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タイトル:609studio No.170◆現代時評:「佐世保の事件について思う」  2004/06/08


───────◇◆◇609 Studio メール・マガジン◇◆◇──────
                              2004/6/8 No.170
【609 Studio 】メールマガジンは「現代社会を斬る!」をコンセプ
 トに論説委員Ken氏の論説「現代時評」をはじめ、サハリン情報と
 して、ロシア唯一の韓国語新聞サハリンの「セ・コリョ」ダイジェス
 ト版、その他、寄稿記事など話題満載! 
           URL ⇒   http://www.609studio.com
─────────────────────────────────
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 このほど韓国人歌手(ソウル在住)李・在聖さんが歌うサハリン・ア
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   〒530-0015 大阪市北区中崎西4−2−21−609
             609studio あて
     参考URL    http://www13.ocn.ne.jp/~files/file-1.html

     ◇◆◇韓国MBC放送「フォトエッセイ」◇◆◇

 今年2月にサハリンで取材中のところを韓国MBC放送が取材して、
4月に韓国で放映された「フォトエッセイ」という番組のビデオを掲載
しました。(MK)

  http://www.609studio.com/html/movie/sakhalinstory-2.html  
       
───────────◆◆◆INDEX◆◆◆───────────

◆現代時評:「佐世保の事件について思う」         ken

◆セ・コリョ新聞ダイジェスト版:2004年月日号

◆現代語感:[D−Day]                   MK

◆寄稿 サンチャゴ レポート6:「パンアメリカンハイウエイ」
                           塩田悦三郎

◆20代のぼやき:[わがルポルタージュ論]        有木優一

◆韓国新聞拾い読み:                          編集部

◆編集長から:[この1週間]

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◆現代時評 :「佐世保の事件について思う」        ken
   Ken氏もしくは現代時評へのご意見、ご要望などは 
                  info@609studio.com   へ!
─────────────────────────────────
◆◆読売オンライン 2004.6.03 (前略)…・は作文の中で、
パソコンを始めたころは、パソコンを通じて友達を作ることに関心がな
く、「顔も姿も見えない人たちと仲良くできるのだろうか。と正直そう
考えていました。もし、相手が変な人(中略)だったらいやだなぁ」と
不安だったことを記述していた。 
 その後、友達からメールで相談を受けたことから「ここまで親密にな
れるんだ」「逆に顔や姿が見えないからこそ相談に乗ったりできるんだ
なぁとおもいました」と、メールに熱中していった理由に触れ、「PC
を通しての友達はいい人だけではないだろうけど、これからも友達をつ
くって仲良くしていきたい」と結んでいる。

◆◆サンケイ新聞 2004.6、03 長崎県警佐世保署は3日まで
に、加害者の女児(11)が事件数日前に襲撃を決意したとの見方を強
めた。同署は、家族らから事情を聴くなどして、事件前に不審な行動が
なかったか調べている。
 付添人の弁護士が3日、女児と接見し記者会見する。 佐世保署の事
情聴取で女児は、インターネットのホームページ掲示板に、自分の容姿
について、怜美さんによる書き込みが複数回あったと説明した。

■■今回の佐世保の事件を知って、ボクは一瞬絶句した。 大げさな言
い方をすればボクは「色を失った」のである。
 それは単なる犯罪事件ではない。 もし「犯罪事件」とすれば、その
加害者は誰か。言わずと知れた、我々の社会こそ加害者である。我々の
社会が加害者ならば、その社会を構成するボクもまた、加害者の一員な
のだ。
 そうした思いが、ボクをして一瞬絶句せしめたのである。多くの人も
そうした思いだったろう。

■■ところが、だ。またしても心無い世のマスコミ連中は、この事件を
得たり賢しこしとばかりにニュース種にし、事細かくテレビ新聞で報道
し始めた。聞くに堪えなく、見るに堪えない。まるで彼らはハイエナだ。
 なぜマスコミはこんなに鈍感で、狼藉で、そして不遜なのだろうか。

■■そう思ってアタマがカリカリしている最中に、ふと気付いた。かよ
うな報道の元凶はどうやら警察にありそうだと…。
由来、警察というところは、(いくらか例外はあるにしても)事件が好
きで、猟奇的なニュースを調べ報道するのに特別な興味を持ち過ぎてい
る。 表面上は「社会正義を求め、悪に対する怒りが強い」と称してい
るが、じつのところ、大半の現場警察官の精神状態は猟奇趣味、もしく
はサディズムの塊に近い。と、これは、40年間検察官を務めたボクの
親友が言うのだから、先ず間違いのないところである。

