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タイトル:609studio No.246現代時評:[不思議の国イタリアとトリノ]  2006/02/21


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【609 Studio 】メール・マガジン・2006/2/21  No.246
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  セコリョ新聞日本語版の訳者が2月末まで海外調査に出かけてい
  ます。日本語版はお届けできません。ご了承ください。
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      もしくは  office@609studio.com

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◆現代時評:[不思議の国イタリアとトリノ]         ken 

◆セコリョ新聞ダイジェスト版:訳者出張でお届けできません。

◆編集長から

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◆[不思議の国イタリアとトリノ]              ken                    
   Ken氏もしくは現代時評へのご意見、ご要望などは 
                 office@609studio.com  へ!
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◆◆アサヒコム 2006.2.16 トリノ冬季五輪で日本勢の苦戦が続いて
いる。有望種目とみられたスピードスケートやスノーボード・ハーフ
パイプなどでメダルを逃し続け、第5日を終えて獲得メダルはゼロ。
当初はメダル5個を目標としていたトリノ五輪選手団長の遅塚研一日
本オリンピック委員会(JOC)常務理事も14日、「(達成は)ち
ょっと難しい」との見通しを語った。背景には競技環境の悪化や勢力
地図の変化などがありそうだ。

■■いま、トリノで冬季オリンピックが開催されている。 来月には
同地でパラリンピックも開かれるという。 前回の大阪オリンピック
立候補、そして落選劇では、桁違いの袖の下が必要で、大阪市の予定
費用ではどうにもならなかったと、誘致委員だった友人がぼやいてい
た。想像以上のすごいカネが中国からオリンピック委員会宛てに動い
た、という噂だ。 

■■その点、冬季オリンピックは、長野市でも開催出来たからそう多
くのカネが要ったわけでもないらしい。 だからトリノでも誘致でき
たのだろう。なにしろトリノは、ひと頃の五分の一の生産車両しかな
いフィアット自動車工場以外には、見るべき産業もない観光都市に成
り下がっているのだから。

■■10年以上も前、ボクはぐうぜんトリノへ行ったことがある。そ
れもトリノではなく、イタリアのチュ―リン(TURIN)という街
へ行ったのだが、行って見て、その街の本名(?)が「トリノ」だと
知ったていどである。その頃、ボクら英語圏の外国人の間ではふつう
チューリンと呼んでいた。トリノへはミラノから汽車で西の方、つま
りフランス国境に向って2・3時間かかる。人口はおよそ100万人
である。

■■訪ねて行った相手に、チュ―リンと、トリノとどちらが正しい地
名かと訊ねた。すると、「英米人はチュ―リンと呼び、われわれイタ
リア人はトリノとよぶのが普通である」と答えられた。 「じゃ、英
米人が多く住んでいるのか」。「いや多くない、というより殆ど居な
い」。「では、なぜ、そして誰が、いつ頃からチュ―リンと呼び始め
たのか?」。「そんなことは誰も知らぬ。だいいち、チュ―リンが英
語かどうかもはっきりしない。が、とにかくこの町にトリノとチュ―
リンの二つの呼び名があることだけは確かだ。」 これではお話にな
らない。イタリア人もアメリカ人同様に、そして平均的日本人に比し
て、簡単な社会知識がひじょうに薄い。

■■トリノのメイン・ストリートにある中規模の書店に入ると、売っ
ている書物のおよそ半分はフランス語の書籍、半分はとうぜんイタリ
ア語のものであった。 かっては半分フランス語地域だったのかも知
れない。折りからの急雨で、傘を買うべく物色していたら、とつぜん
「こんにちは」と後ろから日本語を掛ける黒人青年が居た。「この辺
の店員は不正直だから、貴方の風体を見ると値を吹っかける。私が交
渉してあげましょう」と言って、親切に手助けしてくれた。聞けば、
アフリカ生れの青年で、東京にも数年居たことがある由。黒人は、そ
のころのトリノでは珍しかった。

