メルマガ:週刊フランスのWEB
タイトル:hebdofrance 08092003  2003/09/08


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                              Davide Yoshi TANABE
                                 vous presente

              ≪週刊フランスのWEB≫
                    第187号
                                          Tokio, le 8 septembre 2003

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Index (目次)
        1.主観的辞書
        2.カンクンとカンコン
        3.狂犬病
        4.シャンソン ピアフ 「歌を思い出す」
        5.忘れられたフランス人 ジャン・フーケ 15世紀の画家
        6.あとがき

フランス語のサイトの文字化けは
表示>エンコード>西ヨーロッパ言語の順で選択すれば修正することができま
す。

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1.dictionnaire subjectif
  http://www.crieur.com/index.php

 言葉に主観的定義をして遊ぶサイトである。まだ7800余の単語、熟語、略字に
しか定義がされていない。その多くは皮肉、諧謔(ユーモア)のあふれる定義
で、アカデミーの辞書にある元の意味を知っていないと面白くないかもしれない
が、いかにも言葉の遊びが好きなフランスらしいエスプリのきいたサイトといえ
よう。

 たとえば、academie francaise、この項はちょっと長すぎるきらいがあるけれ
ども、アカデミー・フランセーズを思いきり皮肉っている。先般本誌で書いたよ
うに、e-mailのことをcourrielなる新語を作って「フランス語らしさ」の体面を
保ったのはまだ可愛らしい例であるが、brainstormingをRemue-meningesと言え
となると首を傾(かし)げざるをえない。
 「洗剤lessive」については「チョコレートと同義」とある。心は、「粉末、
液体、錠剤(tablette de chocolatは板チョコ)状があり、衣服を美しく見せる
ために使用する」。チョコレートの染(し)みもシャツの模様の内ということ
か。

 サイト訪問者が参加して、各自思い思いの言葉を定義して登録することができ
るようになっている。なにかいい言葉の主観的定義を思いついたら貴方もいか
が。

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2.Cancun et Cancon
  http://www.cancun.gob.mx/Html/Principal/principal.htm (西)

 カンクンはメキシコの一大観光地である。太平洋岸のアカプルコと並んでメキ
シコ湾岸のカンクンは有名である。北米及び欧州からの観光客で賑わう。一時僕
の憧れのところで、いつかヴァカンスで行ってみたかった。実現しないで今日に
至っている。一抹の不安は、この街のパンフレットに出てくる写真は、いずれも
高層のリゾートホテル群を写しており、コンクリートbetonの塊の街としてヨー
ロッパ人に評判の悪いマイアミのメキシコ版かということである。
 この街で来週9日から14日までWTO閣僚会議が開催される。ここなら世界最高級
の会議場がふんだんにある。日本からも閣僚が多数出席するだろうが、相当数の
組合やNPOも反WTOとして代表団を送るようだ。そうしたNPOメンバーたちが泊ま
るのもこれら高級ホテルのようだ。メキシコ小作農民の一年分の収入で3日泊ま
れるかどうかしれないホテルに。僕はある組合が通訳を探しているというので、
往復旅費さえ払ってくれたら(ホテルは僕が安いところを探す)、ヴォランティ
アで通訳をしますと申しこんだが、しばし検討の結果拒否された。残念だね。行
ければ、スペイン語でAttac Japonとしての声明を出せたかもしれない。英語は
こうした時に使いたくない。英語では土地の人々とも話ができない。

 僕がクルテCourtetを材料に書きたいと思っている小説にもメキシコは無縁で
はない。スペインを出て17世紀の日本にやって来たキリスト教の宣教師たちは、
ポルトルの宣教師たちと違って、みなメキシコ経由で太平洋を渡ってマニラに着
いたのである。従って、その道を陸路ベラクルスVeracruzからマンサニーヨ
Manzanilloまで辿ってみたかった。また、支倉常長の一行が洗礼を受けたメキシ
コ・シティー(支倉常長自身はマドリッドで洗礼)の教会も訪れたい。ま、いつ
か行く時があるだろう。

 カンクンでの反WTO集会に参加するための出国許可を裁判所から拒否されたフ
ランスの農民運動家ボヴェJose Boveは、9月初め、フランス国内の反WTO運動に
パリで参加するとともに、カンクンと音の似たフランスのカンコン村(ボルドー
の南東)で、カンコン・サミットをやろうと言い出した。
カンコン村のサイトが次にある。
http://www.village-cancon.com/cancon_cadre.htm
ナッツとスモモの村とある。ナッツnoisetteは、辞書ではハシバミをあるが、こ
れではどんなナッツか分からないであろう。へーゼルナツhazel nutsである。ま
たスモモと書いたがpruneauとは「干したスモモ」である。パリからだとこの村
まで列車で6時間以上かかる。
 片や世界の富豪が集る避寒地カンクン、片や鄙びた寒村カンコン。さてどうな
るや来週が待たれる。

