メルマガ:週刊フランスのWEB
タイトル:hebdofrance 21072003  2003/07/21


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                              Davide Yoshi TANABE
                                 vous presente

              ≪週刊フランスのWEB≫
                    第181号
                                          Tokio, le 21 juillet 2003

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Index (目次)
        1.隕石
        2.羊皮紙
        3.シャンソン ピアフ 「心から踊った」
        4.忘れられたフランス人 メルセンス「素数」
        5.あとがき

フランス語のサイトの文字化けは
表示>エンコード>西ヨーロッパ言語の順で選択すれば修正することができま
す。

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1.Meteorite
  http://perso.wanadoo.fr/pierredelune/

 隕石、meteorite、英語読みすればメテオライトである。このテーマについて
はかなり前から本誌用に用意していた。だが、どう書こうかと思案しているうち
に、土曜日の「地球に好奇心」(NHK BS2 )で「隕石ハンター」を見た。
 隕石コレクションがアメリカで盛んになり、世界中から隕石を探してくること
がビジネスになったというのである。コレクターが広がれば商売になる。根付
(ねつけ)だろうが絵画だろうが同じことである。
 TV番組でアメリカ人が主として隕石の買付けをしていたのが、モロッコであっ
た。アルジェリアとの国境の町といっていたから、ウジダOudjdaであろうか。僕
も列車や車で何回か通った街である。
http://perso.wanadoo.fr/boufarik/PAGES%20VILLE%20%20OUEDJDA.htm

 アルジェリアのサハラ沙漠は隕石の宝庫なのだそうだ。アメリカ人はアルジェ
リアに入れないという。80年代にアルジェリア=アメリカは国交を回復した筈だ
から、90年代に入って再び国交断絶したのかも知れないとおもった。が、現在相
互の大使館が開設されているようだから、単に入国Visaだけの問題と考えられ
る。いずれにせよ、モロッコ側の沙漠からアルジェリア側に越境して隕石を探し
ている映像があったから、「隕石ハンター」たちは不法侵入もしたに違いない。

 ウジダで取引された隕石はサハラ沙漠からのものに違いない。とすればこれは
密輸入contrebandeに間違いない。砂漠に落ちていた、天から降ってきた石だか
らいいではないか、ということは出来ない。遺跡で発掘された品々も欧州や日本
の博物館に沢山所蔵されている。これもおかしいことだが、隕石だって勝手に持
ち出されたアルジェリアとしては心外であろう。それに、隕石を持ちこんだモ
ロッコのディーラーに対して「隕石ハンター」が買い付けネゴをするのである
が、これがまた、まるで詐欺である。アメリカやヨーロッパに販路をもたないモ
ロッコ人相手に、値を叩いて、それでもモロッコの物価や人件費からすれば高値
だというだろうが、騙しである。スーク(アラブの市場)で絨毯の値段交渉をす
るのとは訳が違う。番組では、800万円相当の投資(アメリカからの航空運賃、
現地モロッコのホテル代金、レンタカー代金、隕石購入等)に対して1000万円以
上の利益があったという。モロッコ人に騙されるリスク、隕石の質は裁断してみ
ないとわからないというリスクを勘定にいれても、適正な利益とは見なし難い。
隕石売買をビジネスにした既得権などといっても「美味い汁」で、これが商売の
本質とするなら、商売commerceとは、詐欺である。僕にはとても出来ないから、
僕には金がないということになる。
 そして今少し飛躍するなら、自由競争市場とは全てを金に還元する、やはり
「騙し」の世界なのである。

 サイトはフランスの隕石の町、ロチュシュアールRochechouart、陶器で有名な
リモージュの近くの小さな町にある、これも何回も本誌に登場したアソシアシオ
ン(NPO)の運営する、隕石によるいわば町興(おこ)しのものである。

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2.parchemin
  http://www.terebenthine.com/histoire/parchemin.html

 羊皮紙というと読んで字の如し、羊の皮を使った紙にちがいない。実際は羊ま
たは山羊の皮を用いている。
 フランス語のパルシュマンはしかし字の如しとはいかない。はじめ、僕も
par-cheminとはなんだろうと思った。cheminは「道」のことだしparは「...に
よって」という前置詞だから意味が不明である。どこぞを通ってフランスに伝え
られたのかと思った。ところが、このパルシュマンの語源がギリシャのペルガメ
ネであり、道cheminとは全く関係がないことを知って驚いた。ペルガマネとは
「Pergameの」ものということでPergameは今日の小アジアの町ベルガマBergama
だそうである。羊皮紙がここの特産だったのだろう。

