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タイトル:609studio No.201◆現代時評:[議院予算委員会の異常事態]  2005/02/15


◇◆◇609 Studio メール・マガジン◇◆◇
                             2005/2/15 No.201
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◆現代時評:[議院予算委員会の異常事態]             ken 

◆セコリョ新聞ダイジェスト版:2005年2月11日号

◆現代語感:[戦後60年その6 冷戦]       MK
  
◆編集長から:[この1週間]

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◆現代時評 :[議院予算委員会の異常事態]            ken 
   Ken氏もしくは現代時評へのご意見、ご要望などは 
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◆◆アサヒコム   2005.2.10 民主、共産、社民の野党3党は10
日午前、国会内で国会対策委員長会談を開き、9日に引き続いて衆
院予算委員会の審議に応じないことを確認した。同委は10日午前
、野党欠席のまま、自民、公明の与党単独で審議を進めた。 野党
国対委員長会談で民主、社民両党は、自民党旧橋本派の1億円献金
隠し事件に関連して橋本元首相らの証人喚問の実現に道筋がつかな
い限り、今後も衆院予算委審議に応じない考えを表明…。

◆◆読売オンライン  2005.2.097日の衆院予算委員会で、国政へ
の見解を政府に求める質問主意書の制限の是非をめぐり、細田官房
長官と民主党の長妻昭氏が論争を繰り広げた。長妻氏は、細田長官
が昨年8月の記者会見で「(質問主意書への回答作業が)行政上の
阻害要因になる」と述べた発言の撤回を求めた。しかし、細田長官
は「1項目ずつ整理して閣議決定しなくてはならず、その作業が大
変なサービス残業になっている。エリートでない官僚のもとで大変
な(作業の)数になっている」と述べ、撤回を拒否した。 

■■またしても野党は衆議院予算委員会で審議を拒否し、欠席戦術
に出た。 欠席というのは、国会議員としての義務の拒否だが、そ
れを承知の上の行為だから、いまさら「言語道断」と非難しても始
らない。 野党としては、「やむにやまれぬ。それ以外に抗議手段は
ない」と、いうことだろう。

■■しかし、議会の異常状態はつねに「予算委員会」とか、「決算
委員会」の場で起こる。それも、「予算」とか「決算」に直接関係
ないことで起こり、それが嵩じての出席拒否なのだ。簡単に言うと
、目的外の場で欠席、審議拒否が行われる。これはおかしいとしか
いいようがない。

■■「予算・決算委員会」という、いま争っていることとは違う委
員会の場で、審議がストップするという悪習慣はいつから始ったか
。 ボクの記憶に誤りがなければ、それは昭和40年代初頭の、例
の「田中彰治委員長のマッチ・ポンプ事件」が濫觴である。

■■「マッチポンプ事件」というのはこういうことである。 国会
だけでなく、地方議会にもこの手の議員はいまもよく見かける。マ
ッチで火をかけた本人が、ポンプで消火する。「衆議院決算委員会
で質問するぞ」と脅すのがマッチ、「だが、事件にしない方法もあ
る」と持ちかけるのが消火。昭和41年、自民党の田中彰治議員は
この種のやり方が恐喝罪に問われ、懲役4年の実刑判決を受けた。
自身が委員長であったから、その職権を利用して恐喝し、与党、自
民党も往生した、という事件である。国政調査権の濫用の典型であ
った。

■■それまで議会における「予算委員会委員長」などという役職は
、誰も余り気に留めぬ、いわば議員として普通の役職だった。が、
田中彰治という稀代の辣腕議員が就任したとき、急に様相が変わり
、これはたいへんな役職だ、と分かった。田中委員長は、予算に関
係ある無しに関らず、おのれの主張することが通らぬばあい、予算
委員会での審議をストップし、絶対に先へ進ませなかった。

■■もともと国政調査権は個々の国会議員にではなく、両議院に属
することであると決められてい、それはいまも変わらない。なぜな
ら、国会議員個人が特別に偉いわけではないのであり、また議員個
人にそんな強力な権限を与えると、これを濫用する者も現われてく
るからである。ところが予算(決算も)委員長というのは「議院」
という国政調査権主体そのものであり、個々の議員ではなかった。
だから委員長がノーといえばそこから先の審議はストップしてしま
う。
 昭和40年の衆議院は田中彰治委員長によって機能が完全に麻痺
し、「これはたいへん、予算(決算)委員会という場は、議会にお
けるオールマイティである」と判ってしまった。