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3.rabique
  http://cani-wap.chez.tiscali.fr/dossiers/rage.htm

 隣に新しい人たちが越してきた。ご夫妻には犬がいる。老犬だとおっしゃった
が、とても可愛いラブラドール犬で、スイスの都市の名前がついている。僕は犬
が大好きだから、家の門を出る時に吠えられたが、どうしても挨拶をしたくて用
事を済ませてから帰り際、隣家に立ち寄ってワンちゃんにさっき挨拶をした。
 ところが、引越しをして間もなく気がたっていたのだろう、迂闊(うかつ)に
も噛まれてしまった。左目の下に一ヶ所と右手首に二ヶ所である。水道ですぐに
洗ってバンドエイドをあてた。かなりの出血で驚いたが、幸い急所は外れたよう
である。ポコンと穴があいた。
 顔の傷はどうなるかなぁ。凄みがでてくれば、、、。手首はまだ痛い。

 そこで狂犬病のサイトである。日本では狂犬病が発症した例は1956年以来な
い。従って、日本には実質的に狂犬chien en rageはいないことになる。狂犬病
というが、犬だけが感染源ではない。猫や蝙蝠(コウモリ)などからも感染する
らしい。この病気に血清を作ったのはパストゥールである。

 右手首が腫れてタイプが打てなくなってきた。どんなワンちゃんにも好かれる
という過信のなせる業で反省しなければならない。左内腿には、幼稚園の時犬に
噛まれた痕がまだ残っている。飼主さんには過失責任があるだろうが、僕にもこ
のワンちゃんの落ち着かない精神状態が読めなかったのだから、医者には行きた
くない。行けば、どうも区の保健所に届けられるかもしれない。そしたらワン
ちゃんに被害が及ぶ事態もあらん。それは避けたいなぁ。

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4.Edith Piaf
  Je me souviens d'une chanson
    Paroles: Felix Marten. Musique: J.-P. Moulin   1958

この曲の一部を次のサイトで聞くことができる。
http://www.alpha-musik.de/6010234.html

Je me souviens d'une chanson,
D'une chanson quand on s'aimait.
Elle disait, cette chanson,
Des mots d'amour.
Je me souviens d'une chanson,
D'une pauvre chanson d'amour
Qui m'a fait pleurer, pleurer
Quand on s'aimait...

愛しあっていた頃の 歌を思い出す その歌は恋の言葉を語っていた 歌を思い
出す 恋の哀れな歌を 涙さす 涙さす歌を

Une guitare a reveille
Une chanson presqu' endormie.
Tu reviens, tu me fais rever,
Chanson d'amour en Italie.
Douce guitare, tendre memoire,
Raconte-moi la vieille histoire,
Belle comme l'amour
Au premier jour,
Comme un coeur
Au premier bonheur.

ギターが殆ど眠っていた歌を目覚めさす あなたが帰ってくる 夢をくれる イ
タリアの恋のカンツォーネ 優しいギター 甘い想い出 話してちょうだい 古
の物語を 恋のように美しい物語を 初めて知った日 熱いハートのように 初
めての幸せ

au premier jour クラウン仏和辞書では「近日中に、機会があり次第」とあっ
たが、そのような用例がPR1にもTLFにもない。

Je me souviens d'une chanson,
D'une chanson quand on s'aimait.
Elle disait, cette chanson,
Des mots d'amour.
Je me souviens d'une chanson,
D'une pauvre chanson d'amour
Qui m'a fait pleurer, pleurer
Quand on s'aimait...

