メルマガ:週刊フランスのWEB
タイトル:hebdofrance 19052003  2003/05/19


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                              Davide Yoshi TANABE
                                 vous presente

              ≪週刊フランスのWEB≫
                    第172号
                                          Tokio, le 19 mai 2003

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Index (目次)
        1.フェルマの最終定理
        2.中食(なかしょく)
        3.アンドシーヌ
        4.シャンソン ピアフ 「...しなければならなかった」
        5.あとがき

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1.Grand Theoreme de Fermat
  http://www.bibmath.net/bios/index.php3?action=affiche&quoi=fermat

 フェルマとはフランスの数学者Pierre de Fermat(1601-1665)のことであ
る。しかし、職業的数学者、アカデミーの数学者ではなかった。本来は地方の法
律家、行政官である。そのフェルマがデカルトや当時の著名な数学者に影響を与
えたのは、手紙の交換によってであった。今なら、チャットとはいわないが、メ
イルのやりとりで数学論を戦わせたのである。

 さて、1637年のことである。フェルマはnが3以上の自然数の場合、(xのn
乗)+(yのn乗)=(zのn乗)を満たす整数x、y、zは存在しないといった。2乗の
場合は、僕にでも分かる。ピタゴラスの定理だ。だがnところか3乗だって、僕
にはもう分からない。ま、フェルマさん、いったのはいいが、その問題を発見し
たディオファントスDiophante(3世紀アレキサンドリア-当時はギリシャ-の数学
者)の本「算術Arthmetica」の余白に、ここには充分な場所が無いから証明は出
来ないとしたまま、その後それには触れないまま死んでしまった。人騒がせであ
る。爾来フェルマの大定理は世の中の数学者の頭を悩ませることになる。

 解答が出たのは、なんとそれから3世紀を経た1995年だというから大変だ。で
も他にもきっとギリシャ以来、いやメソポタミア以来解決されていない数学の問
題というのがあるのだろう。いずれにせよ1993年そして1995年に修正して英国の
数学者Andrew Wilesがついに解決したのである。
http://www.info82.com/beaumont/fermat/wiles.htm
このサイトをみると、なんか数学者を絵に画いたとような先生が登場している。
しかし、この証明がまた1000ページにものぼるというのだからいやになる。でも
解決したんでしょうね。

 ところがである。ぼくは理科系が弱いものだから知らなかったが、この数学的
解決に実は日本の学者が多大な貢献をしていたのである。僕はとくにナショナリ
ストではないが、嬉しくなるじゃないか。こちらのWilesについてのサイトをみ
ると、
http://www.sciences-en-ligne.com/momo/chronomath/chrono2/wiles.html
「conjecture de Taniyama-Shimura-Weil谷山・志村・ヴェイルの予想lというの
が出てくる。谷山豊(たにやま とよ)、志村五郎、日本の数学者である。谷山
豊は1958年自殺しているが、天才的な数学者だったようだ。日光の国際学会で
1955年でこの予想を谷山が発表した時、Wilesはまだ赤ん坊(1953年生まれ)。

 谷山は1927年に生をえているから、敗戦時18歳くらいだろう。もう少し早く生
まれていたら戦争に行っていて、学徒出陣だからどんな運命にあっていたか知れ
ぬ。また幸いにして陸軍士官学校なんぞに行こうとせず、東京帝大に行っていて
よかった。谷山の自殺には、いろいろな憶測がなされているが、天才も生きるの
が大変な時代だったし、生きるのが下手だったのだろう。結婚間際に死を選ん
だ。その奥さんとなる人が、後追い自殺するのだから、悲劇であった。

