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タイトル:609studio No.340◆現代時評:「四川有情 馬賊の歌」  2008/06/02


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【609 Studio 】メール・マガジン 2008/6/3  No.340
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 本メールマガジンは「現代社会を斬る!」をコンセプトに論説委
員Ken氏の論説「現代時評」をはじめ、政治評論家、本澤二郎氏
の政治評論、また、サハリン情報として、ロシア唯一の韓国語新聞
サハリンの「セコリョ」ダイジェスト版、その他、寄稿記事など話
題満載! 
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───────────◆◆◆INDEX◆◆◆───────────

◆現代時評:「四川有情 馬賊の歌」 ken

◆本澤二郎の政治評論「拉致問題」:本澤二郎 

◆[セ・コリョ新聞ダイジェスト版] :2008年5月23日号

◆[セ・コリョ新聞ダイジェスト版] :2008年5月30日号

◆編集長から

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◆現代時評:「四川有情 馬賊の歌」 ken
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◆◆ アサヒコム 2008.5.28  中国政府の27日の発表による
と、中国・四川大地震の死者は6万7183人、行方不明者は2万
790人となった。被災者は4561万人に上り、避難者も150
0万人を超えた。 

◆◆ (吟詠) 風は蕭々として易水(えきすい)寒し             
        壮士一たび去って 復た還らず   
 ♪♪ 四川(しせん)に去りて五春秋 生死の程も解らねば 
    君が残せし歌草を       我は歌うぞ高らかに       
    今宵(こよい)最後の酒酌みて いざ行きて死せ我が友よ       
      互いに千里隔つとも      仰ぐ高嶺の一つ月
  
■■ ボクがこの歌を教わったのは昭和18年の初春、大陸戦線が
伸び過ぎてどうにもならぬようになった頃のことである。 歌って
くれたのは垂加神道の岩越元一郎氏、題名は「馬賊の歌」と聞かさ
れたが定かではない。 上に記したのは最後の断章で、たしか下記
の歌詞が歌い始めだった。 

♪♪艱難汝を玉にすと その言の葉を一筋に、臥薪嘗炭十余年いま
待望の時至り 身を殺してぞ仁を成す 神州男子の心意気・・・・
・。 いざ見せばやと唯一騎 毛髪風になびかせて 行くや万里の
雲の外・・・。    
      
■■ 歌詞はさらに続く。・・・・ ♪♪深山桜や山つつじ 花こ
そ匂へ道絶えて 人も通わぬ山道に 散りて護国の鬼となり・・・。
 寒風ほゆる北のはて  名もなき草に枕して  われ永劫に眠り
なば  春の訪れ近からん・・・・・・・。

■■ シナ事変の末期、日本軍は蒋氏国民政府軍を追って、南京か
ら長征し武漢3鎮(漢口・漢陽・武昌)に至った。 漢口にやっと
辿りついたとき、相手の国民政府は遥か彼方、四川省重慶に遷都し
、もし日本軍が重慶まで来れば、さらに成都に移るであろうと宣言
した。 歩兵と称して歩くだけの日本軍にとっては武漢が精一杯の
遠い戦線である。 四川省などは天涯の果て、軍をそこまで進める
能力も気力もさらさらない。 

■■ 日本政府は進退窮まった。 蒋介石国民政府に譲歩して撤退
するしかない。 だが相手は四川省に居座り、ここまで攻めて来い
との姿勢だ。 しかもわが日本政府は数年前に「蒋政権を相手にせ
ず」と見栄をきり、汪兆銘に別の南京国民政府を樹立させていて、
体面上わが政府から公式に蒋氏国民政府に和平を申し出るわけには
いかなかった。 そういうときこそ、いわゆる民間の壮士、志士た
ちの出番である。  

■■ 当時の中国大陸には「シナ浪人」と呼ぶ日本人の壮士、志士が
たくさん蟠踞していた。彼らには孫文以来の中国共和革命を助け、
蒋介石氏とも肝胆相照らす仲と自称する人々もおおぜい居た。(有
名な例が津軽の山田良政・純三郎兄弟である。) その上、日本政
府も、そして重慶の蒋氏国民政府も、表向き和平交渉などは真っ平
、いわば双方が相手の腹の探り合いと意地の張り合いに明け暮れて
いた。 そういうときこそ中国革命の志士、つまり「シナ浪人」た
ちの腕の見せ所である。 彼らは、「東洋平和のために命を捧げる
」と言い続ける血気でヒロイックな日本男児たちであった。 われ
こそ四川に密行し、蒋氏と秘密の和平交渉を進めたいとロマンチッ
クな心を湧かせていたのである。

