メルマガ:週刊フランスのWEB
タイトル:hebdofrance 28102003  2003/10/29


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                              Davide Yoshi TANABE
                                 vous presente

              ≪週刊フランスのWEB≫
                    第192号
                                          Tokio, le 28 octobre 2003
一日遅れで発行です。

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Index (目次)
        1.結婚式
        2.ギニョル 
        3.コンパニョナージュ 職人組合
        4.シャンソン ピアフ
        5.あとがき

フランス語のサイトの文字化けは
表示>エンコード>西ヨーロッパ言語の順で選択すれば修正することができま
す。

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1.Mariage
  http://www.cagi.ch/fr/Mariage.htm

 僕は結婚という制度に疑問をもっていたから、結婚するなどとは考えていな
かった。パートナーも同様であった。何故結婚したかといえば、当時僕が勤めて
いた会社では、結婚すれば家を持たせてくれて、会社が全額家賃を払ってくれた
からである。結婚しなくても、僕たちは協同の生活をしたいと考えていた。これ
は愛情の問題であって個人の問題だが、家をくれるというのは魅力的だった。実
際、結婚のお蔭でアルジェの郊外の絶景の地に家を構えることができた。
 しかし、開放的なスペインの血の流れるカルメンには、北アフリカにそれまで
何回も来ていたが、いざ日常生活をそこで過ごさねばならないとなると、習慣と
くに女性が一人でビーチにも行けない環境が精神状態に及ぼす影響が甚大となっ
た。イタリア男もしつこいが、アラブ系はそれに輪をかけている。
 この事情は何時か書こう。いずれにせよ、僕たちはヨーロッパ大陸に戻ること
を決意した。

 パートナー、即ちカルメンはスイスとスペインの二重国籍者である。カルメン
が望んだので婚姻をスイスですることにした。大した書類を用意することはない
が、ジュネーヴ市役所に結婚の意思を届けた。ジュネーヴ市民であるカルメンと
日本国籍保有者の僕の結婚に誰も異議がないかどうか、市役所の掲示板に張り紙
がされる。数週間後、誰も異議申立てをしなければ、非宗教の結婚式を市役所で
挙げることになる。この時二人の証人temoinsが必要なので、僕はSさん夫妻に頼
んだ。
 Sさんは芦屋生まれだが、ご母堂、奥様ともにスイスの人である。ご母堂の話
は小説になる波乱万丈なものだが、Sさんはピアニストとしてプロにもなれただ
ろうところ、東京大学に行ってしまったからだろうか、ビジネスマンとなったけ
れど、多彩な教養あふれる仁である。同氏は最終的にスイスを選ばれた。
 教会ではなく、非宗教のセレモニーは単純であるが、書類上だけでなく、市長
(またはその代理)の前で婚姻の意思を宣言しなければならない。指輪の交換な
どはない。戸籍制度をもたないのであるから、この婚姻をもって夫婦二人だけだ
が家族が形成されるのである。家族手帳livret de familleが発行される。

 教会での結婚式を僕たちはしなかった。カルメンは白い花嫁衣裳が嫌いだとい
うので二人とも普段着であった。

 教会の儀式は、神の前で誓いを立てるだけである。しごくあっさりとしてい
る。儀式のあとで、自宅かいきつけのレストランなりカフェで親類や友人達と新
郎新婦の前途を祝う。豪華なホテル等での披露宴などという、馬鹿らしい儀式と
大騒ぎはない。

 この項(こう)は、結婚式に関して読者二人からメイルをいただいたので思い
立った。一人は結婚式場の宣伝に使われていたフランス語の恐ろしい誤りを指摘
されていた。今、一方(ひとかた)は、南フランスで見かけた結婚式後のクラク
ションを鳴らしながらのかしましい車の行列についてのご質問であった。
 後者は、フランスに移民しているマグレブの人々の結婚式の一端であろう。普
通これ以外でクラクションをならすのは、サッカーの試合が終わったあとに気炎
を上げるサポーターたちだけである。
前者は次のサイトでみることが出来る。
http://funakurakougen.co.jp/
 
