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───────────────────────────────── 【609 Studio 】メール・マガジン・2006/2/21 No.246 ───────────────────────────────── 【609 Studio 】メールマガジンは「現代社会を斬る!」をコンセプ トに論説委員Ken氏の論説「現代時評」をはじめ、サハリン情報 として、ロシア唯一の韓国語新聞サハリンの「セコリョ」ダイジェス ト版、その他、寄稿記事など話題満載! 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費用ではどうにもならなかったと、誘致委員だった友人がぼやいてい た。想像以上のすごいカネが中国からオリンピック委員会宛てに動い た、という噂だ。 ■■その点、冬季オリンピックは、長野市でも開催出来たからそう多 くのカネが要ったわけでもないらしい。 だからトリノでも誘致でき たのだろう。なにしろトリノは、ひと頃の五分の一の生産車両しかな いフィアット自動車工場以外には、見るべき産業もない観光都市に成 り下がっているのだから。 ■■10年以上も前、ボクはぐうぜんトリノへ行ったことがある。そ れもトリノではなく、イタリアのチュ―リン(TURIN)という街 へ行ったのだが、行って見て、その街の本名(?)が「トリノ」だと 知ったていどである。その頃、ボクら英語圏の外国人の間ではふつう チューリンと呼んでいた。トリノへはミラノから汽車で西の方、つま りフランス国境に向って2・3時間かかる。人口はおよそ100万人 である。 ■■訪ねて行った相手に、チュ―リンと、トリノとどちらが正しい地 名かと訊ねた。すると、「英米人はチュ―リンと呼び、われわれイタ リア人はトリノとよぶのが普通である」と答えられた。 「じゃ、英 米人が多く住んでいるのか」。「いや多くない、というより殆ど居な い」。「では、なぜ、そして誰が、いつ頃からチュ―リンと呼び始め たのか?」。「そんなことは誰も知らぬ。だいいち、チュ―リンが英 語かどうかもはっきりしない。が、とにかくこの町にトリノとチュ― リンの二つの呼び名があることだけは確かだ。」 これではお話にな らない。イタリア人もアメリカ人同様に、そして平均的日本人に比し て、簡単な社会知識がひじょうに薄い。 ■■トリノのメイン・ストリートにある中規模の書店に入ると、売っ ている書物のおよそ半分はフランス語の書籍、半分はとうぜんイタリ ア語のものであった。 かっては半分フランス語地域だったのかも知 れない。折りからの急雨で、傘を買うべく物色していたら、とつぜん 「こんにちは」と後ろから日本語を掛ける黒人青年が居た。「この辺 の店員は不正直だから、貴方の風体を見ると値を吹っかける。私が交 渉してあげましょう」と言って、親切に手助けしてくれた。聞けば、 アフリカ生れの青年で、東京にも数年居たことがある由。黒人は、そ のころのトリノでは珍しかった。 ■■ところがトリノの市街は整然として美しい。古都というほどでは 無いが、古めかしい石と煉瓦造りの街並みが一定していて、屋根の高 さは殆ど均一である。よく見ると、続いた古い建物群は、ときに3階 建て、ときに四階建てなのだが、なぜか家並みの高さだけがほぼ同じ で、これは不思議だった。いま拙宅にトリノの中心、つまりプラッツ の古い木版画が掛かっているが、それとちょうど同じ場所の新しい写 真を見ると、木版画には屋根にサンタクロースが入りそうな煙突がた くさん突き出ているが、写真の方にはそれがすべて取払われている。 あとは、古い絵と、いまの写真の風景はそっくり同じである。 ■■街路に面した部分は、すべての建物がほぼ一つの統一された長屋 式建築に見え、そのところどころにぽっかりと裏口に抜ける開口部が ある。