 多少、ここで飛躍させてもらうと、谷山豊が自殺した時、学友志村はアメリカ
留学中だった。谷山もアメリカに行くはずだった。もし、同時に行けていたら谷
山は自殺しなかったろう。だから、大学改革なのである。国立大学法人法案は、
下のあとがきで書くように、衆議院を通過した。しかし、この法人法案では、大
学の自治が失われる。フェルマ定理を、実は僕が聞いたのはこの国会中継であ
る。民生党の鳩山がWilesのような研究、長い時間かけた研究は文部科学省のあ
やつる評価委員会では評価されず、途中でボツにされるかもしれないと引き合い
にだしたからである。ぼくは今思う。Wilesの研究どころか、天才谷山を死に追
いやったのは、東京大学の研究室ではなかったかと。若い研究員が自由に研究で
きる場所があったのかということである。志村は1964年から結局阪大を経てプリ
ンストンに舞い戻っている。
 国立大学法人法案が参議院もとおれば、もはや谷山、志村のような学者は日本
から出て行くしかなくなるだろう。いや、学生として日本の大学に入学してこな
くなるにちがいない。

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2.Traiteur
  
http://www-db.floprestige.fr/db/floprestige/webdriver?MIval=Home_Page.ht
ml

 外食産業が停滞しているのだそうだ。停滞どころかシュリンクしているとい
う。不景気の所為ばかりではない。生活の様態が変わってきて、外で食事をする
よりも、一人で自宅で食事をとる傾向が強くなってきたからだ。自宅で炊事をす
るのは面倒だ。ないし、時間がない。調理の時間がもったいない。そこで出来合
いの調理された料理を買ってきて家で食事をする。これを「中食(なかしょ
く)」と名付けた。
 
 しかし、この中食、いまに始まったことではないのは勿論である。江戸時代、
いやもっと以前からあったかもしれない。ただ、その割合が増えているというこ
とだろう。総菜屋は昔からあったし、寿司、鰻、天麩羅、中華料理など折り詰め
にして持ちかえる習慣があった。

 フランスに始めて住んだ時、総菜屋がやっぱりここにもあるんだな、と思っ
た。大学都市に秘書として勤めていたシモーヌは、家でパーティー(ソワレ、
soiree)をする時、よく総菜屋traiteurを利用していた。オルドゥーブルは、ス
モークト・サーモンSaumon fume'やパテならそのままだし、鶏の丸焼きpoulet
rotiなら何処でも売っている。デザートだってフランflanやアイス・クリーム
glaceで充分である。器と盛付けに工夫を加えれば、見栄えもいい。とすると、
日本よりもヨーロッパの方が、料理の違いか中食にむいているかもしれない。近
頃の日本の総菜屋は、用意されている料理も品数が豊富でレストランとは違った
ほとんど家庭料理を提供してくれている。

 僕は料理を作るのが割と好きだから、総菜屋で買ったものと、一品は自分で
作ったものとを組み合わせた。たとえば、鱸(スズキ)の白ワイン蒸し。これは
スイスでルカ君に教わった。スズキはloup de mer。鯛doradeよりよほど美味な
魚である。刺身より美味い。どうしてだろうか。

 それはそれとして、サイトは総菜屋traiteurの一例である。フォション
Fauchonのサイトがあるかと思ったら、現在制作中。日本のフォションはあった
がパリのものはなかった。
http://www.fauchon.com/hp.html

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3.Indocine
  http://www.indo.fr/

 インドシナといっても、地理的意味ではない。また映画の題名でもない。「ア
ンドシーヌ」、フランスのエレクトロ・フォーク・ロックのグループのことであ
る。読者からの依頼で、このグループを取り上げようと思う。

 このグループは1882年、ニコラ・シルキスNicola Sirkisとその友人ドミニク
・ニコラDominique Nicolasが創設、NIcolaの弟ステファヌ・シルキスStephane
Sirkisとディミトリ・ボディアンスキDimitri Bodianskiが加わって出来たグ
ループである。フランスの音楽放送NRJなどを聴くと良く登場してきていた。僕
は正直言って特にファンではない。しかし、大方のグループとちがって、既に20
年以上活躍している。確かに途中ではメンバーの死(Stephane、1999年)や、離
反(Dominique、1989-1995年)などドラマはあるが、ともかく若者の、そして幾
つかの世代を超えてファンを獲得してきた。