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2.Guignol
  http://wwwusers.imaginet.fr/~crinolin/guignol.htm

 ギニョルは人形劇の人気キャラクターである。作者はムルゲLaurent Mourgut
(1769-1844)、リヨンの人。この作者の経歴が面白い。当時のリヨンは、既に
絹織物の中心地であった。ムルゲは絹織物工場の従業員であったが、その後行商
人となり、さらに町の中心にある広場で歯医者になった。

 歯医者といっても医者と言うよりは「歯を抜く職人arracheur de dents」であ
る。だいたい歯の治療をするようになったのは、時代も極めて現代に近いようで
ある。歯痛のときは歯を抜いてしまうのが手っ取り早く、特に庶民は市(いち)
がたつ広場で歯を抜いてもらった。歯医者の歴史については来週みるとして、抜
歯は痛い。歯医者は「痛くないよ、瞬間だ、さ、寄ってらっしゃい」と客寄せを
する。だから、歯医者arracheurは「嘘つき」の代名詞にもなっている。

 マグレブ諸国やアフリカの旧市街に行くと、歯医者の看板に驚く。なにしろ総
入歯のような絵が描かれた看板だから、歯医者だろうということは直ぐにわかる
が、入れば矢張りいきなり歯を抜かれそうである。僕は北アフリカで前歯を折っ
て、ドイツ人の歯医者に行ったが、「ヤットコ」を医者が振りかざして「抜きま
しょ」といったのでほうほうの態(てい)で逃げ出した。後年ジュネーヴで治療
して継歯としてもらい見事に「ハリウッドの映画俳優のような歯」(治療した医
者の自画自賛)になったが、貧しい国では今でも歯は痛ければ抜くものと相場が
決まっている。

 さてムルゲ、歯医者を始めたはいいが、口上だけでは客が集らない。そこで露
天の店の前で人形劇を始めた。歯医者も大道芸人も変わらない。客集めの筈の人
形劇が本職になった。しかし、只者でないのは、ギニョルなるキャラクターをあ
みだしたことである。さらに、自分の子供たちを組織して人形劇団を創設した。
人形劇のテーマには、平易で身近なもの、職場の人間関係、家庭のいざこざ、町
の話題を扱い、たちまちリヨンの職工たちの恰好の娯楽になった。ギニョルはパ
リに出て人形劇場を作った。19世紀半ばには、ギニョルといえば人形劇をいう普
通名詞にさえなったのである。

 この人形劇は、糸で操りる人形marionnette a filsとも、文楽のように黒子が
あやつる人形とも違い、手と指で人形を操る。

 ブローニュBoulogneの森にある児童自然公園(パリ市立)Le Jardin
d'Acclimatisationには、ギニョル人形劇場がある。
http://www.guignol.fr/
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3.Campagnonnage
  http://www.ville-tours.fr/compagnonnage/

 compagnonコンパニョン(仲間、英語でcompanionコンパニオン)というと、現
代日本ではパーティーなどに出てくるホステスのことを指すようだ。しかし、つ
い19世紀のまでコンパニョンとは職人のことを云い、その組合がコンパニョナー
ジュであった。組合と言ってもこれまた現代の労働組合syndicatとも違う。
 
 産業革命が起こり近代工業が発達してくるとともに、それは19世紀の後半以降
だが、職人たちの数も激減した。1840年代のフランスにはまだ数十万人の職人が
いた。これら職人の多くは、全国を旅して腕を磨いたのである。今日のフランス
でも彫金師orfevreや家具師ebenisteが旅をしているようだ。これをcompagnon
de Tour de Franceという。Tour de Franceはあの自転車競技ツール・ド・フラ
ンスと同意である。

 さて、職人が旅をしている時の姿をサイトでみていただきたい。肩の荷物に杖
(canne、baton)を通して歩いている。この杖が旅する職人の象徴で、杖には金
や銀の飾りがあった。またこの杖が旅する職人の身を守る武器でもあった。そこ
からフェンシングescrimeとは起源の異なる、庶民のフランス剣道ともいうべき
カンcanneやバトンbatonが生まれているという。
http://www.webmartial.com/canne.htm