■■ しかしどうやって重慶まで辿り着くか。 せいぜい馬に鞭打
つか、あるいは長江遡行のジャンクに中国人を装って便乗するしか
ない。 もちろん当時の中国大陸には陸路地図らしきものは少なく
、重慶に行き着くまでにどの程度の日数が掛かるかも計算できない
。 食糧入手の宛ても皆無に近い。 それより、悪くすれば緑林馬
賊の餌食になるか、敵国日本のスパイとして殺される可能性が大き
かった。 いわば決死の四川行、同志とは水さかずきを交わしての
出発であった。

■■ こうした非公式の密使や民間人は日本側、中国側ともおおぜ
い居た。 中国側には繆斌(ぼくひん)や高宗武、日本からは今井
武夫や影佐禎昭の名が今に残る。 が、そうした歴史に名を残す者
は少なく、多くは無名の志士たちであった。そして彼らこそ、「馬
賊の歌」の主人公たちであった。当時の四川への道は、歌詞の通り
難渋かつ危険な行程で、 大半は路傍で非業の死を遂げたものと考
えられる。だがそれでも、ヒロイックな東洋平和の志士たちは競っ
て四川を目指して急いだ。 昭和初期の「シナ浪人」たちのロマンと
はそのようなものであった。 たとい匹夫の勇と謗られようと、打
算ではさらさらない。 いのちも要らぬ、カネも要らぬ、ただ一途
に「東洋平和」のためだけであった。 純粋といえば純粋、無謀と
いえば無謀だ。 おそらく彼らは命の絶える直前まで、重慶での蒋
政権との劇的な秘密会談の風景を胸に描いていたであろう。

■■ 結果として、彼ら有名無名の志士たちの夢はついに叶わなか
った。 四川の国民政府とわが国との和平交渉はついに成らなかっ
たのである。 そして周知の通り、蒋氏国民政府との和解はサンフ
ランシスコ平和条約まで待たなければならなかった。 それまでに
何人の志士が四川まで行き着けたか、それはいまもって謎のままで
ある。 秘密ルートの和平交渉のほぼ総てに関与していたと思える
繆斌も、戦後漢奸第一号として処刑されてしまったから、総ては今
もって藪の中である。 

■■ 話は変わって2008年5月。 ここのところ、四川省の大
地震ニュースで持ち切りである。 地震による死者は6万人を超す
らしい。 中国政府も日本からの救援ボランテアを受入れると発表
した。 とたんに日本の医師団、救援隊、それにマスコミ報道陣が
大挙して四川へ押しかけた。 いまや飛行機という文明の利器のお
蔭で、上海から四川までの行程は1日に短縮された。 かっての東
洋平和の志士の四川行とは雲泥の違いである。 僅か60年の差で中
国大陸がいかに開発されたかを日々のテレビで見て、うたた今昔の
感に堪えない。 その昔の若き青年たちの東洋平和に掛けたロマン
は挫折したが、代わって新しい文明が間違いなく四川省にも押し寄
せて来ている。 

■■ そして、「名も無き草に枕してわれ永劫に眠りなば、春の訪
れ近からむ」と歌った青年志士たちの平和への願いも、今回の胡錦
濤氏訪日により急速に進むかに見える。日中の平和は、すなわち
「東洋平和」への大道である。

■■四川省、その省都は成都。 手元の街路樹図鑑によると2キロ
メートルに及ぶ成都の中央大通りは、シーズンになると芙蓉の花が
満開で、まことに美しいとのこと。 成都はご存知「三国志」の舞
台「蜀」の都で、諸葛孔明を祭る「武候祠」がある。 芙蓉は市花、
成都の異称を芙蓉城と呼ぶ。 その芙蓉を植えたのは後蜀の後主孟
昶、ちょうど1000年前のことである。 おそらく、花は中国美
人の紅粧にも似た「酔芙蓉」種ではなかろうか。