■■幸い、田中彰治議員は「恐喝罪」で実刑が確定し、昭和41年
通常議会は恙無く終了した。が、その後が問題であった。野党側は
、この事件により、なにごとであれすべて自分たちの主張が認めら
れねば、まず「予算委員会」というオールマイティの場で審議拒否
するのが最も有効であると知り、それを実行することとした。もっ
ともそれ以来、予算委員長は与党大物のキレ者議員が就任すること
になり、野党からの抱き込みは効かず、野党議員の総欠席という非
常手段で審議拒否する習慣がついたのである。そしてそれが40年
続いて、今回の野党総欠席にまで至っている。

■■周知のように今回の野党総欠席の理由は、橋本元総理の、日歯
連1億円献金に対する国会証人出席要求であり、予算委員会の予算
審議とはぜんぜん関係がない。目的とぜんぜん関係ないことならば
議会が審議を許さなければいいようなものだが、そこは自由を標榜
するわが議会のことである。予算委員会では国政のあらゆる分野に
ついての質問が許されているのだ。そこに付け込んで、野党は、「
総欠席」「審議拒否」という方法を際限なく活用しているのである。

■■予算審議に直接関係がないことで、予算委員会がしばしば機能
不全に陥るのは、近来はほぼ通例化し、それをナントカしなければ
という機運も、決して無くはない。

 例えば、森内閣のときの「衆院議長の私的諮問機関、衆院改革調
査会が01年11月19日に答申した改革案の要旨」によれば、「
国政審議の活性化、実質化、透明性」として、「予算委員会の議論
で、予算に関係しないスキャンダル等は別途質疑の機会と場所を設
ける」というような提案が、既になされている。 

■■がしかし、いっけん明白、かつ簡単に見えるこうした議会運営
の効率化に対する動きは、事実としては遅々として進まない。議員
諸公の議会および議事進行についてのコスト意識が極端に希薄であ
ることが、その主原因と考えられている。それについては、前記の
改革案中にも、議員の諸経費縮小案として 「歳費を日割り支給に。
収監中、登院停止の議員には、供託などの方策を講じる」と提案さ
れている。が、ナンのことは無い、議員諸君は議会を欠席しようと
、審議をサボろうと、その間ずっと月給は貰えるのだ。これでは審
議を引き延ばし、会期を延長した方が、彼ら議員の歳費実入りが大
きいのだから、与・野党とも、議事を効率よく進めるつもりなど毛
頭無いのである。

■■まあそう悪くとらず、議員の国家コスト意識についてもいくら
かあると解釈してもいいのだろうが、いわゆる、「李下に冠を正さ
ず」という諺もあるし、議事促進の方策を議員側から積極的に講じ
て欲しいものだ。
 そしてそのためには、先ず「予算委員会は、予算の内容に関する
審議だけに限定し、他の、例えば政治資金規正法関連の審議などは
別途その委員会を設ける」といった規則を早急につくるべきである。

■■そうしたことをなおざりにして、過去40年間、「予算委員会
」を政治すべてに対して万能かつ、絶対の審議会にしておいたのは
、議会自身の怠慢以外の何物でも無い。われわれ国民は、このこと
を強く議会に非難し、要求しなければならない。さもなければ、今
回の野党総欠席のごとく、議員内部の、自前の不品行糾弾すら、彼
らの歳費増加に繋がってくるのである。

■■つい先日の衆議院予算委員会における官房長官の「困った」発
言にもある通り、際限なくあるゆる問題について予算委員会が審議
関与するならば、そのための資料を造らせられる政府事務局はたま
ったものでは無い。予算審議資料と称して、矢継ぎ早に政府報告書
を求める民主党永田議員の行為などの結果として、政府下級職員の
気の毒な深夜労働が今回明るみに出た。議員による政争のトバッチ
リを受けているノンキャリアが可哀相である。
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◆[セ・コリョ新聞ダイジェスト版] 2005年2月11日号 
              発行 ユジノサハリンスク市 翻訳 Kil Sang
◇詳細/写真、記事、は関連Webへ → http://www.609studio.com
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共同法事(同胞慰霊祭)開催

