メルマガ:週刊フランスのWEB
タイトル:hebdofrance 10032003  2003/03/10


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                              Davide Yoshi TANABE
                                 vous presente

              ≪週刊フランスのWEB≫
                    第162号
                                          Tokio, le 10 mars 2003

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Index (目次)
        1.トルバドゥール 
        2.フランスの奴隷貿易
        3.中世美術館
        4.シャンソン ピアフ 「女はピガールに佇んでいた」
        5.忘れられたフランス人 ノヴェール 「近代バレー」
        6.あとがき

フランス語のサイトの文字化けは
表示>エンコード>西ヨーロッパ言語の順で選択すれば修正することができます。

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1.Troubadour
  http://www.provenceweb.fr/f/vaucluse/vacqueyras/vacqueyras.htm

 トルバドゥールは、オック語でうたった12/13世紀の中世宮廷・騎士道風の詩人で
ある。

 サイトは有名なトルバドゥール、ランボRimbautの出身地Vacqueyras村のもの。ラ
ンボといっても勿論19世紀の詩人Arthur Rimbaudとは別人である。11世紀生まれの詩
人(1175-1207)である。Raimbautとも書くらしい。この村の英雄といったろころ。
Vacqueyrasはヴァケイラスと読むと思われる。

どんな詩が典型的なトルバドゥールかと、ランボをネットで探した。出てきたのは
Raimbaut/Vaqueirasの綴りで
http://perso.wanadoo.fr/maurice.ulis/Raimbaut_Vaqueiras.htm
http://histoire-ma.chez.tiscali.fr/troubadours/Troubadour/RaimbautDeVaqueira
s.html
上記何れも同じ詩を引いているが、オック語の綴りも違えば、翻訳も違う。この時代
の研究は容易ではなさそうである。しかも、当時は書かれた詩というよりも歌われた
詩であるから尚更である。

 Vacqueyras村はワインのAOCをローヌRhoneではなく、Vacqueyrasとして1990年から
認められているというから、いいワインができるのだろう。ぼくはローヌのワインも
好きである。

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2.Esclavage

 本誌156号(2003年1月27日)でハイチの英雄トゥサンToussaint Louvertureについ
て触れた。トクヴィルの奴隷開放運動にも若干だが書いた。ではこうしたアフリカ黒
人たちはどのようにしてフランス領カリブの島々、また北米(特にルイジアナ)、南
米(ギアナ)に連れてこられたのだろうか。

 17世紀植民地時代にヨーロッパ列強はこぞって会社を作った。国策会社である。オ
ランダ、英国、そしてフランスも東インド会社、西インド会社などを作った。
http://www.compagnie-des-indes.com/frame2.htm
フランスで初めて成功した会社は、コルベールJean Baptiste Colbert(1619-1683)が
作った上記の会社である。いわゆる重商主義mercantilismeの実践である。インドと
はいうが、まさに西インド、即ちカリブ海の島々からの物産の輸入を独占した。しか
し、ローカルのインディオたちを異教徒として抹殺したのはスペインばかりではな
かったろう。1654年にはギニア会社Compagnie de Guinee、1673年にはセネガル会社
Compagnie de Senegal、また1713年にはルイジアナ会社Compagnie de Louisiane等を
作った。これらの会社は何をしたか。アメリカからの商品は農産物である。しかし、
プランテイションの労働力を供給するために、行きの船には黒人奴隷を積んでいっ
た。このとき多くの場合、フランス人の手先になって黒人狩りをしたのがアラブ人で
あった。こうしてイスラムも、アフリカ黒人社会に、キリスト教とともに入っていく
のである。アフリカ人がアラブ人を嫌うのも理があるが、宗教は各地で受け入れら
れ、今日に至っている。

 実定法の国フランスでは1658年に「黒人法Code noir」を制定した。これは黒人奴
隷の身分の固定である。フランスの教会と王権とが結託して奴隷制度esclavageを合
法化した。
http://www.clubsoleil.net/publication/code_noir.php

 これはフランスの、ヨーロッパの負の歴史である。しかしこうしたことも知らなけ
ればならない。遅れて植民地主義国家の仲間入りをした日本は、奴隷制度こそ導入し
なかったがアフリカに対する偏見では今やヨーロッパより強いものがある。
 
