メルマガ:週刊フランスのWEB
タイトル:hebdofrance 23-05-2005  2005/05/23


★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

                                    Davide Yoshi TANABE
                                         vous presente

              ≪週刊フランスのWEB≫
                    第225号

Tokio, le 23 mai 2005

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

Index (目次)
        1.クラクラ
        2.OMD
        3.シャンソン ピアフ 「密輸入者(コントラバンディエ)」
        4.忘れられたフランス人  ヴォルテール「カンジダ」
        5.あとがき

フランス語のサイトの文字化けは
表示>エンコード>西ヨーロッパ言語の順で選択すれば修正することができま
す。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
              
1.Cracra
  http://www.mimicracra.com/

  坂口安吾の妻、三千代の著書に「クラクラ日記」というのがあるそうだ。安吾を
調べていて行き当たった。クラクラとは何かと思ったら、本誌に時々登場する松岡正
剛が「野雀のことで、ソバカスだらけの当たり前の少女のことをいう。獅子文六が三
千代夫人に頼まれて(夫人が安吾の死後銀座に開店したバーに)つけた」フランス語
とあった。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0602.html
 
 疑い深い僕は、更に調べた。全く同じ文章が「クラクラ日記の」の帯に書いている
ことが分かった。獅子文六(岩田豊雄)はフランスに二度留学したことがあり、文学
座の命名者である。フランス語で、ちょっと変わった名前を三千代に進呈したという
わけであろう。

 さて、クラクラをcracraと書くなら、「垢だらけ」ということである。同義の
crasseuxの俗語と辞書にある(PR1)。アカデミーの辞書にもTLFにも載っていない。
クをk/cou/que/chなど綴りを変えてフランス語らしき単語を探したが無駄であっ
た。野雀というのも、不思議な言葉で、雀については「野」をあまりつけない。野
兎、野鼠、野鴨とは云うが野雀とはね。そもそも雀は浅草寺にいても、田圃にいても
雀である。野烏なんぞといわないのと同じである。

 雀はというと、通常はモワノmoineauというし、ピエロpierrotともいうが、俗語で
有名なのはピアフpiafで、本誌が連載している歌手Edit Piafのピアフは「雀」から
来ていると思われる。フランス語では正に野雀というべき、田舎の雀をフリケ
friquetとして区別しているけれども。

 ついでにソバカスはtaches de sonなりtaches de rousseur。

 ところで、幼児語や愛称には音を繰り返して使うことが多い。この項で紹介したサ
イト、ミミ・クラクラMimi Cracraもその例である。サイトは子供向けのもので、塗
り絵なども楽しめる。正に悪戯な少女ミミMimiが主人公のアニメである。ただ、獅子
文六が留学した頃にMimi Cracraはまだなかった。

 人名クロードClaude、たとえばクロード・フランソワのことをクロクロClocloと言
うくらいであるから、クララClaraがクラクラClaclaになっても不思議はない。用例
もある。思うに獅子文六は、フランス時代にクラクラと(愛称で)呼ばれたソバカス
だらけの少女を知っていたのではないかと考える。これが僕の結論である。

 しかし、獅子文六がどういうつもりでクラクラを進呈したのか真意は、なお不明で
ある。松岡正剛の文章には、ほぼ必ず一つや二ついい加減な引用や妖しい解説があ
る。

====================================
2.OMD: Objectif du Millenaire pour le Developpement
  http://www.2005plusdexcuses.org/sommaire.php3