この検察官殿について、かってこういうことがあった。ある日、彼のワ
イフから、彼のアタマがおかしくなって、涙を流して死にたいというか
らすぐ来てくれとのこと。駆けつけて見ると確かに涙を流し、「死にた
い」と言う。ワケをきくと、「自分は過去30年も検察官を務め、いち
おう社会正義をモットーに、職務に精励して来た。だが考えてみると、
彼が日々、被疑者を問い詰め、白状を迫るということは、つまりは被疑
者自身の不利に繋がることで、被疑者自身およびその家族が不利になり
、ついには路頭に迷うケースが多い。破邪顕正に名を借りて、被疑者を
問い詰めることは、結局は被疑者やその家族を苦しめることになり、い
ったい自分は何の因果で、こうした人を苛める職業についてしまったの
か。それを考えると、いっそ死にたいとすら思う」と、泣くのである。

 「君のいうことは尤もで、君のアタマは決しておかしくない。その職
業がいやなら、さっさと転職すればよい。もし転職先が見付かれば、の
話だが」と、そのときボクは彼に言った。
 その後、彼がどうしたかは、今言うべきことではないが、検察官や警
官はつねにそうした微妙な立場にある。 今回の佐世保の事件なども、
もし彼ら担当警察官や、サツ回りのマスコミ連中に、一片の惻隠の情が
存在すれば、きのうきょうのようにこと細かく無関係の大衆にニュース
として通報することなど無い筈だ、と、ボクは腹が立つのである。彼ら
にとっては、今回の幼女の場合でも、TVタレントの離婚問題と同じ程度
のマスコミニュース・バリューなのだ。

■■いや最近の警察官はそうではない、という人も居るかも知れない。
しかしつい最近、ぐうぜん発見したわが家の刀剣を届けに警察へ行った
経験では、相手はもう定年間近かな巡査ながら、その横柄さに辟易した。
 本質的に警察官というのは被疑者ばかり扱っているから、つい相手も
考えずに居丈高になる習性があり、いたいけな幼女を相手にするデリカ
シーは皆無に近いと考えて大過ない。

■■その警察が、これも似たような恥ずべき精神構造のマスコミに、内
容を事細かに、取り調べた内容を喋り過ぎ、それをマスコミが話の種に
して喋くりまわるのである。新聞で、そしてテレビで。今回もこの図式
に変わりはない。

 むかし、新聞記者は「社会の木鐸(ぼくたく)」をもって自認し、そ
れなりの誇りをもって行動する、ある種のエリートだった。それが、と
くにテレビという媒体の登場以来、急に卑俗化し、出歯亀と化して、飢
えた犬のようにニュースを探し出し、センセーショナルに報道する、と
いう下司な職業に堕してしまっている。

■■そうした警察と下司なマスコミによって、今回のような聞くもおぞ
ましい、少女にもまだ達していない幼女がぐうぜん惹起した事件に飛び
ついたのだから、朝から晩まで報道されるボクらは堪ったものではない
。テレビ・ラジオを消し、新聞雑誌から目を覆わねばならぬ、ボクらの
無念さを察して欲しい。

 ところがニュースはなお追いかけてくる、「警察はその事件の動機を
いま調べていて、大要つぎのようなことらしい」と・・。

■■何が警察だ。 いったい警察は、この幼女をしょっ引いて、何を調
べ、何を糾弾しようというのだ。鈍感で無慈悲な警察などに、この幼女
を引き渡して調べさせたく無い。とりあえずそっとしておいてやって欲
しい、と思うのはボクだけでは無いはずだ。

■■事件には違いないから、そっとしておくわけにいかない、というの
なら、誰か警察以外のちゃんとしたそれなりの人に取り調べを任すべき
だ。がしかし、そうした「ちゃんとした人」がいったい誰か。その適任
者がボクにも思い浮かばない。そうしたもどかしさが、どうしようもな
いボク自身への無力感と絶望感になって、ボクの心をよけいに苛む。
 ただ少なくとも、警察だけには担当して欲しくない、という思いがつ
のる。 それと、鍵をかけた部屋などに、この幼女を隔離、監禁して欲
しくない。隔離、監禁したとてて何の役にも立たないのだ。いささか自
己矛盾かも知れないが、ボクはそう思う。

