メルマガ:片山通夫のnewsletter「609studio」
タイトル:609studio No.222◆現代時評:[クール・ビズ]  2005/07/26


◇◆◇609 Studio メール・マガジン◇◆◇ 
                             22005/7/26 No.222

【609 Studio 】メールマガジンは「現代社会を斬る!」をコンセプ
 トに論説委員Ken氏の論説「現代時評」をはじめ、サハリン情報
として、ロシア唯一の韓国語新聞サハリンの「セコリョ」ダイジェス
ト版、その他、寄稿記事など話題満載! 
           URL ⇒   http://www.609studio.com
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        ◆609studio NEWS◆

          ◇◇シンポジュームと写真展開催のお知らせ◇◇
                 主催 ジャーナリスト・ネット

 戦前、樺太と呼ばれていたサハリンは第二次大戦中、日本により朝
鮮半島から連行された朝鮮人たちが今も4万人ほどが生活しています
。彼らは「日本人でない」という理由で彼の地に遺棄されました。こ
のサハリン残留朝鮮人をテーマに歴史を知り、この問題を考える写真
展とシンポジウムを開催します。(入場無料)

        時:2005年8月5・6日 
        場所:ドーンセンター (大阪・天満橋)
       http://www.dawncenter.or.jp/top/index.jsp

    ☆☆8月5日(金)・6日(土) 片山通夫写真展☆☆

◇写真展:モノクローム40点 2005年8月5日(金) 13:00-21:00
  2005年8月6日(土) 10:00-17:00
◇ドキュメンタリー上映「アリランの流れる島」
             −サハリン残留朝鮮人の記憶  カラー45分 

    ☆☆8月6日(土)  シンポジューム・プログラム☆☆

13:30-14:00 呂(ヨ)・栄華(ヨンファ)コンサート「アリランの世界」
       朝鮮民謡「アリラン」を中心としたコンサート

14:00-14:45 ドキュメンタリー上映「アリランの流れる島
           〜サハリン残留朝鮮人の記憶〜 

14:50-16:00 シンポジューム 「サハリン残留朝鮮人の軌跡」
●コーディネーター 川瀬 俊治 氏 ジャーナリスト
●ゲスト・スピーカー 金(キム)   道竜(ドヨン) 氏 
         (1923年生サハリンから韓国へ帰国)
●パネラー   池田 知隆 氏 毎日新聞論説委員
          片山 通夫 氏 フォトジャーナリスト

             ◇「アリランの流れる島」上映のお願い◇

  戦後60年たった今もサハリン残留朝鮮人の苦悩は続く・・・。
  609Studioでは、DVD「アリランの流れる島」の
  上映会をしていただける方を募っています。サハリンの朝鮮
  人の証言に耳を傾けてください。
   
   ⇒  http://www.609studio.com/html/news-3.html 
   
      お問い合わせ      w_m@609studio.com
           

           ◇「ジャーナリスト・ネット」毎日更新◇

   ブログ形式で複数のシャーナリストがそれぞれの分野の記事を
   発表するプロ集団のWeb新聞。

        http://blog/journalist_net/

───────────◆◆◆INDEX◆◆◆───────────

◆現代時評:[クール・ビズ]                ken

◆セコリョ新聞ダイジェスト版:2005年7月22日号
  
◆編集長から:[この1週間]

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◆現代時評:[クール・ビズ]               ken    
   Ken氏もしくは現代時評へのご意見、ご要望などは 
                 w_m@609studio.com  へ!
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◆◆毎日インタラクティブ 2005.7.21 「8割はクールビズに賛成。
でも、実践したことがあるのは男性の約3割だけ」という実態が、ダ
イキン工業が5日まとめた調査で明らかになった。気持ちは賛成でも
、実行しようとすると社内や取引先などが気になって踏み切れないサ
ラリーマンの本音が読み取れる。調査は6月10〜12日にインター
ネット上で実施し、20〜50代の会社員男女計800人が回答した
。男性のクールビズが広まることについては、「非常によい」「まあ
よい」の回答が計80%に上った。 ところが、男性回答者に実際に
仕事で着ている夏の服装を尋ねると、「ワイシャツにネクタイ」「ス
ーツにネクタイ」が計61%。「ワイシャツにノーネクタイ」「カジ
ュアルウエア」の計28%を大きく上回った。