 サイトはツールToursにあるコンパニョナージュ・ミュゼである。フランスの
職人たちの世界、その文化的並びに社会的意義意義を知ることが出来る。
 1841年リヨンで起こった絹織物産業の労働者たちカニュの反乱revolte des
Canutsの背景にはフランス革命後育っていった 労働者階級だけでなく、職人た
ちの歴史がある。

 今日の家具師たちの様子を次のサイトでみることができる。こうした修行の旅
をする若い職人たちの伝統は、フランスだけはなく、ドイツ等ヨーロッパ各地に
まだみられる。
http://www.compagnons.org/fiche_metier/metier_menuisier.htm

 石切り職人のサイトも面白い。
http://perso.wanadoo.fr/jean-michel.mathoniere/html/Accueil/accueil.htm



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4.Edith Piaf
  JERUSALEM
  Paroles: M. Chabrier, musique: Jo Moutet, enr. 24 novembre 1960


Seul...
Dans le desert et brule par le soleil
De Jerusalem, de Jerusalem
Seul...
Un homme en blanc au loin assiste au reveil
De Jerusalem, de Jerusalem

ひとり、、、エルサレムの沙漠で陽(ひ)に焼かれて ひとり、、、白い衣装を
まとった男が遠くで夜明けを迎える エルサレムの、エルサレムの

Dans Ses yeux, il y a bonte du monde
Dans Son coeur, il y a tout l'amour du monde
Dans Ses mains, il y a la magie du monde
Tout l'univers est la grace a Lui dans ce desert

「その男」の目には 世界の善意があり 「その男」の心には 世界の全き愛が
あり、「その男」の手には 世界の不思議な力がある 全世界はこの沙漠にいる
「彼の」恩寵

Et l'Homme seul
Transfigure, va, guide par l'oiseau blanc
Vers Jerusalem, vers Jerusalem
La...
Il marche parmi les soldats et les gens
De Jerusalem, de Jerusalem

そしてひとり「その男」は 至福を授かって 白い鳥に案内(あない)されてゆ
く エルサレムへ エルサレムへ そこで、、、男は兵士たちや人々の中を歩む
 エルサレムの エルサレムの

Dans les yeux, il y a la misere du monde
Dans les coeurs, il y a la douleur du monde
Dans leurs mains, il y a la colere du monde
Mais l'Homme en blanc sourit,
le regard pose sur eux.

人々の目には 世界の不幸があり 人々の心には 世界の苦しみがあり 人々の
手には 世界の怒りがある けれど白き衣の「その男」は微笑み 眼差しを人々
の上にそそぐ

Le tambour bat
Pour annoncer que s'accomplit le destin
De Jerusalem, de Jerusalem
Car...
Un homme est tombe sur les pierres du chemin
De Jerusalem, de Jerusalem

太鼓が鳴る 告げるために 定めが実現することを エルサレムの エルサレム
の 何故なら、、、一人の男が石だらけの道に転んだ エルサレムの エルサレ
ムの

Dans Ses yeux, il y a le pardon du monde
De Son coeur, se repand tout l'amour du monde
De Ses mains, a surgi la Lumiere du monde
C'est un soleil nouveau qui renait dans le soleil...

De Jerusalem...
De Jerusalem...

「その男」の目には 世界の赦(ゆる)しがあり 「その男」の心から 世界の
愛が広がり 「その男」の手から 世界の「光」が流れ出た それぞ新しき太陽
 太陽のなかに甦る太陽、、、エルサレムから、、、 エルサレムから、、、


 「その男」とは、云うまでもなくイエス・キリストである。1960年というと、
イスラエルとパレスチナの戦争もまだ殆ど「世界の問題」としてはなく、隣国レ
バノン紛争もない、いわば平和な時代であったと思われる。三つの宗教の聖地エ
ルサレムも束の間の平安に眠っていた頃である。
 しかし、日本では反安保条約また三池炭鉱争議で国中が揺れ、フランスではア
ルジェリア戦争がいよいよ深刻になっていった年でもある。世界は東西冷戦。
従って、このエルサレムの歌も単に御子を称えただけではないだろう。