 フランスにおけるOMD(MDG、国連ミレニアム開発目標)のキャンペーン・サイトで
ある。標語は「2005: Plus d'excuse !」(2005年、もうゴメンは云えないぞ!」。
中央の画像、右下Voir les videosをクリックすると、video画面が出てくる。Spot
Campagne Franceを更にクリックすると1.482Ko(Koは英語ではKb)というからサイズ
は小さくないが、uploadしていただきたい。映画、舞台、スポーツで活躍している人
たち、読者もお馴染みの人たちが登場してきて次々と指を鳴らす。この間隔が3秒で
ある。トップのvideoでは「La pauvrete tue un enfant toutes les 3 secondes.
Votre voix est indispensable. Signez la petition.」 即ち「貧困が3秒毎に子供
一人殺している。あなたの一票が絶対に要る。請願書に署名しよう」とある。上から
3番目のvideoではナレイションも入ってより説明的である。起こしてみると「Aussi
incroyable que cela puisse paraitre, un enfant meurt toutes les 3 secondes,
a cause de l'extreme pauvrete, juste un temps d'un claquement de doigts, un
enfant, encore un autre, et pourtant toutes les vies pourraient etre
sauvees. Ensemble nous pouvons tout changer cette annee」と聞こえる。訳すと
「本当とは思えないかもしれないけれど、極貧の故に3秒毎に子供が一人亡くなって
いる。丁度こうして指を鳴らすテンポで。一人、また一人と。だが、こうした命は救
えるのだ。今年こそわたしたち一人一人の力で変えてしまおう。」とでもなろうか。

 日本ではNPOとしてAltermonde(オルタモンド)、AJF(アフリカ日本協議会)、
Oxfam Japan等が積極的にMDG運動に参加、キャンペーンを軌道にのせようと努力をし
ている。勿論、最終目標は貧困の削減であるが、当面は先ずMDG運動を皆に知っても
らおうということだ。
http://altermonde.jp/index_html
http://www.ajf.gr.jp
http://www.oxfam.jp/
 このMDG運動の日本語による標語は「ほっとけない 世界のまずしさ」。独立した
サイトも出来ている。
http://www.hottokenai.jp/xoops/

 フランスAttacはMDGキャンペーンにも参加しているが、今はシラクが毎日別のキャ
ンペーンで忙しいように、彼らもこのキャンペーンよりもヨーロッパ憲法の国民投票
に第一の目が向いている。フランスAttacは欧州憲法反対の立場から、シラクは賛成
の立場から。ヨーロッパ憲法についてはフランスの世論がまっ二つに割れているが、
ことMDGについては、シラクは先頭をきってNPOとともに推進派である。シラクの思惑
はフランスのヘゲモニー発揮であろうが、いずれにせよ、日本政府は国連改革という
よりは、安保理での常任理事国獲得という情けない目標しか掲(かか)げられていな
い。これでは、近隣はおろか世界の尊敬を集めることはとても出来ない。それでも人
気が上がる小泉を懐く日本とは、せせこましく稚拙で、とても大人の国とは思えな
い。

 過日、若いミュージシャンたちと下北沢のレストランで意気投合してカラオケにつ
れていってもらった。若者たちがレゲエやラップ系の歌をしきりと歌って聞かせてく
れた。歌詞を詳細に聞くとなかなか面白い。彼らが決して今の拝金主義の日本社会に
満足しているわけではないことが分かる。けれども、その抵抗感覚が連帯を生まな
い。

 J-HipーHopの歌手でもJ-R&Bのそれでもいい、彼ら彼女らにMDG運動に参加して欲し
い。こんど代々木公園にいったらその話をアーティストと称する人たちにしてみよ
う。Jリーグの選手たちよ、日本の野球の選手たちよ、街に出てくれ。君たちはサッ
カー馬鹿か、野球馬鹿か。有名人であることが「公的」顔を持つことならば、スキャ
ンダルを起こす前に、世間なんてどうだっていいじゃないか、社会的に君たちの力を
つかってみてくれよ。

====================================
3.Edith Piaf
  Le contrebandier
  Paroles: Raymond Asso. Musique: Jean Villard   1936


Il etait ne sur la frontiere,
La-haut dans le Nord ou c'qu'y a du vent.
Contrebandier tout comme son pere,
Il avait la fraud' dans le sang.
Il attendait les nuits sans lune
- Quand il fait sombre, on passe bien mieux. -
Pour s'faufiler par les grandes dunes
Ou l'vent de la mer nous pique les yeux.

そいつは国境で生まれた、
風が吹きすさぶ北の方で。
親父がそうだったようにそいつもコントラバンディエ、
無法者の血がそいつには流れていた。
新月の夜を待って
”暗い時 上手くいくのさ”
海の風が眼を射る
砂丘を越えて潜りこむには

Ohe, la douane !
Ohe, les gabelous !
Lachez tous les chiens
Et puis planquez-vous
Au fond de vos cabanes.
Regardez sur la dune
L'homme qui passe la-bas.
Il est pourtant seul
Mais vous n'l'aurez pas.
Il s'fout d'la douane
Au fond de vos cabanes,
Allez, planquez-vous
Et lachez les chiens.
Ohe, les gabelous !
Ohe, la douane !

