メルマガ:近現代史を考える
タイトル:近現代史を考える(29)  2003/03/13


29.「マルコポーロ」廃刊事件
   (その9)





当然と言うべきでしょうが、私は、
物心付いた頃から、「ナチは、ガ
ス室でユダヤ人を殺した」と言う
話を疑った事など、全く有りませ
んでした。


今、このメルマガを読んでおられ
る皆さんの中にも、まだ、「ナチ
のガス室」の存在を信じて居る方
がおられると思いますが、かつて
は、私も、「ガス室」を信じて疑
おうとしませんでした。−−−−
「ナチのガス室」が存在した事は
疑い様の無い事実だと思って居ま
したし、これに疑いを投げ掛ける
人が居るなどとは、想像した事も
無かったのです。


ところが、1989年の6月、私
は、或る雑誌の或る記事を読んで、
この「ホロコースト」と呼ばれる
「歴史」を巡って、論争が存在す
る事を知りましたた。それは、
ニュースウィーク日本版に載った
或る記事だったのですが、その記
事の話は後でするとして、私は、
今日、皆さんに、次の事をお話し
たいと思います。


−−−皆さんは、「ガス室」や
「ユダヤ人絶滅」と言った、この
言わゆる「ホロコースト」の「教
義」に最初に異議を提出した歴史
家が、どんな人物であったかを御
存知でしょうか?



「ナチのガス室」や「ナチのユダ
ヤ人絶滅政策」と言った物の実在
に疑いを投げ掛けた事実上最初の
歴史家は、ポール・ラッシニエ
(Paul Rassinier)
と言うフランス人でした。ところ
が、このラッシニエが、どの様な
人物だったかと言うと、フランス
の左翼系知識人で、非暴力主義者
であり、そして、何と、第二次世
界大戦中、フランス国内でレジス
タンスに加わって居た人物だった
のです。


そればかりではありません。この
ラッシニエと言う歴史家は、こう
したレジスタンス活動の為に、ナ
チスドイツの秘密警察ゲシュタポ
に捕らえられ、収容所に入れられ
て居たほどの反ナチス的人物だっ
たのです。そして、戦後、フラン
ス政府は、このラッシニエをレジ
スタンスの英雄として称え、レジ
スタンスに与えられた勲章の中で
は最高位の勲章を与えてすら居る
のです。


つまり、政治的には、最もナチス
と遠い人物であったこの歴史家が、
しかも、自らがナチスの収容所で
の生活を体験したこのレジスタン
スの英雄が、「ガス室」や「ユダ
ヤ人絶滅政策」の実在に公然と疑
問を投じた、事実上最初の歴史家
だったのですが、皆さんは、この
事実をどう思われるでしょうか?

        
           (続く)










西暦2003年3月13日(木)













西岡昌紀(にしおかまさのり)

(内科医・元厚生省医務官)

ブラウザの閉じるボタンで閉じてください。