■■暑い、とにかく暑い。気象情報では35度や36度を普通に報じ
るようになった。日本もいよいよ亜熱帯圏か。「現代時評」も、ロン
ドンの爆破事件や郵政民営化ばかり論じているとアタマがおかしくな
りそうだ。

■■こう暑いときに、ボクがいつも思い出す話がある。真偽のほどは
知らぬが戦前の西アフリカ・モンロビアの話である。商船やタンカー
の便宜置籍国として有名なリベリアの首都だ。 リベリアは、国名の
通り「自由」を標榜して建国された。 近年は内乱で有名だが、アメ
リコ・ライベリアンと呼ばれる米国開放奴隷が作った理想国家だった
。1847年にアフリカ最初の共和国として独立した。その後は少数
の開放奴隷の子孫が多数の現地住民を支配する形で長く存続した。

■■リベリアの首都モンロビアでは、米国から帰国した解放奴隷たち
が、米国上流社会を真似て、年中真夏のリベリアながら何かの催し物
にはネクタイ・シルクハットが正装であった。 その話を思い出すた
びに、「さぞ暑かろう、紳士になるのもたいへんだ」と、ボクらは思
ったものである。

■■いまの日本。真夏の出勤姿の半分くらいは、まだネクタイを締め
たサラリーマンが多い。 なぜ、ネクタイか。 会う相手、来客など
に、ネクタイをしていないと失礼に当たるからだそうだ。

■■ところがこの夏、小泉首相が先頭に立ってから、急に「クールビ
ズ」という言葉が流行りだし、国会中継でもノーネクタイの議員が増
えた。結構なことである。 ささいなことのようだが、こうした簡素
化運動は余ほどの実力者が先頭に立たないと実施できない。 なぜな
ら先ず「お客様に失礼に当たるから」という反対論が出るのがわが国
の通例であり、それに対する説得は難しい。 理論的な話なら理屈で
説明も出来ようが、感性、感情に関係する話だから、とにかく説得が
難しい。 こうした「礼儀」、つまりセレモニーについての保守傾向
は、日本の社会風土の特徴ともいえるかも知れない。「果断、実行」
を得意とする小泉首相が先に立っての、今回の「クールビズ」の流行
だろう。毎年ある夏のことだから、これ一つが今夏から実現すれば、
仮に郵政民営が不発に終わっても小泉さんの名は後世に残る、とボク
は言いたい。

■■だが、「クールビズ」という和製英語めいた省略語は、感心しな
い新語だ。 「クールスタイル」とでも言えば、説明しなくても世界
に通用するだろうが、「クールビズ」では、使用する前に先ず相手、
とくに外国人相手では意味の説明が必要だ。 国際化の時代というの
に、国際的ではない。おそらく英語に堪能な人々にとっては、ぜった
いに使用しない言葉であろう。

■■「いっときロンドンに留学していたという小泉さんの英語の感覚
はその程度のもの。尻尾を出した小泉英語で、あの調子でブレア氏や
ブッシュさんと会話を交わせば、きっと馬鹿にされること請合いの英
語」と、英語学者ならば言うだろう。もっともこの「クールビズ」と
いう和製英語、環境庁公募の3200人の中から入選したというから、
環境庁も似たり寄ったりの和製英語族で、国際性や美意識に無関心な
役所に違いない。

■■真夏にはネクタイを外し、アタマをクールにして、討論を続ける
のは役所や職場にとって結構なことだ。 といって、このネクタイ無
しの姿、いま急に環境庁が発明したわけではない。数カ月前から例の
ホリエモン氏が実行している「ネクタイをして来なかったから球団へ
の参加を拒否した」と言われた、そのスタイルに近い。

■■ホリエモンと「クールビズ」の違いは、ホリエモンはどうやらス
ポーツシャツらしいが、「クールビズ」は単に上着を脱いでネクタイ
を外しただけの<しどけない>姿であるようだ。
 周知のように「Yシャツ」は、西欧では「下着」の扱いである。ネ
クタイも上着も着用しない下着姿のままでは、家族以外に見せられな
い、と決まっている。 西欧のそうした「下着」の定義を必ずしも日
本に適用する必要は無い。