■■ところがトリノの市街は整然として美しい。古都というほどでは
無いが、古めかしい石と煉瓦造りの街並みが一定していて、屋根の高
さは殆ど均一である。よく見ると、続いた古い建物群は、ときに3階
建て、ときに四階建てなのだが、なぜか家並みの高さだけがほぼ同じ
で、これは不思議だった。いま拙宅にトリノの中心、つまりプラッツ
の古い木版画が掛かっているが、それとちょうど同じ場所の新しい写
真を見ると、木版画には屋根にサンタクロースが入りそうな煙突がた
くさん突き出ているが、写真の方にはそれがすべて取払われている。
あとは、古い絵と、いまの写真の風景はそっくり同じである。

■■街路に面した部分は、すべての建物がほぼ一つの統一された長屋
式建築に見え、そのところどころにぽっかりと裏口に抜ける開口部が
ある。そこを覗いてみると、ナンのことはない建物の裏側がみな空き
地になっていて、車や放置物などはその空き地に駐車したり、放置し
てあるから、少なくとも街路の表側を見る限り、駐車も比較的少なく
、ゴミの山も無い。これでは街が美しく、整然として見えるのはとう
ぜんである。

■■「なぜこんな美しい街路の街ができたのか」と訊ねると、「それ
はイタリアの首都だったのだから当然で、たぶん王様がそうしたのだ
ろう」と、答える。「おかしな話だ、イタリアの首都はローマではな
いか」。 「いや、そのまえはトリノが首都だった」と、これはまた
異なことを言う。

■■そこでふと気付いた、ボクにはイタリア史などぜんぜん知らなか
ったという事実である。 この609studioの購読者諸兄もおそららくそ
うではないだろうか。古代ローマ以来、イタリアはローマが首都で、
王様や教皇の居る都はローマかバチカンである、と思っていたボクが
浅はかだったのである。古代ローマならば、ギボンのローマ衰亡史な
ど読まなくても、いまどきは塩野女史の講談類似本などで、じゅうぶ
ん理解出来る。が、近現代イタリア史となると、ネット検索でもあま
り出て来ない。

■■ではイタリアという国はいつ頃生まれたか。ずばり言えば、いま
のイタリア共和国の前身、イタリア王国の建国は1861年である。
米国公使ハリスが将軍に拝謁し、竹内下野守や福沢諭吉の訪欧使節団
が派遣されたと同じ文久元年で、国王はヴィクトル・エマヌエル一世
、首都はトリノであった。 国としては、ひじょうに新しく、近代史
というよりは「現代史」に近い。 

■■トリノの街が整然としていて、一見古めかしいが、どことなく新
しいのは、そのころに建設された都市だからであろう。ローマ、ロン
ドン等の古色蒼然たる歴史的格式は無い。といって、新しい街でもな
い。われわれ日本人は、イタリアと言えばローマやフィレンツエなど
を本能的に想起するするから、こうした文化の時代的錯誤を持つ。
 ミラノの中央駅なども戦前の現代建築だが、チョット目にはバロッ
クと誤解させられるが、これがイタリアという国の狙い目であろう。
彼らは芸術の古色化、つまり骨董化に長けている。

■■ミラノから汽車で東に2・3時間(現在の特急では1時間半)で
、トリノの終着駅ポルタ・ヌオーバに到着すると、早速駅舎のドーム
と壁画の壮麗さに驚かされる。バロック期のものかと錯覚を起こすが
、これなどムッソリーニ首相が造営させたというから、いわば現代建
築である。 

■■ミラノからトリノまでの旧国鉄は、東西に流れるポ−河と並行し
て走っている。沿線はどことなく日本の風景に似ている。よく見ると
水田で稲が植えてあるから、備前平野か琵琶湖の湖南地方の景色に近
い。(往年の名画シルバーナ・マンガーノの「苦い米」の舞台はポー
河だった。) 水田の畔(あぜ)に樹が植わっていて、汽車の座席の
前に座っている老女は「ガジーヤ」だと言う。ミモザ・アカシアの類
で、アカシアのアを発音しないで後ろを延ばすから「ガジ―ア」にな
る。それに、遠目では夕霧か紫陽花に似た白い頭状花序の潅木が多い
。イタリア語では「サンポコ」という花だそうで、沿線に生える植物
は、およそこの2種類である。

