼の存在を知った。体も大きく、なかなかの美男子で
、いつも笑顔を絶やさなかった。

 当時、同じような人生を歩いていた人物に中曽根康弘秘書をしていた
上和田さんがいたが、彼は参院議員になれずに亡くなった。ボスが旭化
成社員をしていた息子を割り込ませたからだ。中曽根の仇敵・福田赳夫
さんは実弟を参院議員にしている。日本政治のありようを見て取れそう
だが、ボスの対応で秘書の運命が左右される。

 秘書経験の政治家は、それ以外のものに比べると、政界のツボを押さ
えているので動きがすばやい。ボスとともに火の中水の中をくぐってき
ているだけに度胸もある。機転が利くのである。参院議員時代の真鍋さ
んにほとんど会う機会がなかった。部屋にいないからだ。いつも飛び歩
いていた。彼らは陳情処理にはうってつけ、仕事師である。

 小泉チルドレンとは違う。ホテルオークラの祝賀会会場に、秘書上が
りの菅義偉選対副委員長がいたので「チルドレンの1割か2割は生き残
れるだろうか」と尋ねると、彼は「3割入れば御の字ですよ」と応えた。

 旭化成の山口信夫会長が発起人代表としてあいさつした。彼の話で事
情が理解できた。大平通産大臣の政務秘書官の真鍋さんのところに日参
していたのが山口さんだったのだ。通産行政を通して二人は親しい仲に
なった。友人によると、この人はシベリア抑留組みだから辛抱強い。そ
れが出世の原動力になったらしい。大企業と役所の関係を物語っている
が、そこに花開いた友情が真鍋―山口ラインなのだ。

 当時の事務秘書官が福川伸次元通産事務次官。この人も大平さんのお
陰で役所のトップになれたらしい。真鍋さんいわく。「秘書官時代にオ
ヤジさんのかばんをいつも福川さんが持ってくれた」という。草履取り
のような汗かきが頂点を極めるものか。

 田中真紀子さんのあと環境庁長官から外務大臣になった川口順子さん
も姿を見せたのがが、彼女は入省1年生のときは通産省一の美人とかで
「新聞記者がいつも彼女を目当てに集まっていた。そんな彼女を福川さ
んがしごいていた」という山口解説も。女性には目がないという小泉さ
んも、彼女の美貌に屈したものか?「女性は美人だと出世できる」とい
うが、確かに永田町には以前から存在している約束事のようだ。

 真鍋さんが森ビルの顧問を2代続けていたという話も、この場で知っ
た。森稔社長を捉まえて上海随一の森ビルの様子を聞いてみた。「四川
大地震が収まったあとに入居が始まる」という。森ビルの上海進出には
大平さんの関係があったものか?「直接はありません。でも無関係とも
いえません」という返事である。

 中国では田中角栄・大平というと、別格の人気を博して久しい。玄人
筋には大平さんの評価が格別である。筆者のよく知る中国きっての知日
派で、元外交官最長老の肖向前さんは「日本の政治家で傑出している人
物というと、戦前戦後を通じてそれは大平さんだ。彼は日本人がもっと
も苦手な思いやりを備えている国際派の政治家だ」と北京の自宅の門を
たたくたびに絶賛する。大平さんのお陰で、筆者もその恩恵を預かって
いる。ことし90歳になった。

 大平さんの子息・裕さん(大平記念財団理事長)にも、今回初めて本
人に伝えることが出来た。「北京に行ったら是非とも尋ねるように」と
も陳情した。彼は北京の外語大学に大平館があると教えてくれた。機会
を見つけて訪問したいものである。

 真鍋秘書の下で大平さんのかばん持ちをしていた鈴木治雄・三木証券
社長とも久しぶり会うこともできた。政治記者になった初日、大平派参
謀の鈴木善幸さん宅で一緒になった当時共同通信の三喜田さんとも20
年ぶりに会えた。年賀状で、いつも日本政治の右翼化と衰退を嘆くまと
もな元新聞記者で知られる。

 日経の山岸一平さんも姿を見せていた。近く、執筆した「昭和後期1
0人の首相」の出版会を開く。いつもながら、この手の会には皆勤して
いる産経OBの阿部さんもいた。

 自民党の会合では聞かれなくなった「平和」が、ここでは何度も飛び
出した。真鍋さんと宏池会会長・古賀誠さんも戦争孤児なのだから。自
民党右翼議員の会だと、妙に肩がこってしまうが、リベラル派閥の面々
にはそれがないのがいい。終わりごろになって大平さんが将来を託した
加藤紘一さんが入ってきた。逆行を跳ね返すべく努力しているのがうれ
しい。あまりおしゃべりしたことがないが、大平流の思いやりが出てく
ればチャンスは生まれるかもしれない。「期待していますよ」と彼の肩
をたたいてしまった。

 会場をネズミのように飛び歩いている若者、といっても、もう45歳
になる真鍋たけし。筆者の大学の後輩だという。元気そうだ。社会経験
もある。秘書も。小泉チルドレンよりは、はるかにましだ。無所属出馬
というのもいい。「平和」を念頭に活動すれば、主権者はついてくるは
ずである。

 会の主役は勲章である。大きな額に収まっている表彰状もある。昔は
、見識のある野党議員は鼻からこれを拒否した。人間を差別するものだ
からNOという野人は少なくないのだが、したがって尊敬する平和・軍
縮派の宇都宮徳馬さんがもらったときは少々がっかりした思い出がある。