 羊が殆どいない国、日本では羊皮紙といったって、「あぁ、そうかな」と思う
くらいで、牛や馬ではどうしていけなかったのだろうとも思うまい。家畜として
羊がもっともポピュラーである中東やヨーロッパがそれでは理解できない。聖書
でもコーランでも羊のことが沢山出てくる。

 羊の皮を利用して文字を書いた。パピルスpapyrusの歴史はあるものの、ヨー
ロッパが紙を知るのは勿論中国からであり、シルクロードを通ってアラブ、従っ
てスペインにそしてイタリアに入るのは11世紀のことである。

 羊皮紙は、その製法が若干ことなるが、今日でも作られている。その製法を次
のサイトで見ることが出きる。ヨーロッパでも珍しいという「羊皮紙博物館」で
ある。場所はボルドーの南東に位置するLot et Garonne県。
http://www.museeduparchemin.com/

 今回、羊皮紙をテーマとした動機は、ある衒学的な日本の学者が「古代ギリ
シャ語にパリンプセーストンという言葉がある。元の字句を消した上に字句を再
び起こした二度書きの羊皮紙のことをいう」とあったからである。このパリンプ
セーストンとは要するに現代語でいえば、コンピュータでよくつかう「上書き」
のことである。ま、フランス語で「上書き」というのは実は面倒で普通
superpositionとかreecriture avec effacement(消してもう一度書く)と訳し
ている。英語は単純にoverwrite。しかし、フランス語では羊皮紙に書かれたも
のを上書きする場合、パランプセストpalimpsesteと単語がちゃんとある。特殊
な用語には違いなく「上書き」の仏訳には使えない。ラテン語のパリンプセスト
スpalimpsestusからきているから、イタリア語、フランス語、ロシア語などの文
章で使われていても不思議ではない。何も「古代ギリシャ語に」などともったい
つけて云われるほどのことはないのである。英語でもpalimpsestという。フラン
ス語にはギリシャを語源とする言葉はごまんとあるあるから、上記の書き手の訳
をフランス語にすれば笑われるだけである。
 
 詩人ボードレールが1846年この言葉をつかって書いたエッセイがあるのであげ
ておく。
http://www.bmlisieux.com/archives/lejeune.htm

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3.Edith Piaf
  J'ai danse avec l'amour
    Paroles: Edith Piaf. Musique: M. Monnot   1941

{Refrain:}
J'ai danse avec l'amour.
J'ai fait des tours et des tours.
Ce fut un soir merveilleux.
Je ne voyais que ses yeux si bleus,
Ses cheveux couleur de blond.
Lui et moi, que c'etait bon.
L'amour avait dans ses yeux
Tant d'amour, tant d'amour,
Tant d'amour, d'amour.

わたしは心から踊った 踊りに踊った 素晴らしい夜だった 彼の目しか ブロ
ンドの髪しか見ていなかった彼とわたし しあわせだった 愛は彼の目にあった
 愛がいっぱい 愛がいっぱい 愛がいっぱい 愛が

Lui et moi contre lui,
Au-dessus la nuit,
Tournent dans le bruit.
Moi, n'osant pas parler,
Le corps bouscule,
J'etais admiree.
Lui, la musique et lui.
Partout l'amour, partout la fievre
Et nos corps frissonnants.
Moi, la musique et moi.
Partout ses yeux, partout ses levres
Et puis mon coeur hurlant.

彼によりそって 夜のとばりに喧騒 わたしは言葉もなく 身体はもみくちゃに
され 注目を浴びた 彼 音楽と彼 愛に満ちて うかれて 身体がふるえる 
わたし 音楽とわたし 彼の眼差(まなざ)しにつつまれて 彼の唇に覆(お
お)われて そしてわたしの心が叫ぶ

{Refrain}

駄作だなぁ。

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4.忘れられたフランス人
  Marin Mersenne 1588 - 1648
  
http://www.sciences-en-ligne.com/momo/chronomath/chrono1/Mersenne.html

 本誌でお馴染みになってしまった「湘南科学史懇話会」、その代表の猪野修二
さんが「湘南のメルセンヌ」と言われるにいたったそうで、そのメルセンヌとは
何者ぞやということで取り上げることとする。

