メルマガ:週刊フランスのWEB
タイトル:hebdofrance 05052003  2003/05/05


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                              Davide Yoshi TANABE
                                 vous presente

              ≪週刊フランスのWEB≫
                    第170号
                                          Tokio, le 5 mai 2003

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Index (目次)
        1.ルイジアナ
        2.メリディアン
        3.講と年金
        4.シャンソン ピアフ 「だけど、、、」
        5.忘れられたフランス人 フローラ・トリスタン「自由平等博愛連
      帯」
        6.あとがき

フランス語のサイトの文字化けは
表示>エンコード>西ヨーロッパ言語の順で選択すれば修正することができま
す。

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1.Louisiane
  http://flfa.free.fr/

 ルイジアナはアメリカ合衆国の州である。フランス語でルイジアーヌという
が、これは単に英語をフランス語風に発音したわけではない。何故ならこの州の
命名者はフランス人Cavelier de la Salleだからである(この開拓者についての
サイトをこの節の終わりにあげた)。1682年のことであった。ミシシッピの河口
ニューオリンズがフランスのオルレアンOrleansから由来していることからもフ
ランスとの関連がうかがえよう。La Nouvelle-Orleansと呼び、冠詞が付くのは
カイロLe Caireなどと同じ。しかし、この州の州都はバトン・ルージュBaton
Rougeである。これもフランス語「赤い棒」と訳せるが、何故、「赤い棒」なの
か良く分からない。一説に、先住民の頃から、既にそう呼ばれていたらしい。バ
トン・ルージュはその翻訳である。
http://membres.lycos.fr/cousture/LASALLE.HTM
 
 1763年ルイ15世がルイジアナをスペインに譲るが、その後紆余曲折を経て再び
フランスの手に戻る。しかし、ボナパルトが1803年ジェファーソンのアメリカに
1500万ドルで売却した。ヨーロッパで遂行させていた戦争費用を捻出するためで
あった。

 カナダに於けるケベックのような地位をルイジアナは、アメリカ合衆国で占め
ることが出来なかった。サイトはいわばフランス・ルイジアナ友好協会のような
ものであるが、フランス語をルイジアナで普及させることを目的としている。こ
のサイトによればルイジアナはバイリンガルなのだそうだが、ルイジアナ州の公
式サイトは英語のみで書かれており、フランス語は全く見当たらない。
http://www.state.la.us/

 とはいえ約80万のルイジアナ州民がフランス語使用者だといい、近年その数を
増しているのだそうだ。カナダ、フランス、ベルギーがフランス語教育のための
教師を送り出している。人口450万人の州だから、この80万という数字は俄かに
は信じがたい。フランコフォーヌの定義で変わってくる数字だろう。精々フラン
ス語を学校などで習ったことがあるということで、日常フランス語を使用して生
活している人々を意味してはいないと考えられる。

 しかし、ルイジアナでフランス語人口が増加しているという現象は面白い。ア
メリカは英語国である。スペイン語がフロリダ、カリフォルニア等ではよく話さ
れているが、建前は英語が国家の言葉である。しかし、移民国アメリカには様々
な言語がある。英語を唯一の国家の言葉とすると同時にマイナーの権利もまた守
らねばならない。さらに、英語を世界語にしようという言語グローバリスムの考
えが一方にはある。

 日本は英語を外国語ではなく、第二の公用語としようとする動きさえある。日
本の英語コンプレックスはNOVAを初めとした英語を教えると称する語学校の隆盛
を支えており、日本の家庭での語学教育投資は凡そ考えられないほど大きい。そ
の割りに成果は全く上がっていないから、当分公用語化論は衰えそうもない。

 大学の合理化で教養部が廃止され、フランス語教師は、フランス語を教えるだ
けでは授業を維持して行くことが出来なくなったと聞いている。つまり首になっ
てしまうのである。そこで仕方がないから、フランス文化、比較文化などの名目
で付加価値をつけて講義をしているらしい。

 ちょっと話がずれた。この言語問題はできれば「あとがき」でまた触れること
にする。
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2.Meridien
  http://www.insolite.asso.fr/rennes/RLC-014.htm
  http://www.obspm.fr/savoirs/expos/arago/meridienne.fr.shtml

 メリディアンというとフランス資本のホテル・チェーンであるが、その名前は
子午線から来ている。語源はラテン語のmeridianus(フランス語のmidi、昼、正
午)であるこというまでもない。

 現在は、グリニッチGreenwichが経度の出発点(meridien zero)だが、1884年
以来のことで、その以前は子午線がパリを通っていた。旧パリ天文台がその一つ
で、一つでと言うのは幾つもあったからだが、東経2°20'14.025"だそうであ
る。

 次に旧パリ天文台の写真がある。パリ郊外ムドンの天文台ではなく、パリ市の
南部にある。
 http://space.dolphin.free.fr/AlbumPhotos/Paris/observatoire.html