そこを覗いてみると、ナンのことはない建物の裏側がみな空き 地になっていて、車や放置物などはその空き地に駐車したり、放置し てあるから、少なくとも街路の表側を見る限り、駐車も比較的少なく 、ゴミの山も無い。これでは街が美しく、整然として見えるのはとう ぜんである。 ■■「なぜこんな美しい街路の街ができたのか」と訊ねると、「それ はイタリアの首都だったのだから当然で、たぶん王様がそうしたのだ ろう」と、答える。「おかしな話だ、イタリアの首都はローマではな いか」。 「いや、そのまえはトリノが首都だった」と、これはまた 異なことを言う。 ■■そこでふと気付いた、ボクにはイタリア史などぜんぜん知らなか ったという事実である。 この609studioの購読者諸兄もおそららくそ うではないだろうか。古代ローマ以来、イタリアはローマが首都で、 王様や教皇の居る都はローマかバチカンである、と思っていたボクが 浅はかだったのである。古代ローマならば、ギボンのローマ衰亡史な ど読まなくても、いまどきは塩野女史の講談類似本などで、じゅうぶ ん理解出来る。が、近現代イタリア史となると、ネット検索でもあま り出て来ない。 ■■ではイタリアという国はいつ頃生まれたか。ずばり言えば、いま のイタリア共和国の前身、イタリア王国の建国は1861年である。 米国公使ハリスが将軍に拝謁し、竹内下野守や福沢諭吉の訪欧使節団 が派遣されたと同じ文久元年で、国王はヴィクトル・エマヌエル一世 、首都はトリノであった。 国としては、ひじょうに新しく、近代史 というよりは「現代史」に近い。 ■■トリノの街が整然としていて、一見古めかしいが、どことなく新 しいのは、そのころに建設された都市だからであろう。ローマ、ロン ドン等の古色蒼然たる歴史的格式は無い。といって、新しい街でもな い。われわれ日本人は、イタリアと言えばローマやフィレンツエなど を本能的に想起するするから、こうした文化の時代的錯誤を持つ。 ミラノの中央駅なども戦前の現代建築だが、チョット目にはバロッ クと誤解させられるが、これがイタリアという国の狙い目であろう。 彼らは芸術の古色化、つまり骨董化に長けている。 ■■ミラノから汽車で東に2・3時間(現在の特急では1時間半)で 、トリノの終着駅ポルタ・ヌオーバに到着すると、早速駅舎のドーム と壁画の壮麗さに驚かされる。バロック期のものかと錯覚を起こすが 、これなどムッソリーニ首相が造営させたというから、いわば現代建 築である。 ■■ミラノからトリノまでの旧国鉄は、東西に流れるポ−河と並行し て走っている。沿線はどことなく日本の風景に似ている。よく見ると 水田で稲が植えてあるから、備前平野か琵琶湖の湖南地方の景色に近 い。(往年の名画シルバーナ・マンガーノの「苦い米」の舞台はポー 河だった。) 水田の畔(あぜ)に樹が植わっていて、汽車の座席の 前に座っている老女は「ガジーヤ」だと言う。ミモザ・アカシアの類 で、アカシアのアを発音しないで後ろを延ばすから「ガジ―ア」にな る。それに、遠目では夕霧か紫陽花に似た白い頭状花序の潅木が多い 。イタリア語では「サンポコ」という花だそうで、沿線に生える植物 は、およそこの2種類である。 ■■トリノ滞在中に、友人に連れられてトリノの西の山岳地帯へドラ イブした。 山の中腹に教会とお城を兼ねたような古い建物があり、 その外壁の高いところに丸い野球ボ−ルより少し大きめの鉄の塊が二 つめり込んでいた。 一つには1600年代の年号、もう一つには1 700年代を示す数字が、壁に書き込まれていた。戦争で、山の向こ うから打ち込んだ砲弾が城壁にめり込んだままのを、記念物として保 存しているのだという。 ■■「敵とは誰か」と聞くと、「山の向こう側から打ち込んだのだか ら、おそらくフランス軍だったろう」という。「しかしそのころ、フ ランスやイタリアという明確な国家概念はなく、おそらく、サヴォイ 地方の内戦みたいなものではなかったか」と、友人は言う。 