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タイトル:609studio No.199◆現代時評:[海外災害援助と国際紛争]  2005/01/31


◇◆◇609 Studio メール・マガジン◇◆◇
                             2005/2/1 No.199
【609 Studio 】メールマガジンは「現代社会を斬る!」をコンセプ
 トに論説委員Ken氏の論説「現代時評」をはじめ、サハリン情報と
 して、ロシア唯一の韓国語新聞サハリンの「セコリョ」ダイジェスト
 版、その他、寄稿記事など話題満載! 
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          ◆609studioから◆

 ◇セコリョ新聞日本語版

 訳者のKil Sang氏が調査旅行中ですので、休載いたします。
 帰国後にまとめて掲載予定です。ご了承ください。

 ◇有木優一君の「インド通信」を掲載します。津波の被害を取材し
  たものです。(取材ビデオ、近日中に公開!。乞うご期待)

  ◇ウェブログ「サハリンからの手紙」を新設しました。編集部に
  届いたサハリンからの手紙を読むことができます。
  サハリンの今が透けて見えます。
  
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  ◇サハリンの韓国語ラジオ放送は今年から番組時間を従来の20
  分から10分に短縮されました。
  
───────────◆◆◆INDEX◆◆◆───────────

◆現代時評:[海外災害援助と国際紛争]            ken

◆セコリョ新聞ダイジェスト版: 休載です。

◆インド通信 3 [チェンナイ・カシムドゥ村]    有木優一 

◆現代語感:[戦後60年その4 ホロコースト]    MK
  
◆編集長から:[この1週間]

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◆現代時評 :[海外災害援助と国際紛争]       ken
   Ken氏もしくは現代時評へのご意見、ご要望などは 
                  info@609studio.com   へ!
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◆◆朝日新聞 2005.1.27 スマトラ沖大地震と津波の被災地で
犠牲者を出した北欧諸国の政府が、被災国政府と武装勢力との和
平を仲介する動きを活発化させている。 ノルウエーの説得を受
容れたスリランカ政府は25日、反政府組織と協力して援助物資を
分配することで合意した、と明らかにした。フィンランドはイン
ドネシア政府と独立派ゲリラ「自由アチェ運動」との調整を本格
化させている。北欧諸国は亡命者の受入れなどで紛争地と関係が
ある…  

◆◆国際赤十字運動の基本原則 ◇公平=赤十字・赤新月は、国
籍・人種・宗教・社会的地位または政治上の意見によるいかなる
差別をもしない。赤十字・赤新月はただ苦痛の度合いにしたがっ
て個人を救うことに努める。その場合もっとも急を要する困苦を
まっさきに取り扱う。 ◇中立=すべての人からいつも信頼を受
けるために、赤十字・赤新月は、戦闘行為の時いずれの側にも加
わることを控え、いかなる場合にも政治的・人種的・宗教的また
は思想的性格の紛争に参加しない。

■■ 1月末に国際赤十字の若い災害救護担当部長が来日した。
今次大地震における我が国の国際救護活動について、被災地政府
と反政府勢力間のトラブルの事前対策打合せが目的とのことだ。
 何でもないニュースのようだが、こうした赤十字の活動につい
ては「他山の石」とすべきところが多い。

■■ 国際赤十字は「国連」では無い。我々はややもすると「国
連」と「赤十字」を類似のものと解釈する。それはある面では当
たっている。 ところが例えば、イラクの戦場では「国連」は大半
の現地派遣要員を危険であるとして退去させた。しかし「赤十字
」は戦場から去ることはめったに無い。
 なぜか、それは「国連」には国家間の争いにクチバシを挟む政
治性があり、「赤十字」はつねに中立のみであるからだ。

■■「厳正中立」で、戦場において死傷者だけを扱うためには、
わが国には国際赤十字以前に既に似たようなシステムが存在した
。源平から応仁の乱、安土・桃山にかけての、わが国の戦場には
時宗(じしゅう)の「同朋衆」という集団(名前に阿弥号を持つ
)が居て、自発的に戦死者を弔い、戦傷者を治療するを職務とし
た。 現在の国際赤十字は、更にそれ以上に災害救助まで行う。
イラクでも、スマトラのアチェでも、赤十字は災害救助に努め、
我々はそれを不思議とも思わず、いわゆるイスラム・テロもそれ
を認め、感謝している。 「時宗の同朋衆」にも、「赤十字」に
も敵味方は無い。

