メルマガ:週刊フランスのWEB
タイトル:hebdofrance 09062003  2003/06/09


★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

                              Davide Yoshi TANABE
                                 vous presente

              ≪週刊フランスのWEB≫
                    第175号
                                          Tokio, le 9 juin 2003

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

Index (目次)
        1.スペクタクル社会
        2.アダムに臍(へそ)があったのか
        3.シャンソン ピアフ 「男は歌った」
        4.忘れられたフランス人 ベシュレル兄弟 「近代フランス文法」
        5.あとがき

フランス語のサイトの文字化けは
表示>エンコード>西ヨーロッパ言語の順で選択すれば修正することができま
す。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
              
1.Societe du Spectacle

  先ず、「スペクタクル社会」という翻訳であるが、これはsociete de
consommationの訳である「消費社会」というのとは、ちょっと違うようだ。フラ
ンス語ではスペクタクルと社会とが「du」で結ばれていて「de」ではないことに
注目したい。duはdeとleの短縮形であるからスペクタクルに冠詞がついているの
である。消費社会の方はde la consommationとはなっていない。この違いに、社
会の分析に際して、「スペクタクル社会」と「ある社会」に名を冠したギ・ドゥ
ボールGuy Debordの意図があると考えられる。石田英敬東京大学教授は「劇場化
社会」と括弧で訳していた。最近、といっても去年の3月のことだが、パリ大の
ジルベール・アシュカルGilbert Achcarがその著「Le choc des barbaries」の
中で「世界規模のスペクタクル社会societe du spectacle mondial」として湾岸
戦争、9月11日テロなどのメディア報道について書いているようだ。

 過日、アシュカルの論文「少しがっかりしている反戦運動の活動家への手紙
lette a un militant antiguerre passablement deprime」(「状況」、状況出
版、湯川順夫訳)のコピーをもらったので、原文をネットで探して読んだ。
passablementは「少し」ではなく「plus qu'un peu, assez」だから少しどころ
ではないわけで「かなり落ち込んでいる」となろう。2003年4月14日とあるから
最近のイラク攻撃後までが書かれている。全文を次のサイトで見ることが出来
る。
http://www.alencontre.org/page/page/news/irak58.htm
これも、ま、「スペクタクル社会」のひとつの証言ある。

 それはそれとして「スペクタクル」には二重の意味があると思われる。日本で
の論調、Debordの引用のされ方を見ていると、どうも各自捕らえ方がちがうよう
だ。僕の感触では「スペクタクル」は、先ず「真実、現実を隠蔽する虚構
illusion」、次に「社会への参加の主体」乃至は「参加の拒絶」の問題がある。
とくに後者「参加の拒絶」は深刻なのではなかろうか。一体、社会への参加主体
は誰なのか。民主主義が虚構化されてはいないか。

 Debordは自らSociete du spectacleを書いた理由に「スペクタクル社会にとっ
て障害となるように、dans l'intention de nuire a la societe
 spectaculaire」とその第3版の「警告avertissement」で書いているようだか
ら、分析というよりは活動家militantの挑発書なのである。

 社会を、世界を構成する我々が、もはや個人として主体ではなく、単なる観客
spectateur/spectatriceでしかなくなるとき、民主主義は幻想と化してしまう。

 日常のTVから流れるニュース、僕たちは、それが如何に選択され、どのように
脚色されたものであるか常に疑ってみなければならないのである。
 僕たちの生活する社会が受けているグローバリスムの洗礼とは、あらゆる生活
の部面でスペクタクル化されていることを認識しよう。

 ところで、「スペクタクル社会」の全文を提供してくれた次のサイト、
http://sami.is.free.fr/oeuvres.html
は、Gallicaなど他のネット上の仮想図書館bibliotheque virtuelleと同様、と
ても役立ちそうである。またこのサイトの提供者Sami Kitar(多分アラブ的偽名
であろう)の反著作権主張に同感した。まさに、InernetはSociete
spetaculaireに対して、文化の主権者としての個人の復権を許す道具たる機能を
もつ可能性があると思う。
====================================
2.Adam avait-il un nombril ?
  http://blaguissima.free.fr/questions.htm

 「アダムにお臍(へそ)があったか」なんて、こんな質問を教会でしてはいけ
ない。サイトはこの種のクェスチョンを集めたもの。いくつ笑うことが出来たろ
うか。
「同義語の同義語は何?」、
「何で神風(特攻隊)はヘルメットをしたの?」、
「どうして死刑囚の針を消毒するのか?」、
「何で略語abreviationという単語は長いのか?」
「スーパーマンがそんなに賢いなら、なんでズボンの上にパンツなんか
 はいているの?」

