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タイトル:609studio No.293◆現代時評:「軍国少年の終焉」  2007/04/03


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【609 Studio 】メール・マガジン 2007/4/3  No.293
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【609 Studio】 メールマガジンは「現代社会を斬る!」をコンセプト
に論説委員Ken氏の論説「現代時評」をはじめ、サハリン情報として、
ロシア唯一の韓国語新聞サハリンの「セコリョ」ダイジェスト版、その
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◆現代時評:「軍国少年の終焉」            ken

◆セコリョ新聞ダイジェスト版:2007年3月30日号

◆ウェブサイトTOPIX

◆編集長から

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◆現代時評:「軍国少年の終焉」            ken

   Ken氏もしくは現代時評へのご意見、ご要望などは 
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◆◆ 朝日新聞 2007.3.23 組織とは、と終生問う。敗戦原
点の筋を通す。 22日に死去した城山三郎さんは、17歳で海軍特別
幹部候補生に志願し、3ヶ月で敗戦を迎えている。自らを死に向かわせ
た戦争を描きたいという思いが作家としての出発点となり、組織と人間
のありかたが生涯にわたるテーマとなった。

◆◆ 日経新聞 2007.3.23 城山三郎氏、男のロマンを描く
。指導者像、戦争体験が原点。 「落日燃ゆ」の広田弘毅、「辛酸」の
田中正造、「官僚たちの夏」の佐橋滋などの実在の人物をモデルとした
作品は堂々とした、ストイックな男たちを描いていた。伝記文学を書き
始めたきっかけは戦争体験だという。

■■ 第二次大戦中に出版された「大義」という本がある。 120万
部を売り上げたというから、当時としては破格のベストセラーだったろ
う。 古い形容詞でいえば「洛陽の紙価を高からしめた」かも。 昭和
12年、山西省で戦死し、軍神と崇められた杉本五郎中佐の遺著で、1
938年平凡社刊となっている。 が、ボクが見たのは真珠湾攻撃以後
のことで、軍刀を持った杉本中佐の写真が表紙になっていたのを記憶し
ている。 内容は当時少年だったボクらにはいささか難解で、ただ雄雄
しく美しい文章だったのが脳裏に残っている。 その時代でも、ボクら
の年齢、つまり10歳代少年の読書としては、いくら戦争時代とはいえ
そう多くはなかった。 いささか早熟気味の、そして激しい「軍国少年
」しか読んでいなかっただろう。 そのような本があったことすら、ボ
ク自身、今となれば半分忘れ去っていた。 なにしろ戦後既に60年で
ある。

■■ ところが数年まえ、その「大義」を読んだと、堂々と新聞に寄稿
していた人が居た。 それが他ならぬ城山三郎氏であった。 ボクとし
てはいささか驚いた。 「大義」を戦争中に読んだ年齢としては、おそ
らくボクなどがもっとも若い年代であると、いささか自負していたから
である。 が、そのボクより、たとい一才でも若い城山氏がそれを読ん
でいたとは、驚きでもあり、氏の早熟さに感心せざるを得なかった。
 「あの難解な文章を、ボクより若い人が読んでいたとは・・」と、舌
を巻く感じでもあった。 おまけにその新聞の寄稿中に、「ボクはいわ
ゆる<軍国少年>だった」と、臆面も無く城山氏が「軍国少年」という
恥ずかしい言葉を活字にしていたのには、意表を衝かれた。 「世の中
には上には上が居るもの」との感を深くした。

■■ なぜなら、現在のボクらは<軍国少年>といった、歯の浮くよう
な語彙は金輪際使用したくないのだが、彼、城山氏は天下の一流紙に堂
々と「ボクは軍国少年だった」と寄稿しているのだから、恐れ入る次第
である。 つまり、こちらが「内心忸怩」として伏せているのを、彼は
天下に向かって堂々と公表しているのだ。 やはり「一流作家だけのこ
とだけはある」と、脱帽せざるを得ぬ、というのがボクの偽らざる心境
である。

■■ ところでその杉本五郎著「大義」の内容はどんなものであったか
。 既述の通り、ボクに記憶は殆ど無かった。 が、最近のITの発達
というのは凄いもので、いつの間にかその「大義」とい稀こう本に近い
出版書の内容がネットで総て公表されているのだから驚く。 