オイ、税関!
オイ、税官吏!
犬を放ち
隠れろ
小屋の奥に。
砂丘を越える
男をみろ。
相手は一人だ
でも捕まらないさ。
そいつは税関なんて気にしない
小屋の奥の、
さぁ、隠れろ
犬を放て。
オイ、税官吏!
オイ、税関!

Quand il avait rien d'autre a faire,
Les nuits ou qu'il faisait trop clair,
Il changeait les poteaux frontieres
Et foutait le monde a l'envers
Ou bien, d'autres fois, en plein passage,
Quand il avait bu un bon coup,
Il poussait de vrais cris sauvages
Et v'la qu'je passe depechez-vous.

なんにもすることがないとき、
月明かりが明るい夜、
国境の標識を変えた
みんな坂さまにしてしまうか
外の日には、通過の最中、
酔ってしまったとき
野蛮な声を発して
ほらお通りだ 急げ。

Ohe, la douane !
Ohe, les gabelous !
Lachez tous les chiens
Et puis planquez-vous
Au fond de vos cabanes.
Regardez sur la dune
L'homme qui passe la-bas.
C'est moi, moi tout seul,
Mais vous n'm'aurez pas.
J'me fous d'la douane
Au fond de vos cabanes.
Allez, planquez-vous
Et lachez les chiens.
Ohe, les gabelous !
Ohe, la douane !

(既訳)

Il pouvait pas s'mettre dans la tete
Qu'la loi des hommes, c'est tres serieux.
C'etait comme une sorte de poete
Et ces types-la, c'est dangereux.
Alors une nuit qu'y avait d'la lune,
Qu'y baladait pour son plaisir,
Ils l'ont etendu sur la dune
A coup d'fusil pour en finir.

そいつは分からない
法律は厳しいもんだって。
詩人のようで
そうした奴らは 危険な奴。
だから月のある夜は、
気分でぶらついた
砂丘に
みんな聞いた
片をつけるため銃の音を

Ohe, la douane !
Ohe, les gabelous !
Planquez tous vos chiens
Et puis amenez-vous.
Du fond de vos cabanes,
C'est d'la belle ouvrage,
Seulement, ce soir,
Ce n'etait qu'un homme.
Il travaillait pas.
T'entends, la douane ?
Alors, fallait pas...
Et puis planquez-vous
Au fond de vos cabanes.
Ohe, les gabelous !
Ohe, la douane !

オイ、税関!
オイ、税官吏!
犬を隠して
こっちにやって来い。
小屋の奥から、
いい仕事だ、
ただ、今夜は、
ひとりの男に過ぎなかった。
仕事をしていなかった。
わかったか、税関よ?
だから、いけなかった、、、
さぁ、隠れろ
小屋の奥に。
オイ、税官吏!
オイ、税関!

====================================
4.Voltaire
  http://abu.cnam.fr/cgi-bin/donner_html?candide3

 「ヴォルテールのカンジダを読んで」というのが、坂口安吾の「風と光」(後述
「あとがき」参照)にあった。カンジダ? 注がついていたので見てみると
「Candide」のことであった。candideは「無邪気な、純真な」という意味の普通名詞
でもあるが、ここでは固有名詞である。もっとも、極めて純粋な精神をもったavec
l'esprit le plus simple若者なので、純真Candideと名付けられたにちがいない、と
このVoltaireの小説「Candide」(1759年)の冒頭にあるから無関係ではない。現在
の日本語題は「カンディード」となっている。