■■だが、「いま、ネクタイを外してきました」と言わんばかりの、
小泉首相や細田官房長官のテレビに写る襟の皺は、どうも頂けない。
ネクタイをとった跡のふくらみまで丸見えで、どう贔屓目に見ても美
しいとは思えない。 不様(ぶざま)で「しどけない」朝食前か、就
寝のための着替え姿である。これならホリエモンのスポーツシャツの
ほうがだいぶ上等である。 民主党の岡田党首が「クールビズ」に同
調しない理由も分かりそうな気がする。 

■■見て、美しいかどうかは、礼儀正しいかどうかとは、ワケが違う
。見て、上品で美しくありさえすれば、ネクタイを締めているかどう
かは問題でない。 それを、「クールビズ」の名のもとに、襟元をは
だけたままで、テレビの前に現われる議員諸公のセンスは疑われて然
るべきだ。

■■昔、ボクが住んでいたころ、ハワイではすでに「アロハシャツ」
が全盛だった。毎年の「アロハウイーク」には、役所も銀行もみなア
ロハシャツ姿だった。 今ごろのアロハシャツとちがって、色彩も図
柄も目が覚めるように斬新かつ、華やかであった。 「熱帯の花の楽
園」といった感じが、ハワイ全土をうずめ尽くしていた。コーラルブ
ルーと、真赤なハイビスカスの色が、商店街、オフィス、そしてパン
アメリカン航空の機内にまで溢れていた。 まだ、ハワイが準州だっ
たころのことである。

■■日ならずして、全世界から、観光客がハワイへ押し寄せた。その
手始めがアロハシャツであった。 そしてとうぜんのこと、誰もアロ
ハシャツ姿を「相手に失礼」とは思はず、外国から来たお客たちも「
アロハシャツ」の美しさに見とれた。 かくしてハワイは、アロハシ
ャツを出発点として世界に誇る観光地を作り上げたのであった。 ボ
クは当時の、ハワイの人達の美意識と知恵に敬意を表した。

■■それから30年後、ボクはフィリピンに住むことになった。とき
のマルコス大統領が「バロン・タガログ」という、夏向き正装をみず
から発明した。
 「暑い夏にはネクタイを外し、オープンシャツ姿で」と宣伝し、そ
のための長袖、開襟の薄生地シャツを大統領自身が開発したのであっ
た。 それが「バロン・タガログ」、つまり「タガログ人の正装」で
ある。 パイナップルやバナナの葉の繊維を使用した、やや透明の薄
い平織長袖シャツである。織物では、日本の「芭蕉布」か「宮古上布
」に近い。 もっとも最近は極細のポリエス生地に金ラメを織り込ん
だものが多い。 ここまで言えば、アキノ氏、マルコス氏など、歴代
フィリピン大統領の写真姿を思い出す方も多いだろう。
 「バロン・タガログ」が世に出るまでは、フィリピンの名士たちは
ネクタイ背広で宴会パーティに出かけていたものである。

■■いま折角、小泉首相が宣伝してくれているのだから、議員諸公は
、この夏はクール・ビズでいって欲しい。 それを、多くの野党諸君
のように「与党のことはナンでも反対」とばかりに、ネクタイ姿を墨
守するのは頂けない。 「是は是、非は非」、暑い夏は開襟シャツか
スポーツシャツで、という、臨機応変の心掛けこそ大事である。

■■だが、どう贔屓目に見ても、いまの「ノーネクタイ」は、上品と
は言い難い。 がしかし、そう思う人は、何かネクタイ姿に代わるも
のを自分で考案すればいい。 華やかなアロハでも、涼しそうな「バ
ロン・タガログ」でもいい。 それで警察が怒ってくるわけでもない
。 各々が固有の美意識を発揮し、そして涼しそうな姿を発明すれば
いいのである。 何もあの小泉・細田流の、しどけないノーネクタイ
に「右へ倣え」する必要は、さらさら無い。

■■じつはボク、先日、北海道のある団体のパーティに出席してきた
。 そのとき、70才を過ぎたある高名なジャズピアニストと同席し
た。 そのときの彼の、いわばブラウスとも言えそうなシャツ姿が美
しかった。 聞けば、すぐ隣の席の、百貨店のチーフ・デザイナーと
称する初老の女性が、彼に頼まれてわざわざデザインしたオープン・
ドレスだと言う。 華やかでシックで、適当に遊び心を加えた正装用
の衣裳であった。 ネクタイ背広姿とは段違いの上品さだった。
 「成るほど老人の男性でも、考えるとこういう衣裳があり得るもの
だな」と、今更ながら感心した。 