山の向 こう側は、現在はフランスだ。いま「トリノの冬のオリンピック」を 開催しているのは、おそらくこの山岳地帯だろう。「トリノ市街には あまり雪が積もらぬが、この辺り山岳地帯は、冬はいいスキー場にな る」とのこと。 ■■簡単にいまのイタリアという国の歴史を説明しておこう。 1848年、群王割拠のイタリアに統一運動が高まった。ローマ法王 やナポリ国王は統一反対だった。それぞれの背後にはバチカン、ロス チャイルド家などがついていた。1860年に、バチカン、ナポリ、 ヴェニス除いて、いまのイタリア全土が統一された。 英雄将軍ガリ バルディー率いる赤シャツ隊がシシリーに上陸、占領した。全土統一 に際して、ちょうどトリノに居たサヴォイ王朝が、統一イタリアの君 主として擁立された。 ■■だがシシリー島民は、サヴォイ王朝に対抗して団結した。シシリ ーのマフィアと、そのときの赤シャツ隊残党が融合して今日なお余力 を保っている。それがいわゆるシシリー・マフィアで、彼らにはイタ リア政府も一目置いている。 ■■土井晩翠の歌にガルバルディが出てくる・・・。西紀一千九百年 なんぢの水は墓なりき・・・・。おそらくイタリアのガルバルディは 、明治維新の坂本竜馬か高杉晋作のような存在ではなかったか、と思 う。ガルバルディ将軍の生地ニースは、イタリア統一が成ったとき、 対オーストリア戦争援助のお礼として、イタリアからフランスに割譲 された。 ■■1860年の秋、赤シャツ隊は、フランス王室ブルボン家のナポ リ王を打倒。伊三代目のアドルフ・ロスチャイルドは命からがらナポ リから逃亡した。 1866年、統一イタリアはヴェニスを統合した。 それまではヴェニスはオーストリア領であった。1870年に至る も、ローマ教皇ピウス九世はバチカンに籠城して落ちず、その窮地の バチカンにロスチャイルド家が20万ドルを融資した。バチカンはつ いにイタリア領にならず今日に至っている。そうしたいきさつから、 現在もバチカン銀行の投資顧問は、ロンドン・ロスチャイルド銀行が 勤めている。 ■■サヴォイ王朝エマヌエレ3世の時に、ソ連共産革命の過激派が勢 いを占め、国軍の収拾もつかず、王はファシストのムッソリーニに国 家の経営を託した。が、連合軍への敗色が濃くなると、王はムッソリ ーニ首相を逮捕幽閉した(これを当時の日本の新聞は<ムッソリーニ 首相挂冠>と報じた)。のちムッソリーニは処刑された。われわれの 「日独伊三国同盟」はこのムッソリーニと交わしたものだが、この時 代が、イタリアとしては最もよき名誉ある時代であったらしい。 ■■イタリアは第2次大戦末期に米英と単独講和したが、戦後の国民 投票で信任を得られなかったサヴォイ王朝は滅び、エマニエル王はフ ランスに移住した。サヴォイとはフランス、スイス、イタリアに跨る 地方の名称で、いま仏領のニースなどは、もともとサヴォイ領だった。 ■■イタリアの歴史を顧みると、古代ローマはいざ知らず、後世はど うにもならぬ乱脈国家で、その習性は今なお続ている。 例えば、現首相ベルルスコーニは、1999年の個人納税額では国 内第17位とされているが、放送・出版、広告、通信、映画、金融、 流通、不動産、建設、スポーツと幅広い業界で同国最大の資産家とい うのが衆目の見るところである。シシリー・マフィアとベルルスコー ニ首相との癒着は、いまも半公然の事実とされている。ベルルスコー ニ首相は先般の、スマトラ沖大地震の被災者のため、総額550万ユ ーロ(約7億4000万円)を個人的に寄付した。 ■■少なくとも近現代史では、イタリアは汚辱に塗れた三流国家でし かない。古代遺産と芸術以外には見るべきものは無い。とても世界の 主要国家とはいい難い。第2次大戦後はなおのこと産業は疲弊しイン フレも激しい。ハンカチ大の紙幣には000が幾つも付くリラ数字が 並んでいる。「汚職」といえばイタリア、「犯罪」といえばイタリア と、定評がある。 ■■「イタリアの国家財政は破綻の寸前ににある」とか、「シチリア ・マフィアには政府も手を出せない」とかの噂は日常茶飯事である。 にもかかわらずイタリアという国はちゃんと生きている。それどこ ろか、G7や、G8という世界主要国会議の中に、つねにイタリアが 加わっている。ボクにはその理由が判らない。あれほどのインフレ、 そして赤字財政国家が、とやかくいわれながらさっさとECにも加盟 している。現に、トリノ冬季オリンピックも開催されている。「不思 議の国イタリア」と、ボクが言うのはそのためである。 ■■誰かが言う、「古いローマ帝国の歴史と文化に敬意を表しての、 世界の大国」ではないかと。ならば、ギリシャなどは、なお更の世界 の大国ではなかろうか。 ■■イタリアのように綱紀退廃し、財政は紊乱しても、国家は滅びな い。アフガンやイラクの如く、大砲や空爆で殺戮を縦(ほしいままま )にされなければ、国家が滅ぶということは無いのではないか。 ならば日本の評論家やジャーナリズムは、あまりにも軽軽に「この 状態では、日本は滅ぶ」などと発言し過ぎるのではないか。 ■■ボクは「勝ち負け」が大嫌いで、「勝敗」の決まるものはスポー ツですら好かない。だからこの現代時評にも、オリンピックには言及 しない。だが、イタリアがなぜ世界の大国の一つに入れられているの か。その不思議さの方が、ボクにはかえって興味がある。それともイ タリアという国が、ボクらが聞かされているほどいい加減な国ではな くて、じつは立派な先進国なのであろうか。 諸賢のご意見を聞きたい。 ───────────────────────────────── ◆[セ・コリョ新聞ダイジェスト版] : 発行 ユジノサハリンスク市 翻訳 Kil Sang ◇詳細/写真、記事は関連Webへ → http://www.609studio.com ───────────────────────────────── 訳者が2月末まで海外出張中です。後日改めてお届けします。 なお韓国語は以下のページで読むとが出来ます。 http://www.609studio.com/kil_sang.html ───────────────────────────────── ◆[編集長から] Michio Katayama ───────────────────────────────── フィリピン・レイテ島で大規模な地すべり。死者1000人を超す という。自然破壊の被害?まさに地球は怒っている。しかしその怒り の先は常に弱者。 ◇疑惑深まるホリエモン。メールで。彼らしい。それにしても民主党 の対応も不可解。情報提供者の了解は出す前から取り付けるべき。 疑惑が疑惑を呼ぶ。 ◇麻生外相が「北方領土住民(ロシア国籍)に日本のほうがいい」と 思ってもらうためにテレビの出力増強に言及。日本のテレビ番組がえ さになる? ◇鳥インフルエンザが猛威。渡り鳥が媒介? そういえば昔こんな歌があった。 ♪イムジン河 水清く とうとうと流る 水鳥 自由に 群がり飛び交うよ その鳥が媒介とは・・・。 ◇国家公務員の天下り2万2000人超すと衆院調査で判明。ちょっ とした町並み。霞ヶ関天下り村。 ───────────────────────────────── 発行 2006年2月21日 No.246 編集・発行 609studio Michio Katayama 発行 毎週火曜日 購読料無料 配信 まぐまぐ配信システム ID:0000052236 MailuX配信システム ID:MM3E1B97842E020 e-mail office@609studio.com website http://www.609studio.com 投稿 http://www.609studio.com 掲示板へ 購読 購読解除は websiteへ ◇禁・無断転載◇ ─────────────────────────────── |