 勲章で思い出すのは、社長の徳間康快が「欲しい」と言ってきたとき
、幸いにして推薦役の文部大臣がよく知る小川平二さんだった。徳間が
お礼にと赤坂の料亭「口悦」に、小川さんと親類筋の宮澤喜一さんの二
人を招いた。それまで右よりの福田びいきだった徳間を、宮澤ファンに
させることができた。宮澤さんは平和主義者・護憲派であったからであ
る。

 池田勇人、前尾繁三郎、大平正芳、鈴木善幸、宮澤喜一、加藤紘一と
いう実力者は、戦前の国家主義を否定する平和主義者ばかりである。「
国民の合意を政策として実行する。それがリベラル派の宏池会政治なん
ですよ」とは池田内閣官房長官の黒金泰美さんが筆者に語ってくれた黄
金の言葉である。

 今の宏池会はどうなのか?       2008年6月14日記
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◆ 徒然のサハリン:オリホヴィク美香
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「教育について」−1
  うちの息子は今年9歳。現在、ロシアの学校の3年生。
 今日うちへ帰って来て、明日(5月28日)で今年度は終わりだと言
っていました。8月末日までの長い夏休みの始まりです。
 子どもがいるおかげで、教育のことなど色々と考えさせられます。こ
ちらにいる日本人に会うと、「日本の学校の方がいいでしょう」と言わ
れますが、それも?今現在の状況を見れば、どっちもどっちというとこ
ろでしょうか。で、今回は日本と違うロシアの学校教育(1〜11年生。
日本の小学校〜高校)の一部について2〜3回に分けて紹介したいと思
うのであります。(大学については別の機会に)

1)入学年齢。入学は、9月1日現在で6歳半以上8歳の子が対象です。学
校によって厳しく守るところもありますが、私立校になると、校長の裁
量で若干早く入ることもできます。うちの息子は最初は私立校で、5歳
で入学しました。つまり、学校に入ったその時から、色々な子がいるわ
けです。この時期の子どもですから、1歳違えば体格も違うし、学習能
力も違います。

2)学校の格差。普通の公立学校、私立のエリート校と、学校それぞれ
に個性があります。公立校でも、日本語や韓国語などの外国語が勉強で
きるところもあります。日本のように通学区域というのもありません。
現在ロシアでは教師というのは最も収入の低い職業であまり人気がない
ため、優秀な教師が少ないというのが大きな問題です。ですから、親た
ちはあちこちから色々な情報を得て、少しでも良い学校へ入れようとし
ています。エリート校になると、「お受験」もあります。今息子が通っ
ている学校では、1学年のクラスは成績で分かれています。

3)競争。ロシアという国は、競争が好きらしく、ありとあらゆるコン
テストだのコンクールだのがあります。学校においては、スポーツ、美
術、音楽関係をはじめとして、「オリンピアード」と呼ばれる学校教科
(ロシア語、数学など)のコンテストもあります。このオリンピアード
は、学内→市内→州内→国内とあり、成績優秀者は大統領に会うことが
できたり、奨学金をもらったりといったチャンスがあります。教師の間
でも、教材開発や教授法のコンテストがあり、「今年の教師」という賞
もあります。受験などの大きな競争を煽りながら、運動会などの小さな
競争を避ける日本とは大きな違いだと思います。

4)紙が少ない。日本で長く過ごせる時には、息子を私の実家近くの小
学校に体験入学させているのですが、そこで驚いたのは、宿題や連絡の
紙の多さです。ロシアは少なすぎの感がありますが。ロシアでは、まだ
まだ設備にまわす予算が少なく、学校でもコピーの紙はほとんどが教師
の持ち出しになっています(大学でも)。だからというわけでもないで
しょうが、とにかく紙を使わない。子どもたちは各自「日誌」というノ
ートを持っていて、それが時間割、連絡、成績表の役割をします。時間
割は基本的には学期の最初に決まるとその後変更がないので、毎週子ど
もたちは自分で「日誌」に記入します。連絡事項も先生が言った通りに
書いてきます。それで用が足りるなら、十分でしょう。月に一度は父母
会もあって、そこでも勉強の指導や行事の連絡がありますから。宿題も
基本的には、教科書かワークブックの問題をノートに書いていくもので
す。(次週に続く)
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◆[セ・コリョ新聞ダイジェスト版] :翻訳が届いていません。
              発行 ユジノサハリンスク市 翻訳 Kil Sang
◇詳細/写真、記事は関連Webへ → http://www.609studio.com
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 届き次第お届けいたします。
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◆[編集長から]              Michio Katayama
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 今週から不定期でサハリン在住のオリホヴィク美香さんから、サハリ
ンでの生活をつづった「徒然のサハリン」をお届けします。
 サハリンの生活が垣間見られます。

オリホヴィク美香さんに関しては以下にインタビューを掲載しています。
http://journalist-net.com/archives/08/04/01/104032.php

 14日、岩手・宮城両県にまたがる大地震が起こりました。亡くなっ
た方も、怪我をされた方もおられます。余震も続いているようです。
 十分な対策をされるよう。

 ビルマ(ミャンマー)のサイクロン、中国・四川省の大地震など天変
地異が続いている。
 科学が発展していない時代なら、ビルマや中国の災害を知る由もない
が、「神の怒り」を思う人々も多かっただろう。

 現代でも「地球が泣いている」と表現できよう。特に災害後の人災に
は・・・・。
 
 わが国でも「人災」にならないよう祈りたい。
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発行     2008年6月17日   No.342
編集・発行  609studio   Michio Katayama
発行     毎週火曜日  購読料無料
配信          まぐまぐ配信システム       ID:0000052236
              MailuX配信システム        ID:MM3E1B97842E020
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投稿      http://www3.ezbbs.net/06/609studio/
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