メルマガ:週刊フランスのWEB
タイトル:hebdofrance 22092003  2003/09/22


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                              Davide Yoshi TANABE
                                 vous presente

              ≪週刊フランスのWEB≫
                    第188号
                                          Tokio, le 22 septembre 2003

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Index (目次)
        1.アレゼール
        2.シェルブール
        3.シャンソン ピアフ 「いついつまでも」
        4.忘れられたフランス人 ジョルジュ・ソレル「暴力論」
        5.あとがき

フランス語のサイトの文字化けは
表示>エンコード>西ヨーロッパ言語の順で選択すれば修正することができま
す。

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1.ARESER
  http://www.geocities.com/Athens/Thebes/8739/bourdieu.htm

 ARESERとはAssociation de reflexion sur les enseignements superieurs et
la rechercheの略で、Associationであるから、本誌に再三登場している1901年
のAssociation法に基づく団体である。「高等教育と研究に関する考察委員会」
といえるが、1992年に設立された民間団体である。提唱者は社会学者で先頃亡く
なったブルディユPierre Bourdieuである。
 Bourdieuの「資本主義のハビトゥス、アルジェリアの矛盾(原題はAlgerie
60, Structures economoques et structures tempolaires」というのを今年7月
頃読んでいて、アルジェリアもまた社会学なる学問にも懐かしみを覚えたし、研
究の方法に非常に同感したことを既に本誌で書いた気がするが、そのブルディユ
である。

 フランスの大学や高等教育(Grands ecoles等)は1968年以来学生参加の形で
様々な改革が為されてきた。しかし、その改革も充分ではなかったようだ。 
ARESERのメンバーには Francoise Balibar, Christian Baudelot, Christophe
Charles, Bernard Lacroix, Erik Neveu等の名前が見える。

 ARESER自体パリに事務局があるのだが、ホーム・ページが見当たらないので
2000年4月8日のブルディユとシャルルの記事を援用した。

 「ARESER日本」が今年2003年4月設立された。
http://www.h4.dion.ne.jp/~soki/index-areser.html
このホーム・ページの「活動案内」のところに「国立大学法人法案に対する緊急
声明発表(6月30日)」がある。本誌で僕がこの国立大学法人法案に反対して
多少積極的に関ったことを覚えておられる読者もあると思う。ARESER日本が声明
を発表していたとは当時知らなかった。発足の経緯はわからないが、どうも「フ
ランス語系」(そんなものが多分ある)に偏っているような気配がある。また、
たとえば「賛同人に村上陽一郎が入っているから俺は入らない」というような狭
量な学者がいそうである。僕としてはARESERの方法に関心があるので今後の活躍
が楽しみなのである。理科系には、「Academia e-Network」ができているそうで
ある。
http://www.ac-net.org/
 しかし、これら大学の学者達の活動の中に、学生、職員、そして何よりも市民
を迎え入れてこそ、フランスのARESER以上の真の「大学(教育と研究)を考える
会」ができるのではないか。学問の自由、大学の自治とは狭い「大学界」だけの
問題ではない。
 国立大学法人法案が「大学人・大学界」の反対にも拘わらず、すんなりと国会
を通過してしまった背景には、学生の不在、市民の不在があったことを忘れない
で欲しい。
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2.Cherbourg
  http://www.ville-cherbourg.fr/

 ちょっと息抜きをしよう。
 シェルブールは本誌85号(2001年7月31日)のナナムスクリのシャンソンのと
ころで少し書いたが、
http://members.at.infoseek.co.jp/davidyt/log085.htm
下記article5のジョルジュ・ソレルの生地でもある。

 映画、シャンソンでこれだけ有名な港町であるから、さぞかし姉妹都市関係を
申しこんだ日本の都市があるかと思いきや、全くない。サイトの「国際関係
relations internationales」をみるとヨーロッパやアフリカとは交流がある
が、アジアとは全然ないのである。勇気ある日本の港町よ、ひとつ申込んでは如
何。ドイツの都市とも姉妹関係があるようだから、昔の戦争のことは言わないと
思う。

 写真が多いページも探せるので、暫しいいナヴィゲイションが出きるサイトで
ある。もっとも僕は、大西洋岸の町よりも地中海の方が好きなのだが、海の見え
る町、港町は、日本の歌謡曲は大嫌いだが、やはり何か懐かしい。

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3.Piaf
  JE N'EN CONNAIS PAS LA FIN- 1939
  (Paroles : Raymond Asso / Musique : Marguerite Monnot)

Depuis quelque temps l'on fredonne,
Dans mon quartier, une chanson,
La musique en est monotone
Et les paroles sans facon.
Ce n'est qu'une chanson des rues
Dont on ne connait pas l'auteur.
Depuis que je l'ai entendue,
Elle chante et danse dans mon coeur.