愛しあっていた頃の 歌を思い出す その歌は恋の言葉を語っていた 歌を思い
出す 恋の哀れな歌を 涙さす 涙さす歌を

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5.忘れられたフランス人
  Jean Fouquet
  http://expositions.bnf.fr/fouquet/

 先週レマルクの小説「凱旋門」に出てくるシャンゼリゼのレストラン「ル・
フーケLe Fouquet's」と書いたところ、読者の方から、Le Fouquet'sは「ル・
フーケッツ」と読む筈だとご注意をいただいた。
 Fouquetは、フケ(またはフーケ)と読むのは間違いない。しかし、Fouquet's
はいわゆるanglicisme(英語的言いまわし)である。僕は、いままでフーケと読
み、「t's」を発音上、無視してきた。そこで、フランス語圏の人にどう読むの
か訊いてみた。まちまちであった。それならばと、ネットで出ていたLe
Fouquet'sのホーム・ページにあるe-mailアドレスに質問状をだした。すると、
回答は「フーケッツ」であった。
 そうなのか。シャンゼリゼにあるちょいとスノッブなレストランだから英語風
の発音をするのだなと分かった。
 しかし、これは拙い。なぜならフーケは人名と考えられる。ならば、英語風に
発音したところで、「フーケズ」となるべきであって、「t」が発音されるのは
納得できない。要するにchez Fouquetとなるところを英語風綴りでFouquet'sと
したに違いないのだから。そいういことを説明して、Le Fouquet'sに「しかし、
その発音はFouquetという名を冒涜している。英語読みはすべきではない」と抗
議のメイルを出した。ま、今度は返事がきていない。

 フーケという名前で有名なフランス人は少なくとも二人いる。一人はJean
Fouquetで、15世紀最大の画家である。この画家の展覧会が今年3月から国立図書
館BNFで開かれている。もう一人は17世紀太陽王ルイ14世の大蔵大臣Nicolas
Fouquetである。ニコラの栄光と没落(ルイ14世に捕らえられて終身刑)は王こ
そが絶対的権力を握っている証左であった。
http://www.histoire-en-ligne.com/article.php3?id_article=178

 僕は、印象派よりもジャン・フケのような絵が好きである。BNFのサイトでは
肖像画、宗教画、有名なミニアチュア等殆ど全ての作品を鑑賞することが出来
る。

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6.あとがき

 先週9月1日にサーヴァーがFFNからDTIに変わったことは報告したが、このため
ルーターの設定を変更せねばならず(家の中でLANにしている為)、これはDTIが
助けてくれて無事ネットに繋がるようになった。ところが、ライコスからホーム
・ページ(HP)のサイトがインフォシークに変わった。これは、パスワードで梃
子摺りFFFTPでファイルをアップロードできなくなり、それが解決したと思った
ら、インフォシーク側でパスワードが認識できず、そうこうしているうちにもと
のライコスが繋がるようになってHPを更新できることになった。そのためHPの実
際の更新は1日の23時半になってしまった。本誌はホーム・ページで見たほう
が、引用されているURLを直ぐにクリックできるし、体裁もいい。しかしHPのア
ドレス(URL)は、ライコス(トライポッド)から、
http://members.at.infoseek.co.jp/davidyt/hebdofrance.index.html
となっている。HPを参照されてる読者の方々には、僕の不手際もあり、大変ご迷
惑をおかけしました。深謝申し上げます。
 ISPにせよ、無料サイト提供会社にせよ合併や廃業の動きが激しい。TOB(買
収)が盛んというよりも、インターネットの商売が儲からない、難しいというこ
とだろう。

 先週水曜日、今夏の猛暑の犠牲者となったパリの老人の内、引き取り手のな
い、つまり身寄りのない人々の埋葬が、市郊外の墓地に埋葬された。老人のこと
を今時はles vieuxとかles vieillardsとか云わなくなっているのは日本もフラ
ンスも同じ。このことについては別途改めて書く。
 この日の葬儀にはシラク大統領、厚生大臣、パリ市長等が出席した。シラクは
猛暑の犠牲者についての対応で批判されているので、ジャーナリストとの接触を
避けた。
 成人してからの親兄弟姉妹との交流は、都会でもフランスやヨーロッパの方が
あると僕は思う。けれども、57名の犠牲者に身寄りがなかった。これら犠牲者達
が姥捨て山の如く親類縁者から忘れられたというわけではない。フィガロ紙など
の新聞ではそのように書いていたが。
 もともと兄弟姉妹が少なく、また友人たちも亡くなってしまったとすれば、最
期の行き場も限られていたことだろう。合祀されたのではなく個々の犠牲者の墓
が用意された。後になって身寄りが見つかれば引き取られるのだそうだ。当局
は、メディアや特別な問い合わせ受けつけ部門を作って縁者を探したという。
 同日のル・モンド紙では。一人一人をよく調べればもっと身寄りが見つかった
のではないかと警察や市当局を批判している。犠牲者の幾人かを調査してみる
と、フランコ政権から亡命してフランスで働いていたスペイン人の場合、遺留品
からスペインにいる家族に連絡できたはずであり、別の老人は献体を申しこんで
いた事実が判明している。確かに一人暮しを頑(かたく)なに守り通そうとする
老人もいる。しかしその例はそんなに多くない。
 ここで、既述だがルーマニアから亡命してきた友人ゼニアのことを思い出し
た。彼女も一人パリで亡くなった。彼女の部屋にはルーマニアに残された親戚達
のために買い集めた衣類が山と積まれていた。独裁者チャオチェスクが殺される
前のことである。自由になった祖国を知らずにゼニアはこの世を去った。僕は既
にパリを出て外国にいた。共通の友人シモーヌが全てを取りしきりルーマニアに
も知らされた。だが、亡骸はパリに埋葬された。人の運命は様々である。過去を
語りたくない、知られたくない人もいる。しかし、人の尊厳digniteは、やはり
守りたいものである。

