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タイトル:609studio No.288◆現代時評:[首相や幹事長はどこまで偉いか]  2007/02/27


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【609 Studio 】メール・マガジン 2007/2/27  No.288

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◆現代時評:[首相や幹事長はどこまで偉いか]       ken 

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◆◆アサヒコム 2007.2.20 中川氏はこのところ閣僚や首相
官邸のスタッフに苦言を呈する場面が増えている。公明党を含めた与党
内に、支持率低下へのいらだちは広がっている。中川氏は18日の講演
に続き、19日の政府・与党連絡会議でも「閣僚や官僚も、自分の考え
を優先する態度は許されない。首相を先頭に、政府・与党が一糸乱れぬ
団結で美しい国づくりに向けて頑張るべきだ」と改めて強調した。

◆◆読売新聞  2007.2.19 安倍首相は19日、中川自民党
幹事長が18日の講演で、首相への忠誠心が足りないと一部の閣僚を厳
しく批判したことについて、「心配をしていただく必要はない」と述べ
た。記者団に、「こうした発言が出る理由は」と尋ねられた首相は不快
感をにじませ、「それは中川幹事長に聞いて下さい」と冷ややかに答え
た。一方、塩崎官房長官は記者会見で、「『改めて気をひきしめて職務
に当たるように』という檄(げき)ということで、引き続き首相をしっ
かり支えたい」と神妙に語った。

◆◆ サンケイWEB 2007.2.20 「これをおしゃべりとと
られちゃうんだよね」。安倍晋三首相は20日午前、閣議を待つ国会内
の大臣室で閣僚に笑顔で語りかけ、自民党の中川秀直幹事長の「(首相
が)入室したときに起立できない、私語を慎まない」との閣僚批判にや
んわりと反論した。 

■■安部内閣メールマガジンの先週第18号の書き出しはソフトな文章で
始まっている、「こんにちは、安倍晋三です。みなさんは、ピーター・
ポール&マリーというアメリカのフォークグループを知っていますか?
 『花はどこへ行った』『パフ』などのヒット曲で60年代に一世を風
靡したグループです。私も中高時代によく聴きました。今の若い人たち
にはなじみがうすい名前かもしれませんね。20日、そのメンバーのひ
とり、ノエル・ポール・ストゥーキーさんとお会いしました。ポールさ
んは、最近、「SONG FOR MEGUMI」という曲を書きまし
た」と。

■■ 正直、ボクは安部さんに好意を抱いている。それは必ずしも彼が
政治家として有能とか、立派な見識を持っているとかといった理由から
ではない。 そういった方面から言えば、彼の首相、あるいは政治家と
しての能力は反対の方向、もっと率直に言えば政治家に不向きではない
かと思うことがある。 がしかし、ボクが彼に好意を持っているのは事
実で、それは例えばかって、チェコのハベル大統領が就任したとき、「
世界中に一人くらい劇作家が大統領になってもいいのではないか」と言
ったという、あのときの新鮮な驚きにも似ている。

■■ だいたい政治家などという人種は、海千山千、狐か狸にも似た手
練手管の剛の者がやる仕事、というのが、ここ数拾年来のわが日本の定
評である。 なぜそんな人でなければ政治家が務まらないのだろうと、
ボクは内心不満だった。 もっと純真でうぶな人が政治家になってもい
いではないか。 騙し合いや駆け引きだけが政治の仕事(function?)で
もなかろう。 チェコのハベル元大統領のように、芸術家の大統領でも
、ビロード革命やビロード離婚という、ひとつ間違えば流血の国家的重
大事を、平和裏にやり遂げた例もあるではないか。

■■ そうした思いのボクに呼応したかのように首相に就任した安部さ
んという人。 事実のほどは知らぬが、表面に現れた顔を見る限り、ま
さに初々しく、ポットと顔を赤らめ、ぎこちない青年のようにモノを言
う、あのしぐさは可憐だ。 「ああ、これはいけそうだ。 かってのチ
ェコのハベル大統領に似ている」、とボクは思った。 が世間、とくに
マスコミ社会ではそれを彼の政治家としてのキャリアの無さのせいとし
て、危険視している。なにしろ「海千山千」の政治屋社会だから・・・。

■■ とは別の話になるが、ボクはTVとは何と便利なものだと思って
いる。 もしそれがなければ終生見ることが出来ない閣議という風景を
茶の間で見られる。芝居や漫才は劇場へ行けば本物が見られ、ドラマも
映画になれば映画館で見られる。 が、そうした場所でぜったい見られ
ないものが、いわゆる「閣議」の風景である。これがTVで、とりあえ
ず最初と最後の部分だけでも見られる。それによれば、首相が閣議に出
席するときは、閣僚の全員が起立して待つ、という習慣があるようだ。
 もっともその風景が、果たして明治以来の日本の閣議の習慣かどうか
は、たぶんに疑問である。 ひょっとしたら米映画の「ザ・ホワイト・
ハウス」による米国における閣議の真似で、近々始まった習慣と思わぬ
ことも無い。