■■トリノ滞在中に、友人に連れられてトリノの西の山岳地帯へドラ
イブした。 山の中腹に教会とお城を兼ねたような古い建物があり、
その外壁の高いところに丸い野球ボ−ルより少し大きめの鉄の塊が二
つめり込んでいた。 一つには1600年代の年号、もう一つには1
700年代を示す数字が、壁に書き込まれていた。戦争で、山の向こ
うから打ち込んだ砲弾が城壁にめり込んだままのを、記念物として保
存しているのだという。 

■■「敵とは誰か」と聞くと、「山の向こう側から打ち込んだのだか
ら、おそらくフランス軍だったろう」という。「しかしそのころ、フ
ランスやイタリアという明確な国家概念はなく、おそらく、サヴォイ
地方の内戦みたいなものではなかったか」と、友人は言う。 山の向
こう側は、現在はフランスだ。いま「トリノの冬のオリンピック」を
開催しているのは、おそらくこの山岳地帯だろう。「トリノ市街には
あまり雪が積もらぬが、この辺り山岳地帯は、冬はいいスキー場にな
る」とのこと。

■■簡単にいまのイタリアという国の歴史を説明しておこう。
1848年、群王割拠のイタリアに統一運動が高まった。ローマ法王
やナポリ国王は統一反対だった。それぞれの背後にはバチカン、ロス
チャイルド家などがついていた。1860年に、バチカン、ナポリ、
ヴェニス除いて、いまのイタリア全土が統一された。 英雄将軍ガリ
バルディー率いる赤シャツ隊がシシリーに上陸、占領した。全土統一
に際して、ちょうどトリノに居たサヴォイ王朝が、統一イタリアの君
主として擁立された。

■■だがシシリー島民は、サヴォイ王朝に対抗して団結した。シシリ
ーのマフィアと、そのときの赤シャツ隊残党が融合して今日なお余力
を保っている。それがいわゆるシシリー・マフィアで、彼らにはイタ
リア政府も一目置いている。

■■土井晩翠の歌にガルバルディが出てくる・・・。西紀一千九百年
なんぢの水は墓なりき・・・・。おそらくイタリアのガルバルディは
、明治維新の坂本竜馬か高杉晋作のような存在ではなかったか、と思
う。ガルバルディ将軍の生地ニースは、イタリア統一が成ったとき、
対オーストリア戦争援助のお礼として、イタリアからフランスに割譲
された。

■■1860年の秋、赤シャツ隊は、フランス王室ブルボン家のナポ
リ王を打倒。伊三代目のアドルフ・ロスチャイルドは命からがらナポ
リから逃亡した。 1866年、統一イタリアはヴェニスを統合した。
 それまではヴェニスはオーストリア領であった。1870年に至る
も、ローマ教皇ピウス九世はバチカンに籠城して落ちず、その窮地の
バチカンにロスチャイルド家が20万ドルを融資した。バチカンはつ
いにイタリア領にならず今日に至っている。そうしたいきさつから、
現在もバチカン銀行の投資顧問は、ロンドン・ロスチャイルド銀行が
勤めている。

■■サヴォイ王朝エマヌエレ3世の時に、ソ連共産革命の過激派が勢
いを占め、国軍の収拾もつかず、王はファシストのムッソリーニに国
家の経営を託した。が、連合軍への敗色が濃くなると、王はムッソリ
ーニ首相を逮捕幽閉した(これを当時の日本の新聞は<ムッソリーニ
首相挂冠>と報じた)。のちムッソリーニは処刑された。われわれの
「日独伊三国同盟」はこのムッソリーニと交わしたものだが、この時
代が、イタリアとしては最もよき名誉ある時代であったらしい。

■■イタリアは第2次大戦末期に米英と単独講和したが、戦後の国民
投票で信任を得られなかったサヴォイ王朝は滅び、エマニエル王はフ
ランスに移住した。サヴォイとはフランス、スイス、イタリアに跨る
地方の名称で、いま仏領のニースなどは、もともとサヴォイ領だった。 