■■朝、顔を洗うまえの「ノーネクタイ」といった感じの「クールビ
ズ」Yシャツ姿が嫌いな紳士諸君も、チョット考えれば、いなせでハ
イカラで、そしてクールな姿に変身できる方法はいくらでもある。
 自分のセンスが無いのを棚に上げて、この猛暑をネクタイ背広で押
し通すような朴念仁には、紳士や政治家としての資格が無い。
 カネもうけばかりに巧みな国よりも、美へのセンスに秀でた国の方
へ、「安保常任理事国の票」などは、より多く投じられるのではなか
ろうか。 いまや世界は、確かにそういった方向に向って進んでいる。
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◆[セ・コリョ新聞ダイジェスト版] 
              発行 ユジノサハリンスク市 翻訳 Kil Sang
◇詳細/写真、記事、は関連Webへ → http://www.609studio.com
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2005年7月8日・15日各号はホームページに掲載してあります。
そちらをご覧ください。  http://www.609studio.com
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2005年7月22日号

クリル発展戦略について議論

 サハリンのイ・マラホフ州知事はモスクワで一連の事務的会談を行
った。彼は中央と地域間予算問題やクリル列島社会経済発展戦略問題
などについて議論したが、主な相手はロシア連邦大統領行政部イ・セ
チン次官であった。会談の際、クリル列島発展戦略問題の他、10月
に予定されているロシア政府会議でクリル問題を取り上げるように要
請もした。州知事によると、大統領政府部は今日の予算問題について
はサハリンと意見を同じくし、大統領がサハリン州知事と面談の後に
下した指示を政府が実行すべきであると思っている。また、知事は製
品分配協定特別条件を修正案に加える必要性を訴えた書簡を国会議長
に渡したという。また、ロシア運輸相とはサハリン社会インフラ構築
に関する問題を議論する他クリル開発とシャフチョウルスクターミナ
ル建築についても意見を交わした。
               (サハリン州政府情報管理局より)

ゴミ加工予定

 先週末、中国の機械設備輸出会社‘ヘイルンザンコンパニ‘の代表
団(団長李・シュイロシア事業部長)がユジノサハリンスク政府を訪
ねた。代表団は経済分野担当のヴェ・ゴミレフスキ副市長と会談した
結果、廃棄物開港合作会社をユジノサハリンスク市で設立することに
対する議定書に署名した。ユジノサハリンスク市の廃棄物加工問題は
長く議論されたが、今年の年末には合作会社が運営を始めることで解
決に向かうと期待される。

永住帰国者の里帰り

 さる14日、第2次永住帰国者たちの里帰りチームが來島した。安
山コヒャンマウル居住者69人が在外同胞財団と韓国赤十字社、安山
福祉館の職員たちの引率の下に子供たちの元に帰ってきた。21日に
は第3次里帰りチームが到着した。彼らは仁川福祉館と賃貸アパート
、愛の家に居住している64人である。最後のチーム(69人)は2
5日に到着予定である。

韓国ガス公社がサハリンガス購入

 この前、サハリンエネルギー社と韓国ガス公社(KOGAS)がサ
ハリン液化ガス供給長期契約を結んだことがわかった。ガス公社は2
0年に渡って年間150万トンの液化ガスをサハリンから輸入すると
ロシアマスコミが伝えた。

東西大学、サハリンでパソコン教育実施

 2003年9月にユジノサハリンスク経済情報法律学校と教育及び
科学分野における協力協定書を結んだ韓国の東西大学(釜山市)は、
その後毎年サハリンで教育活動を行ってきた。今年も7月4日〜18
日までサハリン国立総合大学とユジノサハリンスク経済情報法律大学
で30人を相手にマルチメディアデザインやソフト関連教育を実施す
る。そのために4人の専門家を派遣している。また、東西大学の学生
二人が今年9月から第9東洋語文学校でハングルを教えている。二人
はセコリョ新聞社とウリマル放送局で編集も手伝っている。