 「アダムにお臍(へそ)があったか」というのは、アダムが地球上の最初の人
間で、神から作られたとすれば、母親から生まれたわけではないから、きっと臍
がなかったのではないかということで、笑い話である。しかし、ある種の哲学が
ある。真面目に考えても面白いのかもしれない。本当の解答は、やはり冗談を
もってするべきなのであろう。それがエスプリというものだ。

====================================
3.Edith Piaf
  Il a chante
    Paroles: C.Didier. Musique: Marguerite Monnot   1948

Il est venu pour la moisson.
C'etait un fort et beau garcon
Aux yeux calins, aux levres dures.
Tout en moissonnant, il chantait
Et, dans sa voix, l'on entendait
Toutes les voix de la nature.
Il a chante le clair printemps,
Les oiseaux, les pres eclatants,
Les taillis verts, les fleurs nouvelles.
Le soir, pour les gens rassembles,
Il a dit la chanson des bles
Dans la fausse courbe des Javelles.

刈り入れの時にやって来た がっしりしていい男だった 優しい目をして 口の
引締まった男だった 刈り取りながら 男は歌った その声のなかに やおおろ
ずの声をきいた 男はあかるい春を歌った 鳥たちを 輝く草原を 緑の雑木林
を 新しい花々を歌った 夜 集った人々に 麦藁(わら)の中に腰掛けて 麦
の歌をうたった

fausse courbeは具体的に不明。まさか数学の曲線ではあるまいし。

(この続きは来週とします、ご了承ください)
Il a chante.
Les moissonneurs l'ont ecoute
Et la maitresse aussi l'ecoute.
Il a chante
Puis il a dit : "A ma sante !
Et demain, je reprends la route"
Quand tout dormait, vers la minuit,
Comme il allait partir sans bruit,
La femme du maitre est venue,
Toute pale et le coeur battant
Et belle de desir pourtant
Et sous sa mante presque nue.
Elle a dit : "C'est toi que j'attends,
Depuis des jours, depuis des ans.
Qu'importe une existence breve.
Reste aupres de moi jusqu'au jour...
Chante-moi la chanson d'amour
Et que je vive enfin mon reve !"

Il a chante.
Les yeux clos, elle a ecoute
Sa douce voix qui la prend toute.
Il a chante
L'amour, la mort, la volupte
Et, tous deux, ils ont pris la route.

Ils sont partis le lendemain.
Elle a connu l'apre chemin,
La faim, le travail, la tristesse
Car son amant, vite lasse,
Sans un regret pour le passe,
A caresse d'autres maitresses.
N'en pouvant plus d'avoir souffert,
Apres des nuits, des jours d'enfer
Elle a dit, la pauvre amoureuse :
"Bien-aime, n'aie point de remords.
Chante-moi la chanson des morts...
Et laisse-moi, je suis heureuse... "

Il a chante.
Les yeux clos, elle a ecoute
Le grand frisson qui la brulait toute.
Il a chante.
Dans un soupir, elle a passe
Et puis il a repris la route...


====================================
4.忘れられたフランス人
  Louis-Nicolas Bescherelle 1802-1884
  Henri-Honore Bescherelle 1804-1887
  http://barthes.ens.fr/translatio/langueXIX/gramacor/besch.htm

 今日、フランスでベシュレルBescherelleといえば、動詞の活用表等小学校で
習うフランス語の文法教科書の代名詞である。
 たとえば
http://www.bescherelle.com/

 フランス語の動詞活用は、面倒だ、難しいというが、イタリア語やスペイン語
でも同じようなものであり、日本語の「てにをは」の難しさをフランス人はいや
というほど感じているだろう。はっきりした規則のあるフランス語の方が簡単と
いえないこともない。

 兄ベシュレルは、ルーヴルの図書司であり。弟ベシュレルは国務院の官吏で
あった。特に兄ベシュレルは、Dictionnaire Nationalを著わした。
その頭のところが次のサイトにある。
http://translatio.ens.fr/langueXIX/besch/
1884年にこの辞書の初版がガルニエ兄弟社から出たようである。

 しかし、当時フランス語の教育は、1833年6月28日法(いわゆるギゾ法 loi
Guizot)以来、王政下で中央の言葉が全国に強制されていった。最中、まさに近
代フランス語の確立に貢献したベシュレルであった。
 Emile Littreもしかりである。