■■ 先ず書き始めはこうである。 「天皇は 天照大御神と同一身に
ましまし、宇宙最高の唯一神、宇宙統治の最高神。国憲・国法・宗教・
道徳・学問・芸術乃至凡百の諸道悉皆 天皇に帰一せしむるための方便
門なり。即ち 天皇は絶対にましまし、自己は無なりの自覚に到らしむ
るもの、諸道諸学の最大使命なり。無なるが故に、宇宙悉く 天皇の顕
現にして(中略)森羅万象 天皇の御姿ならざるはなく、垣根に喞(す
だ)く虫の音も、そよと吹く春の小風も皆 天皇の顕現ならざるなし。
釈迦を信じ、「キリスト」を仰ぎ、孔子を尊ぶの迂愚を止めよ」。

■■ もともとこれは杉本中佐がわが子に残した遺書を兼ねたものであ
ったから、彼の子供たちに宛てた緒言も記されている、「吾児孫の以て
依るべき大道を直指す。名利何んするものぞ、地位何物ぞ、断じて名聞
利慾の奴となる勿れ。 士道、義より大なるはなく、義は 君臣を以て
最大となす。出処進退総べて大義を本とせよ。 大義を以て胸間に掛在
せずんば、児孫と称することを許さず。一把茅底、折脚鐺内に野菜根を
煮て喫して日を過すとも、専一に 大義を究明する底は、吾と相見る報
恩底の児孫なり。孝たらんとせば、大義に透徹せよ。」 

■■ もうこの上記二つの内容を見れば、あとは推して知るべしだ。
 いまとなれば、いくら戦時中の少年といえども、こんなのを読んで熱
中していたというボクら「軍国少年」が、それを恥ずかしく思い、自分
たちの過去の軌跡を他人に語りたくない、その気持ちは解っていただけ
るであろう。

■■ ところが城山三郎氏は、彼の死の数年前に、「大義を読んでいた
」と赤裸々に語り、みずから「軍国少年」であったと、新聞紙上で社会
に発表している。 
  
■■ だからといって彼が、戦後もそうした軍国主義者として押し通し
たというわけではなく、むしろ事実はその反対であった。 城山は別の
ところでこう書いている、「私の作家としての原点は、戦争、軍隊経験
にあります。当時若者たちに絶大な影響力を持っていた杉本五郎中佐の
著作『大義』を読み、理想に燃えた私は17歳で海軍特別幹部練習生とし
て志願入隊するのです。しかし、入ってみたらそこはまるで地獄だった
。(中略)これはあとでわかったことですが、この特別幹部練習生の大
量採用というのは、次々に開発・生産される特攻用特殊兵器のための要
員確保が目的で、制服の襟章のマークの「桜」は、実は「パッと散るの
が定め」という、特攻隊員の象徴でもあったのです。  志願して入隊
するのは、皆、当時の私と同じ17歳ぐらい。この世に未練もないよう
な若者ばかりで、死ぬことを覚悟できてはいます。しかし、いくら覚悟
があっても、実際に死に直面すればそれは大きく揺らぎます。私が入隊
して何ヵ月かたったある日、突然隣の分隊にだけ家族との面会が許され
ました。 それまで何ヵ月も面会はおろか、外出だって禁じられていた
のです。 うらやましがる私たちに、古参の下士官が「あの連中は死に
にいくんだ」と言う。だから最後の別れをしていたわけなんです。
 それを聞いて、みんなシーンとしてしまいましたね」。

■■ だからこそ、戦後の城山は、まだ西も東も分からぬ間の子供たち
に「日の丸」を拝ませ、国歌を合唱することに一貫して反対してきた。
 が、世の分別が付いてからの彼ら青年が、国歌を歌い日の丸を掲げる
のには反対しなかったようだ。 「軍国少年の城山」と、「作家の城山
」は完全に隔絶している。

■■ どこかの新聞社が、彼、城山の、実在の人物をモデルとした作品
は、「堂々としたストイックな男たちを描いて見せた」と批評していた
。 が、それらの小説よりも先に、もと「軍国少年」で、戦後は「作家
」だった「城山三郎こと杉浦英一」氏自身こそ、まことに筋金入りにス
トイックな人物であった、とボクは思っている。 「軍国少年」などと
いえば、ややもすれば制服などを着込んで、隊列を組むヒットラー・ユ
ーゲントとか、近年の黒服を着た右翼行動隊のような青少年の感じを持
つ人もいないわけではないが、事実はぜんぜん違い、彼、城山はむしろ
文学少年の部類ではなかったかとボクは想像している。 