 9日(旧暦元日)、サハリン州韓人協会と海外犠牲同胞追悼記念
事業会サハリン支部は伝統に従って母国に帰れずサハリンで亡くな
った同胞たちを追悼する法事を共同で行った。午前10時、韓人社
会団体代表らと1世たちは御供え物を用意してユジノサハリンスク
市ロジナ会館前に立っている慰霊碑の前に集まった。慰霊碑を管理
しているユジノサハリンスク市老人会ベ・トホル会長によると、法
事は8月15日の光復節と旧暦の御盆と御正月、年に3回行ってい
る。

「北方領土の日」抗議集会

 2月7日12時、駐ユジノサハリンスク日本領事館前で200人
余りの市民が集まって、日本が20年間続けている「北方領土の日
」に抗議する集会を開いた。参加者達は北方領土の日を制定し、ク
リル4島を自国の領土と主張している日本を許せないと共に領土返
還要求が強くなればこれに対する抗議も強くなると表明した。「サ
ハリンとクリルは我が祖国」、「ロシア国会はロシアの領土を渡せ
ないと明確に表明しろ!」、「ロシア国境には祖先たちの血が滲ん
でいる」、「プーチン大統領の訪日取り消し!」などのプラカード
を掲げながら参加者達はロシア政府のより強い姿勢を訴えた。

大型バス11台購入

 先週、ユジノサハリンスク市政府は114人乗りの新しい大型バ
ス11台を購入した。このバスは零下45度の時もエンジンがかか
る寒冷地仕様で、市政府は今後も大型バス購入を続ける方針であり
、目標は100台以上だという。

知事が極東動力会社指導者を接見

 サハリン州知事が極東動力管理会社デヴォエウカ社のヴィトル・
ミャスニク総支配人を接見した。審議した問題の一つは当社のサハ
リン州内住宅建設への参加可否であった。州知事は以前、イエエス
ロシア社のア・チュバイス指導者ともこの問題について話し合った
ことがある。デヴォエウカ社は状況把握の後、投資を決めると予想
される。もう一つの問題はユジノサハリンスク市第1給熱発電所の
ガス化問題。製品分配協定によりロシア側が配当されるガスを給熱
発電所が利用しようとの提案があり、この案についてはイエエスロ
シア社もヨーロッパ銀行も関心を示している。州知事はサハリンで
のガス利用のため積極的に取り組むと述べているのである。

知事、サハリンエネルギー社指導者接見

 州知事は先週、サハリンエネルギー社総支配人イエオン・クレイ
グさんに会い、サハリン―2の海底送油菅建設設計案について色々
話し合った。二人は開発が周辺環境を汚染させないで進められるべ
きであるとのことに意見を同じくしたと伝われる。