 サイトはアンドシーヌのオフィシャル・サイトである。ま、「アンドシーヌの
全て」とでもいった、彼等について知りたい事情がつまっている。現在、パラダ
イズParadiseというツアーをしているようである。Pradiseは勿論英語、フラン
ス語ではパラディparadisだが、ロックの世界では英語がかっこいいということ
か。最近の曲は、「j'ai demande a la lune 月に尋ねた」か。この歌詞は、僕
が本誌のピアフ連載で参照しているABC Chansonに載っていた。
http://www.paroles.net/
著作権の関係で、その他の有名な歌詞、troiseime sexe、l'avenurier、le
baiser等は削除されていた。
 MP3による音声ファイルもオフィシャル・サイトあるので、ライヴの様子など
をviewerで見ることも出来る。

 面白いのは、グループの名前である。アンドシーヌを結成した当初、レコード
会社から、名前を変えるように要請されたという。インドシナは、やはりフラン
スにとって戦争の地であり、苦い歴史のイメージが強いからだろうか、またグ
ループに、別段仏印出身のメンバーがいないという理由であろうか。ともかく
Nicolaは、名称変更を断っている。由来をあるインタヴューで答えているが、そ
れはなんと、大好きな作家、マルグリット・デュラMarguerite Durasから来るの
だそうだ。Durasはデュラスと読むかもしれない。家族の出身地によって発音は
異なってくると思われる。それはともかく、マルグリット・デュラといえば、僕
が読んだことがあるのは、80年代の夏のヴァカンスのことだと思うが、「ラマン
L'amant」だけである。僕が、一気に読めた珍しい小説の一つだ。映画にもなっ
て、だいぶ後でみた記憶がある。また古い映画では「広島、我が愛Hiroshima,
mon amour(アラン・レネ監督、邦題 24時間の情事)」。アンドシーヌが産声
を上げたときには、まだ小説「ラマン」は書かれていなかった。マルグリット・
デュラが、インドシナを題材とした小説を幾つも書いていたから、バンドの名前
としたというのは意外であった。なお、「ラマン」でマルグリット・デュラは確
かゴンクール賞を得たが、このとき既に70歳だった。既にずっと若い時にこの賞
の候補にはなっているものの、遅い受賞だった。1996年に没している。
 
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4.Edith Piaf
  Fallait-il
    Paroles: Michel Vaucaire. Musique: Charles Dumont   1962

 この詩の作詞家と作曲家についてみてみよう。ミシェル・ヴォケール(作詞)
とシャルル・デュモン(作曲)のコンビになるピアフの歌は40曲以上にもなるそ
うである。しかし、この二人、ヴォケールとデュモンは互いに知っていたもの
の、ピアフがデュモンを、理由は分からないが嫌っていたために、ヴォケールの
詩にデュモンが曲をつけてピアフが歌うことは、なかなか実現しなかった。デュ
モンは既に、ルイス・マリアーノやティノ・ロッシ、サシャ・リステルのために
曲をかいており、名声も得ていた。
 1960年10月5日、ヴォケールがデュモンをピアフの家に招いた。ヴォケールが
作った詞(詩)「Non je ne regrette rien 後悔なんかしていない」をピアフ
は、まるで自分の人生そのものだとして、曲をつけることを拒否していた。唄え
ないとしていた。しかし、この日、かねてヴォケールから渡されていた詞をデュ
モンがピアノに向って奏で、ピアフが試みに歌ったとき、運命の鐘が鳴り響い
た。ピアフは感激し夜中にもかかわらず、マネージャーであったルイ・バリエ
Louis Barrierを呼びにやった。
 フランス中を、世界中を涙させた歌の誕生である。
 「Non je ne regrette rien 後悔なんかしていない」については、本誌99号
(2001年11月12日)を参照。
 http://members.tripod.co.jp/davidyt/log099.htm

Pour partir de chez moi,
Pour partir de chez toi,
Pour laisser tout tomber
Sans regarder derriere soi,
Fallait-il, fallait-il,
Fallait-il que l'on s'aime...
Fallait-il en avoir,
De l'amour, toi et moi...

私の家から出るために あなたの家から出るために 後を振り向かないで 全て
を投げうつために 愛しあわなければいけなかった いけなかった いけなかっ
た、、、あなたと私 愛さなければならなかった、ならなかった、、、

Pour chaque fois se quitter
Sur un mot maladroit,
Pour chaque fois le regretter
Et chaque fois recommencer,
Fallait-il, fallait-il,
Fallait-il que l'on s'aime...
Fallait-il en avoir,
De l'amour, toi et moi...