■■スマトラ沖大津波の震源地アチェ州は、旧アチェ王国回復を
求める反インドネシア政府派の本拠で、震災前は入国禁止の戦乱
の地であった。緊急の折につき、インドネシア政府も今回ばかり
は、そうも言えず外国からの救援者の立入りを認めた。
 しかし、いまも危険紛争地域であるに変わりなく、死傷者の緊
急援助が一段落すれば、とうぜん紛争が再燃する。そうしたばあ
い、我々があたかも世界連邦であるがごとくに信奉している「国
連」も、紛争に巻き込まれ無力になる可能性がある。そしてそこ
での災害救助は、いわば「赤十字」の独占舞台の様相を呈しかね
ない。

■■というわけで、冒頭に述べたように国際赤十字職員が、今回
来日したというわけである。 今更ながら、赤十字の存在に、感
謝しなければならない。

■■戦後60年、なお半身不随の国連に比して、今日の「国際赤
十字」の存在は貴重である。 赤十字がなぜそのように全世界の
信頼と尊敬を勝ち得たか、それをこの辺りでもっと真剣に考えて
みる必要がある。 もし過去に、政治情勢に呑まれ、ときの権力
者に右顧左眄していたら今日のような「赤十字」は無かったに違
いない。
 その一つのエピソードを、以下に紹介しよう。

■■軍国主義華やかな昭和15年9月、文部省および、帝国少年
団理事長鈴木孝雄陸軍大将が、諸外国との交流を排して日本だけ
の「大日本少年団」をつくるべく強制したことがある。返答に窮
した日本赤十字社の島津忠承社長が持ち出したのが、閑院宮の令
旨であった。大正14年6月10日に出された令旨には、「少年
赤十字団は、進みて海外の児童と相親しみ相援くるの習慣を養成
せしめるに在り」とあったのだ。 日本赤十字社は、当時錦の御
旗であった皇族のご綸旨を利用して、威風並ぶ者も無き軍部に対
抗し、ことなきを得たのであった。

■■全世界の赤十字は、すわ戦争という事になれば、ことある毎
に時の政府の干渉と弾圧に曝される。 そしてそれを撥ね退ける
勇気と知恵があったればこそ、今日の赤十字は存在する。
 島津氏とか閑院宮とかいった貴族を上層部人事に据えるのは、
手強い政治権力を柔らかくカワし、赤十字の中立性を維持するた
めの一手段であり、全世界にほぼ共通した「世に処する赤十字の
知恵」でもある。そしてその伝統は細々ながら今日も続いている
かに見える。

■■このたび天災に遭遇したスマトラ・アチェ州で独立派とインド
ネシア政府との仲介を手がけているフィンランドやノルウエーな
ど北欧の国々は、赤十字に似た中立の立場にあるようだ。独立派
ゲリラの亡命を受容れた北欧諸国は、インドネシア政府および独
立アチェ・ゲリラ両者の信頼を得たればこそ、仲介活動が可能だっ
たのである。
 彼ら北欧の国々の、国際外交は国際赤十字のそれにも似て巧妙
、かつ精緻である。 小さな国々には、背後に武力が無く、中立
による国際信用のみが力なのだ。 翻ってわが国は、ややもすれ
ば無い武力を補強しようとする傾向があり、近隣諸国の危惧を招
きかねない。

 一事が万事、わが自衛隊のイラク派遣などには、米軍と共同作
戦という弱みがある。オランダ軍の武器に守られ、おっかなビッ
クリの災害援護活動という、損な役割であるのもやむを得ない。
本来、イラク・ゲリラ相手に胸を張って堂々と「我々は武器をも
持たず、ただ災害復旧支援に来ただけである」と宣言し、安心し
て作業すればよいハズの活動であるべきだった。それが米軍の後
ろ盾があり、銃砲に守られた「イラク出兵」という図式がアタマ
にあったから、いつまでたっても「イラクは戦闘地か」という議
論に終始せざるを得ない現状になっているのである。 はたして
国際赤十字のように、武器無き海外復興援助の道は、我々に無か
ったのだろうか。
 