 1989年のフランス革命が、必ずしも女性の権利の平等を齎さなかったことは以前既
に指摘した。同様に近世の奴隷制度を考える時、フランス革命はなお不充分な人権宣
言しかできなかったことを明記しておこう。

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3.Musee National du Moyen Age Thermes et hotel de Cluny
  http://www.musee-moyenage.fr/homes/home_id20754_u1l2.htm

 中世美術の個人Du Sommerard Alexandre (1779-1842)コレクションをベースにして
1843年にオープンした国立美術館である。古いガロ=ローマ時代の浴場とクリュニ修
道院Cluny (fin XVe siecle)が建物として使われている。パリの中心地カルティエ・
ラタンにある。

 ルーブルのような美術館・博物館は一日で全てを見てまわることは不可能である。
こうしたある時代を区切ったり、ある作家に限定された美術館のメリットがそこにあ
る。上野や奈良の国立博物館は広い。根津美術館、サントリーなど多くの美術館が東
京にもあってそれぞれ利点がある。私立は入場料が高いのが難点であるが。

 サイトには子供たちのためのページがある。子供たちとはいうが、教育用である。
言葉の説明もあって外国人にも便利なページと思われる。

 ともかくサイトにしてもこの美術館にしてもフランスは金を文化に出している。こ
れだけは本当に掛け値なしで評価してよいだろう。

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4.Edith Piaf
  Elle frequentait la rue Pigalle
    Paroles: Raymond Asso. Musique: L.Maitrier   1939


Ell' frequentait la rue Pigalle.
Ell' sentait l'vice a bon marche.
Elle etait tout' noire de peches
Avec un pauvr' visage tout pale.
Pourtant, y avait dans l'fond d'ses yeux
Comm' quequ' chos' de miraculeux
Qui semblait mettre un peu d'ciel bleu
Dans celui tout sale de Pigalle.

女はピガールに佇んでいた 悪いことをしていると思っていた 罪の意識があった
 真っ青な顔をして でもその瞳の奥底に 一片の青空が 汚れたピガールの空に

Il lui avait dit : "Vous et's belle."
Et d'habitud', dans c'quartier-la,
On dit jamais les chos's comm' ca
Aux fill's qui font l'mem' metier qu'elle
Et comme ell' voulait s'confesser,
Il la couvrait tout' de baisers,
En lui disant : "Laiss' ton passe,
Moi, j'vois qu'un' chos', c'est qu' tu es belle."

男が云った「美人だね」 この町ではこんな科白はいわない この手の女たちに 女
はあらいざらい言いたかった 男はいたるところ接吻して 云った「過去なんかどう
でもいい 僕にとって 君は綺麗だってことさ」

Y a des imag's qui vous tracassent
Et, quand ell' sortait avec lui,
Depuis Barbes jusqu'a Clichy
Son passe lui f'sait la grimace
Et sur les trottoirs plein d'souv'nirs,
Ell' voyait son amour s'fletrir,
Alors, ell' lui d'manda d'partir,
Et il l'emm'na vers Montparnasse.

あなた方を悩ませる姿があった 女がその男と出かける時 バルベスからクリシィー
まで 嫌な顔をした 歩道には思い出がいっぱい 女は恋がしおれるとおもった だ
から外(ほか)に行きましょうと頼んだ 男はモンパルナスに連れていった

Ell' croyait r'commencer sa vie,
Mais c'est lui qui s'mit a changer.
Il la r'gardait tout etonne,
Disant : "J'te croyais plus jolie,
Ici, le jour t'eclair' de trop,
On voit tes vic's a fleur de peau.
Vaudrait p't'etr' mieux qu' tu r'tourn's la-haut
Et qu'on reprenn' chacun sa vie."

女は人生を遣り直したと思った けれど男が変わり始めた 男は驚いて女をみた 
「君はもっと綺麗だった ここでは 昼の光が君をあまりにあらわにする 君の悪の
華が見える 丘の上に帰ったほうがいいだろう そしてそれぞれの人生を歩んだ方
が」と云った

la-hautは「上の方」、モンパルマスからみてピガールやモンマルトルの方をいう。
p't'etr'はpeut-etreの略

Elle est r'tourne' dans son Pigalle.
Y a plus personn' pour la r'pecher.
Elle a r'trouvee tous ses peches,
Ses coins d'ombre et ses trottoirs sales
Mais quand ell' voit des amoureux
Qui r'mont'nt la rue d'un air joyeux,
Y a des larm's dans ses grands yeux bleus
Qui coul'nt le long d'ses jou's tout's pales.

