メルマガ:週刊フランスのWEB
タイトル:hebdofrance 23-11-2005  2005/11/23


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                                    Davide Yoshi TANABE
                                         vous presente

              ≪週刊フランスのWEB≫
                    第234号
Tokio, le 23 novembre 2005

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Index (目次)
        1.コンゴ民主共和国
        2.日本、犠牲者か加害者か
        3.シャンソン ピアフ 「朝靄」
        4.忘れられたフランス人  モット・ル・ヴァイェ
        5.あとがき

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す。

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1.Republique Democratique du Congo
  http://www.congonline.com/

 コンゴというと馴染みがないかもしれない。あるいはブラザヴィルBrazzavilleが
首都であるコンゴ共和国Republique du Congoを思い浮かべるかもしれない。しか
し、大抵はその区別がつかないであろう。
http://www.republique-congo.com/ (Congo Brazzaville)

 コンゴ民主共和国は独裁者モブツの時代にはザイールZairと呼ばれた。1960年ベル
ギーから独立した。首都はキンシャサKinshasaである。一方コンゴ川を隔てた向いに
ブラザヴィルがある。

 キンシャサの人口は700万といわれているが国勢調査が実施されていないからステ
イである。一般的な国の情報は有名なCIAのページが最もまとまっている。
http://www.cia.gov/cia/publications/factbook/geos/cg.html (英語)

 鈴木宗男スキャンダル(2002年)で登場した私設秘書ムルアカJohn Muwete
Muruakaの出身国であるといえば、覚えている方も多いだろう。

 このRDCで12月18日国民投票がある。現在の政権は暫定政権で憲法も暫定的であ
る。憲法が成立するかしないかで、RDCの将来も安定するか再び不安定となるかが決
まるともいえよう。
http://www.reliefweb.int/rw/rwb.nsf/db900SID/RMOI-6CJ9D8?OpenDocument
 憲法案は極めてユニヴァーサルな民主憲法である。しかし、それが国民に賛成され
たとしても実施されるにはまだまだ時間がかかる。

 僕は今、この国の行方に注目している。その理由は「あとがき」を読んでいただき
たい。

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2.Le Japon, victime ou agresseur ?
  
http://www.arte-tv.com/fr/histoire-societe/Tabous_20de_20l_27histoire/101738
6,CmC=1012386.htm

 ついこの春まで東京の大学院にいて、その後フランス政府のCNRS-Centre National
de la Recherche Scientifiqueの中のCRJ-Centre de Rechrche sur le Japonに勤務
しているナンタArnaud Nantaが『日本の力学』(サン・シモン社、2005年10月)で論
文『日本の戦後史Histoire et memoire dans le Japon d'apres-guerre』を担当した
ことから、フランスの国営TV局Arteの「歴史のタブー」という番組でインタヴューを
受けた。そのarchiveが上記のURLである。
http://www.cnrs.fr/ 
http://www.ehess.fr/html/html/CEN_8_71.html

 ヴィデオだが、ナンタしか登場しないので音声だけを聞いていた方がいいのはイン
タヴュー番組という性格上致し方ないのだろうか。多くのイメージがあったらもっと
面白いだろうにと思う。question9辺りからがナンタの専門領域である。天皇制と戦
後の無責任を結び付けているのは当然と言えば当然な見方である。とわいえ日本批判
の調子は弱い。どうしたことか。僕は本ばかりを読んでいる歴史家はダメだと思って
いる。歴史学は文献学ではない。文書の裏に隠されている事実を暴いていくのが歴史
家の使命であらん。

 フランスの植民地主義なら、僕はその結果の中に10年住んでいた。そしてそれが決
して今日でも忘れられない打ち消されない歴史を刻んでいることを知っている。い
ま、フランスで起こっている「暴動」は、サルコジの圧力(しかし不思議と人気があ
る)で、先細りになりそうだ。12月革命があると考えていたが、実現しないかもしれ
ない。そう一時帰国しているSebastienからメイルが来た。しかし、ならばそのフラ
ンスのメンタリティーを解剖しなければならない。

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3.Le petit brouillard
    Paroles: Jacques Plante. Musique: Francis Lai   1962

Toujours ce sale petit brouillard,
Toujours ce sale petit cafard
Qui vous transperce jusqu'aux os
Et qui se colle a votre peau.

いつもこの薄汚い霧が、いつもこの暗い憂鬱が あなたの骨まで刺し通す あなたの
肌にこびりつく。

Il me semble le voir encore,
Le soir ou son copain du port
Lui apporta le faux passeport
Et son visa pour Buenos Aires.
J'ignore ce qu'il avait fait.
Je n'avais compris qu'une chose :
Que sa derniere chance etait
Qu'il prenne ce navire a l'aube
Et quand vint l'heure du depart,
Je recus son dernier regard
Dans le petit matin blafard,
Dechire par les sirenes.