 だが、その政治的な役割は別として、ベシュレルなかりせば、フランス語も
もっと乱れていたかもしれない。たとえ、アカデミーががんばっても、教育現場
で「正しい」フランス語を習得しなければ、世代から世代へと受け継がれていけ
ないだろうからである。

====================================
5.あとがき
 
 母の入院について、お見舞いの言葉を多くの方からいただきました。ありがと
うございます。まだ、生命力があるようで、昨日の段階で既に一人歩きも出来る
ようになって、退院したいと駄々をこねております。

 その病院の張り紙、また病院のインターネット・サイトでの院長の挨拶などで
「患者様」と書いている。「患者様」とはなんと言う日本語。以前は「患者殿」
と言っていたそうな。様付けしないと患者から文句がでるという。呆れた。デ
パートじゃないんだから、「患者」でいいではないか。患者は病院と「契約」を
結んで治療を受けているのである。契約は互角。くだらない配慮はよして、誤
診、虐待のないケアさえしてくれればそれでいい。「お患者様」と言わないだ
け、まだましなのかもしれないが。

 国立国会図書館のMMによれば、イラク国立図書館の蔵書50万冊は略奪被害から
難を逃れたそうである。よかった。
 バグダッドでの戦後の略奪シーンについてはすでにそれが当たり前だと書いた
が、ジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」を読むと、日本の敗戦直後の方がよ
ほど酷い。きいてはいたが、皇軍が聖戦と称して国民皆兵のもとに行った戦争の
あとで、負けてみれば軍部・官僚・民間・ヤクザが一体となって略奪の限りをつ
くしていた。「イラク人って、アラブ人って野蛮ね」なんていえるどころか、と
んでもないのが、我が国民であった。
 しかも、戦争中から中国やアジア各地で、日本からの補給ravitaillementがな
いものだから、組織的に皇軍が「調達」といって、ローカルの民間人の家々を
襲って食料調達をしていたのだ。それが、アジア植民地開放の大目的の軍隊のす
ることか。
 襲う村もないジャングルの島では、数多(あまた)の、大抵は職業軍人ではな
く徴兵された民間人が飢餓で死んで行った。
 補給計画も実力もないものが戦争をしていた。なにが大和魂だ。
 そんなことは、さらりと忘れて、有事に備えよう、正義の戦争には積極的に加
担しようと政府は必死である。なげかわしい。

 外務省の「WTO新ラウンド交渉メールマガジン」によると、農業ばかりではな
く、漁業についてもWTOカンクン閣僚会議にむけて準備交渉が進んでいる。海岸
埋め立てのための漁業補償のことではない。日本の行政は補助金行政である。漁
業も例外ではない。莫大な補助金を受けた日本の漁業が、海外で魚を獲り漁(あ
さ)るため漁業資源が枯渇する、ローカルの漁業を圧迫しているというのが海外
の主張である。外務省は反論しているが、分が悪いと僕は思う。
 僕は反WTOを表明しているが、日本政府や農協のように補助金行政がいいとは
ちっとも思っていない。道路補助金行政を贖罪山羊bouc emissaireにして、農業
や漁業その他諸々の補助金を温存なんてさせてはいけない。必要な補助金は勿論
ある。しかし、日本中が画一的になる必要なんてどこにもない。地域格差は当然
なのだ。それよりも自治が大切である。民主主義の基本はそこにある。

 今日も変則な本誌構成となってしまった。来週はなんとかしたい。

====================================
発行者:田邊 好美(ヨシハル)
    〒 157-0073 東京都世田谷区
e-mail: davidyt@m2.ffn.ne.jp
郵便振替口座 名称 HEBDOFRANCE 番号 00110-2-314176 成城学園前郵便局

当MMのホーム・ページは
http://members.tripod.co.jp/davidyt/hebdofrance.index.html
次ぎの2サイトをミラーとします。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/9981/
http://davidyt.infoseek.livedoor.com/hebdofrance.index.html
ここからMM発行所にリンクし、解除手続きができます。解除は各人が購読を
申し込んだ発行所、まぐまぐ、Pubzine等から行ってください。eGroupを除い
ては僕が管理人ではないため、解除手続きが出来ません。悪しからずご了承
お願いいたします。
過去ログ(archive)も上記ホーム・ページで全てご覧になることができます。
===================================

ブラウザの閉じるボタンで閉じてください。