■■まぁ最近の情報では、オランダ軍に守られているからという
理由だけでなく、わが派遣自衛隊の諸君が現地の人々に溶け込み
、だいぶ評判がよいから、イラク反政府テロ側も遠慮してくれて
いるとのことだ。遅れ馳せながら目出度いというべきだろう。
 もし米軍が、同じ場所で、同じ災害復旧作業をしていたら、こ
う無難にことは運ばなかっただろう。

■■ニュースによれば、オランダ軍撤退後のわが自衛隊は、増派
されて来る英軍に守られてイラク復旧作業を続ける予定らしい。
 しかし、もしいまのように好評判でわが自衛隊がイラク復興を
続ければ、「英軍に守らて」といった不安定な状態でなくてもい
いときが来るかもしれない。 その先輩モデルは「国際赤十字」
であり、「国連」ではない。
 我々は不確かな「国連」の将来に望みを掛けるよりも、すでに
ほぼ完成され、確かな状態で全世界で奉仕活動を継続している「
国際赤十字」を見習い、丸腰の状態での海外災害復旧活動に思い
を馳せるべきである。
 「武器を携行して」、あるいは「武器に守られて」といった風
な海外における災害復興援助には、見直しの態度が必要ではなか
ろうか。
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◆[セ・コリョ新聞ダイジェスト版]  
              発行 ユジノサハリンスク市 翻訳 Kil Sang
◇詳細/写真、記事、は関連Webへ → http://www.609studio.com
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 訳者の都合で休載いたします。
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◆「インド通信3チェンナイ・カシムドゥ村」   有木優一
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 1月4日。

 「昼食を済ました後、カシムドゥ村へ行こう。私の友人で被災
した人がいるんだ。」という約束をして、シャンムガン氏と別れ
た。日本人の感覚では、昼食後というと、午後1時頃の事を指す
が、インドの場合、午後3時というのが、常識だ。そこで、昼食
を済まして、再びシャンムガン氏の元を訪れた。

  オートリクシャーに乗り込み、マリーナ・ビーチ沿いの道を北
へ15分ほど進む。チェンナイビーチ駅で降りると、再び乗合の
オートリクシャーに乗り込み、着いた先が、漁港。海岸沿いに続
く道から海へと下っていく。瞬時に、壊滅的な状況である事が把
握できた。船がごろごろ陸地を転がっている。しかも、インド通
信1で紹介した6〜8人乗りの大きな船だ。その地は、以前何が
あったのか予測さえできないほどに更地となっていた。更に、足
を進めると船着場がある。そこには、インドの国旗を旗げた船が
無数に停泊しているが、そのほとんどが修理が必要な状況で、中
には水没してしまっている船の上にのし上った船が目にとまる。
ある漁師に連れられ、船の上を梯子伝いに進んでいくと、一見被
害を受けていない船でも、船底には大量の海水が溜まっていた。
更に少し歩くと、別のドックに辿り着いた。より大きめの船が行
き来出来そうな漁港だ。ここでは、船の修理が進められていた。
幾人かが集まり、沈没したクレーンを使い、船を引き上げようと
していた。その隣では、大型クレーンで、修理の終えた船を海に
戻している。日々刻々と、津波の被害から、復興が進んでいる姿
がそこにはあった。

 シャンムガン氏が、「疲れたから、そろそろ帰ろう。その代わ
り、明日、友人を紹介してあげるよ。」と言い出した。良く考え
ると、60歳のご老人を日中30度を超える日差しの中、連れま
わしていたのだ。急に申し訳なくなり、その場を後にする事にし
た。その途中、衝撃が目に止まった。壊れた家の周辺で生活して
いる人々の姿が目に止まったのだ。この集落を取材をしたいと思
ったが、その言葉を吐き出す前に、岐路に着いた。