■■ある精神科医が、今回の事件についてこういうことを書いている。
「教えることと、育つこととは違う。人の人格は、生まれたときから、
失敗や成功、叱られたり、褒められたり、悔しかったり、ほくそ笑んだ
り、いろいろ体験して徐々に育ってきて、現在の自我を作っていると考
えられる。 その中で、人間関係の一番基本的な部分は、家庭で築かれ
るものだ。特に食事時の作法は、基本中の基本だ。楽しい会話と、傍迷
惑にならない食べ方、お箸の先を相手に向けてはいけない、みんなで分
け合う気配りなどは世界中で通用する人間関係である。学校生活は、そ
の次ぎに来る社会生活の訓練の場と考えられ、それは権利と義務を中心
に社会のルールを体験学習する環境である」。

 「命の大切さは、教えて育つものではない。私たちの社会全体が、命
を大切に扱っていることを見て育ち、自分もその行為に参加して体験を
増やしていくもだ。人間が死ぬとき、病院へ運び入れ、ターミナルケア
のシステムに任せるか。 また、せめて死ぬときは畳の上でと考えて、
病院から連れて帰り、子どもや孫達に囲まれて、息を引き取っていくか
。こんな体験の違いが、命についての考え方に違いを生じてくると、私
は考えている。 何でもかんでも、専門家を雇って、カウンセリングを
受けさせれば、問題解決とする現代の風潮が、将来にもっと人間不在の
環境を作っていくことになると、私は心配している」と。

■■たしかにそうだろう。 ならばこうした事件発生の原点は、とくに
戦後に始まった米国式ともいえそうな、われわれ社会の生活様式にある
のではなかろうか。
 「競争社会」と名付けた資本主義原理によるラディカルな社会風潮は
、何事であれ殺伐で効率ばかりの生活様式を追い求め、落ちついた温和
な生活を体得する社会構造から遠く逸脱してしまっていて、「人を殺し
てはいけない」と、形式的に教えはするものの、そうしたプリミティブ
な生活感覚を子供たちに刷込み、体得させる場所、時間の余裕を無くし
てい、その結果が今回のような事故を惹起してしまったものと、ボクは
解釈する。

■■いまにしてこうした社会環境を修正しなければ、ついにはこのよう
な事件が日常化し、物質的には豊かながら、つねに荒々しい米国社会と
同様の道を、わが国社会も歩むこととなろう。

■■問題は、忙し過ぎるあまり、人間の穏やかさや、基本的な倫理感が
希薄になってしまった、いまのボクらの社会の在り方にある。
 本質的に資本主義社会は、競争で生き残った者だけが優者として遇さ
れ、それが称えられる生活社会である。そこでは負けたもの、遅れを取
った者への配慮が極端に薄く、他人の命よりも、自分の楽しみが優先す
る情緒が普遍化していて、人々はそれに気付かない。 
 人命の尊とさという簡単なことですら、戦争による大量殺戮や、魚釣
りコンクールの無益な殺生習慣などのために、考えが及ばなくなってし
まっている。 

 要するに、基本的な人倫道徳が、どこか片隅に追いやられてしまって
、目先の享楽生活が普遍化しているところに問題があるのだ。

■■これを元に戻し、平和で温順な社会を取り返すにはどうしたらいい
か。何はともあれ競争原理に支配された資本主義社会から、先ずいった
ん離脱しよう。 そのためには、目先の経済の停滞など、甘受する必要
がある。いたずらな経済的発展や、これ以上の便利社会への願望などは
、それによるデメリットが大き過ぎるから、とりあえず棚上げすべきだ。

■■そのためのモデルが身近にある。ブータン王国が1989年に発令
した、国家目標としての「GNPよりGNH(国民総生産より国民総幸
福)」GNH(国民総幸福)優先政策」というのがそれだ。
 
 ブータンでは「GNP(国民総生産)を増やすのは手段であり、目的は
GNH、つまり国民が幸福になることにある」とし、幸福を削ぐような
生産は止めると決めているのだ。そのためには、輸出商品としての木材
の伐採を禁じ、天産鉱物の発掘も禁止してしまった。目先GNPの増大
を図るあまりに、将来の国家社会利益を失ってはならない、と国是で決
めているのである。

