メルマガ:週刊フランスのWEB
タイトル:hebdofrance 13102003  2003/10/13


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                              Davide Yoshi TANABE
                                 vous presente

              ≪週刊フランスのWEB≫
                    第190号
                                          Tokio, le 13 ocotobre 2003

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Index (目次)
        1.剣道
        2.小説家
        3.自転車
        4.シャンソン ピアフ 「わたしはあなたのもの」
        5.あとがき

フランス語のサイトの文字化けは
表示>エンコード>西ヨーロッパ言語の順で選択すれば修正することができま
す。

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1.Kendo
  http://www.ffjda.com/Kendo/discipline11.htm

 フランスに限らずヨーロッパで柔道がさかんなことは周知のことであろう。な
にしろ、疑義があるにせよオリンピックで優勝したフランス人柔道選手がいるく
らいであるから。では日本の武道である、剣道はどうだろうか。

 読者のひとりがこのテーマをくれた。毎週えらぶテーマに苦慮する僕としては
ありがたい提案である。

 フランスには独立した柔道協会がない。そういうと不正確で、実は柔道協会の
なかに全国剣道部会が存する。そこで、居合道、薙刀(なぎなた)、「杖道
(じょうどう}および「チャンバラ・スポーツ」が一応組織されている。

 「Jodo」とサイトにあって、それが何か寡聞にしてわからなかったが、説明を
読むと「la voie de baton」と書いてある。「棒の道」と訳せるが、棒術とは違
う、違うといっても僕にはその差がわからないが、「杖道」と日本語をそのまま
採用している。

 「スポーツ・チャンバラ」とは面白そうだが、スポーツ・チャンバラ協会なる
ものは既に日本で設立されていて(1972年)、国際組織になっている!
http://www.internationalsportschanbara.net/Jindex2.html (日本語)
「チャンバラごっこ」をスポーツとして楽しもうというのである。殺陣師(たて
し)の訓練ではない。僕は小さい頃仙台の北山にいたから、藪もあった。そこで
竹や。灌木(かんぼく)を切って刀とし、いっぱし北辰一刀流の千葉周作だ、新
陰流(しんかげりゅう)の柳生十兵衛だとチャンバラをしていた。怪我をした
り、させなかったのが幸いで、これにルールがあり武器も安全性がたかいとなる
とスポーツ化できる。

 それはともかく、剣道の写真をクリックするとフランス剣道部会の詳細をみる
ことができる。写真を年をおってみても、日本の剣道が世界の剣道になり、武道
からスポーツへと変化していっているのが察せられよう。僕はこうした
evolutionを歓迎する。
http://www.ffjda.com/Kendo/kendo.htm

 「何々道」となった日本の伝統、それは華道でも茶道でもおなじことだが、そ
れを僕は嫌う。「道」と云われるようになったが最後、様々な制約が生まれ、因
習化するように思うからである。権力と結びついた利休などは最低である。
 武道でいえば「五輪書」、「葉隠れ」も読んだけれど、決して納得させられる
ことはなかった。

 スポーツとしての剣道。おおいに結構と思う。確かに、フランスにあって柔道
人口は56万人以上もあるに対して、剣道家(samurai)は3300人前後と圧倒的に
マイナーであるが、フランス各地に剣道クラブがどんどんできている。

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2.Romancier
  http://prix.litteraire.info/

 小説家romancierは、小説を書く人で、ecrivain文学者は詩人、劇作家等を含
むことばよりも限定されていよう。小説家になりたい、というのは小説を読むこ
とが好きな文学青年(青年というのは男子だけのことではない、即ちles jeunes
を意味する)が抱くことである。

 フランスの青年たちも同じである。小説家になる登竜門は各種の賞を受賞する
ことではないか。フランスでは毎年1.150余りの賞が文学関係で授与されている
のだそうである。多くの賞が秋に集中している。そのうち最も有名で権威のある
賞がゴンクール賞prix de Goncourtに違いない。フェミナ賞、メディシス賞、ル
ノド賞などが良く知られた賞である。
http://membres.lycos.fr/clo7/expression/prix.htm