■■ 重慶、四川省最大の都会。 世界でも珍しい6縦列の街路樹
が堂々と街の中央を走る。 街路樹には寒帯と熱帯の大樹木が共生
し、学術的にも珍しいそうだ。 樹木が震災に強いのは、ボクらは
すでに阪神大震災で経験した。 成都の芙蓉も、重慶の榕樹(ガジ
ュマル)も、間違いなく震災に耐え、千年の寿命を謳歌しているだ
ろう。

■■ 馬賊の歌。 ボクはこの歌を東京天沼で、山崎闇斎の垂加神
道直系の継承者という岩越元一郎氏から口承で教えられた。岩越氏
もまた観念右翼系の志士であった。 口頭伝承だから誤聞錯誤もあ
り、歌詞の継穂がいささかぎこちない。 この歌について知る人無
きやと戦後60年、とくにインターネット以後の20年、心当たり
を探ってみたがついに得るところは無かった。唯一、昭和40年頃、
何かの記事で、かっての満州建国、五族協和の理想主義的指導者と
して知られた笠木良明氏が、「歌詞は岡山県出身の満州大同学院関
係者某氏の作」と書いておられたのを見たが、歌詞の内容について
は言及が無かった。 どなたかこの歌について、さらにご存知の方
があれば筆者までご連絡願いたい。 さもなければ、この歌はボク
という老骨の寿命とともに社会から永久に消え去ってしまうことに
なる。
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◆本澤二郎の政治評論「拉致問題」:本澤二郎 
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[東京=「ジャーナリスト同盟」通信提供] 
 昨日(5月28日)、東京・内幸町の日本記者クラブで拉致問題担当
の中山恭子総理補佐官の会見を聞いた。甘えたような声の持ち主か
ら、直接生の声で聞くのは今回が初めてだ。緑の洋服の胸に議員バ
ッジが光っている。官僚出身議員である。夫は歴史認識で問題発言
を繰り返した元文部科学大臣である。以前、元閣僚夫人から「彼女
は福田赳夫夫人(康夫総理の母親)のマージャン仲間から這い上が
った人」と聞かされていたものだから、一度は話を聞いてみたいと
思っていた。ようやくその機会が訪れたのだが、彼女は読売新聞の
「大誤報記事」についてかなり時間をさいて発言を行った。

 筆者は読売を読まなくなって大分たつ。彼女の話を聞くまでは何
のことかわからなかった。「今月9日の読売1面のトップ記事の拉
致問題の記事ですが、事実は私がソウルを訪問したということだけ
で、あとは全て事実ではありません」と切り出した。「なかったこ
とが書かれています。報道は事実を伝えるものと思っていましたが、
事実でないことを作文し、それが記事になるのだということを実感
しました」

 彼女の言うとおりだとすると、読売の大失態である。

「官房長官も私も否定、読売に訂正を柔らかい文章で申し入れまし
た。誤報の要点は2つ。私が韓国政府に対して横田さんと孫娘を会
わせてほしいと要請したということ、さらに協議してめぐみさんの
遺骨返還を決めたという記事です。こんなありもしない記事がどう
して出るのか」

 普通の人間であれば、興奮で激高してしまうところだが、彼女だ
からか淡々とした口ぶりが印象的だ。その分、彼女の主張に説得力
を持たせていた。

 中央アジアでの大使館勤務の経験を紹介しながら、その上で「生
存情報はありませんが、拉致された人たちは必ず生きているという
前提で(北朝鮮と)交渉しています。人質救出の鉄則です。8人死
亡を納得できるものではありません」と訴えた。

 聞いていて、ふと北方4島返還論を想起してしまった。硬直した
外交交渉で大丈夫なのか、と。ほとんど動きはないのだから。

 読売記事の目論見は「めぐみさんの娘に、母は亡くなった、とい
わせたいのだろう」ということではないか、とも指摘した。「なぜ
私を使って作文をしたのか。中山が邪魔になったからだと忠告して
くれる人もいる。家族の皆さんは私を信頼してくれている」と怒り
がおさまらない。