  1月5日。

  シャンムガン氏の友人を紹介してもらった。昨日訪れた地域の
背にして海岸沿いの道を越えたロヤプラム村だった。G・コロニ
ーメインストリートを行くと、彼の家があった。この近辺も漁師
の村らしい。雰囲気としては、トリプリケン村と似ていて、家屋
は全てコンクリートで、海から離れているために家屋に対して直
接津波の被害を受けていない村のようだ。シャンムガン氏に連れ
られ、紹介してもらった人物は、P・Kアナンダン氏(65歳)
。彼もまた船、網、その他、一切漁師としての道具を津波で失っ
たそうだ。彼がおもむろに写真を手渡してくれた。津波の被害を
受ける以前の船の写真と津波の被害を受けた後の船の写真だ。N
o.558。船の側面にそう書かれた船が、見るも無残な姿にな
っているのに、言葉を失う。言いようのない悲しみが部屋一体を
包み込んだ。その後、彼の家を後にした。

  外に出るとすでに暗がりになっていた。今日こそは、あの漁港
にある村を取材したかったが、諦める他無かった。

  1月6日。

  この日、やっとあの漁港付近の村を訪れることができた。記憶
を便りに訪れた村、そうここがカシムドゥ村だ。大きな貯水タン
クを横目に海岸沿いの道を下っていく。すると、いきなり衝撃が
走った。路上にテント生活している人々がいたのだ。テントとい
っても、木の棒を柱にし、ビニールシートを結びつけた簡易テン
トだ。そのテントが両側100mほどの道を埋めていた。早速、
ビデオカメラ片手にテントを伺ってみることにした。初めに子供
が僕に気が付く。やはり、ここでも子供は明るい。「フォトー、
フォトー」と言って、僕に言い寄ってきた。あるテントでは、昼
食の準備をしていた。トマト、タマネギ等野菜を切り刻んでいる
その傍らの壷に、魚が見えた。やはり漁師の家だ。そこのおばさ
んに手招きされるがまま、テントの中にお邪魔した。そして、第
一声が、「ご飯食べたか。ご飯をご馳走してやるから、まっとき
な!」。当然彼らの生活の糧を僕が頂けるわけないと断ったが、
断りきれずに昼ご飯をご馳走される事になった。その家の主もや
ってきた。ヴィジャヤン(48歳)。彼も漁師らしい。料理が出
来上がった。やはり、フィッシュカレーだ。美味い。辛さが程よ
くて、食欲をそそる。津波の被害で、変な噂が立ち、魚の売れ行
きが芳しくないと報道させていたそうだが、そんな事は気にしな
い。もし、仮に魚を食べる事で伝染病の恐れがあるとしても、高
温の油で殺菌されてある。一方で、津波から、1週間も経たない
のに海水浴を始めている誰かさんの方が、伝染病の恐れがある、
と懸念されるべきだろう。彼らは、高温殺菌なしでその海水を直
接飲んでしまう事になるのだから。

  食事を終えると、重々にお礼を述べ、そのテントを後にした。
女達は、家事をし、そう男達といえば、やはりトランプに明け暮
れていた。アイス売りが、道を行く。笑顔を僕に振り撒く男性、
女性、子供、ここの人々は、津波の被災者のはずだ。それを一切
感じさせない人々の雰囲気がここにはあった。あった。しかし、
道を見下ろすと、紛れも無い現実がそこにあった。多くの家が倒
壊している。ここの村はほとんどが、木を骨組みにし、葉を壁、
屋根に扱った家屋だ。その村の海側約25mほど大体、村の半分
が、跡形もなく倒壊していた。そして、倒壊した家に住んでいた
人々が、この路上生活を行っているのだ。

  1月8日

  再び、取材を行うため、ヴィジャヤンの家を訪れた。彼に、津
波が襲ってくる以前まで過ごしていた家を見せてもらった。間一
髪、彼の家は全壊は間逃れたが、海側の隣家は、全壊の状態だ。
中を覗いてみる。何も無い。家財道具全て、テントに移してある
そうだ。床には、ノートや本が並べられてある。津波によって濡
れてしまったノート類を乾かしているらしい。「水が背丈まで来
たんだ。」そうジェスチャーで教えてくれた。今は、テントで生
活しているらしい。そういい残すと、足早に用事があるといい、
出かけていった。

