メルマガ:屋久島発 田舎暮らし通信
タイトル:屋久島発 田舎暮らし通信  2007/03/31


 
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  2007/3/31
『世界自然遺産の島』   屋久島発・田舎暮らし通信(第177号)

      http://www.yakushimapain.co.jp/  屋久島パイン株式会社
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このメールマガジンは、北海道から屋久島に移住し、現在弊社屋久島支店の
社員が本人の移住経験を踏まえまして、屋久島の日常を発信しています。


●移住暦28年・ガイド業の先駆け

東京在住だった宮司芳至(みやつかさ・よしゆき)さん(55歳)が屋久島へ
移住されたのは、28年前。田舎暮らしがブームになる以前のことだった。
その頃は、まだ都会からの移住者が少ないため、島の人達も、珍しさも手伝
ってか皆とても親切でちやほやしてくれたという。反面、よそ者という目で
見られることも少しはあったようだ。

当時27歳だった宮司さんが屋久島移住を決心したのは、知人の影響だった。
先に移住をした知人の楽しい生活ぶりを見せられて、衝撃を受けたという。
「このまま都会で定年まで過ごすよりも、自分の好きな場所でのびのび暮ら
したい」そう思った宮司さんは、周囲の反対を押し切って、単身で屋久島へ
渡った。

最初に勤めた会社は、屋久島パインの関連会社、農産興社の農作物の畑仕事
であった。社宅もあり、住むところに不自由はしなかったそうだ。その当時、
農産興社では、パイナップルや、エンドウ、ジャガイモなどの農作物の生産・
販売を行っていた。

数ヶ月して、職場で出会った地元の女性と結婚した宮司さん。自分たちの
住む家は自分たちで、という想いから小さい家を、奥さんと一緒にそこに
住みながら、コツコツ作り上げた。尾之間にあるその家は、今では息子さん
夫婦とお孫さんが同居できるまでに増築されている。
そして現在、宮司さんが営業しているガイド業「屋久島フィールド情報セン
ター」の事務所でもある。

その後、子供が生まれるのを期に職場を変わった宮司さん。今度は土木の仕
事についた。当時の給料は日給6000円だから、高給取りだった。土木工事
の仕事が盛んな頃で、どこの土木会社でも人を募集していたし、若く力のあ
る人は特に引っ張りだこだったそうだ。

10数年土木関係の仕事に携わった。その傍ら、大好きなカヌーやシュノーケ
リング、登山を楽しむ毎日。
その頃、ガイドという仕事はほとんどなく、また、そのような遊びがガイド
の仕事として収益に結びつくなどと考える人はほとんどいなかった。
ところが、今ではガイドが溢れている。時代の最先端を行き、先見の明を持
っていた宮司さん。現在ガイド業を営んでいるのはまさに天職だ、と語る。

宮司さんは、土木の仕事から屋久島パインへ転職し数年間働いた後、「南西セ
キュリティーサービス」という屋久島パインの系列会社を立ち上げた。南西
セキュリティーでは、警備の仕事をしたり、カヌーやダイビングなどのガイ
ド業をこなした。
今から3年前、独立を決心し会社を退職された。そして、屋久島フィールド
情報センターのガイド業に専念。今では息子さんも都会から戻ってきて、
一緒にガイドをして楽しむ毎日だ。

「孫も生まれて、息子と二人で好きなことを仕事にして、毎日が過ごせるな
んて言うことないです。私のように、自由を求めたいならば、自分で仕事を
始めることですね。人に使われているのと、自営業とでは、大変なことはあ
っても自営業のほうがぜんぜん良いです。年収は屋久島で会社員をするより
は良いし、なんと言っても自分の自由な時間が作りやすい。
民宿などを自営でやっている人は、時間が無くて大変と思われがちですが、
実際は会社員をするより心にゆとりが生まれると思います。
これから屋久島に移住する人に言いたいことは、お金を儲けたいなら都会で
働くべきで、自然のあるところでのんびりしたいなら、収入の低いのは覚悟
が必要でしょうね。最低限、土地を買うお金くらいは貯めてから来てもらい
たいです。私も27歳で移住しましたが、土地を買うお金と家を建てる頭金
くらいは持っていましたよ。こちらで貯金をして、一から土地を買ってなん
て言ってたら一生無理かも。

まあ、永住が目的でないのなら、借家で暮らすという手もあるけれど。屋久
島に愛着を持ったら定住したくなるし、家が欲しくなると思いますよ。特に
男はそうですね。
昔は借家も借りやすかった。ところが、都会から来た人が貸してもらった恩
も忘れて、権利ばかり主張するようになり、地元の大家さんも、都会の人を
煙たがるようになったんですね。だから、空き家はあっても貸さないと言う
地元の人もいます。
屋久島に住むならば、まず都会と同じような価値観は捨てることですね。
口コミで借家を借りる場合、見ず知らずの自分に親切に貸してくれているん
だということを、自覚してもらいたいですね。貸すほうは親切心から貸すの
だということです。
ただし、不動産会社で取り扱っている借家は、貸主借主は平等ですが。まあ、
それよりも早く自分で家を持つことですね」

移住暦28年の宮司さんの、言葉ひとつひとつに、重みと歴史がある。
島暮らしの酸いも甘いも心得ている。深みのある宮司さんのまわりには、
自然と多勢の人たちが集まってくる。


フィールド情報センターで行っている月一回の「食材会」は、地元の食材を
参加者と一緒に採って、その場で食べるという会である。今月は3月23日。
春田浜で、トサカノリと海ぶどうを採った。

「地元の人は、あまり海草を食べないようです。こんなにおいしいのにね。
海草は毒のあるものもあるから、詳しい人と一緒に行くのが良いですよ。
このトサカノリと海ぶどうは、厳密に言うと類似品です。正式名称は、確か
トサカノリは「ツノマタ」とか「サクラノリ」で、海ぶどうは「フサイワズ
タ」と思いますが、皆、トサカノリ、海ぶどうと呼んでいます。この茶色い
トサカノリは、鶏のトサカに似ていて、さっと湯通しし三杯酢で食べるとお
いしいよ。海ぶどうはそのまま食べます」

私も宮司さんに同行し、初めて海ぶどうを食べた。一センチほどの大きさ。
緑色でぶどう房のような形。それが連なっている。ツブツブがまるでとびっ
子(注)みたいな味。適度な塩味で酒の肴にぴったり。(私はお酒は飲めない
が)トサカノリは持ち帰って食べたが、これもまた、おいしいものだった。

宮司さんに言わせると、本当に屋久島には食べるものがそこら辺にあって、
気がつかないと食べずに暮らしてしまうとか。もったいない話。昔はそうい
うものを活用していたが、今は食生活が豊かになり食べる人も減ってきた。
島の食材に興味のある方は、屋久島フィールド情報センターの食材会へ、
気軽に参加してほしい。詳しくはセンターのホームページで。
http://yakushimajouhou.com/

注: とびっ子は、イクラより小粒なトビウオの卵のこと。


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お出ししております。そのほかにも、屋久島・鹿児島から、新鮮で
美味しい食材を豊富に取り寄せ、皆様をお待ちいたしております。
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発行責任者  角谷和雄   info@yakushimapain.co.jp
本      社       東京都千代田区麹町1丁目8番14号
屋久島支店       鹿児島県熊毛郡屋久町原914番地
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