■■イタリアの歴史を顧みると、古代ローマはいざ知らず、後世はど
うにもならぬ乱脈国家で、その習性は今なお続ている。
 例えば、現首相ベルルスコーニは、1999年の個人納税額では国
内第17位とされているが、放送・出版、広告、通信、映画、金融、
流通、不動産、建設、スポーツと幅広い業界で同国最大の資産家とい
うのが衆目の見るところである。シシリー・マフィアとベルルスコー
ニ首相との癒着は、いまも半公然の事実とされている。ベルルスコー
ニ首相は先般の、スマトラ沖大地震の被災者のため、総額550万ユ
ーロ(約7億4000万円)を個人的に寄付した。 

■■少なくとも近現代史では、イタリアは汚辱に塗れた三流国家でし
かない。古代遺産と芸術以外には見るべきものは無い。とても世界の
主要国家とはいい難い。第2次大戦後はなおのこと産業は疲弊しイン
フレも激しい。ハンカチ大の紙幣には000が幾つも付くリラ数字が
並んでいる。「汚職」といえばイタリア、「犯罪」といえばイタリア
と、定評がある。

■■「イタリアの国家財政は破綻の寸前ににある」とか、「シチリア
・マフィアには政府も手を出せない」とかの噂は日常茶飯事である。
 にもかかわらずイタリアという国はちゃんと生きている。それどこ
ろか、G7や、G8という世界主要国会議の中に、つねにイタリアが
加わっている。ボクにはその理由が判らない。あれほどのインフレ、
そして赤字財政国家が、とやかくいわれながらさっさとECにも加盟
している。現に、トリノ冬季オリンピックも開催されている。「不思
議の国イタリア」と、ボクが言うのはそのためである。

■■誰かが言う、「古いローマ帝国の歴史と文化に敬意を表しての、
世界の大国」ではないかと。ならば、ギリシャなどは、なお更の世界
の大国ではなかろうか。

■■イタリアのように綱紀退廃し、財政は紊乱しても、国家は滅びな
い。アフガンやイラクの如く、大砲や空爆で殺戮を縦(ほしいままま
)にされなければ、国家が滅ぶということは無いのではないか。
 ならば日本の評論家やジャーナリズムは、あまりにも軽軽に「この
状態では、日本は滅ぶ」などと発言し過ぎるのではないか。

■■ボクは「勝ち負け」が大嫌いで、「勝敗」の決まるものはスポー
ツですら好かない。だからこの現代時評にも、オリンピックには言及
しない。だが、イタリアがなぜ世界の大国の一つに入れられているの
か。その不思議さの方が、ボクにはかえって興味がある。それともイ
タリアという国が、ボクらが聞かされているほどいい加減な国ではな
くて、じつは立派な先進国なのであろうか。
 諸賢のご意見を聞きたい。
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◆[セ・コリョ新聞ダイジェスト版] :
              発行 ユジノサハリンスク市 翻訳 Kil Sang
◇詳細/写真、記事は関連Webへ → http://www.609studio.com
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 訳者が2月末まで海外出張中です。後日改めてお届けします。
なお韓国語は以下のページで読むとが出来ます。

      http://www.609studio.com/kil_sang.html
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◆[編集長から]              Michio Katayama
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 フィリピン・レイテ島で大規模な地すべり。死者1000人を超す
という。自然破壊の被害?まさに地球は怒っている。しかしその怒り
の先は常に弱者。

◇疑惑深まるホリエモン。メールで。彼らしい。それにしても民主党
の対応も不可解。情報提供者の了解は出す前から取り付けるべき。
 疑惑が疑惑を呼ぶ。

◇麻生外相が「北方領土住民(ロシア国籍)に日本のほうがいい」と
思ってもらうためにテレビの出力増強に言及。日本のテレビ番組がえ
さになる?

◇鳥インフルエンザが猛威。渡り鳥が媒介?
そういえば昔こんな歌があった。

 ♪イムジン河 水清く とうとうと流る 
  水鳥 自由に 群がり飛び交うよ

 その鳥が媒介とは・・・。

◇国家公務員の天下り2万2000人超すと衆院調査で判明。ちょっ
とした町並み。霞ヶ関天下り村。
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発行     2006年2月21日   No.246
編集・発行  609studio   Michio Katayama
発行     毎週火曜日  購読料無料
配信          まぐまぐ配信システム       ID:0000052236
              MailuX配信システム         ID:MM3E1B97842E020
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