■■ あの時代には、杉本中佐の「大義」のみならず、多くの大人たち
が、意識的かどうかは別として、「天皇の御為に悠久の大義に生きよ」
と、ある種のロマンティシズムを鼓吹し、それによって多くの国民が死
に赴いたのは周知の事実であり、純真無垢で成績優秀な少年たちもまた
その例外ではなかった。 「個人がどんなに頑張ったとしても、指導者
が間違えば国は滅ぶ。 それでリーダーについて考えるようになった」
と、後年の城山は述懐する。

■■ わが国の風習として、以前から「右翼」と「左翼」という思想的
、ないしは政治的な別け方がある。 「左翼」の義はしばらく措くも、
いわゆる戦前の「右翼」について、世の誤解を解くために、少し説明し
ておきたい。 戦前の「右翼」には大別して二派あった。 「行動右翼
」と「観念右翼」である。 いささか暴力的な、現在われわれが知って
いる「右翼」に近いのが「行動右翼」で、故笹川良一氏の「国粋大衆党
」とか、頭山満氏の「玄洋社」系などがこれに該当する。 ところがや
やもすれば美意識的な観念に偏り、「咲く花の匂うがごとき」日本浪漫
派の保田与重郎や、5・15事件後の影山正治の「不二歌道会」などが
「観念右翼」の典型であった。(いまの安部内閣の「美しい日本」はそ
の亜流に近いかも・・。) 

■■ 彼ら「観念右翼」は天皇制日本をこよなく美しい国体であると信
じ、耽美的な短歌・美文などを好んで作ったが、その精神的濫觴は平田
篤胤ら国学者流の「激しいストイシズム」にあったのではないかと、ボ
クは思っている。 

■■ そういった厳しいストイシズムが、天皇制というものに癒着した
とき、わが国体は神格化され、あまりにも人間行動の美しさを要求する
に至る。その典型的な例を、ボクは杉本中佐の「大義」の結文に見る。 
「即ち 皇軍は、神将・神兵ならざるべからず。此の精神だに徹骨徹髄
透徹しあらば、忌むべき 皇軍汚辱の自己功名保存の利己的戦争とはな
らざるなり。(中略)然るに見よ、一会戦終わる毎に、上下の秩序は愈
々乱れ、下は増上漫となり、自己所属の将にあらずんば、全く無差別下
克上となり、上之れを指導するの明識を欠き、功名に酔ひて一時を糊塗
して、皇軍崩壊の遠因素縁をなし、皇国の安危慮外に在るものの如し。
皇軍緒戦に於て既に然り。世界興亡の足跡を仔細に検討せよ。其の滅亡
の最大原因は常に飽くなき利己心、停止を知らざる自己保存ならずや。
(中略)戦争は一身乃至世界の修養なり、利己心滅却にあり、自己保存
崩壊にあり。我執無きものにして始めて尊皇絶対、外に向つて 御稜威
を布伝し得るのみ。 軍よ、(十六字略)より脱却せよ。戦は先づ心に向
つて開始せよ」。 

■■ そうした場合は、軍神杉本五郎中佐の遺書ですらなお、軍の手で
いくらかの改字や伏字が要求される。 政治というものはそうした上に
成り立っている。 上記の最後の(十六字略)がその典型的な例である。

■■ 城山三郎氏とボクは殆ど同年輩である。 厳密にいえば城山はボ
クより1歳若い。 お互い、同じ世代に生き、同じく「軍国少年」だっ
た。 かれが17歳で志願した「特幹」とか「海軍特別幹部練習生」と
かは、ボクの周辺にいまなおたくさん生き残っている。 が、杉本中佐
の「大義」を読んだ連中は殆ど居ないだろう。 なぜなら「特幹」や「
予科練」に応募した連中は、学業成績が良くなかったのが殆どで、難解
な「大義」などを購読する能力は無かった、と解して大きく違わない。
(成績優秀なのは陸士・海兵に進学するのが殆どだった。) 