まだ彼奴をみる思いがする、夜港の彼奴の仲間が 偽造旅券を届けにくる ブエノス
・アイレス行きの査証を届けにくる。彼奴が何をやってしまったか私はしらない。た
だ解ったことは:彼奴の最後のチャンスは 黎明にこの船に乗ることなのだ。出港の
時がやって来たとき、私は彼奴の最後の眼差しを 青白い夜明けの中に受けて、汽笛
に引き裂かれた。

Toujours ce sale petit brouillard,
Toujours ce sale petit cafard
Qui nous transperce jusqu'aux os
Et qui se colle a votre peau.

いつもこの薄汚い霧が、いつもこの暗い憂鬱が あなたの骨まで刺し通す あなたの
肌にこびりつく。

La passerelle etait levee
Et c'est quand je l'ai cru sauve
Que des hommes sont arrives
Et l'on fait redescendre a terre.
J'ignore ce qu'il avait fait
Mais, pour ne pas me compromettre,
Il passa menottes aux poignets
Sans avoir l'air de me connaitre
Et depuis qu'ils l'ont emmene,
Je pense a lui des jours entiers
En regardant les longs courriers
Diminuer et disparaitre.

タラップが揚がって 私は彼奴が助かったと思ったのに 男たちがやって来て 彼奴
を地上に降ろさせた。彼奴が何をやってしまったか私はしらない。けれど、私を巻き
添えにしないために 手首に手錠をされながら 私のことを知らない振りをした。男
たちが彼奴を連れ去ってというもの、日ごと日永一日彼奴のことを想う 遠洋定期船
を眺める 小さく小さくなって消えていく船を

Toujours ce sale petit brouillard,
Toujours ce sale petit cafard,
Toujours ce sale petit brouillard,
Toujours ce sale petit cafard,
Toujours ce sale petit brouillard,
Toujours ce sale petit cafard...

いつもこの薄汚い霧、いつもこの暗い憂鬱、いつもこの薄汚い霧、いつもこの暗い憂
鬱、いつもこの薄汚い霧、いつもこの暗い憂鬱、、、

 作詞家プラントJacques Planteは2003年7月1命の火を消した。多くのシャンソンの
歌詞を残している。「ラ・ボエム」、「レ・グラン・ブルバール」等々である。イヴ
・モンタン、イヴェット・ジロ、シャルル・アズナヴール、シェイラ等の歌手たちが
彼の詩を歌った。1929年1月モン・カルメル生まれ。

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4.Francois de La Mothe-Le-Vayer 1585-1672
  
http://www.academie-francaise.fr/immortels/base/academiciens/fiche.asp?param
=45

 この項を書く時間の余裕がなくなった。サイトを参考にモット・ル・ヴァイェの神
学ではなく哲学的側面に光をあててみて欲しい。
 
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5.あとがき

★ 身辺に急があり、僕は離日することになった。選択はあくまで僕にある。来年1
月に日本を出る。僕としてはraviである。本誌をどうするかは問題であるが、これは
今後考える。MM存続はいいとして取敢えずホームページをサーヴァーに置いておくか
否かを決めなければならない。6年も日本にいた。思えば長すぎたのだ。

 item-1で書いたキンシャサに赴任する。ベルギーの植民地には初めて足を踏み入れ
る。ベルギーは国語としてフランス語もコンゴに残さなかった。フランス語がコンゴ
人の共通語になったのはモブツ時代である。

 ランボArthur Rimbaudみたいだね、と言ってくれる人がいた。光栄である。僕のラ
ンボちゃんは、しかし、10年アフリカにいたが夭折している(享年35歳)。僕は5度
目の青春を生きたいのである。

★ 本誌の新しいサーヴィス
 本誌執筆にあたって毎回かなり多くのサイトを訪問、渉猟している。日本語やフラ
ンス語のサイトばかりではない。英語、イタリア語、スペイン語、場合によっては不
得手なドイツ語のサイトも調べている。ネットには情報が溢れている。2005年8月現
在700億のサイトがあると推定されている。これは日々増加している。7/8月には500
万サイトが新たに作られた。サイトが星の数ほどあるといえるが、それどころではな
く実は目で見える星の数の3万5000倍もサイトがあることになる。
 そこで、新たな提案をしてみた。果たして需要があるかどうか全く不明であるが、
特定の情報を求めている方に、最適な情報を見つけ出して提供しようというものであ
る。フランス語系のメイルマガジンにはよく質問が出る。どこそこに留学するのだが
土地の情報はないかといった場合が多く、大抵は単純な検索でわかる筈の質問であ
る。ところが、先日アスパラガス栽培について訊いている人がいた。アスパラガスは
僕の好物であるが、それがどう栽培されるのか知らなかった。当初単純であろうと
想った検索は意外と複雑であった。asperge sauvageという種であったことも手伝っ
て特殊な分野に入りこんだのである。結局は方向を見つけたがハードであった。ヴォ
ランティアで情報を提供するのとは別に、その作業に対して対価を求めるのも可能で
はなかと思う。
http://www.saturn.dti.ne.jp/~davidyt/pub_recherche.htm
(苦笑している貴方が、見えるようです)。

