メルマガ:屋久島発 田舎暮らし通信
タイトル:屋久島発 田舎暮らし通信  2008/07/12


 
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  2008/7/12
『世界自然遺産の島』   屋久島発・田舎暮らし通信(第209号)

      http://www.yakushimapain.co.jp/  屋久島パイン株式会社
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このメールマガジンは、北海道から屋久島に移住し、現在弊社屋久島支店の
社員が本人の移住経験を踏まえまして、屋久島の日常を発信しています。


屋久島に移住し、安房でトビウオ漁師をしているTさんが、この程レポート
を寄せてくれた。お願いした私がびっくりの長文の力作。

●漁師として生きる

(1)屋久島へ

昭和62年初夏、旅の途中で屋久島へ立ち寄りそれがきっかけで永住すること
になりました。
私は東京出身、年齢は43歳です。家族は、妻39歳、長男14歳、長女11歳、
次女9歳です。
屋久島に来る前は、社会的には学生で長期滞在型のフリーターでした。
植村直己さん(冒険家)のファンで、北海道の牧場で住み込みのアルバイト
したのち徒歩で南下、日本列島を縦断して鹿児島へたどりつきます。
九州最高峰の山がある島(屋久島)の存在を知って、一度は見ておこうと、
訪れることにしました。

宮の浦岳登山で、ヤクスギランドあたりからの酸素の濃さ・苔じゅうたん・
淀川小屋隣の川の透明度に絶句しました。人生観が変わり、休学中の大学を
辞めることを決心しました。
一度、大学にもどり正式に退学願を提出しました。東京で引っ越しのための
資金づくりのバイトをしました。相変わらず都会での居場所を見つけられず、
再び屋久島へ出発することにします。
屋久島へは最初農業の手伝いで、収穫期の3ケ月間住み込みのバイトとして
働きました。その中で、同僚にトビウオ漁の存在を聞いて体験乗船すること
に。
初めは、ほんとに軽い気持ちで乗るつもりでしたが、徐々に漁の魅力に引き
込まれていくこととなります。

(2)トビウオ漁

漁はロープ曳きと言って、ほとんどがロープでできた漁具を使う追い込み網
漁法です。
最初は、乗組員を10年くらい経験しました。10年といっても、その当時は
周年操業ではなく、4月から11月までの漁でした。12月から3月までは流し
刺し網、夕方から夜中の仕事でした。
流し刺し網がない年には、一本釣りの漁船に乗せてもらったり、再び旅に出
て旅先で土方をやったり、乗組員10年といってもほぼアルバイト感覚でした。
家庭を持つようになり、結婚3年目くらいから、漁の形態も一年中ロープ引
きでトビウオを漁獲するように変わりました。

独立に対しては、強い願望があったわけではありませんが、たまたま親方が
組合の理事をすることになって、月に一度の理事会の時は漁に出られなかっ
たのです。
任期中に、代表理事組合長が突然辞任したため、筆頭理事であった親方が
組合長に繰り上がりました。組合長は非常勤ではありますが、やはり、漁と
組合の仕事の両立は無理となり、乗組員の誰かが、代行船頭を努めなければ
乗組員全員が実質上の失業という状況になりました。
私は、乗組員の中では一番キャリアも浅く、下っ端ではあったけれど、親方
の命令で代行船頭を務めるようになりました。

代表船頭は、ある朝突然指名されたので、全く準備していませんでした。
しかし、親方の命令なので渋々引き受けることにしました。乗組員の先輩方
はみなベテランで、私が新米船頭であるにもかかわらず、どのような難しい
状況でも何とか網を上げてくれました。
私は、漁場選定のことだけに集中して勉強を重ねることができました。
漁場選定の勉強はとても楽しかったのです。トビウオの漁場探しは経験と
勘だけが頼りです。

トビウオは表層を泳いでいるので、魚群探知機のような漁撈機器は使えませ
ん。船に驚いて飛び上るトビウオを目視して網を打つといった原始的な漁場
の選びかたです。しかし、飛んだトビウオが氷山の一角か、はぐれて旅を
している一匹狼かは、どんなベテラン漁師も網を打って確認するまでは分か
りません。
したがってド素人の私でも、ビギナーズラックで大ベテランに勝ってしまう
ようなマグレあたりがありました。

海の仕事というのは、経営ノウハウ・アミ仕立・乗組員の網揚げの技量
(チームワーク)・船頭の操船技術・船頭の漁場選択などの総合力がものを
いいます。私は、いきなり船頭の代行を頼まれることとなったので、漁場
選択と操船技術以外のややこしい勉強を省いて、漁労に専念できました。
言ってみれば、農業で、仕込みの面倒な作業をすべて端折って、収穫のみを
する“おいしいとこ取り”のようなもでしょうか。日に日に、船頭の勉強が
面白くなってきました。