 イラクへの自衛隊派兵について先週書いた。これに読者からご批判をいただい
た。しかし、誤解があるようなので、ここで趣旨を説明する。

「危険地域、戦闘地域だから自衛隊を派兵しないと言うのはおかしい。危険地域

から軍隊を送るのであって、危険でないところなら民間人で良いのである。僕は
派兵そのもの、日本の軍隊の海外派兵そのものに反対であるが、戦闘地域だから
派兵しないという誤魔化しは、日本の平和憲法が戦闘行為を禁止しているからと
いう誤魔化し、自衛隊は軍隊でないという誤魔化しと同様笑止である。海外派兵
をしないということを、アフガニスタンで既に犯していることを誰も認識しよう
としない。そこで既に戦闘行為に日本は入ったのである」と、こう書いた。

 この文章は先ず最愛の我が読者に宛てたものであるが、読者が「戦闘地域だか
ら自衛隊を派遣するな」と主張しているだろうということではない。ただ、政府
も、イラク派兵に致し方ないと消極的に賛成した側も、その後のイラク情勢から
「自衛隊に犠牲者がでる、自衛隊が戦闘に巻きこまれるから、派遣を見合わせよ
う」などと主張するかに見えるのは、自己矛盾ではないかと指摘したのである。
その危険地帯に派遣しない、戦闘行為を行わせないという主張に日本国憲法を持
ち出すのも、また、歯止め論として憲法を持ち出すやり方にも反発するのであ
る。憲法改正をうたう自由民主党を中心とした政府が、あたかも平和憲法を守っ
ているがごとき発言が容認できないのである。その昔、「自衛隊は軍隊ではな
い」と言った首相がいたが、それと同様我々を誤魔化す言動であると言いたい。

 「日本の平和憲法が戦闘行為を禁止しているから」という政府、防衛庁長官発
言は、その裏に「今のところ、戦闘行為に入るのは世論をまだ自分たちの都合の
いいように誘導出来ていないから具合が悪い、だから憲法で禁止されているから
出来ないと言っておこう」という誤魔化しがあると見るのである。

 アフガン戦争で日本は既に戦争に参加しているというのは、de factoであり、
また国際法上は、日本政府やマスメディアが「後方支援」だから戦争をしていな
いというけれども、de jure、戦争に直接関っている行為とみなされる。アフガ
ニスタンやイラクには、事実として飛行機を飛ばし、ミサイルを発射して日本の
軍艦を攻撃する能力がなかったというだけのことだ。日本の軍艦がインド洋で沈
没させられたとしても、「参戦していないのに汚い」などとは日本はとても言え
ない。
 従って、事実として参戦しているから憲法がどうあれ、もはや、しのごの言わ
ず自衛隊を派遣してしまえというのが僕の主張では勿論ない。
 日本の置かれた対参戦という状況を、憲法を守る側も、平和を願う側もきちん
と認識して欲しいということだ。

 「アフガニスタンで既に犯していること」とは「参戦」であって憲法解釈では
ない。憲法以前に、個人の選択としての平和主義、非戦の確固たる意思がなけれ
ば、憲法が改正されれば貴方の平和愛好は崩れてしまうぞ、という僕の、これは
特に自称護憲派の方々にたいする、なまいきなことを言えば警告である。
 「アフガニスタンで既に犯していることを誰も認識しようとしない」とは、僕
だけが認識しているという意味ではなく、本誌の読者は既に僕がアフガン参戦に
ついて主張していることをご存知である筈で、「誰も認識しようとしない」と
は、日本が加害者となっていることを多くの人に知っていただきたいということ
である。読者の方々はそれを知ろうとしないといっているつもりは毛頭ない。