 マラン・メルセンヌは坊主(聖職者)である。イエズス会、ドミニコ会は学問
の盛んな宗派として有名だが、メルセンヌはイエズス会に属していた。貧しい家
に生まれたそうだから、学問を続けて行くには教会に入るしかなかったろう。近
代以前の学者には聖職者が多いが、守備範囲も広い。メルセンヌもその例外では
なく、神学は勿論、数学、哲学、科学一般、医学、天文学、音楽理論等である。

 パスカルやデカルト、ガリレオとの書簡による学問の展開はつとに有名であ
る。ガリレオ理論の翻訳をフランスで初めて刊行して、コメントも付けている。
しかし、聖職者であるから、当時の教会から自由になろうとしたリベルタンに対
しては激しい攻撃を加えたようである。

 数学者としての今日的意味は、二進法で動くコンピューターで生きかえったメ
ルセンヌ素数であろうか。素数1のnombres premiersというのは要するに2で割切
れなくて、その数でしが割れない数と思っていたが、メルセンヌは次のように定
義した。
「2のp乗-1」即ち「ある数n=2のp乗-1が素数であれば、pは素数である」
僕がわからないのは、pが67、257の場合のnを素数とメルセンヌが認め、p=
61、89、107を素数とは認めなかったらいいのだが、それがどうしてかというこ
とである。ま、僕の「算数」の知識ではいかんともし難いので、読者の判断に委
ねることとする。

 なお、新しい素数を発見する競争が今も行われていて、コンピュータを使って
何日も何週間も計算して答えを出して発表しているサイトがある。
http://www.mersenne.org/
nは400万桁以上だというから、ちょっと手書き計算では無理ですね。

ちなみに、関連のフランス語を上げると、整数monbre entier、偶数pair、奇数
impair、上記のp乗はpuissanceの略。2の67乗ならdeux puissance 67と読む。

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5.あとがき

 維新政党「新風」なるところから、メイルで「入党せよ」と来た。
http://www.shimpu.jpn.org/
冗談でしょう!僕は共和国、天皇制廃止論者ですよ。いくら既成政党の悪口を
言っても、右翼の政党なんかに入る分けない。もし本誌を読んでの入党勧誘な
ら、その人は、全く日本語を解しない輩に違いない。講師にだってなる気はない
なぁ。見てくださいよ、講師団。名を連ねるだにおぞましい。
 ま、件名がなかったから、これは一種の迷惑メイルだっただけかもしれない。

 Edward Morgan Forster「インドへの道、原題A passage to India、フランス
語題 Route des Indes」(小野寺健訳)を読んだ。長い。極めてプルースト的
文体と見えた。時代も時代でプルーストの影響も実際あったようだ。実体験を踏
まえたインドにおけるイギリス支配階層とインドのインテリ階層、インドの中の
イスラムとヒンズーまたカーストなどテーマは重いが、ストーリーは単純ともい
える。しかし、1924年にこうした小説を書くのには相当な勇気がいった筈であ
る。読み方はいろいろあるだろうが、はっきりと植民地政策、植民地主義を批判
したのは流石である。ただ単に「Noblesse oblige」ではないところに、傍観者
以上のものを感じるのである。
 ひるがえって日本が植民地化した朝鮮、台湾、中国(山東省や満州等)に行っ
た作家達は何を見たのか、考えたのか、どうも「インドへの道」に相当する作品
が一つも書かれなかったと言われている。僕が知らないだけかもしれないので、
もしご存知なら是非ご教示お願いします。

 加藤周一「消えた版木 富永仲基異聞」を、片手間に読んだ。冗長。戯曲草稿
とあるが、草稿なら発表しなければ良い。僕としては「羊の歌」の加藤周一であ
るし、初めての戯曲だというから期待したが、前進座で実際上演された時は相当
に削ったと思われる。登場人物に性格がないので、結局一人芝居と同じことで、
小説として書いても、これなら失敗作であろう。曽根崎の場面があるが、想像上
の人物(女性)を創造したところで、名前をつけていない。ただ「女」とあるだ
けだ。仲基の母には名があるが、妹にはない。どうせ創造するなら名をつけるべ
きである。語られる言葉もおかしい。仲基は難波(なにわ、大阪)の人である。
なにわ言葉で書く必要がある。加藤がそれを知らないなら戯曲として書かないほ
うがいい。
 思想統制のあった戦中に、マルクスのことが書けないから、白石や宣長、蕪
村、仲基のことを書くというのもわかる。しかし、仲基を戯曲にした現代的意味
が何なのか加藤のこの作品では全く見えてこない。ただ、日本にも、こんな独創
的な学者がいたのだ、といいたいなら、ナショナリズムをくすぐってお仕舞だ。
 仲基その人の一生は大変興味深い。思想が独創的だったというのもわかる。仲
基については司馬遼太郎がしばしば書いている。まとまった作品は残念ながら残
されなかったようだが、司馬遼太郎なら、もっと生き生きとした仲基像を小説に
していたろう。

