メルマガ:週刊フランスのWEB
タイトル:hebdofrance 29.03.2004  2004/03/29


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                              Davide Yoshi TANABE
                                 vous presente

              ≪週刊フランスのWEB≫
                    第203号
                                          Tokio, le 29 mars 2004

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Index (目次)
        1.古い皮袋
        2.禁欲
        3.オン・ライン辞書 スペイン語
        4.シャンソン ピアフ 「酒場の男」
        5.忘れられたフランス人 フランスのガンジー
        6.あとがき

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す。

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1.vieilles outres
   
http://www.interbible.org/interBible/ecritures/evangiles/luc/lc05.htm

 皮袋outreとはどのようなものか。
スペインの闘牛場などで西洋梨の形をした革袋の口を顔から離してワインを直接
飲んでいるのを見かけるが、あれがボタbotaとかパイェホ(パジェホ)pellejo
と呼ばれる革袋。ぼくはそんな革袋を想像していた。
http://www.botasjb.com/botas.htm
ところが、outreで調べてみると、
http://www.bleublancturc.com/illustrations/Histoire_des_Ottomans/mosaiqu
e54.jpg
これは、ベドウィンがバターを作るのに用いていると画像中の説明にあるが、か
なり大きい皮袋である。そしてこの方が、以下に書いた聖書の地でつかわれてい
たものにも近いのではないか。またきっといまもベドウィンのテントの中にある
だろう。

 旧約聖書のサミュエル第1章24や同章161にune outre de vin、即ち「一袋の」
ワインと数詞として使われているくらいだから、かなり一般的に皮袋が使われて
いたことがわかる。

 ところで、古い革袋である。これは新約聖書のルカ伝第5章36-39に「新しい葡
萄酒は新しい革袋に入れるべしil faut mettre le nouveau vin dans des
outres neuves / el vino nuevo debe echarse en pellejos nuevos」とある。
断食をしないイエスの弟子たちに向けられた批判に答えた時の喩え話である。

 「新しい葡萄酒」とはイエスが説く教えであり、「新しい革袋」とはイエスの
あたらしい規範生活であろう。

 これは古い革袋に新しい葡萄酒を入れると皮袋が破れて葡萄酒が飛び散るし、
また革袋が台無しになるからであるという。何故だろうと考えた。古い革袋は革
が硬くなっている。新しい葡萄酒はこれからまだ醗酵しつづけるから体積が増
す。ガスが発生するのである。それは経験から言われていたことだろう。だから
革が破れる。そう回答を出してみたが、あっているかどうか自信はない。

 天邪鬼に、では古いワインを新しい革袋にいれたらどうなるだろう。古いワイ
ンは胃の腑に収めて、新しい革袋にいれる馬鹿もいないのかもしれないけれど。

「古い葡萄酒を飲めば新しい葡萄酒が欲しくなくなる、何故なら古い方が美味だ
から」という人たちをイエスは批判する。しかし、「古い方が美味だ」とする側
の意見を葡萄酒の薀蓄とすると面白い。葡萄酒は、種cepageにもよるが寝かせて
おいた方がいいにきまっている。まぁ、当時のこと、ボルドのように5年も10年
も経った葡萄酒を想定しているのではなく、古いといっても精々一冬を越した葡
萄酒の意味であろうと思われる。とはいえ、イエスの真意は「古きものを棄て
よ」であるに違いない。

 葡萄酒がガラス瓶に詰められコルクで栓をして保存されるようになる前の、歴
史上の話である。この聖書の譬え話を誤解してつかっている向きがあるので、こ
こで確認した次第である。

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2.ascetisme
  http://mper.chez.tiscali.fr/auteurs/Weber.html

 「禁欲」という言葉で、どのような精神状態を思い浮かべるかは各自異なろ
う。僕が、ここで取り上げるのは、性的禁欲ascetisme sexuelではない。また仏
教の戒律の話でもない。しかし、世俗的禁欲ascetisme seculierである。