光復60周年記念特別企画取材
=過去の記憶が再び心を痛める:父のいない人生

 最近、イム・テファンさんは自分の生きてきた道のりを振り返る
ことが多くなった。終戦60周年の今年。過去の悲しい記憶がよみ
がえる。イムさんは1934年韓国忠清南道ノンサン郡で父イム・
ヌンソ(1908年生)と母車・キルヨの長男として生まれた。父
は中国東北地方(旧満州)にある日本軍服工場に働きに行って19
38年に帰ってきたが、家族との再会も束の間、翌年の39年度に
強制募集で樺太に渡った。イムさんが5才の時である。
 父が行った後、私達は伯父の家で同居することになりました。古
くなった家を修理する人がいないために仕方なく引っ越したのです
。祖父母、伯父と私達の家族。狭い家でこんな大家族が暮らしてい
たから母には大変辛かったと思います。二人の子供を連れて3人が
世話になっているから気持ちが重かったでしょう。昼も夜も働いて
家計を助けようとしました。母が悲しい涙を流しているのをよく見
かけました。ある日祖父は近所の人々に針を打って溜めたお金を母
に出しながら「夫のところに行きなさい!」と言いました。それが
40年7月頃、私が6才の時です。3才と1才になる前の妹二人と
4人家族がサハリン行きの汽車に乗りました。
 イムさんは生まれてはじめて乗った汽車に乗り長い旅に出たこと
をよく覚えています。テグ市と釜山港を経由して日本の福岡、東京
、青森まで。そこで石炭を運ぶ小型船に乗り、父の働く名好(現レ
ソゴルスク)のトヨハタ炭坑へ向かった。小型船から父の姿を見つ
けた時の喜びは言葉では言い切れないものであった。炭坑部落での
彼らの生活は貧しかったが平穏であった。父は朝早くから夜遅くま
で働き、毎月給料を貰ってきた。だから食べる心配はなかった。4
3年、家族がもう一人増えた。弟が生まれた。
 その時、生活には問題ありませんでした。父は私達皆の名義で貯
金もしていました。生まれたばかりの末弟の分まで。とイムさんが
言った。
 しかし、日本帝国主義者たちはイムさん家族の幸せを打ち壊した
。44年9月、サハリン炭坑労働者たちを日本に連れていた。即ち
二重徴用がはじまったのである。
 名好の学校に大勢の人が集まりました。韓人も日本人もいました
。彼らは皆当時流行っていた日本の離別歌を歌いました。‘さよう
なら、又来る日まで・・・‘と。学校の広場は涙の海に変っていま
した。その時、父は私に向かってこう言いました「テファン!これ
からはお前が家族達を世話しなければいけないよ。母の言うことを
ちゃんと聞きなさい。」それが父の最後の言葉になるとは想像もで
きませんでした。
 それから数カ月間は父から手紙もあったし、母と一緒に父からの
送金を貰いに炭坑事務所にも言ったことをイムさんは覚えている。
しかし、その後父からは全く連絡がなかった。
 毎日部落を巡察していた日本人警察官がある日、私の友達に「父
に会いたいか?帰って来れるようにしようか?」と質問したことが
あります。友達は勇敢に「はい!」と答えたが、私は恥ずかしく又
怖くて何も言えませんでした。しばらくしてその友達の御父さんは
帰って来ました。その時、私がはい!と言ったならば父も帰って来
れたかも・・・と考えると胸が痛みます。と言ったイムさんはしば
らく沈黙してしまった。
 父のいないイムさんの家の生活は日々苦しくなった。母は選炭場
で働きながら4人の子供を育てた。イムさんは日本の小学校に通っ
ていたが時間のある限り母の所に走って仕事を手伝ったのである。
45年8月戦争は終わった。サハリンはソビエト軍により解放され
たが、強制連行された韓人たちとその家族の帰国の道は閉ざされた
。49年から59年までの3次の帰国事業で日本人は祖国に帰った
が私達は棄てられる運命となった。
 ある日母は南に向かって飛んでいる雁の群れを見上げながら「雁
も南の故郷に帰るのに、私達が故郷に戻れるのはいつ?」と涙を流
していました。しかし、母は結局故郷の地を踏めず85年、サハリ
ンで亡くなりました。少年テファンは母が布団の中で泣いているの
は時々見かけた。その度に彼は早く大人になり母を助けたいと願っ
ていた。母は選炭場、木工場、煉瓦工場で辛い仕事を続けた。テフ
ァン少年は朝鮮学校に入学したが14才の時に学校をやめ、働くよ
うになった。賢かった少年は漁船に乗り機械のことを覚え、16才
の時、カスミスキ・ルイバクというコルホーズの船員となり本格的
に仕事をするようになった。コルホーズ委員長の目にとまり、ウゴ
レゴルスク船員学校に勉強に出してもらうまでになった。
 ロシア語がわからず先生の説明が理解できず苦労しました。しか
し、実習には強かったです。機械には詳しかったから。と言いなが
らイムさんは笑顔を見せた。
 彼はその後昇進を続け主任の職位まで上った。「仕事に夢中だっ
たので結婚は遅くなりました。30才担って結婚し一男一女を設け
ました。今は二人とも結婚して幸せに暮らしています。1972年
母と一緒にユジノサハリンスク市へ引越し、ペレストロイカ後の8
9年日本を経由して韓国に行き、親戚達に会いました。」
 彼は故郷で父の消息を聞いた。父は終戦後故郷に戻り、樺太の家
族が爆弾で皆死んだと思い涙の数年を過ごした後、再婚して3人の
子供を設けた。「しかし、父は酒が入るといつも私の名前を叫びな
がら泣いていたようです。最後には酒で苦しみを癒していたようで
す。そんなある日、行方不明となりました。死んだでしょう。しか
し、死体も捜せず御墓もないのです。悲しいばかりの人生です。小
さい時から父のいない私達家族のことなどを考えると悔しくてもの
が言えません。そんな私がもう白髪になりました。」
 彼は最近、本を書き始めた。両親のことも含めサハリン1世たち
の悲惨な運命と自分の歩んできた道についての話である。
 「学校教育を受けていないため、書くことは大変です。しかし、
子供達が我々の歴史を知るべきだと思い書きはじめました。うまく
できるかどうかわかりませんが頑張ってみたいです。」とイムさん
は意欲を示した。
 イムさんはとても働き者で、州韓人団体事業にも積極的に参加し
ており、釣りと狩りを楽しむなどとても意欲的な年金生活者である
。昨年夏、イムさんは父の働いていた名好炭坑を訪ねた。廃坑にな
った今、昔の面影は殆どなかった。イムさんは炭坑の跡を歩きなが
ら写真とビデオでそれを残した。春、雪が解けたらもう一度訪ね、
昔の部落の跡を捜す計画である。70才を過ぎたにもかかわらず青
年のように生き生きしているイム・テファンさんである。
        (文:ベ・ヨンスク、写真:金・アレクセイ)