 「petit angel」だって!英語とフランス語の合成だけれど、これが渋谷で誘
拐された子供たちが誘われた秘密クラブだという。しかも、幼児売春。少女買春
のための。某弘太郎は自殺したらしいが、背景には必ずや暴力団がいると思われ
る。暴力団なしでこうした仕事をすれば、暴力団が目をつける。単なる少女誘拐
ではなく、捜査はそこまでメスをいれなければ、意味がない。ところが、警察は
セクショナリスム。どこまで、事件を解明するか。しかも、暴力団と警察は馴合
いが多いようである。

 レオン・トロツキーというロシアの革命家がいる。この人の思想が今、注目さ
れ復権しているのだそうだ。トロツキストというのは、特に日本で「内ゲバ」な
どの闘争で評判を落としたと聞いている。僕はその頃を知らない。僕にはトロツ
キストといってもアレルギーはない。それは昔、ドイッチャーという英国(だと
おもったらポーランドだそうだが)の歴史家が書いた長い長い「トロツキー伝」
を読んでいるからだ。ドイッチャーによれば、スターリンに蹴落とされた悲劇の
英雄として描かれていた。
 そこに書かれていたトロツキーは、正直僕の好きなタイプの思想家、革命家で
ある。しかし、「生きているトロツキー」(佐々木力著、東京大学出版会、
1996)などを読むと不毛な論争を仕掛けている。「本当のトロツキーはこうなん
だ」という書き方は、宗教と同じなのだということが解らない人が書いている。
「トロツキーはレーニンとどれほど近かったか」、「スターリンは如何に汚い手
をつかったか」なんて、ドイッチャーで言い尽くされている。マルクスの思想を
「本当に」体現したのがトロツキーだ、トロツキーは前衛芸術にも理解があった
等々擁護しても、擁護すればするほど新しい教祖となるだけではないか。
 歴史学者としては、トロツキーがどのように解釈されて、フランスで、アメリ
カで、そして日本で機能したかを分析、その理論の内在的意味を解釈してみせな
ければならない。トロツキーについて誤った解釈がなされていたなら、何故そう
なったかを示さねばならない。馬鹿だから、単純だから、短絡だからでは分析し
たことにならない。不毛だなぁ、と思うばかりである。

 同じことが上記にあげた加藤周一にもある。「消えた版木」に続いて湯川秀樹
との対談が載っていた。全くこれは対談ではない。「図書」という岩波の冊子の
ためだろうが、二人で、インテリといわれる二人で話しているとは考えられな
い。対話ということが何か全然わかっていない。これは湯川か加藤が一人で話し
ていても同じことなのだ。富永仲基の「加上」と「くせ」について語り合うのだ
が、ここでは前段のトロツキーが富永仲基になっただけのことで、まともな仲基
批判なんかできないのだから、お粗末な対談である。それは仲基が非独創的だと
いえ、ということではない。トロツキーが「負け組」だということではない。
 
 アメリカのプリンストンで(佐々木力)、パリやシアトルで(加藤周一)で
「対話」ということの訓練を受けたはずの、現代日本の「知」を代表すると思わ
れる人々がこれだから、建設的・前進的論争がこの国にはないのである。それ
は、学問の領域においてすら民主主義が働かない、芸術(文学)においてもしか
りという呆れた状況を示している。建設的・前進的論争とは、「対話」を通し
て、妥協ではない、新しい真理を発見しようという営みのことである。

 日曜日Attac Japonの例会があった。ここでも同じで、あるいはpire(もっと
悪い)で、仕方ないから、僕が率先してこの組織に学術部会を作るといってし
まった。さて、どうしようかなぁ。

 フランス語メイリング・リストで「日本好き」のフランス人のメンバーをやり
込めてしまった。しかし、一方で素晴らしいフランス人(スイス人、カナダ人か
もしれないが、フランス語が共通語であった)もいた。この話を来週寄せること
とする。
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