云わなくてもいいことをいってしまって その度(たび)別れるために それを
毎度悔やみ またまた繰返すために 愛しあわなければいけなかった いけな
かった いけなかった、、、あなたと私 愛さなければならなかった、ならな
かった、、、

Pour s'aimer aussi mal,
Aussi mal qu'on s'aimait,
Pour se faire autant de mal,
Autant de mal qu'on s'est fait,
Fallait-il, fallait-il,
Fallait-il que l'on s'aime...
Fallait-il en avoir,
De l'amour, toi et moi...
Pour n'avoir jamais pu
Etre heureuse...
Etre heureuse apres toi...

ぎこちなく愛しあうために ぎこちなく愛して 傷つけあうために 傷つけあっ
た 愛しあわなければいけなかった いけなかった いけなかった、、、あなた
と私 愛さなければならなかった、ならなかった、、、幸せになることがありえ
なかったように、、、あなたの後(あと)では幸せになることが、、、

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5.あとがき

 先週「まぐまぐ特選!おすすめメルマガ」に本誌が載った。果たしてその効果
は? 現在このまぐまぐから1.300部、その他Pubzine等発行所と合わせて総読者
数2.700名。

 この春、三つほどのフランス語またはフランス関係のメイリング・リスト
(ML)が姿を消す。あるものは管理者乃至オーナーが交替する。持続というもの
の難しさなのだろうか。本誌のようなメイリング・マガジンではないから、オー
ナーが必ずしも発言する必要はないのだが、入退会の決定、紛争が起こった場合
の調停、発言者が少なくなった時の存在意味の存否等々面倒なことが、物理的と
いうよりも心理的にあるのではないか。僕としては、やはり顔のみえないコミュ
ニケイションに疲れが出てくるのではなかと考える。オフ会などを計画しても参
加者が限定されてくると新鮮味がなくなってくる。オーナー交替はその点で、活
を入れてくれるかもしれない。新規参入者は何時もあるものだ。新しい参加者は
過去のことを知らないから、同じ話題が繰返されることも多い。これを打開する
には、やはりホーム・ページを利用して、情報の集積が望まれよう。複数のの管
理者制度の導入も一考だ。

 翻って本誌、つまりメイル・マガジンについて考えてみると、読者の反応なし
に続けていくのは、僕の意思だけでということになり、時々無力感にさいなまれ
ることもある。しかし、たった一人の読者でも応援してくれる限り、それは非常
なアンクラージュマンencouragementなのである。ましてや先般からの「カン
パ」要請に応えていただいた方々の期待となると、感謝の気持ちでいっぱいであ
る。前項でオフ会について書いたが、一方でオフ会に参加された方々といわば一
つのクラブ、またはサロンを形成するのも悪くはないと思っている。
 ある読者の方から、「週刊フランスのWEB」などといわず、「フランス文化研
究所」を名乗り、代表におさまりなさい、そうして研究目標をあげて民間アカデ
ミスムの研究所としてカンパをお願いすれば、必ず助けてくれる人が現れる、と
提案があった。僕は多いに逡巡する。それは本誌の目的が、「フランス文化」だ
けを「対象」としてとりあげるものではないことである。僕の関心は比較するこ
とだけにあるのではなく、むしろ普遍性universalite'にあるからである。それ
にしても、名称は別として、サロンとしての「研究所」には魅力がる。サロンと
いって何をイメージするかであるが、僕のイメージは、17世紀から20世紀初めま
でのフランスにあった自由なサロンであり、学会でもなければ、閉鎖的な小さな
「世間」を形成した日本の文壇といわれるものでもない。開かれたしかし知のサ
ロン、それをネット社会に求めるのである。

 本誌へのカンパの使い道は、本誌の維持のためです。また、僕が
少しく詳しく調べたいと思っている、日本に初めてきたフランス人Guillaume
Courtetの調査にフランスに行きたいと思います。その費用に当てたいと考えて
います。お蔭様で81.000円ほどまで集りました。残念ながら、まだとても足りま
せん。よろしくお願い申します。