 世俗的禁欲という言葉を用いたのは、ウェーバーMax Weber(1864-1920)であ
る。この経済学者の「プロテスタント倫理と資本主義精神L'ethique
protestante et l'esprit du capitalisme」(1905年)を読んだのは随分昔のこ
とだ。岩波文庫にある大塚久雄の訳。原書はドイツ語だが、ドイツ語が読めない
場合は、フランス語等ヨーロッパの言語で読んだ方が分かり易いだろう。という
のは、日本語で普通使われている宗教用語、哲学用語で訳されると無用な誤解を
生むと思われうからである。

 カナダのサイトであるが、L'ethique protestanteのフランス語訳全文が次に
ある。サイトで読めるし、downloadも出来る。
http://www.uqac.uquebec.ca/zone30/Classiques_des_sciences_sociales/class
iques/Weber/ethique_protestante/Ethique.html

 このサイトのトップをみると、著作権問題で米国とディズニーWalt Disneyに
反論している。米国は著作権の期限を70年、ディズニーは120年を主張している
からである。
http://www.uqac.uquebec.ca/zone30/Classiques_des_sciences_sociales/index
.html
 Weberが上記の本を書いたときから、90年近くが経っている。ネットで無料公
開されたとしても、著作権問題は発生しない。著作権よりも「知る権利」droit
de savoirに重点をおいてしかるべきである。
フランス国立図書館BNFのサイトGallicaでも写真版であるが、この作品は公開さ
れている。
http://visualiseur.bnf.fr/Visualiseur?Destination=Gallica&O=NUMM-789

 それはそれとして、初期資本主義においてプロテスタント的禁欲が果たした役
割を分析した本書は、しかし、また極めて禁欲的学問姿勢でもって書かれたもの
であった。それは、まさにプロテスタントの産業人であり、政治家でもあった父
親を中心とする知的環境にWeberが幼い頃から放りこまれていたからに違いな
い。ハイデルベルヒ、ベルリンと大学で勉学する中で培われた精神は、ウィーン
会議後のドイツ社会から当然ながら決定的に影響を受けたであろう。政治的には
社会党から民主党Partie democratique allemandまでゆれるのであるが、基本的
にはプロテスタンティズムに導かれたものであったといっていいと思う。

 ところで、禁欲というからには規範がなければならない。規範がない禁欲はな
い。

 さすれば、この規範をどこに求めているかが、最近気になって仕様がない。日
本のマルキストやトロツキストの場合、教祖はマルクスであったり、トロツキス
トである。本来マルキスム等は思想であって宗教ではない筈だが、どうもこの国
では左派政党も教会化しているようだ。そして日本国憲法が教典化してしまって
いる。その教典が規範となるのか。僕はならないと思う。規範は、もっと根源的
なところになければならない。自明の理ではないのである。

 ところが、規範を明らかにせず、曖昧なままに、むしろ、たとえば禁欲が規範
であるかのように混同している状態が、社会のあらゆる範疇でみられる。

 「あなたの禁欲的姿勢はわかりました。ですがそれはどこから来たのですか」
それが僕の問である。

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3.dico espagnol monolangue en ligne
  http://iris.cnice.mecd.es/diccionario/

 article-1でスペイン語を出してしまったので、ついでに辞書の紹介をする。

 スペインの教育文化スポーツ省が提供するスペイン語辞書である。僕はこれを
発見してからというもの、紙の西和もCD-Romもつかわない。なかなか優れた辞書
でフランス語のpetit robertと同様、使い勝手がいい。

 スペインにはRAE-Real Academia Espanolaというアカデミーがある。realは
サッカーチームで良く聞く「レアル・マドリド」のレアルでroyal王立というこ
と。ここのオンライン辞書も利用できる。一時ホーム・ページの更新のためか利
用できなくなっていたが、再開している。
http://www.rae.es/

 文部科学省でも、日本語を習う人たち向けにこの程度の辞書をネットでサー
ヴィスして欲しいものである。しかし、アカデミーのない日本では、国は辞書も
持っていないのかもしれない。国が提供すると「民間圧迫」などというのであろ
うか。情けない。民間では大辞林などを検索エンジンのページ(infoseek等)が
出している。

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4.Edith Piaf
  L'homme des bars
  Paroles: Edith Piaf. Musique: Marguerite Monnot   1941
  note: du film "Montmartre sur Seine"


Dans un bar,
Au comptoir,
On peut apercevoir
Un garcon aux yeux couleur de suie.
Il boit sans s'arreter.
Il boit pour oublier
Un mauvais tour que lui a joue la vie.
Quand je viens pres de lui,
Tristement, il sourit
Et, doucement, me dit :
"On s'est aime pendant un an, foll'ment
Et puis on s'est quitte comm' ca... betement."