 ここで付加えるなら、USAはどうも国内選挙対策もあって、国連にイラク統治
を肩代わりさせようとしているが、これもよほど注意しなければならない。朝鮮
戦争、ベトナム戦争は、必ずしもUSA軍が戦ったのではなく、USA軍を中核とする
国連軍が戦った戦争である。国連中心外交も、ひとたび誤れば現在以上の戦争を
引き起こす可能性がある。国連加盟国の多数が、安全保障理事会の多数が賛成す
れば日本もそれに乗っかって戦争しても良いというわけにはいかない。

 先週、青山でWFP(World Food Programme)とNGOジャパン・プラットフォーム
(Japan Platform)共催で外務省後援になるタウン・ミーティングに参加した。
 ジャパン・プラットフォームは、本誌111号(2002年2月11日号)で書いたよう
に田中真紀子外務大臣の折り問題となったピースヴィンズが加盟しているNPOで
ある。
http://members.at.infoseek.co.jp/davidyt/log111.htm
 WFPは「国連世界食糧計画」と訳される。本部はローマ。日本にも支部があ
る。
http://www.wfp.org/index.html
 日本はここの第二のドナーで120億円以上拠出している。従って政府代表が二
人も来て演説をした。外務省の役人は「我が国は、、、」と言い出した。堪らな
いね、こういう精神の持ち主は。タウン・ミーティングだが、会場からの発言は
いつものように時間がなくごく限られた人だけが許された。僕には番が回ってこ
なかった。しかし、有難いことに外務省の後援のお蔭であろう、多くの大使が参
加していたこともあろう、階下のレストランでレセプションが持たれた。無料で
ある。そこで、WFPの人に質問をしてみた。
「会場でアフリカの国にトウモロコシの種が配られていたが、袋にはUSAと大書
されていた。あれはOGM(英語はGMO、遺伝し組換え)トウモロコシではないか。
WFPはその辺のコントロールをしているのか」
「推察の通り、OGMトウモロコシである。援助してくれるものに文句は言えな
い」
 回答してくれたのはさるアフリカの代表である。「それでは、アフリカでUSA
は人体実験をしているに等しいではないか」とつっこんだが、代表は肩を竦(す
く)めるばかりであった。

 現在WFPはイラクで大量の食糧援助をしている。緊急プログラムだそうだ。イ
ラクは放っておけとは云わない、けれどもアフリカにはそれ以上に緊急な国がい
くらでもある。イラクはやがてその石油で援助を受けた食糧の代金を払ってくれ
るかもしれない(想像するに大部分はイラクのクルド難民に援助しているのであ
ろう)が、プライオリティーを間違っていやしないかと危惧される。

 平和と人道主義に燃えて国際機関に就職したいという若者達が日本にも少なか
らずいる。しかし、彼等がその情熱を保つことは如何にも難しいということであ
る。欧米で高い学歴を得た第三世界の人々は、国際機関にうろうろしている。子
供を欧米に留学させて、機関内部のポスト配分のことだけを気にしている。多く
の日本の国際官僚も似たり寄ったりなのだ。だから、こうした会議の演説はまさ
に美辞麗句に過ぎない。「パローラ、パローラ」である。僕は、その日出席して
いたWFP事務局次長(ベルギー人)の周りで話していた日本の比較的若い国際官
僚たちに反吐をもよおした。内容が全て分かってしまったからである。
 若者よ、世界をみたいなら初志を忘れないで欲しい。

 この日のタウン・ミーティングにネットを見て来てくれた数人の大学生達に
Attac Japonの運動について話した。トビン税のこと、組織のデモクラシーとは
と、シャンパン(安いスパークリング・ワインではなかったようだ、流石外務
省)の勢いで口角泡を飛ばして話してしまったが、どれだけ賛同してくれたかわ
からない。

 来週の日曜日9月14日、藤沢で「湘南科学史懇話会」がる。今回の講演者は中
本正一朗さん。気象学学者である。「気象予測モデルに海洋生命を考慮しよう」
というユニークな学説。数学の弱い僕たちにも分かるように講演していただける
そうだ。僕にも会える。皆さんが、僕に会ってみたい、あの独占的な野郎はどん
な奴だと興味があらせられればのことである。僕の方は読者の方々といるもお会
い出来るのを楽しみにしている。講演の後に懇親会もある。

donc, a bientot,
mes cheres lectrices et chers lecteurs !

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