 「Candide」は哲学的渉猟小説で、ライプニッツの楽観主義に対する批判を、同じ
楽観主義者でCandideの家庭教師Panglossとの旅(リスボン、南米、ヴィネチア等)
また老いた哲学者Martin等との出会いを通して現実世界を見ることで展開して行く。
楽観主義とは何かについてCandideに「Helas ! c'est la rage de soutenir que
tout est bien quand on est mal」(無念なことに、それは僕たちが苦しんでいると
きに全て善しする暴力的欲求だ)と言わせている。楽観主義では世界は飽くまでTout
est bien(全て善し)なのである。人間の全ての不幸を含めて。そして最後に
Voltaireは「mais il faut cultiver notre jardin」(しかし、楽園を僕たちは耕さ
ねばならない)という有名な言葉で結ぶのである。このjardinを単純に「畑」とした
のでは詰らないでしょう。なぜなら、楽観主義者はこの世を楽園とおもっているので
あるから。

 聊か荒唐無稽なところもないではないが、Voltaireの当時流布していた楽観主義に
対する憤りは充分に伝わってくる。15世紀からの大航海時代を経て、世界を視野に入
れ出した啓蒙主義の面目躍如たるものがある。1789年のフランスの人権宣言には女性
もアフリカやアジアの人々も含まれていないと考えられるから、Voltaireの先見性は
驚くばかりである。
 日本という地名も一度だけだが出てくる。「スリナムから日本まで喜望峰を経て」
という形で。中国といわなかったのは、鎖国時代の日本を考えると面白い。

 この書が世に出てから250年の今日、「カンジダ」はもっと読まれて良い書であろ
う。なおサイトは、「Candide」の全文である。多少18世紀の綴りが出てくるが、現
代と大差はない。平易なフランス語で書かれているので初学者も充分読めると思う。
 
====================================
5.あとがき

 応援ありがとうございます。渡仏に支援を戴きました。

 ネットで格安チケットを申し込みました。パリ往復54.500円。提供してくれた旅行
agenceは
http://www.abi-j.com/index.php
このagenceが何時も安いとは限らないので、出発予定日と行き先で検索できる
サイトを次ぎに上げます。
http://www1.tour.ne.jp/search/air/air_sch.html

 本メイルマガジンをNifty(Macky!)を通じて講読していらっしゃる方々は来る7月5
日からRanstaというところから本誌を受け取ることになります。Niftyがサーヴィス
を中止するからです。発行所が一つ減るのですが、移行という形で処理されるので、
これまでよりも良心的といえばいえるのかもしれません。Niftyが情報を売却したと
いうのが真相でしょう。

 ペットは商品であり物であるという観念が日本では一般的であるようだ。確かに
パートナーとして家族の一員のように大事にされていてもである。鳥は別として犬猫
の場合、特に飼い猫の場合その性に拘わらず去勢してしまう。そして猫をいわば放し
飼いにしている。飼っている猫が死ねば悲しみ、墓を建てて丁寧に埋葬する。しか
し、自分の飼い猫の子孫を得ようとはしない。またペット・ショップで仔猫を探せば
良いと考えているようだ。インターネットのサイトで、僕のチカちゃんのために婿殿
を求めた。数カ所のサイトで募集したが全く反応がない。それぞれのサイトのBBS
(掲示板)では、たくさんの人が自分の自慢の猫の写真を掲載している。ところが、
こちらの投稿は無視された。検索で探したときに、キーワードとして「猫、繁殖」と
しても、去勢のサイトしか出てこない。「雄猫求む」などと検索しても同じことであ
る。ペットは業者が繁殖すればよいとしているのではないか。猫はペットショップで
血統書つきで買うか、捨て猫を無料でもらうかするものだと思っているのか。捨て猫
を育てることで「慈善」をするという自己満足を得たいのか。偽善。金があればク
ローン猫を業者に頼めばよいというのか。ヒトの生活に最も親しんだペットたちの次
世代への「権利」を奪って良いのか。ヨーロッパでは通常、「ペットはペットショッ
プでは買うな」ということでなのだが。

 実は同じ精神構造が養子縁組にもある。日本で、どれだけの家庭が外国籍の子供た
ちを養子に迎えるだろうか。同じアジアのヴェトナムやタイ、インドネシアの子供た
ちも、日本からは手を差延べられない。先のインドネシア沖大地震の被害者の幼児
(おさなご)たちも、日本には来ていないだろう。ましてやアフリカの黒い子供たち
を家庭に入れようとする日本人は皆無に近い。