 出版社にとっては、受賞作品は大量に販売することができるから、受賞の裏で
相当な水面下の作戦が展開されていること芥川賞同様である。出版社というの
は、文化を担う一方、売れない本を、売れない作家を排除して行く資本の論理に
当然ながら従う組織である。受賞作品を選択する際に、選者とは別にインター
ネット(email)を通して読者による言わば投票を考慮に入れ始めたのが、Prix
Claude  Le Heurteur賞である。興味あるシステムと思う。
http://www.prixleheurteur.com/index.html

 ルノド賞prix Renaudotは、反ゴンクール賞とでも言うべき賞で、ゴンクール
賞にもれた、または対象ともされなかったが才能ある新人に送られる賞である。

 フランスには「文藝春秋」、「文学界」、「新潮」等々日本にあるような文芸
誌がない、あっても部数が極端に低い。ガリマール社のNRF Nouvelle revue
Francaiseなど戦後ずっと今日まである雑誌があることにはあるけれど、日本の
比ではない。新しい作家、作家になろうとするものにとって作品を発表する場が
極めて制限されている。新人は作品を出版社に持ち込んで出版してもらわなけれ
ばならない。もっとも大部分の場合、フランス語であればよいのだから、ベル
ギー、スイス、カナダ等で出版する手もある。
http://www.gallimard.fr/web/gallimard/catalog/Html/revue/nrf.htm

 小説を書くのには、その才能がなければならないと考えられているが、僕はそ
うは思わない。才能は作られるものであり、現に作られているのである。小説を
何処かの懸賞に応募して当選しなければ、「あゝ、俺には才能がない」と諦め
る。本当に才能がないのだろうか。詩人には才能がいるだろう。しかし、周りを
みても、本屋に積んである小説類をみても、才能のある小説家なんているのかい
な。

 作家になることが、即ち金銭的成功を意味する日本とフランスは全く違う。小
説で多額の資産を築いたなんていうのは、フランスには先ず殆どいない。結構貧
しい生活をしている。日本の多くの小説家はいってみれば「成金戯作者」、「垂
れ流しの原稿書き」である。


 五月蝿いが面白い爺(じじい)だった「室内」編集長山本夏彦、本誌でも何回
か話題にのぼせた夏彦は分を守って小説本などは出版しなかったが、最近ラジオ
で知った幻冬舎社長見城徹(けんじょう とおる)なる人物は面白くもない。こ
の人は、お客さんをたらしこむ証券会社の猛烈セールスマンかと思った。いただ
けないね。ラジオではいいていなかったが、きくところによれば、小林よしのり
の本を出している(今日ネットで確認)。つまりが、売れれば、話題になれば何
でもやろうという、実は、熱血漢といえば聞こえがいいが、決して硬骨漢ではな
く人を騙す「醜漢(しゅうかん)」であると見抜いた。もっとも僕が幻冬舎の本
を買う気遣いもないが。見城徹の出す本がベストセラーになり、見城徹が持て囃
(はや)される土壌と、石原慎太郎が知事をやっていられる都民の精神構造と
は、全く同一である。
 
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3.velo
  http://www.parisvelosympa.com/index.html

 veloとは自転車bicycletteのことである。velocipedeの略された語。veloci-
は「速い」、velociteなどから意味が想像できるだろう。-pedeは「足」
(pied)の意の接尾語。bicycletteというと長いから、もっぱら自転車はveloと
言われる。

 サイトは「パリを自転車で見物しよう」というもの。パリ市内というのは結構
狭い。大学都市cite universitaireから一番北のサクレ・クールまで歩いても2
時間程である。天候さえ許せば、それがこの地では問題なのだが、ま、自転車で
パリを巡りをするのも一興(いっきょう)であろう。次回機会があったら、サイ
トで紹介されているところ、37, boulevard Bourdon 75004 PARIS メトロ
Bastille駅 出口 Bd Bourdon (Tel : 01.48.87.60.01)ここでveloを借りてみ
よう。24時間借りても2000円なら悪くはない。

 僕はパリで自転車に乗ったことがない。住んでいた時(学生)はメトロばかり
だったし、ジュネーヴから行ったときは車だったから。

 今は、東京にいて一時間くらいなら自転車に乗る。東京では自転車は歩道を通
行せよということになっているようだ。この歩道の凸凹(でこぼこ)が酷い。電
信柱がある。違法駐車の車が前を遮る。とても快適に自転車で東京巡りと言う訳
にはいかない。継ぎはぎだらけの道。呆れかえるね。道路行政が日本にはない。
 道路公団民営化だって! 民営化したって同じことだ。競争がないのだから。
第二東名、第三東名が出来て、便利さを競う? ありえないでしょう。そこに競
争原理が働くはずがない。バカなことだ。
 むしろトップの給与はあがるだろう。そこに官僚が天下りする。完全に民間で
ある銀行の取締り連中にも財務省官僚がのさばっているではないか。
 道路行政の不在を、民営化で誤魔化そうとする。愚かしい。