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5.あとがき

 先週は、比較的多くの方からメイルをいただきました。どのメイルも示唆に富
み、決して悪意などない真摯なメイルで、とても嬉しく拝見しました。いつも直
ぐにご返事をさしあげられるわけではありませんが、それは、僕が「怠け者」で
あるというだけの生来の欠陥でご勘弁願うとして、tot ou tard必ずご返事致し
ます。これは極端かな、言い過ぎかなと思うことも日頃面と向かっても口に出し
てしまうので、煙たがられたり、誤解を生んだりするのですが、自重する気配も
なく、本誌では自由にやらさせてもらっています。
 どうか、「そりゃ、ないだろう君(きみ)」ということがあったら、ご遠慮な
くメイルを認(したた)めていただければ幸甚です。

 小泉が、年齢制限を口実として中曽根に選挙に出るなと云ったとか。茶番であ
る。自民党は若返るんだ、活力ある「国民政党」なんだといいたいところだろう
が、とんでもない芝居である。宮沢さんは引退しますなどと応援したけれど、中
曽根は抵抗している。しかし、この抵抗も裏をかえせば、小泉に花をもたせてい
るのである。「老害」などというのは先達(せんだつ)に失敬な話で、如何様な
年齢であろうと、しっかりとした人は現役で活躍できるのである。権力に拘泥す
る中曽根を擁護しているのではない。中曽根を落とすか落とさないのは選挙民の
選択だからである。比例代表制度で、「リストの上位に俺をいれろ」というのは
理不尽であるけれども、立候補を「高齢だから断念しろ」というのはおかしい。
中曽根は自民党の公認がえられなくても立候補すべきである。しかし、どうもこ
れは納得づくのいわば「やらせ」茶番と僕はみる。
 上記を書いた時点では、中曽根は出馬取止めを発表していなかった。小泉が比
例代表リストから中曽根をはずしてから中曽根は選挙に出ないことになって茶番
劇は終わった。勝手に自分の選挙区から出る分には年齢にこだわらないと小泉は
TVで言明した(28/10/2003)。その言葉は正しい。しかし、では比例制度が何故
あるのか、説明が曖昧である。

 藤井道路公団総裁解任劇も、茶番だ。国土交通省大臣石原は、「世論」をバッ
クとして解任しようというわけだ。しかし、藤井は個人の利益のために辞任しな
いのではない。金は十分貯めたろう。大人しく辞任すれば、次の適当なポストも
手に入るだろう。その背景には全ての官僚がある。藤井を悪者にして、石原は権
力を示したいのであり、正義などそこにはない。メディアに誘導された世論は、
「まぁ,藤井ってしつこいね、赤字の道路公団のくせに」という短絡で満足す
る。そうであってはいけない。僕は藤井が徹底的に抵抗すること、行政訴訟も辞
さないことを期待する。そうすることによって、実は、官僚の天下り体質がうや
むやにされることなく、白日に晒されるからである。おそらく藤井の意図とは全
く違う角度から。ことの真実は、藤井個人に帰するものではない。
 上記も本誌が出るまでに、藤井は解任された。法廷闘争、メディアを利用して
裏取引、政治介入の実態を暴露する泥仕合を始めたらいいのだ。

 今回は、土曜日に仕事とそのあとに同期会の二次会があり、日曜日に藤沢で例
の「科学史懇話会」があったために、80%以上発行準備が出来ていたが、期日に
間に合わなかった。日曜日の懇話会のテーマは「異なった価値観の間におけるコ
ミュニケイション」で、講師は民間研究所の唐木田さん。大変面白かった。価値
の多様性が実は「価値の断片化」ではないかという指摘はその通りだと思うし、
やはり価値観が違う、世界観が違うから話合いができないという風潮に、僕も異
議を唱えたいと考える。この対話の方法については、いつか本誌で書きたいこと
である。

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発行者:田邊 好美(ヨシハル)
    〒 157-0073 東京都世田谷区
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