■■ 彼、城山はおそらく成績優秀で、しかも少年なりの激しいストイ
シズムの持ち主であったとボクは解している。 こうした少年の戦後に
おける生き方は、彼の著書の主人公たち、つまり「落日燃ゆ」の広田弘
毅や、「粗にして野だが卑ではない」の石田禮助のようなストイックな
人々の伝記に凝縮され、彼の憧れがそのままノン・フィクションの主人
公と化したのではなかったろうか。

■■ とまれ、いま昭和生き残りの「軍国少年」が一人逝き、そして昭
和の、あの大戦争も今ほぼ風化し終わった。 まさに、「軍国少年」時
代の終焉がいま訪れたのである。 同時代、同じ思想遍歴に生きたもの
一人として、ボクは、彼、城山の死に際し哀惜の情に堪えない。

◆◆ ところでいま、世界にもう一つの問題がある。 それは毎日のよ
うにニュースで報じられているイラクにおけるテロ事件である。 この
ごろは「テロ」と呼ばずに「自爆事件」と言っているらしい。 彼らの
「自爆テロ」は、それが自らの死を前提とする限り、明らかに「ジハー
ド」、つまり「アラブの大義」に殉じていると解していい。 換言すれ
ば、かっての軍神「杉本中佐の大義」は、いまの「イラクの大義」と寸
毫も替わるところは無い。 その間60年、人類に進歩はないのであろ
うか。 もし僅かでも違うところがありとなせば、それはボクら日本人
がイラクの自爆者を評して「テロ」と呼ぶのを、最近、遠慮し始めたこ
とだけではなかろうか。 人類とは、いかに罪深い生物であることか。
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◇三井三池閉山10年
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◇世界のどこかでNo.94「鞆の浦」
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◇4月の写真アップ
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◇春がきた
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◇ライフ廃刊
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◆[セ・コリョ新聞ダイジェスト版] :2007年3月30日号
              発行 ユジノサハリンスク市 翻訳 Kil Sang
◇詳細/写真、記事は関連Webへ → http://www.609studio.com
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国家プロジェクト実行のための協議会

 27日、イ・マラホフ州知事の呼びかけで保健、教育、住宅の州政府
管理局長らによる国家プロジェクト実行進行についての報告会を開き、
今後の課題について話し合った。会議参加者からは問題点解決のために
は州政府と地方自治体、立法機関、社会団体との協力が必要であり、こ
れが課題であるとの声が上がった。

薬の無料供給

 27日、エル・シュビナ副知事によると、連邦予算だけではすべての
重症患者への無料薬品供給は無理であり、州予算の追加支援が要る。副
知事は誤って薬が供給される事例があると指摘し、対象者名簿作りに万
全を期するように指示した。

連邦政府代表団クリル訪問

 先日、連邦政府代表団がクリルの社会経済発展プログラムの実行過程
を視察するために現地を訪ねた。代表団は択捉の地熱発電所と国後のメ
ンゼレエブスカヤ地熱発電所間の連結パイプ建設現場のほか、地域学校
などを見て回った。

鳥インフルエンザ発生防止

 27日の州政府会議でヴェ・ドロゴクプリャ サハリン州獣医学管理
局長は、春に発生する恐れのある鳥インフルエンザを防止するために対
策を講じていると発表した。そのために1月15日〜3月21日まで農
家の鶏や鴨などに予防注射を打ち、しばらくして血液検査を行うと伝え
た。4月からは渡り鳥を捕獲し感染の有無を調べると共に、渡り鳥が島
を離れるまで毎月検査を続ける方針だ。また、鳥インフルエンザに罹っ
た家禽類が発見された場合、それを処理する場所も探している。

州知事、「ロシア経済発展指導者」に表彰

 毎年政府と民間が共同で、ロシアの経済発展と社会安定に貢献した国
内企業や合作企業、団体、機関などを表彰する「ロシア経済発展指導者
賞」に今年はサハリン州イ・マラホフ知事が選ばれた。今月27日、賞
状と賞金の伝達式がサハリンで行われた。

就学前の児童教育機関の充実化

 エン・ムラショワサハリン州教育管理局長によると、出生率の増加に
伴って最近、サハリンでは就学前教育機関の不足が問題となっている。
保育園や幼稚園の入学率は64%に過ぎず、ドリンスクなどの地方では
半数以上の子供が施設不足のために入園できない状態である。州政府は
全児童が就学前の教育を受けることができるような環境作りを2012
年までの完成する旨の特別プロジェクトを実施する方針を決めた。