 自転車ですいすいと快適に通れる道路を考えて見るのが行政というものだ。

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4.Edith Piaf
  Je suis a toi
    Paroles et Musique: Julien Bouquet   1960

Un matin le printemps est sorti
De son lit pour aller faire la vie
Et pour repeindre en bleu tout le gris
Qui trainait sur les murs de Paris.
Du gris, il y en avait dans ma vie,
Mais ce jour-la, mais ce jour-la,
D'un seul coup, tout fut repeint en bleu,
Le ciel et les yeux des amoureux.
Du coup, pour le Pont-Neuf et la Seine,
Ce fut l'heure pour eux d'entrer en scene.
Sur ce pont, nous nous sommes croises.
Moi, ce jour la j'allais tout droit,
Droit devant moi, vers je ne sais quoi...
Rappelle-toi...

ある朝 春が眠りから覚めた 生気を取り戻すために 灰色のパリの壁を青く塗
り替えるために わたしの人生 灰色だった でも あの日 あの日 一時(い
ちどき)に青く塗り替えられた 空も恋人たちの目も 突然に ポン・ヌッフも
セーヌの川も舞台に登場する時だった この橋の上でわたしたちはたまたま出
遭った わたしは その日まっすぐ歩いていた まっすぐに 何処へって知らな
い、、、そうだったわね、、、

Des jonquilles, 'y en a eu par milliers.
On savait ou aller les chercher.
Qu'ils sont chauds, les pres au mois de mai.
Qu'ils sont hauts, les bles au temps d'aimer.
Qu'ils sont beaux, les mots que tu disais :
"Je suis a toi... Je suis a toi."
Ces mots-la, on ne s'en lasse jamais.
Ils sont faits, semble-t-il, pour durer.
J'aimais t'entendre les murmurer,
D'autant plus que pour moi ils semblaient vrais.
Pour moi-meme, ne t'ai-je pas crie :
"Je suis a toi... Je suis a toi
Mais garde-moi et serre-moi tout contre toi..."

黄水仙がいっぱい咲いていた どこに咲いているかみんな知っていた 5月の野
は暑く 恋する季節の麦は背が高く あなたの言葉は甘い 「僕は君のも
の、、、僕は君のもの」 この言葉 決して飽きないことば いつまでも続くた
めにあることばに見える あなたがその言葉を囁くのが好き 囁かれれば囁かれ
るほどその言葉は本当に思える わたし自身のために あなたに叫ばなかったろ
うか 「わたしはあなたのものよ あなたのものよ 離さないで 抱きしめて
ちょうだい、、、」

Un matin, l'ete a fichu le camp
En laissant en souvenir du printemps
Des feuilles qui virevoltent au vent
D'un automne qui ne prend pas de gants
Pour venir me dire a bout portant :
"Je suis a toi..."
Aujourd'hui, les beaux jours sont sortis.
C'est fini, ils ont quitte Paris.
L'hiver va revenir mettre en gris
Tout le bleu que notre amour y avait mis.
Du gris, mon Dieu, qu'y en a dans ma vie.
Je suis a toi... Je suis a toi...
Mais reviens-moi comme autrefois...
...Je suis a toi...

ある朝 夏が過ぎ去った 春の思い出を残して 風に木の葉が舞い散り 手袋も
はめず間近にやって来て わたしに言う 「わたしはあなたのもの」と 今日と
いう日 晴れた日々は去った 終わったのね 晴れ渡った日々はパリを立ち去っ
た やがて冬が来て わたしたちの恋が彩った青をまた灰色にしてしまう 灰色
 嗚呼 わたしの人生 灰色よ 僕は君のもの、、、僕は君のもの、、、けれど
いつものように戻ってきておくれ、、、わたしはあなたのもの、、、