 何れにせよ子午線が英国やフランスを中心にして計測されたのは、科学の中心
であったというよりも、19世紀の政治的世界地図の力関係であろう。 

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3.tontine
  
http://perso.wanadoo.fr/cabinet.jc.lescot/tontine.htm#Histoire%20Tontine

 トンティーヌtontineは発明者であるイタリアのトンティLorenzo Tontiに由来
するオペレイションである。これは最後に生き残ったものが年金をうけとるシス
テムだが、伊藤元重東京大学教授などは、このトンティーヌを現代の年金制度に
普及させることを提案している。
 フランスでは年金ばかりではなく、通常の血縁的相続ではない遺産相続のひと
つの方法として、トンティーヌ条項を不動産購入契約にいれて、相続対策として
活用することがあるらしい。

 このトンティーヌには講(こう)の意味もある。イスラム教では生涯に少なく
とも一度、事情が許せばメッカに巡礼に行かなければならないとされるが、この
巡礼にはお金がかかる。大金持ちならいざ知らず、庶民には高嶺の花である。そ
こで、現在でも、メッカ講とも言うべき講が行われているときいたことがある。
日本では、既に鎌倉時代13世紀ごろから講があり、頼母子講などが派生した。ア
フリカでは日本の頼母子講のようなアソシィアシオンがみられ、これをトン
ティーヌというようだ。

 Tontiについてイタリア語サイトを調べたが、殆ど全く該当サイトがない。ナ
ポリ生まれの銀行家トンティがその力を発揮したのが、パリの宮廷であった所為
だろうか。

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4.Edith Piaf
  Et pourtant
    Paroles: Pierre Brasseur. Musique: Michel Emer   1956

Je t'aime...
Tu m'aimes...
Bonheur...
Nos coeurs...
Et pourtant...
Il y aura toujours un pauvre chien perdu,
Quelque part, qui m'empechera d'etre heureuse.
Il y aura toujours, dans un journal du soir,
Une gosse de vingt ans qui meurt de desespoir.

愛してる、、、愛されてる、、、満たされて、、、わたしたち、、、だけ
ど、、、いつも哀れな野良犬がいる 何処かに 私は幸せになりきれない いつ
も夕刊には 絶望して死んでしまう青年がでている

Voyages...
Mirages...
Heureux...
Nous deux...
Et pourtant...
Il y aura toujours, seul devant l'ocean,
Une femme en noir qui pleure et qui attend.
Il y aura toujours un petit garcon pas riche
Qui revera des iles devant une belle affiche.

旅、、、幻(まぼろし)、、、幸せ、、、わたしたち二人、、、だけど、、、い
つも一人海を眺める女がいる 喪服に身をつつみ 泣き濡れて 佇む女が いつ
も貧しい少年がいる 美しい島の写真のポスターに夢を馳せる少年が

Caresse...
Ivresse...
Tes bras...
Prends-moi...
Et pourtant...
Il y aura toujours une lettre anonyme
Qui viendra salir le bonheur des amants.
Il y aura toujours dans la chambre a cote
Un silence de mort apres les cris d'amour.

いつくしみ、、、夢心地、、、あなたの腕(かいな)、、、だけど、、、いつも
差出人のない手紙がくる 恋人たちの幸せを汚す手紙が いつも隣の部屋には 
愛の叫びの果てに死の沈黙がある

Je t'aime...
Tu m'aimes...
Bonheur...
Nos coeurs...
Et pourtant...
Il y aura toujours un pauvre chien perdu,
Quelque part, qui m'empechera d'etre heureuse...

愛してる、、、愛されている、、、満たされて、、、わたしたち、、、だけ
ど、、、いつも哀れな野良犬がいる 何処かに 私は幸せになりきれない

 自分が、自分たちだけが、幸せであることの後ろめたさ。なかなかの詩です
よ、これは。これを書いたのはブラスールPierre Brasseur(1905-1972)。映画
俳優で監督。
http://www.geocities.com/cinephilia2/brasseur/
80を越える作品に出演。詩人でもあり、自叙伝 Ma vie en vracを著わした。

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5.忘れられたフランス人
  Flora Tristan (Flora Tristan-Moscoso) 1803 - 1844
  http://flora.tristan.free.fr/flora.php3

 フランス人の母親とペルー人の父親の間に生まれた。当時のフランス(ナポレ
オン)のスペイン侵攻などのため父母の結婚は正式なものと認められず、父はペ
ルーの名士である富豪であったが、その遺産を継ぐことができなかった。

 父を亡くしてから窮乏生活を余儀なくされ、画家シャザルと結婚してからも、
経済的に恵まれなかった。3人目の子供を妊娠中に別居するも当時の法律で離婚
をすることが出来なかった。ペルーに渡って、父母の婚姻の正当性を主張した
が、これも無駄だった。こうしてフラーラ・トリスタンは、男女の不平等の現実
に目覚め、同時に社会の不平等を肌で知り、社会主義にむかってゆくのである。
優れた著書を発表している。