部門別職盟委員会長との談話

 イ・マラホフサハリン州知事は24日、部門別職業同盟委員会長らと
の会談を行いサハリン州の社会経済の将来について意見を交わした。会
議の中で最も問題になったのは水道水供給。断水や温水だけが供給され
るため市民の不満は大きく、関連施設や老化したパイプの修理のために
より多額の投資や政府融資が必要であると参加者たちは訴えた。

「領土問題」をテーマに作文コンクール

 サハリン州政府は長年続いているクリル島を巡っての日本との領土へ
の学生らの関心を呼び起こすと共に彼の考えを広く知るために、高校生
を対象に「領土問題」というテーマで作文コンクールを開催することに
した。入賞者には賞状と賞金が与えられる。

タイへの観光は無ビザで

 3月24日からタイへ旅行するロシア人は滞在期間が30日以内なら
ビザ無しで行ける。但し、パスポートの有効期限が6か月以上残ってい
ることが条件なので要注意。

サット航空社設立15周年

 今年で設立15周年を迎えるサハリンの航空会社「サット」が多様な
記念特別イベントを準備中。3月20日から1か月間は国内外を問わず
チケットの割引を行い、乗客の割引券抽選会も行う予定である。

消防車3台

 2005〜2007年間に実施された「火災予防」特別プログラムの
一環として、この間、ユジノサハリンスク市に3台の新しい消防車が届
けられた。一台はネベリスク消防隊に贈られる。4月にはアニワ、ドリ
ンスク、マカロフなど他の地方の消防隊も新しい消防車と設備を受ける
ことになっている。

子供たちの特別休憩室

 ユジノサハリンスク市近郊のルゴヴェに位置する「ガルモニヤ」幼稚
園に児童特別休憩室が設けられた。サハリンエネルギー社の支援で作ら
れた当施設には心理学専門家が常住し子供たちの勉強や遊びの手助けを
する。

韓国領事館開館記念及び同胞慰問共演

 さる21日〜23日までサハリン韓人センターでサハリン韓国領事館
開館祝賀と同胞たちのための慰問共演が行われた。韓国文化芸術委員会
とサハリン現地の領事館や韓国企業らの後援を受けて20人の伝統芸術
家チームが多くの同胞の期待の中で伝統舞踊と楽器演奏、サムルノリな
どを披露した。
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◆[編集長から]              Michio Katayama
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 教科書検定で意外な結果が出た。昨年まで問題の無かった検定が今年
になって不合格の烙印。

⇒沖縄戦での記述で「日本軍の強制で集団自決」の表現がNOとなった。
 生き証人もいると言うのに厚かましい話だ。

⇒さすがに沖縄の新聞は反発している。当然の事だろう。

 例えば「日本軍の命令があったかどうかについては、大阪地裁で係争
中の訴訟で元戦隊長から軍命を否定する意見陳述がなされている。しか
し、軍命の証拠がないからといって「強制はなかった」と言い切れるか
どうか。同訴訟は、集団自決の事実認定と証人尋問がこれからという段
階であり、判決はまだ先である。国自身が当事者ではなく、判決も出て
いない訴訟での(元戦隊長の)証言という不確定要素に加え、原告、被
告双方の意見ではなく、原告だけの主張を取り入れ、検定意見に反映さ
せたのはバランスを欠くと言わざるを得ない」(沖縄タイムス)

⇒他のマスコミも同様に反発しているところが多い。が産経新聞を見て
みると・・・。
 「沖縄戦 新検定方針を評価したい」と題した【主張】欄で「沖縄戦
を含め、領土、靖国問題、自衛隊イラク派遣、ジェンダー(性差)など
についても、一方的な記述には検定意見がついた。検定が本来の機能を
果たしつつあると思われる」と「ちょうちん持ち」に終始している。

⇒いずれの主張が正しいのか、以前から取材を続けてきたマスコミは、
自己の責任でこの問題を洗いなおしてみては?

 従軍慰安婦問題や強制連行、南京虐殺事件など、取り上げるべき史実
であやふやな部分が多い。

 それが一連の問題の決着をつける道でもあり、戦後、総括をしてこな
かった日本人の義務でもあると思うのだが。
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発行     2007年4月3日   No.293
編集・発行  609studio   Michio Katayama
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