 毎日新聞の拉致問題に関係する最近の2本の記事も真っ向から否
定した。そして「大新聞が事実でない、かすってもいないものを、
さも事実のように報道していますが、これはあってはならないこと
です。全ての被害者は生きて帰国させるということで、今後とも対
応していきます」「確かに正常化を進めたい大きな勢力が存在して
いることは承知しています。正常化は必要ですが、その前に人質を
解放することが大事なのです」などと続けた。

 その言はよし。しかし、それゆえに深刻な事態は全く前へ進んで
いないのではないのか。こんなことも発言した。

 「被害者は一般の人々と接触はない。人里離れた場所に点々と家
があり、塀で囲まれた中に入れられている。46時中監視され、引
っ越す自由はない。家の中は盗聴器で、さながら幽閉されている状
態です。帰国した5人に言わせると、自分が生きていることを手紙
や電話を使って知らせることもできなかったというのです。牢屋に
入れられているような状態だったのです」

 ならば、なぜ早く解放しようとしなかったのか。相手の非をあげ
つらうことも重要だが、そうしなかった日本政府の責任もずっと重
いのではないのか。

 彼女はソウルでは、統一部と大統領府の担当者と会見、情報交換
と今後も協力してやっていこうと約束してきただけだと釈明した。

 世情、米朝関係は大きく進展、テロ支援国家の指定解除も時間の
問題になってきているという。日本の孤立が際立っている。他方、
福田総理大臣は「私の手で解決する」と公約したものの、交渉担当
者は皆、小泉―安倍ラインの強硬派ばかりである。問題をこじらせ
ることでのナショナリズム化に狙いがあったと見られている。そこ
で福田サイドは、加藤―山崎ラインの議員外交に重心を移している
とみたい。

 こうした二重外交も福田内閣の不透明さと関係があろう。経済界
のあせりもあるのだろう。北朝鮮の豊富な地下資源を中国、米国が
押さえ込んでしまったとの分析もあるからである。水面下の動きは
激しいのだろう。こうしたことも読売報道と関係があるものか。中
山補佐官のストレスも尋常でない。

 現に「全て生きて帰国させる」といいながら、「今は我慢のしど
ころ。もうしばらく頑張って欲しい。資源での置いてきぼりはない
」と不思議な言動も気になってしまう。

 それにしても、読売の記事に対する彼女の批判は、拉致問題につ
いて判断する材料が不足して断定できないが、それ以外ではよく見
受けられる、と指摘する良識人は少なくないだろう。

 補佐官は最後に、金正日に対して「優れた交渉者という感じを受
けた」という印象も口にした。田中真紀子さんは「なぜ粘って全員
の消息と帰国を勝ち取らないで、日帰り帰国したのか」といって当
時の小泉首相を非難している。 2008年5月29日記
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◆[セ・コリョ新聞ダイジェスト版] :2008年5月23日号
              発行 ユジノサハリンスク市 翻訳 Kil Sang
◇詳細/写真、記事は関連Webへ → http://www.609studio.com
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朝鮮民主主義共和国代表サハリン訪問
           ー露・朝海産物加工合作企業設立提議

 今月16日(金)、朝鮮民主主義共和国対外貿易局代表と駐ナホ
トカ朝鮮民主主義共和国総領事館貿易経済担当者、ピョンヤンケー
ブル工場支配人など8人がサハリンを訪ねた。訪問の目的は露・朝
海産物合作企業設立と朝鮮民主主義共和国商品代理店設置問題を話
し合うため。金曜日夜遅くウラジオストクから到着した代表団は休
日の土日、コルサコフプリゴロドノエ液化ガス工場やユジノサハリ
ンスク市内の現代的なショッピングセンターなどを訪ね、現地の経
済状況を調べた。月曜日にはサハリン州国際対外経済関係及び地域
間連絡委員会の会談室で当委員会員と州政府経済関係職員らに会っ
て、商品代理店設置や合作企業設立問題について話し合った。朝鮮
民主主義共和国側は布ドンシートや靴、化粧品、メリヤス、食品、
建材などの供給を希望していることと海産物加工工場の共同経営を
申し出た。サハリン側はまず徹底した市場調査の必要性を強調する
他安定的な商品供給についての懸念を示しながらも肯定的に受け入
れている様子だった。サハリン州政府によると、昨年70カ所の企
業を通じて2400人の朝鮮民主主義共和国の労働者がサハリンに
入った。彼らの多数が建築、林業、農業、水産業分野で働いている
。今年、サハリン州政府は1万8千人の外国専門家を雇う予定であ
る。