 人間とペットを一緒くたにするな? 何故いけない。いけないことはない。それは
権利に関する意識の問題なのである。貴方はいうだろう、「だって、肌の色の違う子
供がウチにいたら、世間がなんというか分からないじゃないの」、そうですか? そ
の世間とは何ですか。貴方は日頃「世界はひとつ、難民が可愛そう、飢えている人が
どこそこには何百万人もいる、何秒にひとり幼児が死んでいる」、それこそ地球が
100人の村だったらという、ごまかしのヒューマニスムに涙している優しい日本人で
はないのですか。

 「ローマ教皇とナチス」(大澤武男著、文春新書346、文藝春秋 2004)。本書は
題名通り、ドイツの大学で神学博士号受けた大澤武男がローマ教会とナチスの微妙な
関係、否、むしろ親密な関係を資料をもとに解明していった書である。

 大澤はピウス十二世と書いている。ラテン語のPapa Pius XIIの訳である。イタリ
ア語でPapa Pio XII、フランス語でPape Pie XIIは、1939年3月2日法皇(教皇)の位
についた。日本ではピウス、ピオの両方が使われているようだが、僕はピオ12世と呼
んでいたので以下ピオとする。

 大澤はナチス時代の教皇ピオ十二世が、何故アウシュヴィッツの存在を知りなが
ら、ナチスを徹底的に非難しなかったのか、次ぎの三つの原因を揚げる。
(1)ピオ十二世がまだ大司教エウジェニオ・パチェリEugenio Maria Giuseppe
Giovanni Pacelliであった当時、ドイツ大使としてミュンヘン、ベルリンに赴任し、
ドイツをこよなく愛した。ドイツ語を母国語イタリア語と同様によく話し書くことが
できた。
(2)教会全体、カトリック全体の安泰を願い、ナチスと争うことで教会を危機に陥
れたくなかった。
(3)共産主義の脅威の前に、ナチスをその対抗馬・防壁として期待した。

 なるほど僕もその通りだろうと思う。しかし、今一つの原因を挙げてみたい。それ
はパチェリが、大司教となりドイツ大使の座を射止めたのも、パチェリが教会内部
で、とくにヴァティカンで長年教会法の研究を任せられていたということである。即
ち、法とはいっても実社会の法ではなく、教会という特殊社会内部の法の解釈をして
きたのである。日本の裁判官たち、法学者たちも解釈だけをしている人々は極めて保
守的になる。法解釈を職業としていたパチェリが、世俗的、最も世俗的行為である政
治、とくに国際政治にあって保守性を発揮したのは当然のように思える。

 僕はこの点を付け加えておきたい。教会側の反省もあるのか、そのあとのヨハネス
23世が2001年に福者の列に加えられたbeatifierにも拘わらず、(これは聖列に加え
られる、つまり聖人となるcanoniser前段階)、ピオXII世はその在職の長さや在位時
のイタリアでの高い人気にも拘わらずbeatificationを今日まで逃している。ま、
ポーランド出身の先頃亡くなった法皇のもとでは余計に難しかったに違いあるまい
が。

 確かに大澤も指摘するように戦時中、ヴァチカンはナチと妥協しながらも、ユダヤ
人をかくまった。良心的な教会の指導者たちが、チェコで、ザグレブで、ハンガリー
でナチに抵抗した。けれども、ヴァティカンの沈黙は結局ナチの暴虐を助けたに違い
ない。ヴァチカンが本気でナチを非難していたなら、ナチも無神論者atheeではない
のであるし、なによりもドイツ国民の大部分がキリスト者なのであるから、ユダヤ人
の犠牲者に限らず、多くの少数者たち(身障者、精神病者、ゲイ等)の犠牲者が生ま
れることを防げたに違いないのである。

 僕はキリスト教というよりも、教会Egliseという組織、制度が齎した矛盾であると
考えている。フランスはペタン将軍がナチと妥協したのであり、妥協しなかったなら
ば、抵抗運動resistenceが今日必要以上に美化されているけれども、もっともっと多
くの犠牲者を出していたかもしれない。しかし、フランスの妥協と教会の妥協は違
う。教会は本来精神世界の橋頭堡であるだけに、武力によってではなくナチの内部を
崩すことができた唯一の力だったかもしれないのである。
 