酒場の
カウンターで
黒い目をした若い男が
酒をあおっている
男は忘れようと飲んでいる
ふりかかった不幸を。
男の側によると
もの悲しげに 笑う
そして ささやくように云う:
「お互い1年も愛していた 熱烈に
なのに別れちまったんだ、、、愚かにも」

Le cafard,
Le brouillard,
Sont aussi au comptoir
Pour pouvoir lui tenir compagnie
Et, quand vient le matin,
Il emmene son chagrin.
C'est vraiment son seul copain dans la vie.
Puis, quand revient le soir,
On le voit au comptoir
Racontant son histoire :
"On s'est aime pendant un an, foll'ment
Et puis on s'est quitte comm' ca, betement."

ごきぶりも
霞も
カウンターで
男と一緒にいる
そして 朝になると
男は苦悩を背負って出て行く
苦悩は本当に男のたった一人の友だちだ
それから 夜になると
男はカウンターにいる
自分のことを話ながら:
「お互い1年も愛していた 熱烈に
なのに別れちまったんだ、、、愚かにも」

Au comptoir,
Un beau soir,
On vient d'apercevoir
Une fille aux yeux couleur de vie.
Ell' vient de s'approcher,
Ell' vient de lui parler,
Elle a une voix tendre, elle est jolie
Et c'est un autre amour
Qui revient pour toujours.
Ils partent dans le jour.
Ils s'aimeront toute la vie, foll'ment.
Foll'ment.

カウンターに
ある夜
目の輝いた娘がいた
男に近づいて
話しかけた
娘の声は優しく、娘は美しい
そして 一つの恋が
また生まれた
二人は翌朝連れだって出ていった
二人は生涯愛し合うだろう 激しく
熱烈に


 映画「Montmartre-sur-Seine」(ラコンブGeorges Lacombe監督、1941年)は
当時ピアフが目をかけていた歌手・俳優であるPaul MeurisseをバロLouis
Barraultと共に出演させた。Meurisseは、決して美男ではないが、ピアフ好みの
virlなのであろう。

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5.忘れられたフランス人
  Lanza del Vasto 1901-1981
  http://www.forget-me.net/Science_NV/index.php

 先週Luc Dietrichを紹介した時に出てきた、Lucの友人Lanza del Vastoはフラ
ンスのガンディMahatma Gandhiである。

 もっとも、Lanza del Vasto、本名Giuseppe Giovanni Di Trabia-Branciforte
は1901年シチリア(San Vito dei Normanni, Sicilia)の裕福な家庭に生まれ
た。母はベルギー人であった。パリとピサで哲学を学び、詩作、絵画・音楽研究
の傍ら欧州各地を旅行、聖地ジェルザレムにも行っている。1937年インドでガン
ディと会い、非暴力主義に傾倒。ヨーロッパに戻って、方舟協会(教団)
Communaute de l'Archeを創設した。爾来、カンディの使徒として、しかしキリ
スト者として非暴力の実践活動をした。従ってカトリック教会に属するというよ
りもいわゆる諸派統合理念sysncretismeと考えてよいだろう。菜食主義者でも
あったようだ。
http://www3.sympatico.ca/lmpoissant/ldv/memoire.htm

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6.あとがき

 僕のサーヴァーDTIからメイルをもらった。本誌のホーム・ページをDTIに統合
したことは先週書いたが、この統合によって、プロヴァイダー契約で許容される
15Mbを越えてしまった。4月20日までに拡張契約を結ばないと超過分が消去され
てしまう。今後5Mb毎に毎月費用が発生することになったのである。

 そこで、本誌の維持、そのホーム・ページの維持のためにカンパを募ります。
100円でも嬉しいのですが、100円の送金にそれ以上の手数料が必要でしょう。し
かし、額は問わない。宜しくお願いします。