女はピガールに戻った 誰も女を救うものはいない 女は罪をとりもどした 暗い場
所を 汚れた歩道を でも 楽しげに坂を登る恋人たちを見るとき 大きな青い目に
泪をうかべ 泪は青白い頬をつたった

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5.忘れられたフランス人
  Jean Georges Noverre 1727 - 1810
  http://www.balletdelopera.com/hist/danseurs/bios/noverre.htm

 ノヴェールはダンサーとして16歳でデビューするが、1747年、怪我をしてしまっ
て、コレグラフィーの世界に入る。パリよりも、ドイツやオーストリアで作品を発表
し評価され、マリー・アントワネット(勿論オーストリアから来た)の推薦でパリ・
オペラ・コミックのバレー監督となるも、当代のダンサーたちに理解されなかった。
  
 「Lettres sur la danse et sur les ballets ダンス及びバレーに関する書簡」が
書かれたのは1760年ノヴェールのリヨン時代である。ダンスの基本動作の細かい規定
から、観客による誤った評価に対する注意、またダンサーのモラルに至るまでかかれ
てあり、いわばバレー界のバイブルである。
http://nelly.johnson.free.fr/Page83s18.html

 時代をみると、ノヴェールの人生の後半にフランス革命がある。宮廷の芸術として
のダンス/バレーが批判されて、大衆の民族舞踊的芸術がもてはやされることになっ
た。やがてそれは社交ダンス、ジャズ、ロックダンスへ、はては今日のディスコ、ク
ラブダンスへもつうじるのである。

 しかし、クラシック・バレーの芸術的価値は高い。ノヴェールの貢献は単に観客に
素晴らしいダンスを提供したにとどまらず、理論家としてバレーを他のダンスや演劇
芸術から独立させたことにあるといわれている。ダンスのコレグラフィーは今日確立
した地位を築いている

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6.あとがき
 
 千葉のTPIさん、尼崎のKFさん、カンパありがとうございました。

 一昨日土曜日日比谷でイラク反戦のデモに参加しました。本誌読者の幾人かの方々
にもお会いしました。長いデモの列ができたのですが、長すぎるきらいがある。何故
か。交通遮断ができないからです。数万人のデモに一車線だけしか遮断しないからだ
らだらと長い行列になる。通りいっぱいにデモできる環境があってしかるべきではな
いか。今回は日比谷、新橋、東京駅までのデモでちょっと疲れました。

 第24回湘南科学史懇話会が来る21日(金曜日、祭日)、江ノ島の「かながわ女性セ
ンター」で開かれる。今回のTable rondeのスピーカーは川崎 哲氏。詳しくは懇話
会のホーム・ページでご覧下さい。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/shonan/home.htm
ぼくは、流行のNPOの欺瞞を突くつもり。討論はかなりホットなものになるでしょ
う、le debat sera tres chaud !

 シラクは先週アルジェリアに行っていた。アルジェリア独立以来の大歓迎を受け
た。演説のトーンも上がって、まるでイスラム世界の救世主のような。アルジェの若
者達が、しかし、叫んだのは「Visa、Visa !」、フランス入国査証発給を緩和してく
れというもの。30%以上もの失業率を記録しているアルジェリア、なかでも若い人達
の失業率が高いのだ。フランスに行けば仕事がみつかるというのは幻想に違いないの
だが、地中海の向うは少なくとももっと自由があるようにみえる。この傾向は独立前
も独立後も変わらない。国語をアラブ語化して久しく、フランス語が弱くなってきて
いた所、私立中学高校ではフランス語中心で授業を進めるようになり、また来学期か
ら公立でもフランス語の授業数を倍以上にするそうである。言語帝国主義英語に対抗
するフランス、その大統領シラクはセールスマンとして成功したわけだ。なお、シラ
クは本来なら今週来日予定だったが、急遽取止めたそうである。親日家シラクも易き
に流れるということか。

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発行者:田邊 好美(ヨシハル)
    〒 157-0073 東京都世田谷区
e-mail: davidyt@m2.ffn.ne.jp
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