サハリン教会が設立15周年を迎える

 ユジノサハリンスク市レーニン通りに位置しているサハリン教会が
7月13日、盛大に設立15周年を祝った。韓国やロシア国内から牧
師らが来て祝賀礼拝に出席した。

ドキュメンタリ映画(DVD)「アリランの流れる島」
              (撮影監督編集:片山通夫)‘完成

 1999年から2004年までの韓国とサハリンの韓人たちの暮ら
しを主にインタビューを映像化したドキュメンタリ作品が発表される
。「サハリン残留韓国朝鮮人の記憶」を日本や韓国を始め世界に知ら
せるため。また次の世代に正しい歴史を伝えたい」と日本のカメラマ
ン片山通夫さんの思いが映画制作のきっかけ。終戦60周年を迎える
今もサハリンに永住帰国希望者が約3千人もいるなど未だに解決され
ていない韓人問題に世間の関心を呼び起こすためというのが映画制作
のもうひとつの究極的目的であると片山さんは話す。

遠足へのご招待

 7月30日、ユジノサハリンスク市韓人と1世、お客様が一緒に楽
しい一時を過ごせるように遠足に出かけます。遠足の場所はノヴォア
レクサンドロフスク第31中学校広場です。送迎バスを運行しますの
で多くの方々のご参加をお待ちしております。
            (ユジノサハリンスク市韓人会・老人会)

特別掲載:戦後60周年の今日「抹消できない戦争責任」
(前号に続く)
「望郷の念と帰国運動」

 ソ連社会主義社会の下では永住帰国のための民族団体や市民団体を
組織することは考えることもできなかった。そのようなことは反社会
主義的尚且つ民族主義者ノレテルを付けられるからである。しかし、
個人的に帰国運動を続けてきた人も居れば、夜ラジオ受信機を枕の元
に隠してKBS(韓国公共)放送を聴いてきた。又、日本政府やソ連
当局、諸国の赤十字社へ手紙や請願書を出したり、時折モスクワの連
邦政府や日本大使館まで訪れる人もいた。
 1962年11月、トマリ市に住んでいた許・チョさんは「日本が
入国を許可するならソ連も出国を許可する」との回答をサハリン州内
務局から受け取った。当時ソ連と韓国は国交がなかったため、日本を
経由して祖国へ帰るつもりであった。しかし、日本政府は入国を許可
しなかった。
 1965年1月にはコルサコフに住む金・ヨンベさんも同じ内容の
回答を州内務局から受け取った。金さんにもやはり日本入国許可は下
りなかった。このような噂がサハリン中に広がった。帰国希望者たち
は日本の「在サハリン抑留帰還韓国人会(1958年2月東京で結成
。以下韓国人会と呼ぶ)」に多くの手紙を送るようになった。196
6年1月まで送られた永住帰国希望者から手紙は6,924人の達し
ていた。韓国人会はそれを基に帰国希望者名簿を作成し、関係省庁へ
提出した。しかし、日本政府は認めなかった。しかし、この名簿が日
本や韓国、ソ連に渡され外交交渉の資料として使われたことは事実で
ある。
 強制連行された独身者の黄・インカプ、白・ナド、安・テシク、カ
ン・ミョンスが日本経由で祖国へ帰りたいとソ連出国許可を申請した
が1976年6月もはやソ連出国許可が出たのである。彼らは家や財
産を処分し日本総領事館のあるナホトカへ向かった。そこで有効期限
3カ月の間に日本政府の入国許可を得なければいけなかったから。し
かし、遺憾なことに日本政府は渡航証明を出してくれなかった。サハ
リンに戻った後、彼らは日本を憎み続けながら亡くなった。
 ペレストロイカ以後、ようやくサハリンで韓人会、老人会、離散家
族会などの市民団体が生まれた。また、韓国ではそれ以前から中ソ離
散家族会が結成されサハリン韓人帰国運動に拍車をかけていた。この
ような団体のほか、永住帰国問題の解決には日本国会議員からなる「
サハリン残留韓国朝鮮人問題議員懇談会」が少なからず貢献した。
 このような市民団体の運動の結果、2000年永住帰国が実現でき
た。しかし、遺憾なことは日本政府が戦後処理をしようとしないとし
ていることである。そうしてはいけないと我々は考えている。
「我々が何を要求しているのか」
 韓半島で生まれ日本皇国臣民となり、民族名を奪われ日本風の名前
を強要された。必要な時は皇国臣民、戦後、用が済んだときは我々を
捨てた日本政府。我々の要求は変わらず永住帰国希望者を祖国へ帰す
ことである。また諸々の家庭事情で残留を決めた人々にも生活を経済
的に支援し、未払賃金、二重徴用遺家族への支援を要求する。帰国希
望者は今も2、500人に達している。サハリンでも同等の待遇をす
べきである。
 日本政府は今も人道的支援であって賠償という言葉はまったく口に
しない。そして、理由を次のように説明した。
 「朝鮮人たちは如何なる差別も受けていない。朝鮮人のみならず日
本人も徴用で連れて行かれた・・・1951年サンフランシスコの条
約により朝鮮半島出身者は日本国籍を喪失した。従って日本政府は賠
償あるいはサハリン残留朝鮮人を帰国させる道義的責任を負わない」