あれこれ

「炭田に新機械」
 サハリンウゴリ社はウゴレゴルスク区域のボスィニャコヴォ炭田
とアレクサンドロフスクーサハリンスキ区域のマンギダイウゴリ社
が使う機械を購入した。今年3月にヨーロッパから4台の新掘削機、
日本から6台のブルドージャー、ロシアから18台の貨物車と新技
術がサハリンに入ってくる予定である。これらはサハリン州石炭生
産部門発展に大きく寄与するであろう。

「ウニ1トン密漁」
 ロシア連邦保安局プリモリエ辺境国境守備管理局によると、先週
の木曜日国境守備兵がマラヤクリルスカヤグリャダゼリョヌイ島水
域で不法漁労中の漁船「探求号」から1トン以上のウニを発見した
。漁獲したウニを漁獲帳に記入しなかった罪を問われ船員たちはク
リルスク港で調査を受けている中。

「女性だけの外務部?」
 グルジア外務部に最近85人の公務員が就職したが、就職審査委
員会を通じて選抜された新しい職員の大部分が女性であるために話
題を呼んでいる。彼女たちは5−7カ国の外国語の出来る優秀な人
材であるとのこと。

「新公務員労働法」
 ロシアで新しい公務員労働法が制定され2月1日から施行される
。公務員の定年は65才、公務員たちは3年ごとに職位継続の能力
があるかどうかが問われる試験を受けることになったほか、各部署
には指導者、補佐官、専門家、補助員など4つの職位を設けるべき
ことが決まった。
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◆ 現代語感:[戦後60年その6 冷戦]    MK
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 戦後わが国の政治・経済に多大の影響を与えた最たるものが「日
米同盟」だといえる。安保条約に象徴される軍事同盟。また自衛隊
の前身、警察予備隊、保安隊と名を変えた再軍備。これが憲法9条
との整合性を問われ続け、憲法論議も盛んに。最近のイラク派兵に
見られる米との同盟国意識にその冷戦構造の残渣が見られる。
 一方の雄ソ連邦崩壊後冷戦は終わったかに見えたが、好戦性を失
うことのない政治は、形を変えた冷戦後に突き進んでいる。
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◆[編集長から]              Michio Katayama
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 ついに200号を越えました。サハリン朝鮮人の取材を始めて5
年余り。最初はセコリョ新聞の日本語版掲載からはじめ、今一方の
コミュニケーションツールであるFM放送もホームページに掲載。
 なんとかここまで来ることが出来ました。読者のご支援の賜物と
感謝いたします。今後も一層のご支援をお願いいたします。
 
◆NHKと朝日新聞の確執、ラグビーの中継にまで。ここでも視聴
者不在。いや子供のけんか。

◆北朝鮮の核兵器所持発表、東アジアの均衡を揺るがす。でもすで
に中国やロシア、それに日本沿岸に展開中の米軍も持っている。
 あっ!だから困るんだ。

◆「サハリンからの手紙」でナターシャが「サハリンの携帯電話事
情」を送ってきた。サハリンの若者も携帯電話でコミュニケーショ
ンをとっている。だが残念なことなのか良いことなのかわからない
が、インターネットも写真もまだ無理なようだ。

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─────────────────────────────────
発行     2005年2月11日   No.201
編集・発行  609studio   Michio Katayama
発行     毎週火曜日  購読料無料
配信          まぐまぐ配信システム       ID:0000052236
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                Macky!                    ID:609studio
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