■■ その米国風(?)の「凛」とした規律が、安部内閣の閣議には欠
けていると、他ならぬ自民党幹事長から苦情が出たという。与党幹事長
という楽屋からのお叱りである。 ボクはとたんに、これは面白くなり
そうだと思った。なぜなら、出来星の安物大臣とはいえ大臣は大臣で、
名の通り偉い大臣(おとど)なのだ。 そうした大臣を相手に、無官と
は言わぬにしても、たかが自民党という政党の事務総長役の幹事長が「
そんな大臣は辞めろ」と文句を言ったというのだから、現状ではあきら
かに「大臣」よりも「政党幹事長」の方が偉い人に見える。 が、さて
どちらが偉いのか、ボクには解らぬ。 

■■ そこで、幹事長と大臣のどちらが偉いかをネット検索してみた。
 それはすぐ発見できた。 「政党人としての最大、最高の役職は総理
・総裁でなく、幹事長だ。お前らも将来、幹事長になれるように頑張れ
」と、自民党幹事長として1969年の衆院選を取り仕切り、勝利を収
めた故田中角栄元首相が初当選した自派議員を集めると、こう発破をか
けたそうだ。それがどうやら、大臣よりも与党幹事長の方が偉いという
政治家仲間の習慣の濫觴らしい。田中角栄という人は政治家の序列まで
も決めた。さすが大物首相であった。  

■■ それまでボクなど、大臣の任免権はすべて首相にあり、与党幹事
長が大臣の首をすげ替えるような発言をするとは考えていなかった。
 もっとも、戦前は、大臣の首を切る権限は天皇だけにあり、首相とい
えども大臣のくびは切れなかった。 首相も平大臣も、国務大臣として
は同格だったのである。 それが戦後すぐ、昭和22年の憲法改定で「
内閣法第2条 内閣は、国会の指名に基づいて任命された首長たる内閣
総理大臣および内閣総理大臣により任命された国務大臣をもって、これ
を組織する」との文言が挿入されてから、首相が大臣の任免権を持つこ
とになったのである。 それがいまでは、与党幹事長が大臣の任免を云
々するようになっていたとは驚きである。

■■ これなら、一国の首相と与党幹事長は世俗的に見て同格というべ
きであろう。 田中角栄という人はえらいことを決めたものである。
 政治評論家の浅川氏は、与党幹事長の条件として(1)総裁の寝首を
かかない(2)党運営を任せられる(3)選挙に勝てる(4)カネを集
められる(5)党人事を公平にできる人などを挙げているという。 
 党人事を公平に出来る人、とまでは言っているが、大臣の首を云々と
までは言及していない。 が、じじつは与党幹事長の権限はそこまで伸
びているらしい。

■■ その原因はおそらく、「党運営を任せられ、選挙に勝つこと」へ
の総てが、首相から幹事長に委任されていることにあるのだろう。 そ
して、次の選挙に勝つことのすべてが至上命令として大臣を初め、与党
政治家すべての脳裏に大きくのしかかっていればこそ、その重責を担う
幹事長が最高の実力者にのし上がっているのは疑う余地がない。 それ
には安倍首相といえども埒外に在り得ない。ああした傍若無人ともいえ
る与党幹事長のいわば暴言にも、黙って目を瞑らざるを得ない安倍首相
を憐れと思うべきだ。

■■ 内閣は行政の最高府である。が、行政よりも彼ら与党政治家にと
ってもっと重要なのは、次の選挙に勝利することであり、両方を比べる
と、次期選挙に勝つ方がより大事なのだ。 ならば少々無粋で横柄な幹
事長であろうと、とりあえずは「失礼しました、以後気をつけます」と
首相以下の各閣僚がアタマを下げるのは致し方ないが、それも形式だけ
でいい。

■■ 次の選挙に勝つための総責任者である与党幹事長というのは、い
わば選挙という「戦争」の総司令官と、前線指揮官と補給ロジスティッ
クをかねた存在である。 ならば、人格などという上品なものより、腕
力、もしくは戦闘力において勝る、いわば無法者の如き者が与党幹事長
に選ばれるのが妥当なところであると、ボクは思った。そう考えると、
あの傲慢そうな現与党幹事長の顔を思い浮かべて、いささか納得できる
感じになった。 念のため、かれの過去の経歴をネット検索してみてす
べてが氷解した。 忘れていたつい先年、彼が自民党で何かの役職をし
ていたときに、週間暴露雑誌にスクープされた、どこかのホステスとの
同棲で、相手の女性の麻薬所持疑惑か何かの話。 あるいは某右翼の脅
迫まがいの文書受領疑惑とかのいろいろがいまなお記録として残ってい
る。これぞまさしく政党幹事長の、過去の個人的な勲記に近いものであ
ろう。