 蛇足を付け加える。大澤は、「ローマ市民は、彼(マルクアントニオ、ピオ12世の
祖父)のようにあくまでも教皇に忠実で保守的な少数グループをさして、「黒い貴族
Nobilta nera」と呼んでいた」となにやら意味深長に書く。「黒い」という言葉に特
別な意味をもたせているようだが、僧服は、法皇の純白なものなど特殊な場合を除け
ば黒いのが普通であろうから、世俗の貴族マルクアントニオが教会に法律顧問として
奉職していれば、呼ばれて当然であって特に「黒いイメージ」はない。しかし、19世
紀においてこの法皇の側近としての Nobilta nera (Noblesse noire) は相当の力を
もっていたようで、この辺について大澤は説明を省いている。Google italianoで
キーワードをNobilta neroとして検索すると400件ほどヒットした。いくつかを読む
と、イタリア統一に対する抵抗勢力として「黒い貴族」が重要な役割と演じたことが
わかった。

 坂口安吾を読む。「風博士」、「白痴」、「夜長姫と耳男(みみお)」、「桜の森
の満開の下」等(「日本の文学63、ほるぷ出版、1987)。「風博士」は1935年の作品
だが、他はいずれも戦争直後の作品であった。安吾、なかなか面白い。猟奇的、童話
的、非道徳的amoralである。特に非道徳で人が簡単に殺し殺される。

 「桜の森」では、桜というものが、花見だなんだと騒ぐのは江戸以降で本来怖いも
の恐ろしいものである、妖気漂うものであるとして、山賊とその山賊に夫を殺された
傾城の美女の物語である。その美女を妻とし、妻の残忍な遊びを満足させるために奔
走する山賊が歳後は満開の桜の下で埋もれて消えてしまう。想像としては、どこかで
聞いたような話だなぁとの感は拭えないけれども、とりわけ謡曲にありそうな物語と
おもうのだが、それにしても一見面白い。戦後の混乱した中でも安吾は徒花(あだば
な)なのか、いま少し読み進もう。

 「風と光と二十の私と」。安吾は戦前東京下北沢の小学校の代用教員をしていた。
わずか12ヶ月の体験だったが、これはその時を書いた私小説のようなもの。どこまで
実際にあったことを書いているかは分からない。その中に「子供の胸にひめられてい
る苦悩懊悩は、大人と同様に、むしろそれよりひたむきに、深刻なのである。その原
因が幼稚であるといって、苦悩自体の深さを原因の幼稚さで片づけてはいけない。そ
ういう自責や苦悩の深さは七ッの子供も四十の男も変りのあるものではない」とあっ
た。いい先生だったじゃないか。この作品は1947年に発表されている。安吾が代用教
員をしたのは小田急線が開通する前で、下北沢も武蔵野の地そのものであった1925年
というから20年以上の月日が流れている。二十歳の安吾が教育に書いているほどの信
念があったかどうかは疑わしい。大正デモクラシーの中で育った安吾としてもであ
る。とすれば、これは一人称で書いているが、舞台を大正においたやはり1947年の小
説であると思われる。しかし、ここで引用した言葉に僕は全くその通りだと思うので
ある。

 「青鬼の褌を洗う女」。題名から「桜の森」のような猟奇的小説で赤鬼青鬼でもで
てくるのかと思ったら、それは最後の数行のことだけで、「私」(お妾さん
concubine)の話であった。しかし、このお妾さん、安吾そのものである。安吾の考
えをだらだらと綴っている。その考えに賛同する点も多々あるが、考えを示すのにこ
の小説の容をとる必然はない。

 「日本文化私観」および「青春論」。小説ではなくエッセー。発表はいずれも戦時
下1942年。収録されていたのは上記の作品群とは異なり、筑摩書房の坂口安吾全集
03、1999年である。この作品は時代背景もあって、安吾の独自性というよりも、反ブ
ルーノ・タウトが書きたかったのか、危うい考えがちらついている。小説よりも全然
面白くない。