 西欧の経済学者たちは、「国民総幸福度」の定義や基準が曖昧である
と批判するが、ブータン国王はそうした学者バカどもの批判を歯牙にも
かけず、GNH(グロス・ナショナル・ハピネス)を追求してやまない
。見上げたものではないか。

■■いまボクらも、夢のような二一世紀の便利さ、豊かさへの願望を取
りあえず休止し、穏やかな人間生活を復興しよう。儒教道徳へ回帰し、
次代を担う子供たちに、「人間が生きていく上で、何がいちばん大事か
」という、人倫の道を自然に体得させられるような社会生活様式に戻ろ
うではないか。

■■まだ西も東も解らぬ幼女を責めたてて「なぜそんな事故を起こした
か」を詰問し、マスコミ報道するような社会環境から解脱し、かってボ
クらが持った、昔の穏やかで常識的な生活に戻り、そうした日常の場で
、子供たちに人間としての「あるべき生活」のマナーを刷込んで行くべ
きである。 

■■井上防災相が、「元気な女性が多くなってきたということですかな
」と、他人事のように述べて、早速、無責任なマスコミに叩かれそうに
なっているらしい。
 「人が人を殺めてはいけない」などとは、口頭で教えるべきことでは
なく、そのようなことはとても出来そうにないという、精神および肉体
的本能として、我々の後継者たちに刷込んでしまうのが、社会全体の次
世代に対する生活教育である。それが出来てないということは、つまり
は我々の生活様式や形態がどこか間違っているのであると、井上大臣に
も認識してもらいたい。

◆◆いまの資本主義的競争原理社会や、科学的利便生活などは、何かそ
の辺りが間違っている。いまにして本来の道徳的生活様式に回帰しなけ
れば、我々の社会というのはいびつで、不幸を抱え込むばかりの世界で
あるような気がしてならない。

◆◆そのために、先ず手始めに何をなすべきか。テレビは俗悪な暴力ド
ラマを止めて欲しい。深夜テレビを眺めていると、こんな番組が流され
ていいのかと思うような暴力やセックスシーンが続々と現れる。それも
、若い女性の無軌道ぶりをそのまま番組として取り込んだものが多い。
こんなのを日常見せつけながら、真面目な生活に戻れとは言うほうが無
理というものだ。

 5日の報道では、NHKやTBSが、刃物を振り上げるシーンのドラ
マを急遽、中止したという。とうぜんの話で、改めるに遅過ぎることは
ない。
─────────────────────────────────
◆[セ・コリョ新聞ダイジェスト版] 2004年6月4日号  
              発行 ユジノサハリンスク市 翻訳 Kil Sang
◇詳細/写真、記事、は関連Webへ → http://www.609studio.com
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創刊55周年を記念して

 6月1日でセコリョ新聞は創刊55周年を迎えた。同日、サハリン各
地から祝賀のメッセージ−を伝える電話が殺到した。又、サハリン州韓
人会関係者らは直接新聞社を尋ね、経営難と低賃金に苦しみながらも廃
刊の危機を乗越えてここまで頑張ってくれた社員一同に感謝状を作って
送るなど熱い声援をして下さった。読者に皆様方に心からお礼を申し上
げたい。  (セコリョ新聞社長 安・チュンデ)

世論調査ファンド創立

 サハリン州の社会経済発展についての住民世論を収集して政策に反映
するための新しいファンドが作られ、5月28日ユジノサハリンスク市
内のカフェで記者会見を開いた。同ファンドの名称は「オトヴェトスト
ヴェンノスチ」、総責任者はエス・ア・ポドリャンである。

国際児童保護ディー

 6月1日は国際児童保護の日である。50年前子供の権利と守るため
に作られた。今、世界の子供たちは様々な危険にさらされている。戦争
や麻薬、暴行、犯罪、経済的不安などだ。しかも大人の無関心や不注意
で子供たちを危険から守ることが出来ない状態に置かれている。母性と
児童問題、障害児、浮浪児と未成年犯罪予防などに、より積極的に取組
むべきである。このような活動の一環として、サハ共和国(ヤクチヤ)
はアジア児童スポーツ大会を7月23日―30日まで開催する。極東か
らも多くの子供達が参加する予定である。