  テントに戻ると、英語が話せる老人がやってきた。僕を案内し
てくれるそうだ。彼に連れ立って、村を歩く。漁港特有の魚の匂
いが僕を包み込む。村といっても、一歩踏み出せば、そこは漁港
。大型の船が打ち上げられている。奥の方に足を進めると、少年
達が釣りをしている。津波の被害によって、広まった変な噂もこ
こでは関係ない。生きるために必要な食料を、現金収入を得るた
め、そんな姿が目に飛び込んできた。

 いくら、国家レベルで援助に駆り立てた所で、援助の末端とな
る彼らまで生活が保障されるとは思えない。インド政府も津波被
害総額を算出した。占めて、約1兆円だそうだ。タミルナドゥ州
においては、約600億円。この金額を見ると、一見被害の深刻
さが伺えるが、一艘の20万円の船で生計を立てていた人もいれ
ば、20艘もの大型の船を所有し、会社を経営している人とでは、
全く比が違う。エンゲル係数が高い人間が本当に今回の津波で大
打撃を受けているのだ。そして、ここインドでは、彼らに限って
、援助を受けられにくいというのも実情だ。

  今回の死者15万人という地球規模の自然災害。インドにおい
て死者約1万人。ここタミルナドゥ州においては、死者約8千人
(内ナガパッティナム約6千人)(1/6現在)。この脅威の自
然災害において、多くの命を犠牲にして、幸運にも命を繋ぎ止め
られた私たちが得たものは何だろうか。今の僕からすれば、こん
な議論ばかげている。現地を垣間見た今、このルポルタージュに
おいてそれを議論する気分にはなれない。おそらく現地の方々は
遥かに失ったものの方が多いだろう。まずは、その癒しきれるか
定かでない傷を癒してから得られるものを見出していっても遅く
はないだろう。そう思えた今回の取材旅行だった。

                            ・・・黙祷・・・
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◆ 現代語感:[戦後60年その4 4]    MK
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 ホロコーストという言葉の持つ意味はご存知か。ポーランド南
部の小さな町、オシフィエンチム。ナチスはこの町をアウシュビ
ッツと名付けた。ここでナチスはユダヤの民を殺戮した。いや殺
戮するためにアウシュビッツは造られた。ホロコースト。

 皆殺しの意味。集団的殺人行為のこと。あれから60年。
 27日には開放60周年記念式典がこの地で開かれた。

 「南京大虐殺はなかっても、ホロコーストはあった」という輩
には、式典参加者の涙はどのように見える?。同じ涙を流す民族
はアジアにも多くいる。
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◆[編集長から]              Michio Katayama
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 NHKは視聴者(この場合は国民皆)を馬鹿にしているよう。
前会長の顧問就任と4日目に辞任のどたばた劇。
 寒さがぶり返してきました。気をつけてください。

◆堤王国、崩壊。大阪市の役人天国 も!。少し前には自民党最
大派閥。そして・・・NHK。

  海老沢顧問らが自分から身を引く無責任さ。本来なら馘首モノ。
やめさせちゃ駄目だ。責任の所在があやふやになる。視聴者を見
ていない新会長の不手際。先が思いやられる。いや見えてきた。

◆イラクで選挙。結果はまだだが「おおむね成功」という報道。
ほんとかね。

◆これまで当メール・マガジンやホームページで伝えてきたよう
に、サハリン残留韓国人はこれまで日本政府に対して帰国や補償
を求めてきたが、韓国政府による1965年の日韓条約関連文書
公開で、韓国側が個人補償の義務を負うことが確認されたため、
サハリン在住韓国人の間に困惑広がる。
 パク・ヘリョン・サハリン韓人会会長は、「韓国政府なにもし
てくれない」と常々話していたことを思い出す。
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発行     2005年2月1日   No.199
編集・発行  609studio   Michio Katayama
発行     毎週火曜日  購読料無料
配信          まぐまぐ配信システム       ID:0000052236
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