わたしの街で この間から口ずさまれる歌 その曲は単調で 歌詞も気取らない
 それは街で生まれた歌 作者も知られていない その歌を聞いてからというも
の その歌がわたしの心で歌われ踊る

{Refrain:}
Ha ha ha ha,
A mon amour,
Ha ha ha ha,
A toi toujours,
Ha ha ha ha,
Dans tes grands yeux,
Ha ha ha ha,
Rien que nous deux.

あ あ あ あ わたしの恋に あ あ あ あ いつもあなたに あ あ あ
 あ あなたの大きな瞳に あ あ あ あ わたしたち二人に

Avec des mots naifs et tendres,
Elle raconte un grand amour
Mais il m'a bien semble comprendre
Que la femme souffrait un jour.
Si l'amant fut mechant pour elle,
Je veux en ignorer la fin
Et, pour que ma chanson soit belle,
Je me contente du refrain.

易しく軽やかな言葉で その歌は大きな恋を語る でも分かったように思うの 
女がある日苦しんだってことを 恋人が意地悪だったら その理由を知りたくな
い わたしの歌が美しいように くりかえして歌うだけ

{Refrain}

Ils s'aimeront toute la vie.
Pour bien s'aimer, ce n'est pas long.
Que cette histoire est donc jolie.
Qu'elle est donc belle, ma chanson.
Il en est de plus poetiques,
Je le sais bien, oui, mais voila,
Pour moi, c'est la plus magnifique,
Car ma chanson ne finit pas.

二人は生涯愛し合うでしょう 本当に愛し合うのに 一生だって長すぎることは
ない 良いお話ね 美しいわね わたしの歌 とても詩的だわ わかってる え
え ほらこのとおり わたしにとって 一番すばらしいこと だってわたしの歌
には終わりがないもの

{Refrain}

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4.忘れられたフランス人
  Georges Sorel 1847 - 1922
  http://bibliolib.net/Sorel-refviolence-001.htm

 「あとがき」で読み始めていると書いた大西巨人の「神聖喜劇」に引用されて
いたので目をとめた。大西巨人は今年84であるが、矍鑠(かくしゃく)としてお
られるようだ。

 大西巨人がソレルを引用したのは、ソレルの「暴力論 Reflexions sur la
violence」(1908年刊)の中で、ナポレオン軍がスペイン侵攻した際の暴力に関
しての記述である。相当する文章をこの「暴力論」で探してみたが、僕は見つけ
られなかった。しかし、恐ろしい記憶の持ち主である「神聖喜劇」の主人公東堂
二等兵のこと、きっとどこかに書いてあるのだろう。しかし、ソレルの「暴力
論」の主題からすると瑣末な引用である。

 ジョルジュ・ソレルは、45歳まで土木技術者であった。そのソレルが革命的組
合主義の提唱者になるのは、その後のことのようである。いわゆる暴力革命の擁
護者である。「暴力論」は上掲のサイトに全文がある。右翼、とくにイタリアの
ファシストにも利用されたらしい。ソレル自身も一時フランスの右翼王党派に傾
いたというから、「暴力論」は諸刃の剣(つるぎ)であった。晩年レーニンに希
望を見出した。

 暴力には国家の暴力(軍隊、死刑等)があり、これをforceといい、対抗する
者としてプロレタリアの暴力vilolence proletarienneがあるとしている。暴力
の道徳性moralite de la violenceをいうところは、うならせるところもあっ
て、単に「非暴力」が持て囃(はや)される今日、一概に否定されてはならない
のは、ベンサイド(本誌145号、2002年10月21号等参照)が「暴力にもニュアン
スがある」と僕の質問に答えたのと合わせて興味ある主張と思える。もっとも、
ソレルのいう暴力は主として労働組合が用いるゼネスト等をいうのであって、テ
ロリスムを直ちに指すようではないが。

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5.あとがき

 北海道のMNさん、カンパありがとうございました。Ca m'encourage beaucoup
!