★ ホームレス・レポート翻訳
 代々木公園のホームレス排除プログラムはかなり進行している。ところが夜の公園
のホームレスの数は減っていないそうである。渋谷や原宿の路上生活者が夜だけ公園
に入ってきて早朝公園管理事務所の係官が見まわる前に公園から出て行くのだとい
う。いかにも片手落ちのホームレス自立支援法の実施である。
 僕とセバスティアンのホームレス・レポートの内、rapport6とrapport11-13の日本
語を作成した。
http://www.saturn.dti.ne.jp/~davidyt/maison_est_bleue6.htm 隅田川/山谷
http://www.saturn.dti.ne.jp/~davidyt/maison_est_bleue11_13.htm 代々木

 この作業は今後も続けるつもりである。Sebastien君がbiligualな本を出そうと提
案してくれているので、翻訳は他人任せにするのではなく僕自身がするつもり。

 記述したようにSebastienは2ヶ月の予定でパリに帰っている。彼の希望もあり、残
りのレポートも邦訳するつもりである。

★ 羽田正『イスラーム世界の創造』東京大学出版会 2005年7月刊
 本書は「イスラム」とくに「イスラム圏、イスラム世界」という時の言葉の曖昧さ
を指摘する。日本でイスラム世界として西アジアからインドネシアまでのイスラムを
国教とする国々を表し始めたのが1930年代、まさに大東亜共栄圏にイスタンブールか
ら以東をインテグレイトした時からであるという。
 羽田は「イスラム世界」の定義を次ぎのようにまとめる。
1)理念的な意味でのムスリム共同体
2)イスラム諸国会議機構
3)住民の多数がムスリムである地域
4)支配者がムスリムでイスラム法による統治が行われている地域
 羽田はフランスでは理念的イスラム世界をle monde isalamique、分析概念として
のイスラム世界はle monde musulmanと呼ばれると断言する。コレージュ・ド・フラ
ンスの教授Henry Laurensの定義を引いたものだが、コレージュではこの先生はアラ
ブ世界専門家とされている。イスラム世界ではない。第一「イスラム世界」について
発言していないようである。いずれにせよ、フランスにおいても「イスラム世界」の
定義は一様ではないというのが僕の考えである。
 理念的という言葉も良く分からなかった。M. Weberの「理念型」は勿論分析のため
の対象のモデルのことで「理念」の意味が違うし、「あるべき姿」というなら「理念
的」とは使って欲しくなかった。
 羽田はこれまで「イスラム世界」と自分でも深く考えないで書いてきたと反省をも
らしている。「イスラム世界」という概念がどう生まれたのか、創造されたのかは確
かに興味あるテーマであった。なるほどと思わせる内容がないではない。記述は親切
で、各章に短く纏められた結論が出ていて、それだけを読むだけで充分主張がわかる
ようになっている。「統一的なイスラム世界などなかった」というが果たしてそうだ
ろうか。現実には「イスラム世界」という概念はその形がどうあろうとも存在してい
るのである。
 基督教世界、いや宗教に限らず歴史上にとってみて「封建世界、時代」がないとい
うのも同じで、理念的な意味での世界というより、理念型をつくる作業は学問を進め
るために有効であると考えるのである。
 Googleで"monde islamiqueと"monde musulmanとを検索してみると良く分かる。フ
ランス人も明確な語義の差を意識していない。

 羽田には、むしろもっと精力的にパレスチナ問題やイラク戦争について意見を発表
してもらいたい。

★ 『イスラーム地域の国家とナショナリスム』(イスラーム地域研究叢書、酒井啓
子・臼杵編、東京大学出版会、2005年2月)
 イラン、ウズベキスタン、コゾボ等のナショナリズムに関する研究は面白かった
が、本書には何故かイスラーム世界とはいえインドネシア、マレイシア、フィリピ
ン、バングラデッシュ、パキスタン、中国の研究が取り入れられていない。イスラム
圏研究というとき日本で無視される傾向のある地域が抜け落ちていたということだろ
うか。紙幅の関係なのかわからない。

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発行者:田邊 好美(ヨシハル)
    〒 157-0073 東京都世田谷区
e-mail: davidyt@saturn.dti.ne.jp

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