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5.あとがき

 衆議院解散。憲法7条解散。それは天皇の国事行為として定められている10項
目の一つとしての解散だ。しかし、良くその条文を読んで見るといい。「内閣の
助言と承認により、国民のために」天皇が行う国事行為とある。今回の解散は
「国民のために」なされたのか。へー、そうかね。勝手に小泉が決めたんじゃな
いの。衆議院議員の任期は4年だったと思ったが、全うしたくないのだな。内閣
の顔ぶれが変わったというが、かわり映えはつゆしないのだけれども。
 ま、みなさん、投票しましょう。おかしな奴を落選させよう。

 議員停年の話も、どう考えてもおかしい論議がされている。議員は会社の従業
員でもないし、会社の取締り役でもない。選挙民が選ぶのだから、僕らが国会審
議中寝てばかりいる連中、耄碌(もうろく)した連中を当選させなければ良いだ
けの話だ。

 いずれにせよ、主権者たる僕たちがその権利を行使する時が来たのである。慎
重に選択をすべきだ。僕としては野党と政権交代してもらいたい。

 ボドリヤールjean Baudrillard東京講演が恵比寿の日仏会館であった(10月10
日金曜日)。フランスの著名な哲学者(本誌99号、2001年11月12日及び186号本
年9月1日など参照)なので、些かミーハー的興味で講演を聞いた。
 正直つまらない講演であった。テロリスムについても、戦争についても、分析
的に相対化し、テロとテロを受けるものの逆転を強調するが、それは事件
evenementと反事件non evenementの交代性として僕は理解したが、このレトリッ
ク自体は決して新鮮な論理でもないし、ではどこから分析者としてではない哲学
者のモラルが出てくるかまるで分からないのである。
 質問をしようとして手を挙げたが、採用されなかった。そこで講演後、同氏を
つかまえて質問しようとしたが、「疲れているので勘弁してくれ」とのたまわっ
た。これまで日仏学院、早稲田大学そして翌日は国連大学で講演と知っていたか
ら、仕方ないと引き下がった。実はある出版社の青年が、僕に通訳を頼んだの
で、僕は自分の質問の前に、この稀有なる青年(わざわざボドリヤールのために
足を運んできたのだ、稀有ではないか)のために通訳しようと思って近づいたの
であった。僕ならこうした青年を無下に断ることは考えられない。しかも、その
後、ワインを飲みながら「お知り合い」とは歓談していたのだから、去年の哲学
者ベンサイドさん(本誌145号、2002年10月22日)とは雲泥の差で、negativeな
評価に繋がってしまう。
 ボドリヤールのフランス語もかっこよくなかった。覇気がない。ぼくは講演
中、同氏の似顔絵を渡されたパンフに描いていた。僕がもし学生として教室で彼
の講義を聞かねばならなかったら、退屈でノートもとらなかったろう。

 暴力教師が話題になっている。こういう教師は、出来の良い生徒だけを可愛が
る。ぼくは、可愛がられた方で暴力を教師にふるわれたことがない。しかし、端
で暴力を嬉々としてふるう教師は見てきた。最低だと思う。「愛の鞭(むち)」
? 冗談ではない。教師の自己満足のために暴力がある。相手が小学生ならば尚
更で圧倒的に教師は強いのである。それを敢えて暴力に訴えるのは、多分に教師
の、フロイド的にいえば、性的満足を得がんがためにするサディックな行為
sadisme以外のなにものでもない。その教師も家に帰れば、子煩悩で愛妻家かも
しれない。しかし、ヒトラーだってそれは同じことなのだ。暴力教師を許しては
いけない。出来の悪い、つまり記憶力が弱い、注意が散漫である生徒ほど可愛い
生徒だと僕はおもうのだ。
 教師を聖職だとは僕はいわない。サラリーマンだよ。そのサラリーマン、勤労
者としての自覚も最近はないようだ。週末を犠牲にすることはない。しかし、生
徒たちの人格をrespecterして欲しい。バカな親たちのいうことに神経質になる
ことはない。しかし、生徒の存在そのものを否定することだけは、それがどんな
に出来の悪い生徒でもやめて欲しい。どの生徒も素晴らしい何かをきっともって
いる。

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発行者:田邊 好美(ヨシハル)
    〒 157-0073 東京都世田谷区
e-mail: davidyt@saturn.dti.ne.jp

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郵便振替口座 名称 HEBDOFRANCE 番号 00110-2-314176 成城学園前郵便局

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