建設国際会議

 20日、ユジノサハリンスク市でサハリン州政府主催、極東地域
大統領代表後援の「サハリン州の建設:その可能性と展望」という
テーマで国際会議が開かれた。ロシア国内、米国、ヨーロッパ、韓
国、中国、日本から工業、住宅、インフラ設計など関連会社代表ら
が参加した。開会式でア・ホロシャヴィンサハリン州知事は原油ガ
ス開発事業における運輸インフラ問題について言及した。20−2
2日までは第6回、サハリン建築博覧会も開かれ、サハリンの会社
の他、モスクワや極東、シベリヤなどロシア各地から関連会社が参
加した。

エトノス芸術学校朝鮮科モスクワ国際Festival参加

 今月26日、ユジノサハリンスクのエトノス芸術学校の朝鮮科生
徒10人が、モスクワで開催される「モスクワの友達を迎える」と
いう国際Festivalに参加するためにサハリンを立った。今年で5回
目を迎える同Festivalは国際慈善財団が主催するもので、舞踊、音
楽、美術など芸術分野に才能のある子供たちを励ますために行われ
る。過去4年間60カ国6千人余りが参加した。

副知事建築現場視察

 エス・ヴィリヤモフサハリン州副知事が12日、ゆじのサハリン
スク市内の道路建設現場や公共施設建築現場を視察した。副知事は
修理して間もない道路が壊れているのをみて建設の質問題に疑問を
示す他、現場の衛生状態が悪いことに気が付き、衛生規則を守るよ
うに指示した。

ユジノサハリンスク市人口18万1400人

 ユジノサハリンスク市政府のよると、現在ユジノサハリンスク市
内の人口は18万1400人。州全体の3分の1がここに住んでい
る。又、市民の平均賃金は3万ルーブル、昨年同期に比べ140%
。一人当たりの最低生活費は約7000ルーブル。月平均年金額は
5600ルーブル、昨年に比べ31%増加した。

高校終業式

 今月15〜17日間、サハリン州内に高校の終業を知らせる最後
の鐘が響いた。今年の卒業生は3811人(昨年4268人)。こ
れから9科目の卒業試験が彼らを待っている。

北方少数民族子供たちのスポーツ大会開催

 今年、7月16〜18日間、トイモフスコエ区域で北方少数民族
子供たちのスポーツ大会が開かれる。サハリン北方少数民族社会経
済発展のための特別プログラムの一環として企画される同大会に、
基金から13万ルーブル、サハリンエネルギー社18万ルーブル、
エプソンネプチガス社が3500ドルを支援する。

安山コヒャンマウルでも父母の日を祝う

 5月8日朝10時、安山コヒャンマウル福祉館でサハリン同胞慰
安公演があった。当日は韓国の父母の日。子供たちを離れ永住帰国
した年寄りの寂しさを慰めるために、地域市民団体と安山市が共同
で開いたもの。小学生らのテケント公演をはじめ、地域を中心に活
動している歌手や民族芸術家たちの歌や踊りが年寄りを大変喜ばせ
た。
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◆[セ・コリョ新聞ダイジェスト版] :2008年5月30日号
              発行 ユジノサハリンスク市 翻訳 Kil Sang
◇詳細/写真、記事は関連Webへ → http://www.609studio.com
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セコリョ新聞創刊59周年

 来る6月1日、セコリョ新聞は創刊59周年を迎える。その間、
3回名前が変わり、1991年からは独立すし財政難に苦しむ毎日
の連続。それでもロシア唯一の韓国語の同胞新聞として民族文化の
維持、発展に励んでいる。ベ・ヴィクトリア社長は紆余曲折の中で
も発行を続けられたのは読者やスポンサーのお陰であると紙面を借
りて感謝の気持ちを伝えた。