■■ そうだ、政党幹事長という職責は奇麗事では済まぬ。 どろどろ
した政治屋家業の中枢にあって、みずから泥を被る汚れ役こそ「幹事長
」の職務であり、 世間でいま言われているところの「清新で穢れの無
い政治」というものへの反対の頂点として今後も残る、最後の「汚れ屋
仕事」こそ、まさに与党幹事長の職責なのだ。 そしてそれに従う政党
政治家たちは、終生、刀を取って選挙という野に争うのが宿命であり、
そのために必要な武器の中でもっとも大事なのが政党からの公認であり
、その公認・非公認権を握っているのが幹事長である。

■■ 考えてみると、前首相のときの与党幹事長も、いまの幹事長も似
たり寄ったりの強引な悪相だった。 彼らにすべて都合の悪いことをな
すりつけて前首相は目出度く宰相の座を降りたし、今回の清純風、安倍
首相も所詮は彼の政治生命を新幹事長に預けることになる。 そうした
清濁の分業が、わが国の政治に最後まで恥部として残るのは已むを得ま
い。換言すれば、泥を被る幹事長をカシラに抱く党人派と、政策と論理
を武器にして取り敢えずは清純を装う実務家としての安倍側近派という
車の両輪に、われわれの将来を預けるほかに今のところ方法は無い。
 せめて安倍首相とその周辺だけでも、清新溌剌として新しい時代の政
治を切り開いていって欲しい。

■■ そしてそのためには、たとい与党幹事長がどう言おうと、閣議に
は私語も勝手、遠慮は不要だ。 首相の入室に直立して出迎える習慣も
お座なりでいい。「清新溌剌」とは、つまりはそういうことである。
 わいわいがやがや、仲間内で楽しく議論し、「賑やかな閣議」という
新しい慣習をつけるよう望みたい。「私語は禁止、首相のお出ましには
起立してお迎え」、といったどこかの国の陋習など、さらりと捨てて、
新しい日本の新しい「閣議」を目指して欲しい。 首相は議決権さえ握
ればいいし、閣僚は首相の最終議決権に従う義務があることだけをしっ
かりと心得て置けばじゅうぶんである。 いたずらに儀礼形式に捕われ
る必要はさらさらない。 亀井議員の、「直立不動で忠誠を求めるなん
て、日本はいつの間に北朝鮮並みの国になってしまったのか」と評する
のはまさしく正鵠を得ている。 幹事長に叱られたら、取りあえずはお
詫びして逃げ切るよう気をつけることだ。

■■ ボクが思うのに、おそらくその奇麗事のモデルであろう米国でも
、「映画 ザ・ホワイト・ハウス」はいざ知らず、実際のブッシュ氏や
、チェイニー氏などの閣議では、「やあジョージ、おいディック」など
と賑やかにやっているのではなかろうか。 もしタダ畏まって、最後に
大臣が署名するだけの閣議など続けていては、日本の将来は危険極まり
ない形式的礼儀だけ残って、国家は滅亡するだろう。
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◇「ロシアの語学教育」
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◇世界のどこかでNo.89「朋友」
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◆[セ・コリョ新聞ダイジェスト版] :
              発行 ユジノサハリンスク市 翻訳 Kil Sang
◇詳細/写真、記事は関連Webへ → http://www.609studio.com
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 2007年2月16日号日本語版は訳者の都合で休載します。
訳文が届き次第お届けいたします。
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◆[編集長から]              Michio Katayama
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 竹島(韓国名・独島)の早期領有権確立を目指して制定された「竹島
の日」が満2年を迎えた。澄田信義知事は「竹島の日」(22日)に知
事談話で「条約制定が大きな波紋を呼び、県民・国民世論を喚起できた
」と同条約を評価した。

 無論領土問題は国家間の解決に待たねばならない。「竹島の日」を制
定した島根県は「国の無策」を暗に批判していると取らねばなるまい。
 一方の韓国もかたくなにならず、相互理解の精神で交渉にあたるべき
問題だ。

◇国土は国の絶対的な基礎だ。その国土があいまいなままの状態で置か
れているということは、まさに政治の怠慢としか言い様がない。
 無論戦争をして勝ち取れと言うわけではない。鉄の宰相、サッチャー
英首相は、フォークランド紛争で、武力による解決を行った。
 我国はその方を学ぶことは出来ないが、ロシアと中国の間の紛争地だ
ったダマンスキー島(珍宝島)は交渉で解決したという事実がある。

 政府は積極的に解決する責を負っている。
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発行     2007年2月27日   No.288
編集・発行  609studio   Michio Katayama
発行     毎週火曜日  購読料無料
配信          まぐまぐ配信システム       ID:0000052236
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投稿      http://www3.ezbbs.net/06/609studio/
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