 先週2003年5月14日及び2003年5月16日国立大学法人法案がいずれも衆議院で各
委員会を賛成多数をもって可決、衆議院本会議における採決にまわされた。5月
15日には衆議院本会議で有事法制法案が可決された。僕は、先週書いたインター
ネット上の中継でその審議経過を具(つぶさ)に視聴した。長かった。略(ほ
ぼ)7時間あまりかかった。閑人(ひまじん)? ...だろうね。しかし、野党っ
てのはどうしてこう投げやりなのだろう。意気込みが全然ない。民主党が有事法
案に美辞麗句の修正案を提出可決させたが、また同様なこととして、国立大学法
人法案では付帯決議を賛成多数で可決したけれども、この妥協は茶番である。茶
番であるが、民主主義は多数決原理を採用しているし、最終的には政府案が通る
のもやむをえない。しかし、論議が、対話がなされたとは考えられない。国立大
学法人法案では野党対案もなかった。結局こうなることが、議員連中というのは
もうはじめから分かっていたのだろう。審議途中で、政治家のスキャンダルでも
起きない限り、政府の予定通りことが進むのだ。馬鹿にしている。日本の国民
は、こうした事実が戦後50年間繰返されてきていることを知っているから、アホ
らしくて国会審議なんかききもしないのだろう。これから参議院で審議が始ま
る。でも同じことなのだろう。こういう状態を、ヴァクシネvaccineと、皮肉を
込めていうことができる。僕は、日本に余りに長くいなかったためにその
vaccitionが切れてしまっているのだろうか。なにか国政に反映させようと思え
ば、与党に圧力をかけたほうがはやい。官僚と与党をつつけばいい。国民はそう
考えて行動してきたのに違いない。だが、それでは民主主義ではない。主権者た
る僕たちが、政権者を代える意思を持たなければならないのだが。

 どうも気が滅入る。最近耳鳴りがする。カナリアでもそうだった。sans
 issue。


 16日金曜日、カサブランカがテロに狙われた。16日のサウディ・アラビアのリ
アドに続くテロである。モロッコが、、、。僕はこの国が好きで、本誌あとがき
でも、何回かその旅の思い出を書いたことがある。体制は民主主義とはなかなか
言えないが、国際政治的には親米なんだろうなぁ。テロにみまわれることがこれ
までなかったのに残念である。ハッサン2世のころしか知らないが、今のモハ
メッド6世に長男が生まれて、国中がその祝いの最中だったという。イスラム国
といっても、観光が最大の産業で、開かれた国といってよいところだ。ユダヤ人
もメディナ(旧市街、城壁にかこまれたアラブ人のもともとの町)の一角に共存
する、従ってイスラエルと話の出来る数少ないイスラムの国なのに、テロが襲う
とは。記事をル・モンドで見た時は、目を疑った。何故モロッコがと。リアドの
外国人居住区と違って、今度は犠牲者は殆どモロッコ人。
 スペイン及びイタリア料理のレストランがテロ対象に含まれているのは、当然
ながら今回のイラク戦争加担者に対するメッセージに違いない。とすれば次はロ
ンドンかパリの日本レストランが狙われるか、直接日本までテロが来るかだろ
う。

 僕は全ての暴力を許さないとはいわない。全てのテロが悪とも思わない。しか
し、リアドやカサブランカのテロは、逆効果である。ウサマ・ビン・ラディン
Oussama Ben LadenのアルカイダAl-Qaidaが計画したものとするなら、ウサマ
よ、対象を吟味せよ。

 それにしてもテロで状況が前進することも少ないのであって、安重根は伊藤博
文を暗殺したが、朝鮮半島が解放されるには日本の敗戦を待たなければならな
かった。そうではあるが、テロはただいけないというのも単純な平和論である。
たとえば、イスラエル軍が蹂躙しているパレスチナ住民にとって、ジェノサイド
に対抗する手段は、対話を拒否される限り、テロしかありえないのである。

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