半年が過ぎ、組合理事の任期終了のとき、親方は理事を辞め海に復帰しま
した。
私は、もとのヒラ乗組員に戻ったわけです。半年間、漁場選定の勉強をして
きたので、当然、親方の漁場選定に関しても関心を持って漁に臨むことと
なりました。今までにないことです。
私だったら次どこに網を打つのか。なるほど、こんなやり方があるのか。
大変勉強になる半面、親方は、自分の考えと違う方向に船を進めることも
多々ありました。
親方の決定がベストではなく、私が気になっていた漁場で他船が大漁した
情報を聞くと、今まで感じたことのないストレスを感じるようになりました。
はじめて、独立を意識した瞬間であります。

(3)独立

独立は、楽なものではありませんでした。資金のこと。船も網も乗組員も、
すべて一から揃えなければなりません。
しかも、経営ノウハウ・網仕立て・素人乗組員の育て方など、すべての新人
漁労長が通ってきたプロセスを省略して、漁労に関してだけある程度の自信
を持って見切り発車をしたものだから、独立をしてから学ぶことが多くて、
時間がいくらあっても足りませんでした。

資金に関しては、無利子の事業開始資金を融資してもらえることになりま
した。実績も何もない私の連帯保証人になってくれる方が2人も現れて、
本当に助かりました。返済期間は最長の10年で開始したのですが、最初の
一年間は楽ではありませんでした。乗組員も希望者が自ら手を挙げてくれて、
自分から動く必要はなかったのですが、後に、人を使うことの難しさを痛感
させられました。

一番多くの時間を割いたのは、網仕立てに関することです。言ってみれば、
手抜き工事をして組みたてたものだから、1ケ月もしないうちに、あちこち
ほどけてきて大変なことになりました。替え網も当然ないので、時化休みや
普段漁に行って帰ってきてから、(寝ている時間以外は、)ほとんど狭い船の
上で網を修理していました。
網のメインテナンスを要領よくできるようになったのは、独立後10年目を
迎えるごく最近のことです。どの仕事にも近道はないものだと痛感させられ
ました。

平成10年10月22日に船が進水してから、あっという間の10年間でした。
今でも完璧とまではいきませんが、よちよち歩きの10年前からすると、
かなり余裕をもって漁に挑めるようになりました。

(4)今後

私は、Iターンの成功者として、最近多くのインタビューを受けるように
なりました。が、決して総てがうまくいっているわけではありません。
したがって、気の利いたアドバイスができるかわかりませんが、屋久島に
移住する若い人たちは、是非、結婚して島内で子供を育ててください。
本当の島の活性化は、子供がたくさん生まれて人口増加していくところから
始まると思っています。

私の伴侶も、東京出身ではあるけれども、大島という離島なのですぐに馴染
むかと思いきや、文化の違い、故郷から遠く離れたことによるホームシック
などにかかった時期もありました。
子供が1人2人3人と生まれて、PTAや集落とのつながりも出てきて、
今では役員を二股三股かけ忙しく動き回っています。まさに「案ずるより
産むがやすし」で、思い悩むよりまず行動です。

屋久島で一番好きな場所は、淀川登山口から奥に入って行ったミストとコケ
に覆われた小径です。そこを散歩する時は何とも言えない幸福な気持ちに
なります。しかし、どういうわけか、最近ではむやみやたらと山に入る行為
自体に罪悪感を覚えるように気持ちが変わってきました。
 
これからの目標は、今の漁中心の生活には満足しているのですが、今後、
原油価格が下がる見込みもなく、今までより厳しい漁家経営が強いられる
ことが予想されるので、楽に経営できる儲かる漁家経営のシステムづくりを
することが目標です。次の世代に安心して継承できるように・・・。

漁に行った日ごとにでる出荷できなかったトビウオは、主におすそ分けして
います。決して捨てることはありません。食べきれないほどの野菜が返って
きたり、その魚を原料においしいすり身を作ってもらって、逆におすそ分け
してもらったりします。
あとは燻製です。乾燥機がないので天気がいい時だけですが、塩味をつけ、
ある程度乾燥させてから、ドラム缶で作った窯に入れ燻すこと数時間、
おいしい燻製が完成します。家の近辺から調達した薪きで燻す。手間だけで
すばらしい完成品ができていく工程は、原始時代から続いてきたことで、
奥が深いです。

トビウオは他の魚と違って、脅すと浮き上がるので、ごく簡単な仕掛けで
大漁ができるところが魅力です。(とはいっても、魚がいるところに網を入れ
なければ獲れませんが・・・)
トビウオ漁はこれからも続いていきます。凪たら出漁、時化たらお休み。
自然密着型の生活サイクルには飽きがくることがありません。
船数も減ってきて産業としては縮小傾向ですが、トビウオが海からいなく
ならない限り、私は、ライフワークとしてかかわっていくつもりです。


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