 サイトはフローラの名を冠したパリ郊外のフローラ・トリスタン高校のもので
ある。フローラの伝記に詳しい。

 フローラの結婚は不幸なそしてなかなか解決しない結果に終わっている。レズ
ビアンの傾向もあって、極めて情熱的な手紙を友人(女性)に残している。男女
平等には程遠い当時のフランスの男社会、不幸な結婚も多分に影響しているだろ
う。しかし、子供たちは元気に育ち、フロータは画家ゴーギャンPaul Gauguinの
母方の祖母でもある。

 フローラは、ラテン系の相当な美人である。もっとも、それは僕の個人的な趣
味の問題で、フローラの人格とは関係がないが。
 http://archives.cg84.fr/SiteExpo/flora2.htm

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6.あとがき

 ある読者の方からカンパいただきました。イニシャルでアナウンスも困ります
とのことでした。しかし、本当にありがたいことです。深謝申し上げます。

 本誌のホーム・ページのアクセス数が10.000件を超えました。ライコスから出
している分だけです。geocitiesやinfoseekから出している分はカウンターを共
有できないので、本当の所のアクセル数はとっくに1万件を越えているのでしょ
う。2000年7月9日だから、約3年経過しての結果です。今年になってから毎週100
件くらいのアクセスがあるようになりました。これも皆様の支援の賜物です。

 先週の日曜日、東京世田谷では3つの投票が行われた。衆議院補欠選挙では小
宮山洋子さん(民主党)に投票。自民党候補が負けましたが、これは知名度の故
かと思う。僕自身は小宮山さんがNHKのpresentatriceの時には全く知らない。次
善の選択。区長は笹尾としさん(共産党)に投票。落選。世田谷に共産党は無理
なのかな。区議には関口太一さん(民主党)に投票し、当選。関口さんは27歳。
若いことはそれだけでいいこと。いろいろと経験して欲しい。しかしこれも次善
の選択。これからウォッチしていく。皆さん、先生などと呼ばれて腰が高くなら
ないように気をつけていただきたい。

 先週、言語帝国主義について書くと約束した。自らもペンをとり、「言語帝国
主義とはなにか」を編集したのは三浦信孝・糟谷啓介である。三浦信孝とは、顔
は随分合わせたが直接話をしたことがない。恵比寿の日仏会館に行っていれば、
いつか機会があるだろうから同氏と話してみたいとこの本を読みながら思うよう
になった。なかなか面白い本である。フランス語、フランス文学研究者として三
浦はクレオール文化に興味を抱き研究を発表し始めた。いい着目である。クレ
オールの作家グリッサンについては本誌90号(2001年9月10日)で書いたことが
ある。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/9981/log090.htm
 フランス国内でも、少数民族があることは、これも本誌160号(今年2月24日)
で紹介したが、これとは別に国家の言葉であるフランス語以外に、独自の文化を
持った言葉がフランスにもいくつもある。必ずしも中央政府から弾圧受け消滅し
てしまったわけではない。近年、方言ではなく、独立した言語として見直す動き
が盛んになっている。バカロレアでもこれらの言葉を選択することが出きる。上
記item5でとりあげたフローラ・トリスタン高校はパリ近郊にあるが、オック語
を教えている。それは、英語、中国語等と同列のいわば「外国語」としてではあ
るが、南仏の文化をもった言語として選択できるようになっている。

 日本では国語は日本語だけとなっている。アイヌ語や沖縄語は特殊な人の研究
対象で、沖縄や北海道の中学や高校ではそれぞれの言葉の授業があるかもしれな
いが、東京や山形の高校では教えてくれない。沖縄語は方言ではない。沖縄は日
本に植民地化されていると僕は思うのであるが、沖縄語を東京でも選択科目とし
て教えていいと思うし、沖縄で沖縄語を小学校から教えるべきだと考える。沖縄
語とクレオールを同一視するのは正しいと思わない。けれども、コルシカやピレ
ネーとは事情がより似ているといえるだろう。とすれば、多言語国家としての日
本を認識する時が来ていると思うのである。

 言語は文化そのものであ。その文化がたどる運命が、ユニヴァーサル/グロー
バルの名の下に消し去られないようにするためには、まさに政治体制、しかも中
央集権的ではない、地方分権的体制を必要としている。地方自治こそは、多様性
を容認するための条件である。

 なお、三浦は「現代フランス研究会」
(http://www1.odn.ne.jp/cah02840/GEFCO/ )を組織して、フランス語の位置
を見定め様としていると思う。ただ、この研究会がさらに学際的研究会となるよ
う、法律、医学、物理学などの専門家も交えたものになって行くことを期待した
い。

 言語と地方自治の関連についてはまた書いていこうと思う。

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