あれこれ

「サハリン2世一時母国訪問」

 昨日の3日、早く親を亡くしたサハリン2世たち81人がはじめて一
時母国訪問団を編成して韓国へ向かって出発した。韓人青少年芸術団の
金・ブザ団長が団体の引率者として同行した。

「放火対策」

 サハリンエネルゴ社が4月15日―10月15日までの火災の多い季
節に火災を予防できるように対策案を立てた。放火対策特別部隊は消防
器具設置の他、密林の中の高圧線状態のチェックや消防訓練などを行っ
ている。

「スポンサー表彰」

 先週、ポロナイスク市長が教育文化保健機関に対する支援を長期間続
けた区域の企業家たちに感謝状を送った。現在同区域では1262人が
企業活動を行っている。

ロシア極東地域への高麗人移動−A・クージン

「問題の史料編纂について」

 極東はロシアの重要な地域で、ロシア全体の発展過程の中でも独特な
地域と言える。極東地域の複雑な歴史の中では朝鮮人亡命者たちの一定
の役割を果たしている。極東朝鮮人に関する歴史的資料はロシア人居住
地域に彼らが入ってくる時から蓄積された。エン・エム・プルジェワル
スキは朝鮮人移民を好ましい現象であると指摘した。彼は1867−6
9年まで南部ウスリースク辺境を訪ね朝鮮人の生活ぶりを詳しく伝えな
がら、ロシア民族と国家が朝鮮人を迎え入れる条件を備える必要がある
と述べた。北京でロシア正教布教活動を行っていたペ・イ・カパロフは
重要な人類学的史料を収集し、それを科学的に整理した。朝鮮人たちの
移住に対する進歩的見解は警備隊主任エム・イ・ヴェニュコフ陸軍中領
の作品にもよく反映されている。
 シベリア歴史家兼評論家であるヴェ・ワギンの「アムールの朝鮮人」
という論文は最も意味深い初の論文である。ここでは朝鮮人に対する地
方指導者の矛盾な政策について言及しているが、「最初にはこれらを支
援したのが単に労働力としての活用するためであった」と指摘している
。又、自由民主主義的立場から朝鮮人の特性と自由を保障し、又彼らの
生活を支援する必要があり、そうすることによってロシアに対する信頼
感を高め、極東での彼らの地位を確立させるべきであると主張した。ヴ
ェ・ワギンはこれこそ朝鮮人移住者に対するロシア政府の基本的立場で
あるべきだと結論付けている。
 「朝鮮とロシア」という論文には重要な問題が反映されている。同論
文の著者は著名な過去の評論家ア・ヤ・ムクシモフである。彼は国家的
利害関係を考えた上、朝鮮亡命者らに対する大帝追従者たちの過酷な態
度を訴えようとした。彼はこのようなもの(ロシアの態度)がロシアの
民族的自尊心を傷つけたと指摘している。鉱山業者兼記者であったカ・
ア・スカリコフスキは如何なる警戒心なしに我々のために数千人の朝鮮
人を受け入れるべきであり、ロシア領地で朝鮮人がより安全な暮らしが
できるように環境をつくるべきであると強調した。  
 彼は国境付近の貿易状態を研究した上、朝鮮との通商契約を結ぶのが
正しいとの結論に達している。
 又、ユジノサハリンスク辺境移民責任者エフ・エフ・ブセの労作も歴
史的意味を有する。彼は辺境に移住する朝鮮人の姿、生活、ロシア開拓
者たちとの関係について述べながら、「・・・朝鮮からの移民者たちは
我々の開拓のおいて有利なものである。・・・彼らは経済的には勿論の
こと、祖国を離れ孤独な生活をしている彼らにしてロシアに対する忠誠
心を発揮させる政治的意義もある」と言った。19世紀末20世紀初に
、上のような内容を、イ・ナダロフ、ア・ラゴサ、エム・プチロ、エス
・メルクルフ、エン・ア・ナセキン、エフ・ヴェベリ、ア・パノフ、ア
・ノヴィツカヤ、エ・テ・ミスルノフ、ヴェ・カ・アルセニエフも確認
している。
 アムール州にあるウラゴスロヴェンノエという呼ばれる初の朝鮮人村
の形成歴史と生活についてロシア地理学協会プリアムリエ辺境支部委員
のア・ヴェ・キリルロフが珍しく述べている。朝鮮人移住の研究におい
てはアムール学術探究がとても重要である。彼の科学的判断と政治経済
的意義については外務省全権代表のヴェ・ヴェ・ペソツキの報告書に最
もよく現れている。彼らは朝鮮人問題を過去の研究経験に照らしながら