 平野啓一郎の「高瀬川」を読んだ。これはあまり感心しない。鴎外のことばで
はなく現代語で書かれているが、主人公の小説家と出版社の編集者との情事を愛
だ不倫だなどというモラルを振りかざすことなく書いたのはいいとして、大江健
三郎的小説を書いてみたかったのだろうか。失敗作だ。本人にその旨を婉曲にメ
イルで報せたが、宛先で「検閲censure」があるようで、平野に届いたかどうか
は返事がないからわからない。
http://www.k-hirano.com/

 同じ本に収録されていた「清水」も、本人によれば評判がいいそうだが、僕か
ら見れば、一見カフカ的で面白いようだが、その実、平凡banalで想像力が足り
ない。小手先で書いた小説としか思えない。「追憶」も「氷塊」も、実験をしよ
うとしたことはわかる。けれども、読み難いだけだ。もっと思想の冒険をしなけ
れば、意味がない。
 平野は歴史小説を書いていたほうがいいのかもしれない。

 今、平野は文部科学省から金をもらってフランスにこれから12ヶ月いるらし
い。その滞在期間中、日本のメディアから多少とも離れていられるのだから、そ
れこそ上に書いた「禁欲」的にフランスを見てきて欲しい。「禁欲」的というの
は、勿論遊ぶなということではない。大いに夜のパリを徘徊して遊んでもらって
結構なのだが、くだらない文章を日本のメディアに寄せるな、ということであ
る。

 世の批評家たちよ。若者に媚びるべからず。もっとも当の批評家にまともな仁
がいなそうだという危惧もある。

 本誌37号を校正中に発見したサイト、ナピエルヴィル大学(カラグアイ国)な
るvirtual大学を紹介する。ある種のユートピアを作るのにこれほど熱心に作業
をするのは、たいした「遊びの精神」である。敬服した。
http://www.udenap.org/index.html


 甲子園の土。高校野球の選手たちは、試合に負けると甲子園の土を袋に詰めて
持ちかえる。どうして、そんなことをするのだろう。誰が始めたか知らないがく
だらなくはないか。グラウンドの土なんて何処から持ってきたかわかりゃしない
んだよ。TVに写るから、みんながやるからそうするのかな。一人ぐらい、いや、
一校くらい、「土なんかいらない、今日は負けた、でも、夏にまた来て勝ってや
るぞ」と思わないのか。

 Article-1及び2で「古い革袋de vieilles outres」、「禁欲ascetisme」につ
いて書いたのは、「国法学 人権原論」(樋口陽一著、有斐閣、2004年、278
pages)を読み始めたからだ。樋口さんが早稲田大学に移ってからの「比較憲
法」講義のノートが土台で本になったとある。この先生の文章は、フランス語を
読むように読んでいくと思考の流れがよくわかる。法律書というよりも哲学、社
会学の書としても読める。現代的話題も扱っていて、日本および欧米の事情が憲
法を通してはっきりと見えてくる。テーマは、しかし、「人権droit de
 l'homme」が中心であるといえよう。そしてなによりも先生の「禁欲」的学問の
姿勢がにじみ出ている。図書館から借りて読んでいるが、購入のため読者の方か
らいただいた図書券を使わせてもらうことも考えている。3500円と高くて学生も
負担だろうなぁ。でも、法学部の学生に限らず、読んでおくべき本であることは
間違いがない。

 僕の方はというと、Weberのいう「禁欲」世界や更にはF.W.Nietzscheの
「Ainsi parlait Zarathoustra」よりも、A.Gideの「Les Nouvelles
Nourritures」をむしろ好むhedoniste/eudemonisteだろう。それは僕の重点が
「自由」の概念にあるから。しかし、禁欲ascetismeがむしろ喜びjoieとなる倒
錯的世界もあるということにも注意を喚起しておこう。

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発行者:田邊 好美(ヨシハル)
    〒 157-0073 東京都世田谷区
e-mail: davidyt@saturn.dti.ne.jp

「カンパ」よろしくお願い致します。
郵便振替口座 名称 HEBDOFRANCE 番号 00110-2-314176 成城学園前郵便局

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