サハリン州政府会議

 26日、サハリン州知事の呼びかけで州政府会議が開かれた。行
政部のみならず立法機関、自治体代表らも集まった中で2008年
度1・4分期社会経済状況報告と来年度予算案審議、分野別発展戦
略案などについての議論が行われた。今年1・4分期州経済は昨年
同期に比べ工業、農業、水産、賃金など殆どの分野が成長発展して
おり、今後3年間、成長は続くと予測される。州知事は資源輸出か
ら加工へとの転換を訴える他、運輸や地方産業復活に注力すべきと
強調した。又、会議参加者らは来年度州予算案を検討する他、20
09〜2011年までの地方財政案も作成、これらを州議会に提出
することにした。

6月12日−ロシア建国記念日

 1994年6月12日、ボリス・イエルチンロシア初代大統領が
ロシア独立を宣言したことからこの日をロシア建国の日と決めた。
ロシア連邦政府は昨年8月11日、6月7日土曜日に働く代わりに
6月12〜15日までの4日を連休に決めた。

山火事に注意

 23日、サハリン州政府は山火事予防と鎮火問題を巡っての会議
を開いた。専門家らによると、今年は昨年より火災の危険性が高い
。5月23日現在まで19件の火災で120万ルーブルの損害を被
った。山火事予防のためには190トンの燃料と1億以上の予備物
資を準備する必要がある。火災予防対策が自治体レベルでもあるべ
きだが準備の出来てないところが多く問題視されている。

市公園改築

 22日行われたユジノサハリンスクのガガリン公園長の記者会見
によると、市民らの意見をも参考に公園改築プロジェクトが始まる
。サハリングラズダン設計事務所が設計を担当し、20の会社が投
資を行う予定。公園にアクアパーク、水泳場、カフェ、展示館、駐
車場ができる。

幸せな国民が増加

 さる3月と5月、ロシアの世論調査機関が1千人のロシア国民を
対象に行った調査結果によると、最近自分を幸せな人と思う人が1
0年前の60%から70%へ増えたことがわかった。反面、不幸だ
と思う人は25%から15%へと減少した。幸せだと思う理由は、
家庭の安全(18%)、子供や孫の存在(11%)、面白い事業・
教育(6%)、自分と家族の健康(5%)、愛(5%)の順で、経
済的豊かさと答えた人は2%に過ぎない。しかし、不幸の原因を経
済的貧困と答えた人は13%。

大人と子供の発表会

 今年4月に組織された児童創作発展協力会<ソマン(希望)>は
毎週土曜日サハリン韓人文化センターで親と子供が一緒に韓国語や
童謡、伝統楽器などを学ぶ教室の他、女性合唱団、老人文化教室を
運営している。24日は、サハリン韓人文化センターでその成果を
披露する発表会があった。高齢者と仕事を持つ女性、幼い子供たち
が童謡や伝来童話を通じて民族の言葉や文化を学ぼうとするこのよ
うな活動は次世代に民族文化を伝えようとする親の世代の努力で、
大変歓迎されている。

サハリンに滞在中の韓国人らの親睦運動会

 先週土曜日(24日)、トロイツコエ部落運動場でサハリンに滞
在している韓国人らの運動会があった。仕事で来ている韓国人とそ
の家族40人余りが集まってサッカなどのスポーツ競技を行うなど
楽しい一時を過ごした。
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◆[編集長から]              Michio Katayama
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 「遺憾」という言葉がある。辞書によると「思っているようにな
らなくて心残りであること。残念な、そのさま」とある。
 しかし、このような事態を「遺憾」という言葉だけで済ませられ
るのだろうか。

 東南アジア諸国連合(ASEAN)議長国・シンガポールのリー
・シェンロン首相が31日、軍政の対応を「遺憾」と語った。

 ミャンマー軍政のサイクロン被害者への対応に対してである。報
道によると、軍政が「避難所を出て自宅に戻れ」と被害者を追い出
しているというのである。サイクロン被害から一か月。どの程度の
復興が成ったのか全く国際社会が知らないまま、幕を引こうという
思惑が透けて見える。

 武器を持って立ち上がれとは言わないが、世界の警察官は「自国
の安全と資源の確保」が脅かされる場合のみ、その強大な軍事力を
行使する。

 自国民を見捨てる政権など・・・・。口が裂けても言えないのが
もどかしい。
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発行     2008年6月3日   No.340
編集・発行  609studio   Michio Katayama
発行     毎週火曜日  購読料無料
配信          まぐまぐ配信システム       ID:0000052236
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