経済及び民族文化、朝鮮人移住とその特性、人口数の役割、法律的地位
、同化過程などを分析しようと試みた。ヴェ・ヴェ・グラヴェとヴェ・
デ・ペソツキは朝鮮人たちが疑う余地もなく有益な存在であると評価し
た。
 ヴェ・エフ・ウンテルベルゲルの論文を分析してみると、全く違った
見解がある。著者は朝鮮人たちが黄化を齎し、ロシア開拓者らには悪影
響を与えており、同化能力もなければロシア内で自国を作り上げる危険
性があり、又日本や中国と戦争が起きるとスパイグループを作り上げる
チャンスを与えることになりかねないと否定的に論じている。
 大体、革命前は朝鮮人移民問題を政治家、学者、歴史家、評論家、旅
行者及び官僚たちのだけの関心事であった。しかし、彼らの著述は根本
的に叙述的かつ演出的性格を漂わせる。何故ならば、当時の歴史的状況
は移住過程についての完全で客観的叙述を禁止させたからである。
 大帝制度が崩壊した後、朝鮮人移住に関する研究は第二段階に突入し
た。当時の論文は以前歴史について批判的であるのが特徴である。しか
し、その主な批判対象は禁止令の古文書ではなく革命前の著者と著著で
あった。
 極東における朝鮮住民の形成過程についてはエン・サトウコフとエス
・クレミャンスキが最も早く関心をみせた。朝鮮住民が民族解放運動と
極東ソビエト政権樹立のための闘争に参加したことに関する資料がより
関心を引く。
 エス・デ・アノソフのエッセイは最も中身が濃い。彼は多くの1次資
料を用いながらウスリ辺境への朝鮮人移住過程を丁寧に研究し、ロシア
政府の政策を批判した。アノソフはソビエト政権下の朝鮮住民の経済的
立場を分析し、はじめて朝鮮人管理階層の分化過程と土地問題の複雑性
を指摘した。又、彼は雇用労働について調べながら朝鮮人たちのソビエ
ト教育制度と医療システムへの参加過程についての重要な資料を整理し
た。こうしながらも彼は朝鮮人に対する新しい著述と彼らの経済的地位
を検証した新しい資料がないため論題を明らかにできなかったと告白し
た。指摘したいのはその後も同分野の研究が量的にも質的にもあまり進
展していないことである。スターリン体制下の40年初ソ連では朝鮮問
題に対する研究が事実上禁止されていたためでもある。フルシチョフ時
代になってから研究が活発になり、英雄的愛国心に関するエッセイと記
事などが現れ始める。
 60年代の「ソビエト朝鮮人歴史に関するエッセイ類」という出版物
が目を引く。しかし、これはソビエト共産主義下のものであるため、記
録目的から制限があった。即ち、ソビエト自体のものは賞賛し、帝政時
代の政治は否定的に記録せざるを得なかった。著者の結論によると、朝
鮮人に対する帝国政府の政策は恐喝的尚且つ反乱的ものにみえるように
わざと誘導した痕跡が明白に現れている。このような時代的影響は朝鮮
住民たちの生活を制限する重要な原因でもあった。そのため、古文書資
料を十分活用できない状態で一部の記事だけを参考にして書かざるを得
なかったことや記事を批判的に活用できなかったことによって一連の不
正確な結論に達するしかなかったことは十分わかる。しかし、金・スン
ファンが提起した広範囲の科学的資料や朝鮮人移住初期から1950年
半ばまでの朝鮮人の移民生活の基本的な問題点の綜合と分析した論文な
どはソビエト朝鮮人歴史研究に大きく貢献したと言える。
─────────────────────────────────
◆ 現代語感:[D−Day]                 MK
─────────────────────────────────
 攻撃開始日。行動開始予定日。特に,第二次大戦中,連合軍がノルマ
ンディー上陸作戦を行なった1944年6月6日のこと。

 アイゼンハワー将軍に率いられた米、英軍主力の連合軍は決行の日「
DーDay」に、兵士17万、車両2万台の揚陸を目指した。アロマン
シュは米軍の突入した「オマハ・ビーチ」(作戦上の地名)と、英軍が
目指した「ゴールド・ビーチ」(同)の中間にあたり、橋頭保が確保さ
れた後、揚陸作戦の拠点となった。ロバート・キャパの「ちょっとピン
ボケ」はこの作戦に参加したキャパの眼で見た上陸作戦記でもある。
______________