 こんな発言は良心も道徳もないものである。朝鮮人のみならず日本
人も徴用されたから差別ではないというが、我々は徴用されたその事
実よりも我々の自由意志ではなく、募集あるいは強制的に連行された
事実を言っているのである。また、連れてきては強制労働をさせなが
ら賃金を支払わなかった。なら、せめて祖国へ帰るようにしてくれる
べきではないか。私たちは原状回復を要求している。このような要求
は当然のものである。
 
 又、ここでサンフランシスコ条約について考えてみよう。同条約の
発効により我々が日本国籍を喪失したという。しかし、同条約は19
51年9月に調印されたものであって、日本人の帰国事業は1946
年12月から1949年7月の間に行われた。即ち、同期間中には我
々はまだ日本国籍を喪失してないことになる。だから国籍云々は論理
的にあわない話である。これについての日本政府の返答を聞きたい。
                         (続く)
― サハリン州韓人会顧問・セコリョ新聞社名誉社長 成・チョンモ

あれこれ

「勤労収入のない年金者に限って」
 サハリン州内地方自治体は仕事がなく年金だけで生活にている年金
生活者たちにはダーチャまでの往復バス代を支援することにした。州
の予算で行われる同支援金を受け取るためにはダーチャがあることを
証明する書類と労働手帳コピーを添付して申請書を提出しなければい
けない。

「雨量が少なく」
 マスと鮭の漁が始まる季節がやってきた。州水産業担当管理局資料
によると、漁夫たちは今年8万1千トンのマスと7、900トンの鮭
を釣ることができる。例年に比べると今年は雨が少なく産卵のために
川に上がってくる魚たちが産卵場所まで上がって来る途中で死んでし
まう事例が多い。また、死んだ魚が腐って川を汚染させるとマスや鮭
が来なくなる可能性があるため、対策に悩んでいる。

「赤い線を引いた電気計算書」
 サハリン電力会社は長期間電気料金を払わない消費者には赤い線を
引いた請求書を発行することにした。このような請求書が、6月にユ
ジノサハリンスク市で1万枚、ホルムスクでは7千枚が発行された。
このような警告状を2回発行しても料金をはらわないと訴訟を起こす
方針である。また、模範的消費者には緑の線のはいた請求書を、中間
レベルの人たちには黄色い線の請求書を発行することにした。     
─────────────────────────────────
 暑中お見舞い申し上げます。暑い日が続いています。ご自愛くださ
い。この暑い中で「熱いニュース」ばかりが。ロンドンのテロ。エジ
プトのテロ。そしてイラクのテロ。ブッシュ米大統領、ブレア英首相、
ロシアのプーチン大統領、そして小泉首相など、世界の指導者のいう
「テロとの戦い」は終焉を迎えることが出来るのでしょうか。
 もっと根本的な何かが彼らには抜けているという気がしてきました。
無論双方に責任があるのは当然です。

 2週連続でお休みをいただきました。
セコリョ新聞はホームページに掲載してありますのでご覧ください。
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発行     2005年7月26日   No.222
編集・発行  609studio   Michio Katayama
発行     毎週火曜日  購読料無料
配信          まぐまぐ配信システム       ID:0000052236
              MailuX配信システム         ID:MM3E1B97842E020
                Macky!                    ID:609studio
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