メルマガ:屋久島発 田舎暮らし通信
タイトル:屋久島発 田舎暮らし通信  2005/06/18


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  2005/06/18
『世界自然遺産の島』   屋久島発・田舎暮らし通信(第131号)

      http://www.yakushimapain.co.jp/  屋久島パイン株式会社
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このメールマガジンは、北海道から屋久島に移住し、現在弊社屋久島支店の社員が
本人の移住経験を踏まえまして、屋久島の日常を発信しています。


●学校跡地

学校跡地にたたずむと、当時の子どもたちの気配が感じられる。
小杉谷学校跡地は、知る人も少なくない。
縄文杉登山の途中の、トロッコ道沿いにあるからだ。
建物はなく、門構えだけが残っているに過ぎないが、近くに休憩所もあることから、
登山客の目に触れることがよくある。

営林署が、国有林開発事業で居住して、一つの集落ができ、学校もできた。
どれくらいの人々が、ここで生活を営んだのだろう。
しかし、昭和45年事業所閉鎖とともに、閉校したのだった。
誰もいなくなった後も、かくれんぼしていた子供が、ひょっこり飛び出てきそうな
感じだ。
平成12年に、小杉谷閉山30周年記念祭が行われたときは、多くの人たちが集まり、
にこやかな雰囲気に包まれた。

私は、白い馬の像がある、城下分校跡地が心に残る。
湯泊集落のはずれの、県道から少し海側に入ったところだ。
小杉谷学校跡地と違って、車ですぐに行けてしまうところ。
その白い馬の像の後ろに、古い校舎がある。
窓がなかったり戸がなかったりはしているものの、校内はひんやりしていて、学校
の割には少し小さい感じがした。
校庭も、こじんまりしている。
http://www.yakushimapain.co.jp/a2005sirositabunkou.htm 「城下分校跡地」


その近くには、古い廃屋があり、人が住んでいた形跡があった。
古いカレンダーが、めくられる事なく、部屋に貼り付けられていた。
県道から道を少し入っただけなのに、そこだけがとても静かだ。
近所の人に伺うと、色あせた馬があまりにも哀れなので、白いペンキを塗ってあげ
たそうだ。
目鼻はついてはいないが、空を仰ぐ馬。
当時の子どもたちが作ったらしい。
隣には恐竜もいるが、それは目立たなくグレー色をしていた。

昭和27年に、開拓集落湯泊集落の旭地区として、サトウキビの栽培拡大のため、
西部の方から入植。
西側の栗生集落、栗生小の分校としてできた「城下分校」。
そのころ島では、あちらこちらで、サトウキビの栽培と製糖工場が見られた。
しかし、若者の都会流出などで、昭和45年大型閉鎖が相次いだ。
気候的なこともあり、転作作物も見出せなかった。
そのため、白い馬の像のある城下分校も、閉校されたのだった。

島で、今でもサトウキビ栽培を続けている、Nおじさんのお話によると、「今作って
いる黒糖は、自家用だけ。採算が取れないし、人でもないし、作る人もおらんよ。」
Nおじさんの作った黒砂糖は、板状になっている。
ちょうど板チョコを、かなり厚くしたような感じ。
それは、高級なチョコレートよりもほろ苦くて、おいしいものであった。
サトウキビを精製する段階で、黒糖、ザラメ、白砂糖に分かれる。
ちょうど、玄米と胚芽米そして白米といったところだろうか。

白い馬の像のある廃屋は、利用されることなくそのままなのだが、栗生集落にある
中学校跡地の古い建物はリニューアルされて、今はディサービスの施設になってい
る。
「皆で協力して、建物が生まれ変わりました。」と、職員の方。
地域のお年寄りの方々が、和やかに過ごしている。
学校に通っているように、懐かしげな表情だった。

(参考文献屋久町郷土誌)




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発行責任者  角谷和雄   kakutani@yakushimapain.co.jp
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屋久島支店       鹿児島県熊毛郡屋久町原914番地
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