 それにしても60年で、戦争も様変わりした。
─────────────────────────────────
◆寄稿 サンチャゴレポート6「パンアメリカンハイウエイ」
                       塩田悦三郎
─────────────────────────────────
 パンアメリカンハイウエイ」はアラスカのアンカレッジからチリの
チロエ島の南端の町ケジョンまでを結ぶ総延長22、000kmの道路
です。「パンアメリカンハイウエイ」が走っている国は、12カ国に
及び民族はもちろんそれぞれの文化が異なっています。それらが一本
の道路によって結ばれています。チリ国内の「パンアメリカンハイウ
エイ」は約3、400kmあります。

 私は、今年の夏(2月)この「パンアメリカンハイウエイ」をサン
チャゴから南端のケジョンに至るまでの約1,400kmを往復するド
ライブ旅行をしました。「パンアメリカンハイウエイ」といってもチ
リ1カ国、しかも南部だけのドライブでしたが、サンチャゴでは見る
ことができなかったチリを見ることができました。今回はその一部を
紹介させていただきます。

 人口550万人、南米第4の都市サンチャゴを後にすると間もなく
田園地帯に入ります。左手遠くに雪を抱いたアンデス山々が見えます
。右側は、ブドウ畑・トウモロコシ畑・小麦畑というように作物の種
類は多少変わりますが、ひろびろとしたのどかな田園地帯は変わりま
せん。日本と違って山あいを走ったり、川沿いを走ったりすることは
ほとんどありません。

 50kmくらい走ると遠くに教会の十字架が見えてきます。教会を中
心にした小さな町が見えてきました。休憩するのには早すぎるので通
り過ぎます。何番目かの町で「ハイウエイ」から一般道路におります
。チリの町や村には、必ずといっていいほど中心に「セントロ」と呼
ばれる広場があります。この広場は人々の憩いの場であり、日によっ
ては市が立ちます。広場の周りには、教会のほかにお店やホテルなど
があって気ままな旅行者にはたいへん便利な場所です。

 「ハイウエイ」から右におりてしばらく走ると港町に出ます。魚市
場は簡単に探し出せます。お昼は魚市場の中にある食堂でいただきま
す。生のウニ・ばかでかいアワビなどを思いっきり食べて、「ハイウ
エイ」に戻ります。「ハイウエイ」と一般道路との行き来はほとんど
自由で、日本のように「ハイウエイ」=「高速道路」=「有料道路」
という公式は成り立ちません。まったくフリーというわけではありま
せん。時々料金所で料金を支払いますが、「どこからどこまでいくら
」という制度ではなさそうです。

 サンチャゴから南下すること約500km、再び「ハイウエイ」に
別れを告げ、飛び散る水しぶきの激しさで有名な「ラハの滝」を見物
します。見物したら「ハイウエイ」に戻り、ひたすら南下します。第
一日目の宿泊地は、サンチャゴから約700km離れたテムコ(人口
16万強。第9州の州都。)にします。

 テムコでは、「セントロ」周辺をぐるぐる廻ってホテルの星の数を
見ながら宿探しをします。初日でもあり無難な四星のホテルに旅の荷
を解きます。早速、「セントロ」の市をひやかしに出かけます。骨董
品もあるし、原住民マプチェ族の伝統的な毛布、木や皮で作った民芸
品もあって目を楽しませてくれます。結局何も買わずに夕食のレスト
ラン探しに行くことになります。

今宵はぐっすり眠れそうです。お休みなさい。       
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◆20代のぼやき: [わがルポルタージュ論]        有木優一 
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 完全にフリーである僕がルポルタージュを書くにあたって、参考に
したい人がいます。それは、鎌田慧氏です。氏は「ルポルタージュ入
門」という本を執筆しました。また、氏は「自動車絶望工場」などと
いった著書を記しております。このルポルタージュを書くにあたって
、自ら6カ月間も自動車工場に潜入し、それぞれ出稼ぎに来ている労
働者と苦労を共にし、この作品を書き上げました。本多勝一氏は職業
としてのジャーナリスト」という文献にて、彼の密着型、潜伏型取材
方法を絶賛されています。