 先週は休刊しました。準備が整わず、そのまま日曜日の会合に出てしまって時
間がなかったからですが、それ以上にdepressionが作用しています。ま、周期的
なものですからご心配には及びませんが。

 犬に噛まれた痕が痛く発熱もみられたので、外科医chirurgienに行った。獣医
veterinaireではない。化膿止めの為に抗生物質を処方された。手首の腫れが酷
く、抗生物質antibiotiqueは飲みたくないが致し方ない。このタイピングも右手
が使えない。
 火曜日22時30になって漸くタイプを打てるようになった。

 イラク米軍占領について。
イラクでの米軍犠牲者の数が日に日に増していくという。犠牲者は痛ましいい。
しかし、犠牲者の数を数えていても致し方ない。アメリカ軍の犠牲者がたとえ
10.000人を超えたところでアメリカの軍事的敗北とはならない。
 米軍の誤算は、よく日本占領体験のことをいうけれども、イラクと日本とでは
年齢が違うのである。
 日本の軍事的占領に成功したマッカーサーGeneral Douglas McArthurは、離日
後米上院聴聞会で「日本人の精神年齢は12歳だ」といったという(1951年5
月)。マッカーサーの日本での人気は失墜した。アメリカという経済力に圧倒的
に勝る敵と戦争をした日本、従って大人の判断が出来なかった日本を揶揄したば
かりではない、敗戦後唯々諾々アメリカの占領政策に従った日本、アメリカ万歳
を唱えた日本への痛烈な批判的一撃であった。
 このマッカーサーの記事をアメリカのサイトで探したがみつからなかった。日
本のサイトでは未だに多く語られている。解釈は様々だが、日本人には余程キツ
イ言葉だったにちがいない。子供は傷つき易いのである。
 イラクは12歳ではない。国民の平均年齢は若いだろう。しかし、サダム・フセ
インの圧制の中を生きぬいてきた人々は12歳の子供ではない。

 ネットサーフィンをしていてこんなサイトに出会った。
http://members.jcom.home.ne.jp/lerrmondream/index.html
ここの朝鮮五葉松のところを読んで欲しい。

 野間宏「真空地帯」を読んだ。1952年の作品である。1952年といえば、日本が
1945年の敗戦から続いていた米軍占領からやっと独立する年である(1952年4月
28日、サンフランシスコ講和条約発効)。物語は、日本陸軍の内務班における日
常を木谷なり曾田(曽田)という主人公を通して描いたものである。
 文章は平明であるが、構成としては長すぎて(文庫本で上下2巻)退屈とも言
える。「真空地帯」とは、「兵営は条文と柵にとりまかれた一丁四方の空間にし
て、弾力な圧力によりつくられた抽象的社会である。人間はこのなかにあって人
間の要素を取り去られて兵隊になる。確かに兵営には空気がないのだ、それは弾
力な力によってとりさられている。いやそれは真空管というよりも、むしろ真空
管をこさえあげるところだ。真空地帯だ。ひとはそのなかで、ある一定の自然と
社会とを奪いとられて、ついには兵隊になる」。今時はIC時代で真空管を知る人
も少なかろうが、作家野間の兵営を真空地帯とした意図はわかる。

 この小説に登場する兵隊達の女性蔑視は、時代そのもので野間宏自身気付かぬ
ものであろう。だからこれを批判するのは容易である。また、兵営を特殊な切り
離された社会とみた野間を矮小として批判するのも、過去の、戦前の世界を過去
形で批判する限り安易ではないか。すなわち、大西巨人などが野間を批判する
時、野間による過去の日本社会への認識だけが問題とされているように思われ
る。
 僕は野間の小説やその思想を批判するよりも、小説の現代的意味を問いたい。

 僕が、小説「真空地帯」で確認したのは、戦後民主主義と言われる日本社会
が、実は、野間の描いた「真空地帯」の踏襲せられた世界であって、なんらその
論理構造において変わることがなかったということである。
 従って、「真空地帯」は敗戦によって軍隊がなくなっても、日本をそのものが
「真空国家」として生き残り、家庭から学校(小中高、大学)、会社、組合、政
党、NPOまでを「真空化」しているのである。その中から女性蔑視も綿々と生き
長らえて今日まで至っているのにちがいない。
 その意味で「真空地帯」は興味あるものであった。

 今は大西巨人「神聖喜劇」を読み始めた。これも長い。一巻目をやっと終わっ
たところである。作者の名前が「巨人」と恐ろしいので今まで読まなかった。偏
見である。しかし、読み進むほどに、ジャイアンツ的衒学pedantisme
gigantesqueには参る。東堂太郎二等兵は、二等兵らしくないし、ニヒリストら
しくもない。ある種スーパーマンに見えてくる。そういえば映画のスーパーマン
も新聞記者だった。東堂も九州の新聞記者ということになっている。一見民主主
義者とみえながら、帝大中退にこだわり、部落民(穢多、エタ)を差別しないよ
うでいて差別している東堂は好きになれない。ま、続きを読んでみるか。
evolutionがあるのかもしれない。なければ、悪質な自伝的小説である。

 なんとか今週号を書くことが出来た。しかし、鬱から脱出していない。

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