 多分今後、安吾について書くことも読むこともなかろうから、もう一言。「青春
論」の中で、世阿弥の謡曲「檜垣」に言及するところがある。「細かいことは忘れて
しまったけれども」というが、安吾の引いた「「水はぐむ」とか何とかいふ枕言葉に
はじまってゐて」とある和歌は、この謡曲が書かれるずっと以前、平安の女流詩人で
あるまさに檜垣(901-986)がうたった。
「年ふれば我が黒髪も白河の みづはくむまで老いにけるかも」
安吾はこの水を「アカ」という梵語をつかっている。世阿弥もそう書いたのかもしれ
ない。アカのアは「門構えに於」、カは「人偏に加」と書く。カナがふってあったか
ら読めた。それはともかく、「水はぐむ」というのは世阿弥も書かなかったろう。京
の都にいたころは若く美しかった娘であったが、九州に来て老いさらばえて、自ら水
を汲むまでになったということである。世阿弥はこの水を汲む作業をシジフォスの苦
痛の如く繰り返される苦行として書いたようだ。だから旅の僧が回向する。
 本歌の檜垣は老醜を嘆いただけではなかった。助けられたからである。回向で救わ
れたのではなく、清少納言の父清原元輔が救ってくれた。そこで檜垣は
「白川の底の水ひて塵立たむ 時にぞ君を思い忘れむ」
とうたう。
 安吾は、老醜を畏れない。「僕にとっては、青春といふものが決して美しいもので
もなく、又、特別なものでもない」と断言できるからである。49歳で亡くなってし
まったし、「青春論」を書いたときには36歳。老いは想像でしかない。僕は、安吾に
嘘をみる。老衰が恐怖でなければ、三島はあんな自殺をしなかったろう。安吾は70に
なっても青春であると書いているが、僕は逆にこの作家の老衰をその肉体が文字通り
若かった時代から見られるような気がする。特に戦後の酒とヒロポン(麻薬)にあけ
くれた安吾は、その道徳を僕は問わないが、堕落ではなく単に老いていたのではない
か。

 歴史教科書の記述問題で、日韓・日中がもめている。日本は韓国、中国が反日地教
育をしていると応じる。お互いに歴史を見つめなおすことはよいことである。ところ
で、「新しい教科書を作る会」の反動的教科書だけではなく、左翼か中道か知らない
が、現在使われている教科書、いや教科書に限らず、歴史認識に彼我乖離があるのか
もしれない。

 太平洋戦争、中国への日本軍の侵略だけではない。日本でよく聞く話として日露戦
争の勝利がある。ハワイ奇襲は誰でも知っている。しかし、1904年2月4日の旅順(中
国名はLu-Shun、ロシア(フランス)名はPort-Athur)を奇襲した。多くの日本の資
料は日露開戦後奇襲したことになっている。しかし、ヨーロッパ各国(ロシアを含め
て)の通常の理解は「なんらの開戦布告もなく」なのである。日本はロシアに勝利し
たが、「黄色い侏儒(しゅじゅ、小人のこと)nain jaune」がロシアの熊l'ous
russeからサハリンや南満州鉄道をせしめたと書かれる。一方、日本は大国ロシアに
いかにして勝利したのか、あの英雄的日本海海戦の大勝利を強調する。
 外務大臣小村寿太郎がロシア公使ローゼンを外務省へ呼び、国交断絶を言い渡した
のは1904年2月6日である。しかも、この時小村は「この行為は戦争を意味するもので
はない」といったらしい。

 Port-Arthurを調べていて上記のことがわかった。青天の霹靂である。日本が「戦
線布告なしに奇襲」したのはパール・ハーヴァーだけじゃなかったのか。

====================================
発行者:田邊 好美(ヨシハル)
    〒 157-0073 東京都世田谷区
e-mail: davidyt@saturn.dti.ne.jp

本誌維持のために「カンパ」よろしくお願い致します。
郵便振替口座 名称 HEBDOFRANCE 番号 00110-2-314176 成城学園前郵便局

当MMのホーム・ページは
http://www.saturn.dti.ne.jp/~davidyt/
ここからMM発行所にリンクし、解除手続きができます。解除は各人が購読を
申し込んだ発行所、まぐまぐ、Pubzine等から行ってください。eGroupを除い
ては僕が管理人ではないため、解除手続きが出来ません。悪しからずご了承
お願いいたします。
過去ログ(archive)も上記ホーム・ページで全てご覧になることができます。
===================================

ブラウザの閉じるボタンで閉じてください。