 事実を書くルポルタージュ、事実に反していては、小説になってし
まう。極論を言えば、当人の証言、分厚い文献ですら、事実と多少ず
れている可能性はあるでしょう。この極論としての「多少ずれる」に
ついてわかりやすく表現するために例を上げたいと思います。

 例えば、新聞記者の場合、新聞に書かれている一字一句、記事に書
かれた言葉、すべてが真実を的確に表現されていると言い切れるので
しょうか。この場合言い切れません。それは、言葉の裏側にある真実
までも突き詰めて述べていかなければ、事実が述べられた文章にはな
らないのですから、事実と記者の間の距離が遠いほど、事実は歪曲し
たものへと変容して記者に受け止められると思うのです。つまり、こ
の「多少ずれる」とは、聞き手と事実との距離の問題であるのです。

 過去の出来事を掘り起こす場合は、人の証言、文献に頼るしかない
。過去に起こった出来事は、現段階でわかり得るすべての資料によっ
て確立された事実(ここではバーチャルリアリティーという方が適当
かもしれない)を書かなければならない。その資料を参考にすること
で、事実との距離も極限まで近づいても、物理的な距離は否めないし
、文献を介入することで、また距離があく。

 すると、やはり実体験でしか本当のルポルタージュは書けない。実
体験でなくても、その場に長期間滞在し、まさに密着、潜伏しない限
り、事実は書けないことになる。ならば、過去を掘り起こしたルポル
タージュが虚実であるといいたいのか、と思われるかもしれませんが
、突き詰めると実体験や密着取材よりも信憑性が欠けると言いたいの
です。これは、先にも述べたが、取材する側と事実の距離の問題で、
密着する分距離が近くなる。過去の出来事であってもその事実に近づ
く分、信憑性は増す。しかし、密着型ほどではない。

 つまり、鎌田慧氏の推奨する方法がルポルタージュを書くにあたっ
ての最善の方法であると思うのです。尚且つ、僕の場合は仕事もしな
がら書ければ、一石二鳥ですからね。
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◆[韓国新聞拾い読み]                       編集部
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【イタイイタイ病恐怖】「10年前から痛み訴えてきたのに…」
                         (朝鮮日報)
 慶尚(キョンサン)南道・固城(コソン)郡・三山(サムサン)面
ピョンサン村の住民が集団で「イタイイタイ病」の疑いがある症状を
見せていることと関連し、関係当局のずさんな対応が住民のカドミウ
ム中毒事態を招いたという批判が集中している。各種の重金属を排出
する廃鉱が30年以上放置されているにもかかわらず、関係当局は手
抜き調査と遅い対応などに一貫してきたという指摘だ。
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 発展途上の時期=高度成長の時期にはわが国でも、各地で起こった
問題。常に行政は後手に回り、時として企業をかばい、その影で泣く
のが市民という構図は、韓国でも同じ。
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◆[編集長から]              Michio Katayama
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 ハルビンで中華料理三昧をしてきました。3Kgは増えたかもしれ
ません。中国人の飲むこと、まさに「斗酒なお辞さず」でした。

◆サハリンにも遅い夏が。最低気温はまだ10℃以下だが、緑がまぶ
しいとの便り。

◆6日はD−Day。フランス人が信頼するのは米英よりドイツ人が
トップに。イラク戦争が見る目を変えた。

◆旧ソ連を「悪の帝国」と呼び、就任直後から、対ソ外交では強硬路
線を取り、軍事力増強に着手したレーガン元米大統領が死去。彼は旧
ソ連との本格的軍縮と冷戦終結に道を開いた。ブッシュ米大統領に、
彼のピジョンはあるか。

◆「米民主党:イラク虐待を独立調査 下院議員ら6人ら」というニ
ュース。イラクのみならず、アフガン、キューバにあるグアンタナモ
基地も対象に。どこまで出来るか、正念場に。

◆ 何処やらに沢山の人があらそひて
  鬮引くごとし
  われも引きたし     石川啄木
 
⇒この「何処やら」は国会?
 しかし国会じゃ「われも引きたし」とはならない。しかし我々国民
も、いつまでも寝ていては・・・。来る参議院選挙には参加すべし。
黙っていても、国は変わらないぞ。
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発行     2003年6月8日   No.170
編集・発行  609studio   Michio Katayama
発行     毎週火曜日  購読料無料
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                Macky!                    ID:609studio
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